第十九章(5)
わたしとノギスが降り立ったのは、ディールの外れに広がる森の中だった。
「あっちに見えるのが、ディール?」
「そう。あれがディール」
ノギスの指差す先、太い木々の幹の隙間から、小さな家々と畑が覗いている。すぐに目的地を確認できて、わたしはほっと息をついた。
その時になって、自分が着の身着のままで来てしまったことに気付く。
見慣れたフリンジ風のワンピースに、手入れもしていないのにさらさらの銀髪。
「大丈夫でしょうか。悪目立ちしないかしら……」
「大丈夫よ。私がカーテンを引いておくから」
意味はわからなかったけれど、ノギスがあまりに当然のように言うので、わたしは頷くしかなかった。
地面はぬかるんでいた。今は降っていないけど、少し前まで雨が続いていたのだろう。
夕刻のせいか、村人の姿はまばらだ。
それでも何人かの農夫らしき男の人たちが、畑を前に立ち尽くしている。
排水が追いつかず、泥水が溜まっているらしい。
収穫期のはずなのに、野菜はどれも小さい。
アピス全域で、雨害が発生しているのかしら……。
わたしとノギスは、銀髪と黒髪というだけでも目立つはずだった。服装だってこの地方のものではない。
それなのに、すれ違う人々はまるで気付かない。
野ねずみとすれ違うような無関心さで、足早に離れていく。
「ノギスさんが、何かしたんですか?」
「ノギスでいいわ。カーテンを引いたの。村人は私たちに興味を持たない」
やっぱりよくわからない答えだった。
そもそも一瞬でここまで来られたこと自体、説明のつかない出来事だ。これ以上追及しても意味はない気がした。
ぬかるむ小道を進むと、井戸端で話す三人の女性が目に入る。
ティカさんは……あれくらいの年齢かしら。
ランディスさまは「金髪の若い女」と言っていた。
でも数年経てば、少し老けていてもおかしくない。
母さまと同じくらいかもしれない。
三人はみんな似た年頃だったけど、金髪はいない。
わたしはティカさんの顔も知らないままここへ来た。
けれど、ルカさんのお母さまなら――見ればきっとわかる気がした。
「今年はまだ収穫できないって」
「冬までに漬けないといけないのにね……」
「隣の村も駄目らしいよ。雨のせいだって」
彼女たちは重い桶を担ぎながら、不安そうに話している。
「下流はもっと酷いらしいよ。河が氾濫して、畑ごと流れたって」
「都が一番酷いんだって。半分水没したらしいよ」
「王様が殺されたとか。神様を怒らせた責任だってさ。怖いねぇ」
王さまが……!
思わず声をあげそうになり、慌てて口を押さえた。
おばさんたちは、都についての不穏な噂を口々に語りながら去っていく。
平民が反乱を起こしている。
貴族たちが順々に裁かれていっている。
洪水で都民の半分が死傷した。
……あまりにも酷い内容に、わたしは心底震え上がった。
「そんなこと、気にしている場合じゃない」
ノギスがピシャリと言って、わたしの手を引く。
「あなたの記憶が正しいなら、ルカの生家は廃墟みたいなお屋敷のはず。行きましょう」
「う、うん……」
彼女の言う通りだ。
わたしがここへ来たのはルカさんを救うため。
アピスヘイルよりもルカさんを優先すると、ランディスさまに豪語したばかりじゃない。
わたしは邪念を払うように頭を振る。
辺りは段々と暗くなりはじめていた。
村には明かりがほとんどない。獣避けのために焚かれた炎が、村と森の境で煌々と燃えているだけ。
暗闇に閉ざされる前に、わたしたちは村外れに向かい、目的の場所を見つけた。
お化け屋敷みたいな不気味なお屋敷。森に飲み込まれるように、それは建っている。
半分以上が朽ちてしまっている柵の中に、広い畑と家畜小屋がある。しんとしていて、家畜がいるのかはわからない。畑の状態は、村の他のところと似たり寄ったりだ。べちゃべちゃな畝の間に素っ気なく置かれた木の板を踏みながら、わたしたちはお屋敷の玄関へと向かった。
お屋敷は真っ暗だった。錆びたノッカーを使って音を鳴らす。静まり返る周囲。
「誰もいない……?」
「それじゃあ困るわ。もっと鳴らしてみましょう」
コンコン。コンコン。…………。
耳を澄ませるけど、やっぱり物音はしない。
わたしは諦めずに何度も何度もノックをした。
ついには素手でドンドンと扉を叩きながら、すみませんと声をあげる。
「ティカさん、いらっしゃらないんですか? ティカさん」
ドンドンと扉を叩く手を休めずに、わたしは続ける。
「あの。わたし、息子さんの友人なんです。息子さんが今大変なことになっていて。お願いします、話を聞いてもらえませんか」
ドンドン。ドンドン。ノックを続けながら、わたしは同じような呼び掛けを繰り返す。
声が小さいのかしらと思い、ボリュームをあげようと息を吸い込んだとき、ガタンと家の中から音がした。
ガタン、ガタンと音を立てながら扉が揺れ、ゆっくりと開いた。
隙間からランプの光が漏れる。
「あっ……」
安堵の声を上げかけた瞬間、ぎらりと金属の光が目に入り、息を呑む。
――包丁だった。刃こぼれして、ぼろぼろになっている。
続いて骨ばった手が現れ、低い声がした。
「あんた……何者?」
ランプの明かりが目に突き刺さる。眩しくて目を庇った途端に、明るさが遠ざかった。
どうやら背後を照らし、他に誰かいないか確認したらしい。
しばらく見回した後、再びわたしの前に光が戻る。
「なんだ、あんた……どこから来たの。ひとり?」
「えっと……」
わたしは後ろを見る。ノギスはそこにいたけど、どうやら姿は見えていないようだ。
以前もそういうことがあったから、特に驚かない。
「ひとりです。あの……ティカさんですか?」
そう尋ねると、家主の女性は押し黙ってわたしをじっと見た。
ランプの明かりに慣れ、彼女の姿が見えてくる。
くすんだ長い金髪。それは緩く三つ編みに結われている。眼光が鋭く、ギラギラとした赤い瞳をしている。痩せぎすで不健康な顔色をしていたけど、母さまと同じくらいの年頃だと思った。
わたしはほっとした。一目見たらわかるとの予想は当たっていた。
目の前のその人は、びっくりするくらい――ルカさんにそっくりだった。
「ルカさんのお母さま、ですよね」
わたしが問い掛けると、彼女はゆっくり頷く。そしてもう一度こう尋ねてきた。
「あんたは何者だ? どうしてルカのことを知っている?」
「わたし、ルカさんの友人なんです。ルカさんと一緒にトラブルに巻き込まれて、それで……」
「待って。そこで話すな。中に入りな」
ティカさんは扉を大きく開き、わたしを中に誘導する。
未だに包丁の切っ先をこちらに向けているものだから、わたしはドキドキしながら扉を潜った。
中は真っ暗で、カビ臭い。床板はひどく痛んでいて、歩く度に悲鳴のような音が鳴る。
ティカさんはわたしの数歩先に立ち、長い廊下を進んだ。
廊下の突き当たりに地下に向かう階段を認めて、わたしはふとルカさんの話を思い出す。
『地下では何か研究でもしてたのか、変な匂いがして……』
わたしは鼻をひくつかせたけど、特に奇妙な臭いはしない。家の中はただひたすらにカビ臭いだけだった。
ティカさんが案内してくれたのは、台所に隣接する小さなダイニングスペースだった。乱雑に置かれた麻袋から溢れだすイモ類に足をとられながら、勧められたイスに腰を下ろす。
ダイニングにはイスがひとつしかなかったので、ティカさんはテーブルにランプを置いてから、膨らんだ麻袋の上に座った。
ノギスは入り口の脇の壁に寄りかかり、静かにこちらを眺めいる。
「それで、あんたは何者だ? ルカは今どこにいる?」
「わたしはアピスヘイルの白子……でした。ルカさんと色々旅をして、彼は今ハクトにいます」
「ハクト? どこの町だい?」
「ハクトはフリンジ国の、内なる海側にある独立国です。虎白さまという王さまが治めています」
ティカさんの頭に疑問符が浮かんでいる。どうやら彼女は外国のことに詳しくないらしい。
わたしも初めはそんな感じだったわよね。懐かしく思いながら、苦笑いを浮かべる。
「アピスヘイルの白子ってのは何だ? ルカを連れていった連中の仲間ってことか?」
「えっとその、説明すると長くなるんですが……」
「説明してくれ。私は何も知らないまま、息子を取り上げられたんだ」
そうか。教会の人たちは、何も告げずに二人を引き離したのか。
ルカさんだって何も知らなかったのだから、ティカさんが知らないのは当然だ。
わたしはアピスヘイルの白子について、簡単に説明した。
十八年に一度、ふたりの白子を生け贄に捧げることで成り立っていたアピスヘイルのシステム。
ルカさんは、姿を消したテオドアの代わりにされた。
藍の都に送られて、藍猫の生け贄になりそうだったときに……謎の人物によって儀式が邪魔された。
「謎の人物?」
「はい。金色の髪と、赤い瞳の……マントとマスクで顔を隠した男の子でした」
あなたと似た、ギラギラとした赤い目の――と言いそうになってやめる。
そんなことを言わずとも、彼女ならわかってくれるんじゃないかと思った。
それからわたしたちは、ハクトという国に匿われて、色んな国と争った。
黒猫の男の子は司彩という、国の偉い人の命を狙い、わたしの前に現れた。
「彼はわたしの知り合いを殺そうとしました。だからわたしは、彼を止めるために――毒を使ってしまいました」
「毒……」
「ええ、毒です。彼には、よく効いてしまったようです」
それを聞いたティカさんは、俯いて沈黙する。
その時点で彼女は――わたしの言いたいことを把握したように思う。
これ以上の説明は要らないのかもしれない。
静かに待っていると、ティカさんが口を開く。
「あの子はまだ、ルカなのかい?」
やっぱり、そうだ。わたしはすぐに頷いた。
「ええ……多分。わたしはそうであってほしいと思っています」
「危ない状態なのか」
「はい……」
「…………」
ティカさんは考えている。顎に手をやり、真剣な眼差しを床に向けている。
「わたし、どうすれば良いかわからなくて。お母さまなら救ってくださるんじゃないかと思って……ここまで来ました」
わたしの言葉に、ティカさんは顔を上げる。
――ルカさんに似た、鋭い眼差し。
わたしはドキリとした。
「……私にできることは少ない」
彼女は静かに言う。
「だけど、私にしかできないことはいくつかある」
「ルカさんは助かりますか?」
「わからないが、できることはやりたい。ルカのところにはすぐ行けるのか?」
「行けます! すぐにでも……」
わたしはそう答えながら、ノギスに目配せをする。彼女が強く頷いたので、わたしは同じように頷いて言った。
「すぐに彼の元にお連れします。……どうかルカさんを、救ってください」




