第二章(2)
「可哀想ねぇ。ああ、可哀想」
次の日の朝。いつものように大教会の出口で出会った姉さまたちといつものように修道院へ向かう道で、唐突にリリムがわたしの耳元でそう囁いた。
「何がですか?」
わたしが問うと、リリムは意地悪な笑みを浮かべて口を開く。
「あの人のお世話をしなきゃならないから。大変よねぇ白子は」
ローダさまのことを、リリムたちは″あの人"と呼んでいた。
流石に悪口を言っているところを誰かに聞かれたら、巡り巡って国王陛下のお耳に届き、結果として家全体の信用を損なってしまうかもしれない。わたしもその事に配慮して、リリムたちと話す際はなるべく名前を出さないようにしている。
「そんなことないですよ。彼女は結構良い人ですよ。少しズレているけど」
「ズレているってもんじゃないでしょ。空気は読めない、世間知らず、お父様の威光でなんでもワガママが通っちゃう。いいご身分よねぇ」
「あなた、自分が進級できなかったから妬んでいるだけでしょう」
「そうよ! 悪い? だって、ズルいじゃない! 全然出席していないくせにさぁ」
カーミィに痛いところを突かれ、リリムは声を荒げる。アイリスと姉さまが笑い、今朝もいつも通りの通学路だなと思った。
ただ、玄関に着いた瞬間にガラリと空気が変わる。リリムは足を早めて教室に向かい、他の三人もそれに続く。わたしは置いてけぼりにされ、ひとりで第二教室の扉を潜ることになった。
昨日と同じく、一番前の席を陣取るグループ。ローダさま御一行である。
「カノン! おはよう」
「おはようございます、ローダさま」
「今日も会えて嬉しいわ。さあ、こちらで一緒に講義を受けましょう」
断る理由もないので、わたしは引っ張られるままに一番前の席に座った。
「今日もあなたは美しいですわ。その白銀の髪、いつ見ても惚れ惚れします」
「ありがとうございます。ローダさまこそ、いつも通り美しいです」
「そんなことありませんわ。カノンのほうが数段も美しいです」
わたしは内心でため息をついた。アイリスと同様に、ローダさまも何かにつけてわたしをべた褒めしてくるから、正直居心地が悪い。
その上アイリスと違い、ローダさまは全てがわたしよりも優れている。彼女は容姿だけでなく、教養八科の成績も国一番なのだ。
学年トップだと言われたわたしの成績も、ローダさまが欠席していたから得られた結果ということはわかっている。ローダさまは休学中も、最上級の個人教師から個別授業を受けているし、女王となるための教養と、品性と、責任感を生まれた直後から仕込まれている。"平均的な神民"として育てられたわたしなんかが敵うはずがない。
そんな彼女がどうして修道院に通っているのか。初めは誰もが疑問に思ったのだけど、彼女の態度を見ていればわかる。
ローダさまは、わたしと親しくなりたくて修道院に通っているのだ。多分わたしが修道院に通うことを許されたのは、ローダさまのご意向があってのことなのだと思う。
修道院なんか通わなくても友人になろうと思えばなれるけど、それは白子と″特別な関係になる″と見られてしまう。修道院のクラスメイトとして親しくなるのであれば、それは普通のことであり、特別な関係とは言えない。きっとそういう持論を国王陛下に持ちかけて、わたしと同時に修道院へ入学することにしたのだ。
そこまでしてわたしと仲良くなろうとしてくれたローダさまに冷たい対応をすることはできない。わたしはそんな舞台裏のやり取りを察しつつも、気が付かないふりをしてローダさまの"普通の学友"を演じている。
「カノンは農業に興味があるのかしら」
午前中の国学の授業が終わり、お昼休みの昼餉の時間にローダさまはそう切り出した。
多分、今日の授業で小作農制度の話になったからだろう。いつもより集中して聞くわたしを見てそう思ったのかもしれない。わたしはニッコリ笑って言った。
「はい。農業だけじゃなくて、牧畜にも、職人さんにも興味があります」
「そうなのね。実はわたくしもなのです」
ローダさまは嬉しそうに手を叩く。
「やっぱりカノンは素晴らしいわ。全ての平民に敬意を払っていらっしゃるのね。わたくしと同じですわ」
いえ多分、ローダさまとは違います。そう言いたいのを飲み込んでわたしは苦笑いを返した。
わたしは平民の仕事にも貴族の仕事にも興味がある。何故なら仕事に就いている人が羨ましいからだ。自分ならどんな職に就きたいか、あれこれ夢想するのをわたしは日課にしている。
修道院を卒業した貴族の女の子たちは、聖職者になるか、教師になるか、すぐに結婚して次期家主の妻としての教育を受けるか、大体はその三択だ。わたしはその三択にはあまり惹かれなかったので、平民の職業に思いを馳せた。その中でもキラリと輝いていたのが農民だった。
「なんだか素敵なんですよ。農民の方って。伸び伸びとして楽しそうというか。仲間もたくさんいて、支え合って、国のみんなのために働いている。なんだか羨ましいなと思って」
「そうね。農民は国にとってなくてはならない存在よ。その重要性を認識されているのは流石ですわ」
「わたしもそんな風に、誰かに必要とされながらこの国で暮らしていけたら……」
「なにを仰っているの? カノンはもうじき藍猫さまのもとに赴いて、神官となるのよ。農民などと比べ物にならないくらい重要な存在よ」
「…………」
わたしは自分の口が滑ってしまったことを反省し、あははと笑って誤魔化した。
いけない、いけない。神官よりも農民になりたいなんて、絶対に言ってはならないことだ。幸運にもローダさまはわたしの言葉を重く受け取らなかったようで、熱っぽく持論を語り続けている。
「わたくしは常々、衰退の節に農作物の収穫量が落ちてしまうことを懸念しておりますの。なんの対策もとらないまま周期を重ねておりますが、それは応変の戒に反しているのではないかと……だから最近の研究で、導きの水を使用した農法が素晴らしい結果をもたらしたというお話を伺って、詳細を聞くために先日……」
彼女の話は長く、お昼休みの終了の鐘がなるまで延々と続いた。