第一章(4)
ラピスの祝日。五日の平日の後にやってくる、週に一度のお休みの日。いつの間にか眠りこけてしまったわたしは、朝日の眩しさで目を覚まして飛び上がる。
「いけない! 遅刻しちゃう」
普通の院生なら眠っていても構わない時間だけど、白子であるわたしは違った。白子にとって、平日よりも忙しいのがこの祝日なのだ。
ばあやにお小言を言われながらも、わたしは着替えを済ます。
この日の衣装は普段よりも地味だ。フードが付いた真っ黒なマント。足まですっぽり覆う真っ黒なワンピース。この限りなく地味な衣装も、一つ気に入っているポイントがあった。フードには猫の耳を模した飾りがついていて、被ると黒猫のような可愛らしい風体になる。
わたしは鏡の前でフードを被り、形がきれいになるようにマントの留め具を調整した。
「カノン様。主教様がお着きになりましたよ」
「はあい、すぐ行きます」
わたしはパタパタと広間へと駆けていき、階段を下って聖堂に下りる。
礼拝の前のガランとした聖堂には、数人の人影だけが立っていて、彼らはみんなわたしと同じ真っ黒な衣装を纏っていた。
「おはようございます、カノン」
「おはようございます、主教さま」
ペコリとお辞儀をするわたし。主教さまは優しい微笑みを投げ返しつつも、すぐにクルリと背を向ける。
「さあ、本日も予定でいっぱいですよ。大変ですけれど、皆さん頑張りましょう」
その言葉を皮切りにわたしたちはゾロゾロと歩き出し、聖堂の外に停めてあった黒い布張りの馬車に乗り込んだ。
馬車が向かったのは、坂の下に広がる平民街にある、小さな教会だ。
「信徒ザガート=マクリエフは、天命を全うされました。よく八戒に準じ、片時も主のお恵みを忘れることのなかった彼に、どうか、零の門が開かれんことを」
町教会の教壇で、主教さまが祈りの言葉を口にする。彼の前には真っ白な布で覆われた棺がある。そこには、ザガート=マクリエフさんというおじいさんの遺体が安置されていた。
祈りの言葉が終わり、献花の時間が訪れる。白い布が捲られ、棺の蓋が下ろされた。既にたくさんの花で覆われたザガートさんは顔しか見えない。その顔は綺麗に化粧が施されており、眠っているようにしか見えなかったけど……。
ふわりと漂う異臭に、思わず眉を寄せるわたし。
献花の順番が回ってきたわたしは、持っていた花を素早く差し込んで、急いで祈りを終わらせた。
列から離れるためにクルリと体を回したところで、わたしは熱烈な視線に気が付いた。教壇の左隅に遺族席があるのだけど、そこからザガートさんの娘さんがわたしを見ている。
そそくさとその場を後にしようとしたわたしに、声が掛けられた。
「あの。白子様……少しお話しても良いですか」
「えっと、その」
わたしは視線を泳がせて、主教さまの姿を探した。主教さまは参列者になにか教えを説いているようでこちらを見ていない。他の黒マントの人たちは、わたしたちに気が付いているようだったけど、見て見ぬふりを決め込んでいた。
「あの、白子様。カノン様。父は本当に素晴らしい人間だったんです。八戒もそうですが、それだけじゃなく、誰からも好かれて、家族にも優しくて……」
「そうなんですね」
わたしは黒マントの人たちを見る。主教さまとわたし以外の黒マントさんたちは、教会の中でも葬儀を担当する人たちだ。
"黒猫"と呼ばれる彼らは、黒いフードを被っただけのわたしたちと違い、目の周りを覆う仮面を付けているから表情はよくわからない。
「別に私は、父の審判に温情を掛けてもらいたいわけではなくて、白子様に父のことを正しくわかってもらいたいだけで……」
「はい。わかります。わかっています……」
わたしが捕まっている間にも献花の列は進み、どうやら最後の参列者が花を入れ終えたようだ。黒猫さんたちが一斉に動き出し、ザガートさんの棺を閉め始める。
「もし藍猫様が父について勘違いをされていることがありましたら、どうかカノン様からひとこと……」
「マクリエフさん、お下がりください」
わたしたちの間に、少し慌てた様子の主教さまが割り込んできた。
「マクリエフさん、十二章のことはご存知と思いますが、カノンにそのような話をなさるのは故人のためになりません。お下がりください」
「でも、主教様、私は父のことが心配で……」
「お気持ちはわかりますが、カノンが困ってしまいます。大丈夫ですよ、主はすべてをご存知です。何も心配することはありませんよ」
「主教様……」
涙を溢れさせた娘さんの肩に手を置き、主教さまは棺の方に向かった。ザガートさんの棺は黒猫たちにより教会から運び出される最中で、わたしも彼らの後に従った。
嗚咽を漏らす娘さんの背中を見ながら、わたしはため息をつく。普段は腫れ物を見るような目で見られ、避けられるわたしだけど、葬儀のときは違う。遺族はわたしと話したがり、身の上話を一方的に聞かせてくる。
十二章のことがあるから、わたしは彼らの話を特別な思いを持って聞いてはいけない。記憶に留めないようにしなくてはならない。なのに彼らはなんとかわたしの記憶に残るようにあの手この手で印象深い話をしてくる。
わたしにとってこの時間はストレスでしかなかった。
ザガートさんの棺は馬車で港まで運ばれて、最期の別れの時を迎える。小舟に載せられた棺は、さらにその周りを白い花に覆い尽くされて、参列者が見守る中、大河に流された。
アピスヘイルのすぐ側を流れるこの大河は『青の道』と呼ばれていて、アピス国の重要な動線だ。川上にはアピス国に所属するたくさんの街や村があり、河を通じて交流がある。
川下には、藍猫さまが住まわれる天の国『藍の都』と地の国が交わる場所があり、死者はそこに誘われて審判を受ける決まりになっている。
審判を受けたあと、全ての魂は九つある門のどれかを潜ることになる。
一の戒を破ったものは一の門を潜り、再びアピスヘイルの都民として生まれ変わる。
二の戒を破ったものは二の門を潜り、アピスヘイルではないアピス国のどこかの人として生まれ変わる。
三の戒を破ったものは三の門を潜り、アピスヘイルの聖獣・お猫さまとして生まれ変わる。
四の戒を破ったものは四の門を潜り、アピス国を追放された人として生まれ変わる。
五の戒を破ったものは五の門を潜り、家畜として生まれ変わる。
六の戒を破ったものは六の門を潜り、小さな生き物に生まれ変わる。
七の戒を破ったものは七の門を潜り、植物に生まれ変わる。
八の戒を破ったものは八の門を潜り、消滅する。
八戒を遵守し、零の門を潜れたものは天の国へと誘われ、夜空にきらめく星になって眠りにつく。
その眠りは、『最期の審判』の後に藍猫さまが『楽園』を創られるときまで続く……。
「さあ、次の教会に向かいますよ」
ボンヤリとしていたわたしの背を、主教さまが押した。いつの間にか棺は川下に流れて消えてしまい、周りの人は帰路へと足を向けている。
「はい。主教さま」
わたしたちは再び馬車に揺られ、葬儀の席に着いた。この日に行われた葬儀は十件。平均よりも少し多い件数だった。
アピスヘイルにはたくさんの教会があり、平日にも葬儀を執り行っている。なのに何故だか、いつも祝日に葬儀が集中する。
何故だかと言いつつ、実は理由は分かっている。祝日は修道院がお休みで、わたしが葬儀に参列するからだ。
どうせ葬儀を行うなら、白子が参列する葬儀が良いとみんながみんな思っているから、祝日には葬儀の予定でいっぱいになる。週初めに亡くなった方が次の祝日に葬儀の予約をするものだから、遺体が傷んでしまい、少しばかりの異臭がする。
そのニオイを嗅ぐたびにわたしは思うのだ。お願いだから平日に葬儀をしてください、と。