第十七章(4)
そう思い込もうとしたけれど、やっぱり不安が拭えず、わたしはウィスさんの元へ向かった。
彼は普段、船乗りの仕事をしており、夕刻に勤務を終えて帰宅する。
アイシャさんまで不安にさせたくなかったので、帰ってくるウィスさんを待ち伏せるようにして声をかけた。
「あれ? カノンさん。どうしたんですか?」
「ウィスさん、その……少しお話が……」
彼は何かを察したのか、近くの公園のベンチまで案内してくれ、改めて口を開く。
「話って何でしょう?」
「実は、今日の昼間のことなんですが……」
わたしはスイさんの話をした。
ウィスさんはみるみる顔色を青くし、落ち着かない様子で言う。
「それは本当ですか? いえ、疑うわけじゃなくて……カノンさんが冗談を言うはずが……」
その狼狽ぶりで理解する。
やはりスイさんは、誰にも告げずに行ってしまったのだ。
すると、さらにわからなくなる。
どうしてわたしにだけ会ったのか。
わたしがハクトで一番重要な存在だった、とでもいうのだろうか。
わからない。
わからなくて、気持ちが悪くなる。
「わたし、どうすればいいのかわからなくて……ウィスさん。ハクトはどうなるんでしょう。スイさんがいなくなって、しかも『味方になれない』なんて……」
ウィスさんはしばらく考え込んだあと、静かに言った。
「大丈夫ですよ、カノンさん。アスイさんはまだハクトにいらっしゃるんですよね」
「確認はしていませんが、連れ出している様子はありませんでした」
「スイさまはアスイさんを連れ出したりはしません。ハクトが安全だから連れてきたんです。あなたたちを連れてきたのも同じ理由です。ハクトは世界で一番安全なんです。それはこれからも変わりません」
話しているうちに落ち着きを取り戻したのか、ウィスさんはいつもの優しい笑顔に戻る。
「心配はいりません。心配がないから、スイさまは旅立たれたんです。僕はスイさまがお帰りになるまで、アスイさんを守ります。それが僕の役目ですから」
「…………」
「カノンさんも気に病まないでください。ただ、虎白さまには伝えるべきです。それがあなたの役目です。それ以外にあなたがすることはありません」
「虎白さまに……」
「スイさまがいない今、従うべきは虎白さまです。不安なことは虎白さまに相談してください」
「…………」
そう教えられたので、わたしは虎白さまの帰りを待った。一週間後に帰国した彼に、謁見を申し出た。
たくさんの謁見希望者でごった返していたけど、わたしはファイさんに「非常事態なんです」と告げ、その日の内にお話しする機会を勝ち取った。
「非常事態とはどういうことだ、カノン」
「はい、虎白さま。実は……」
わたしの話を虎白さまは、少しも顔色を変えずに聞いた。
最後まで無言で聞いて、しばらく天井を見つめて、それから口を開いた。
「そうか。俺は振られてしまったようだな」
「振られた? どういうことですか……?」
虎白さまはニヤリと笑いながら、わたしの問いに応答する。
「これからのシナリオを、奴に話したことがある。俺が一番推していたシナリオだ。恐らくそれが気に食わんかったのだろう」
「シナリオ……? どんなシナリオですか?」
「楯突く司彩を皆殺しにしたあと、俺とスイとカノンの三人で世界を三等分するというものだ」
「えっ?!」
なにそれ。わたしは聞いていないわ、そんな話。
勝手にそんな話を進めようとしていたなんて、虎白さまってば相変わらず無茶苦茶だ。
「どうして三等分なんですか。虎白さまが統一すれば良いんじゃないですか?」
「俺一人で治めるにはフレジエは広すぎる。無理に統一するよりは、目の届く範囲だけを治める方が良い」
「そういうものなんですか……?」
「そういうものだ」
そういうものなら仕方ない……と納得しかけて、わたしは首を振る。違う違う。そうだとしても、わたしに国を治めるなんてできるわけがない。
「そんなの無理ですよ! そのシナリオはやめてください」
「無理ではない。俺は無理なことは頼まん。しかしスイには荷が重かったようだ」
「スイさんには?」
わたしはぱちくりして問い返す。
虎白さまは少し遠い目をして言った。
「奴はいつもどこかへ行きたがっていた。スイを引き留めていたのは俺だ。ハクトは狐翠の威を借りねば生きられなかったから。奴はそれをわかっていて、ここに留まっていてくれた」
「それは今も同じなんじゃないですか? 狐翠がいなくなって、ハクトは大丈夫なんですか」
「もはや狐翠の存在は必須ではない。ハクトには金鳳がいる。カノン、お前もいる。狐翠がいなくても大丈夫だ」
いなくても大丈夫。わたしはその言葉に、ナイフのような鋭さを感じた。
スイさんは以前わたしを『強いカード』と表現したけど、それはスイさんも同じだったのかもしれない。
虎白さまにとって、強いカード。
強い駒であったから、ハクトで大切に扱われたわたしたち。
わたしの存在で、スイさんの価値は目減りした。
虎白さま自身が司彩になることで、さらに価値は目減りした。
もしかしてスイさんはそうすることで自分の価値を減らし、ハクトのしがらみから抜け出したかったのかもしれないけど……。
わたしはなんだか、虎白さまの考え方に少し寂しいものを感じた。
「カノン、丁度良い。俺もお前に聞きたいことがあったのだ」
「え……なんでしょう」
「お前の意思を確認したい。俺にどのくらい協力してくれるのか」
「?」
「スイのようにここから去りたいと思ってはいないか」
「えっと……」
「お前の意見はできるだけ尊重したい。忌憚ない思いを述べてくれ」
そんなこと、急に言われても困る。
近頃のわたしは『なんとなくハクトに居たい』と思っていただけだ。
でも、アピスヘイルを救いたいという気持ちは変わらない。そのためには虎白さまに頼るしかないのだし、虎白さまがイグニアと戦争するといえば、いずれは彩謌隊の一員として出陣することになるのだろう。
「わたしは、アピスヘイルを救いたいです。そのために必要なことはなんでもします」
「その意思は変わらないか」
「変わりません。よろしくお願いします」
頭を下げるわたしに、虎白さまは深く頷いた。
「できるだけ早い解決を約束しよう」
力強い回答にほっと息をつくわたし。話は終わったものと思い、会釈をして去ろうとしたところ、虎白さまがあっと声を上げる。
「これだけは言っておこう。カノン」
「なんでしょう」
振り返り、視界に入った虎白さまは、ひどく真剣な顔をしていた。
わたしは姿勢を正し、ごくりと喉をならす。
彼は厳しい顔をして、こう言った。
「お前はハクトに必要だ。スイとは違う。できたらこれからもずっとハクトに留まってもらいたい。
少なくとも、他の司彩の討伐が終わるまでは」
「えっと、そのつもりですが……」
わたしは首を傾げる。虎白さまが念を押した意味が良く分からない。
先ほど、虎白さまのことを冷たいと思ったのが伝わったのだろうか。
彼はさらに言葉を重ねる。
「お前はハクトにとって大切な存在だ。できるだけ慎重に行動して欲しい。具体的に言うと、俺の目の届かないところに行かないで欲しい」
――これは俺の心からの頼みだ。
わたしはその発言に、身が引き締まる。
ただ、しっくりこない気持ちで、こう言った。
「はい……わかりました」
「よろしく頼む」
ぼんやりとしながら、謁見の間を後にする。
ルカさんに一連のことを伝え、二人で首を傾げた。
「別に、深い意味はないんじゃないか。スイと同じように、好き勝手に動かれたら面倒なだけだろ」
「でもわたし、特に行きたいところもありませんし、そんな素振りを見せたこともないですし」
「あんまり気に病むなよ。アピスヘイルを救えたらそれでいいんだろ? 他の心配なんてすんなよ」
確かにそうだ。マグノリアにも同じことを言われた。
わたしはアピスヘイルを救うという目標を今だ果たせないまま、フラフラとした気持ちになってしまっている。
気持ちを引き締めなきゃ。
虎白さまが戻ってきたハクテイには落ち着きが戻り、嘘のように獣人さんとの確執は影を潜める。
三日ほど経ったくらいに、イグニアヘイルを攻める話が漏れ伝わってきた。
件のイグニアヘイルの使者さん、ハオランさんを中心に練られていた、兎緋を直接叩く戦略がやっとまとまったらしい。
その翌日に、彩謌隊の出陣が命じられる。出発は、四日後の二十八日だ。




