第十九章(3)
夢から覚めたわたしは、リンさんが訪れるのを静かに待った。
ルカさんは相変わらず目を覚まさない。
悪夢にうなされ、苦しげに呻いている。
金色と銀色の髪を交互に繰り返すその姿は、チャフさんとルカさんの意識が入れ替わっているようにも見えた。
あの悪夢。
廃墟に暮らすチャフさんの光景と、自害を繰り返すルカさんの光景。
――もしかして、髪色の変化は見ている夢の違いなのかしら。
チャフさんと『悪意』が同じものなのかは結局わからない。
けれど、ルカさんは彼らとは別の魂で、いまその意識に脅かされている。
均衡が崩れたのは、わたしの毒のせいだろう。
蝕まれた身体を保とうとして、意識同士が衝突している。
今、ルカさんの身体の主導権は誰にもない。争いの真っ最中だ。
もし負けたらどうなるのだろう。
ルカさんは消えてしまう?
悪意に乗っ取られてしまう?
駄目だ。
そんな結末は駄目だ。
――わたしは、ルカさんを救わなければ。
彼が戻ってくれば、虎白さまを説得できるかもしれない。
元の平和に戻れるかもしれない。
ハクトの片隅で穏やかに暮らしていた、あの時間に戻れるかもしれない。
――わたしにも、できることがあるはずよ。
そう思い、わたしはすぐに行動を決めた。
「リンさん。すみません、ちょっと用事を思い出して。ここから出してもらっても良いですか?」
「はい、大丈夫ですよ。たまには外の空気を吸ってください。私が代わりにルカさんを看ていますから」
「ありがとうございます。お願いします」
わたしは牢から出て、迷路のような地下を迷いながら進む。やっとの思いで地下から抜け出すと、真っ先に思い浮かんだ人物の元に向かう。
「あ、カノンさん! お久しぶりです」
「ウィスさん……」
相変わらず柔和な笑顔にほっとするわたし。
ウィスさんの帰宅を待ち伏せしたわたしは、前回と同じように、近くの公園のベンチまで彼を連れ出した。
「イグニア攻略が終わったはずなのに、お二人とも戻らないから心配していたんですよ。イグニア再建とかでハクテイはゴタゴタしているし……」
「すみません……ちょっとトラブルがあって」
ウィスさんはイグニア行きを拒否しハクトに残っていたから、イグニアヘイルで何が起こったのかよく知らないようだった。
船乗りの仕事もあるし、ソフィアの世話やアスイさんのお見舞いまでこなさないといけないから、わたしたちのことまで考える余裕はなかっただろう。
それでもわたしには、頼れる人がウィスさんしか思い浮かばなかった。
「わたし、とても困っていて。どうしていいかわからないんです……。ウィスさん、スイさんがどこにいるのかまだわからないんでしょうか」
「連絡はありませんよ。どうしたんですかカノンさん。僕で良かったら話を聞きますよ?」
ウィスさんは心配そうな目でわたしを覗き込む。つい涙腺が緩んでしまったわたしは、目の端からボロボロと涙をこぼれさせ、彼を驚かせてしまった。
「あの、すみません。わたし、ウィスさんしか頼れる人がいなくて……」
わたしはしゃっくりを上げながら、声を絞り出す。
「こんなこと言われても、困ってしまうかもしれませんけど……わたしの話を聞いてくれますか」
「もちろんですよ、カノンさん」
彼はわたしの隣に腰かけて、じっとわたしの話を待つ。
わたしは、ゆっくりと……今までのことを全部、ウィスさんに話した。
彼はわたしたちの境遇を、断片的にしか知らない。
順序だてて、整理しながら話した。
特にルカさんについて、知っていることを全て話した。
ウィスさんはびっくりしていたようだけど、最後まで真剣に聞いてくれた。
「今、ルカさんは生死の境をさ迷っています。体はきっと治るでしょうけど……ルカさんが戻ってくるかはわかりません」
わたしは顔を伏せて呟く。
「何かできることがあるか、スイさんなら教えてくれるかと思ったんですけど」
「そうですね。スイさまならきっと、力になってくれたと思いますが……」
ウィスさんは悲しげに首を振る。
スイさんはいない。いない人のことを頼りにしても仕方がない。
彼はしばらく顔を伏せたまま考え込んで、徐に口を開いた。
「ルカくんの状態は、今までに聞いたことがないものですが……根本的には、僕たち白子が体験する一連のものと差異はないのだと思います」
「一連のもの?」
「はい。カノンさんにも体験があると思います。前世と意識や記憶が混ざっていく感覚、あれはおそらくどの白子にも起こりうるものです」
確かに、わたしにも心当たりがある。
知るはずのないことを知っていたり、変なことに激昂したりすることがある。
あれが『混ざっていく』という現象なのだろう。
「ルカくんは今、前世と自分との境目が曖昧になっています。このまま放置すれば、彼はルカくんじゃないものになってしまうかもしれません」
「そんな……」
「それは悪いことではないんです、本来なら。僕の前世はウィルと言いますが、悪いやつじゃない。
僕はある程度ウィルの生き方を受け入れて、新しい人間となりました。その人間にウィスと名前を付けました」
「でもルカさんは、悪意と混じればわたしたちの敵になってしまうかもしれません」
「それなら、ルカくん自身に線引きをしてもらわないといけない。『自分という意識は、ここまで』だと強く主張し、それ以外を他人の意識だと区別しないといけない」
「自分と他人を区別……」
「僕がウィスとウィルを区別しているのと同じです。名前を付けて区別するのがとても大切です。スイさまが狐翠と名乗らないのも恐らく同じ理由です」
わたしも自然とその形を取っている気がする。
わたしとマグノリアは、名前と共に意識を独立させている。
そう言えば、エリファレットさまは自分をエリファレットと名乗った。もしかしたら彼女は、藍猫と完全には混じっていなかったのかもしれない。
『エリファレットの記憶は、藍猫の中に断片的にしか残っていない。彼女は上手く司彩の集合意識から、分離できていたのかもしれないわ』
マグノリアが同意してくれる。
「ルカさんに『区別』してもらうにはどうしたらいいんでしょう。外からできることは何もないんでしょうか?」
「そんなことはありませんよ。僕が自分を区別するのに、アイシャはすごく助けになってくれました。
スイさまもアスイさんと話すことで、ご自分を保ってきました」
「ルカさんに語りかけ続けていたら、効果はあるでしょうか」
「あると思います。カノンさんだけじゃなくて、ルカくんをよく知る人物にも話しかけてもらった方がいい」
「ルカさんをよく知る人物……」
わたしの脳裏に浮かんだのは、ふたりの人物だった。
ひとりは、ランディスさま。彼はルカさんを羊角の大教会へ連れてきた張本人だ。ルカさんのことをわたしよりもよく知っている可能性が高いけど、ルカさんは彼のことが嫌いなようだった。
もうひとりは、ルカさんのお母さま。ルカさんは何度かお母さまのことを引き合いに出し、懐かしそうな表情を浮かべていた。ルカさんは彼女のことを今でも慕っている。おそらく彼女がこの役割には適任なのだろうけど……。
「心当たりがあるんですか?」
「はい。ありますけど……」
わたしはふたりのことを話した。
ランディスさまは、アピスヘイルを救うために奔走しているだろうこと。
お母さまは、アピスにあるどこかの村に住んでいるらしいけど、詳細はわからないことを伝えた。
「お母さんはさすがに無理ですが、ランディスという人にはすぐに会えるかもしれません。ちょっと聞いてみます、待っていてください」
ウィスさんは住宅街のほうに駆け出していき、ものの十分ほどで戻ってきた。
「カノンさん。ランディスさんは戻ってきているようです。付いてきてください」
わたしはウィスさんの案内で、住宅地の一角にある住居に辿り着く。そこは以前、虎白さまに連れてこられたランディスさまの居住地に他ならない。
見覚えのある兵士さんに話を通してもらい、わたしたちは家に上がる。二階には前と同じように疲れた顔のランディスさまがいて、わたしを怪訝そうな顔で見つめた。
「カノン。ハクテイはどうなっているんだ。こちらの準備はできていると伝えたはずなんだが」
「すみません、ランディスさま。多分ハクテイは、戦後処理で忙しくて……」
「アピスヘイルの状況は一刻を争う。一刻も早く兵を出してもらいたいと虎白様に伝えてもらえないか」
「…………」
わたしは言葉につまる。ランディスさまの言い分はもっともだ。
本来のわたしの立場なら、ランディスさまと一緒になって虎白さまを急かさないといけない。
わたしはぎゅっと拳を握る。同時に強く結んでいた唇を徐々に緩めて、わたしは口を開いた。
「ごめんなさい、ランディスさま。わたし今、それどころじゃないんです」
「どういうことだ。アピスヘイルよりも優先させることがあるというのか?」
「あります。アピスヘイルよりも急を要することです。ランディスさま!」
わたしが語気を強めると、ランディスさまは怯んだような顔をする。
「あなたに聞きたいことがあります。羊角の白子……ルカさんのことです」
「ルカ……あいつか。今さらどうして、そんなことを聞く?」
ランディスさまはあからさまに嫌そうな顔をした。後ろめたいことでもあるのか、わたしから目を逸らして視線を泳がせた。
「大切なことです。ランディスさま……。ルカさんのことを教えてください。彼はどこで生まれて、どういう経緯でアピスヘイルに来たんですか」
「そんなことが今、本当に大切なことなのか?」
「お願いします、ランディスさま。ルカさんが消えてしまいそうなんです。ルカさんを元に戻すには、彼をよく知る人を探さないといけません」
「あいつをよく知る人?」
「はい。誰でもいいんですが、一番いいのは多分、ルカさんのお母さま……。ランディスさま、ルカさんのお母さまは今、どこにおられるかご存知ないですか?」
ランディスさまは顔を伏せ、考えるような間を紡ぐ。
「あいつの親類は、まだディールにいるだろう。確認はしていないが……」
しばらくして、絞り出すように呟きを漏らした。




