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衰退世界の人形劇  作者: 小柚
上巻
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第九章(3)

 今日はお祭りの最終日だった。お祭りの終わりを惜しむように、朝から外は騒がしい。

 今日はお昼から、閉会の儀という長いイベントがある。そこでは比較的軽微な犯罪者に恩赦が与えられたり、国に多大な利益をもたらした人に勲章が与えられたりする。そして最後に国王陛下から、国民全員に感謝と激励の言葉が述べられて、お祭りは閉められる。

 わたしは部屋のものを整理しながら、ぼんやりと一日を過ごした。整理というのは、一つ一つ手に取って思い出に浸り、それが必要か不要かを考える作業である。

 旅立ちを宣告されたわたしは、隠し持てる程度の所持品以外はすべてここに遺していかなければならない。そしてここに遺したものは主教さまの手により廃棄されてしまう。

 どうしても廃棄されたくないものは、サリーがしたように、家具の隙間に隠したり、抜け穴のどこかに隠したりしなくてはならない。

 そういえば今日は何かの発表があるから、是非閉会の儀に参加してほしいとローダさまが言っていた。だけどわたしにはそんな気力はなかった。それほど重要な話なら、わざわざわたしが行かなくとも、侍女の誰かが聞きつけて噂話にでもしてくれるだろう。わたしは彼女らの話を立ち聞けば事足りる。

 ベッドの脇に置かれたぬいぐるみを手に取った。ボロボロのぬいぐるみだ。この子はわたしと一緒にこの部屋にやってきた古株だった。おそらく猫だと思われる手足の長いぬいぐるみは、毎日涎や涙をこすりつけられたせいで酷く色褪せ黄ばんでいる。多分他の誰が見てもゴミとしか思えないだろうけど、わたしにとっては大切なぬいぐるみだった。連れていけないことに申し訳なさを感じながら、部屋の中央のゴミ山にそっと置いた。

 お別れの儀式を終えた品々はこうやって部屋の中央に集めることにしている。その方が主教さまも片付けやすくていいと思ったからだ。

 わたしには大して大切なものなどない。この六年間、最後の二年間を除いてはほとんど大教会に缶詰めだったし、最後の二年間も大教会と修道院を行ったり来たりするだけの生活だった。   

 サリーのように特別な関係の人もいなかったし、次の白子のために遺しておきたいものもない。

 次の白子か……。わたしは物寂しい思いに駆られた。

 わたしが旅立った後は、この部屋は数年間無人となり、その後再び生まれた白子のものとなる。その女の子はわたしと同様に幼子の頃に連れてこられて、泣きじゃくりながらここでの生活を始めるのだ。

 不憫だと思ったけど、わたしにはどうしようもない。サリーのように、アリアトの勝利のために何かを遺すつもりも毛頭ない。

 次の白子の女の子には、宣誓の詞の意味にも地下の真実にも気が付くことなく、旅立ちの日まで平穏に過ごしてもらいたい。それによってアリアト派が負けてしまっても仕方ない。わたしが責任を感じるようなことではないと思った。

 あらかた整理を終えて、わたしは机の前に立つ。

 わたしには最後にやっておかなきゃいけないことがあった。机の上に置かれたものに手を伸ばす。藍色の封蝋が施された、水色の封筒。テオドアが姉さまに遺した手紙だ。

 わたしはふたりに関わってしまったものとして、これを彼女に渡さなきゃならない義務があった。

 ふらりと階下に降りる。広間ではすでに夕餉の用意が始められていた。忙しく走り回るククルとマーサ。今日はブレンダがお休みらしい。今日も実家でミートパイの売り子をしているんだろうか。

「お出かけなさるのですか?」

 昨日の一件の後から、ばあやが教会に帰ってきていた。彼女は何故だかいつも以上にわたしの視界に映り込む。もしかして、わたしが逃げないように監視でもしているのかしら。

「ええ……少し、お庭に行きたくて……駄目かしら? ひとりでぶらぶらしたいのだけど」

「庭ですか……そうですね。今日はもう庭園の門はいつも通りになっておりますから、いいでしょう」

 王城の前庭の一般開放は、今日の午前中までだった。王城や教会区の正門には衛兵が居て、いつもどおり出入りを厳しくチェックされる。怪しい人物が入り込むことはもうできないはずなので、わたしは一人きりでの外出を許可された。

 わたしの旅立ちのことは、一部の人を除いては知らされていないらしい。昨日ばあやに、"誰にも話してはいけませんよ"と釘を刺された。わたしは侍女や友人にお別れを言うことすら許されていないのだ。

 どうしてそんな仕打ちをするのだろう。わたしはこの国のためにひとりで働きに行くのよ、もっと盛大に送り出してくれてもいいじゃない?

 わたしはいつもの抜け道を辿って王城の裏庭へと向かう。探している人がいたのだ。その人はわたしたちが秘密の会合によく使っていたあの『幽霊男のベンチ』のあたりによく出没していたから、わたしはとりあえず裏庭へ向かった。

 相変わらず人気のない道を黙々と進む。探し人は、ベンチに到着する前に見つかった。背中の曲がったおじいちゃんが、正教会へ続く道の手前の十字路で草抜きをしている。

「マーリン!」

 わたしの声に気が付いて、マーリンは顔を上げた。混じりっ気のない白銀色の髪に、しわくちゃの顔。柔らかそうな口ひげがもごもごと動いて、わたしに何かを訴えかける。

「え? なぁに?」

「いや、お前さんが、声を掛けたんじゃろ」

「あ、そうです。すみません……」

 彼の声はとても小さい。聞き取るためには彼の傍に近寄らないといけない。わたしはわたしと同じくらいの高さにある彼の耳に顔を寄せて、囁くように言った。

「すみません。あの。お願いがあってきたんですけど」

「……なんじゃ?」

 彼は草を抜く手を休めることなく、そう答える。

 わたしはあまり彼と話したことはないのだけど、マーリンは口数が少ないことで有名だ。多分今も、特に機嫌が悪いわけではないと思う。

 わたしは彼の耳元にさらに口を寄せて、そっと囁いた。

「あの。シノンさんと誰かがお手紙を交換されていたの、ご存知ですよね? そのお相手が落としたらしいお手紙を見つけてしまったんです。そのお手紙をですね、シノンさんを見かけたら、渡しておいてもらいたいんです」

「…………」

 マーリンは無言で頷き、手をこちらに差し出す。了承してくれたみたいね。わたしは彼の手に、水色の封筒を渡した。

「ごめんなさい。わたし、ちょっと事情があって、本人に渡すことができないんです」

「そうかい。わかったよ」

 彼は何の詮索もすることなく、静かに手紙を懐にしまう。良かった。わたしは安堵の息を吐いた。

 きっとマーリンなら姉さまに届けてくれるわ。そして彼の手からなら姉さまは何の抵抗もなく受け取るでしょう。

 謹慎させられているという姉さま。それ以上の処罰を受けることにならなければいいのだけど。

 姉さまにはこの手紙を読んでもらって、テオドアのことを忘れ、イザクさまと幸せな家庭を築いてもらいたい。わたしの分まで、普通の幸せを満喫してほしい。わたしとテオドアなんて言う幻影に、いつまでも苦しまないでほしい。

「よろしくおねがいします」

 わたしは深々と頭を下げて、踵を返そうとした。マーリンは雑草が詰まったカゴを背から降ろして、今度は花壇の手入れを始めている。働き者のおじいちゃんね。わたしは感心して彼を見つめていたのだけど、ふとおかしなものに目が留まった。

「マーリン、あれは何? ひどいわね……誰かが汚したのかしら」

 マーリンの頭の向こう、十字路の真ん中にある噴水の脇に、妙な汚れがある。白と桃色のレンガで組まれた丸い模様に交じって、どす黒い足跡みたいな模様が浮き出ている。

「……どれだい?」

 マーリンが顔を上げて、わたしの指さす方向を見た。しばらくキョロキョロとしていたけど、すぐに振り返ってこう呟く。

「なにかあるかい?」

「え? あれですよ、あの噴水のあたりに、泥が飛び散ったような汚れがあります」

「噴水のあたり……」

 マーリンは重そうに腰を上げ、よぼよぼとそちらに向かう。わたしも彼の後に続いて十字路に向かうと、より鮮明に汚れが目に入った。

「泥じゃないですね。何だろう、煤かな?」

 誰かがこの辺りで火遊びでもしたのかしら。裏庭は一般公開されていないけど、お昼間に門の鍵はかけられていないから、入ろうと思えば簡単に入れる。

 この辺りは正教会しかないし、使用人くらいしか通らないからしばらく放置され、背の高い草が生い茂っていた。

 マーリンが草を抜いて少し雰囲気が変わり、以前よりもお庭らしいお庭になっているけども、そんな場所を早くも荒らしてしまう悪い人がいたようだ。早く犯人を捕まえて、ちゃんとお仕置きしないと駄目ね。

 わたしがプリプリしているのをよそに、マーリンは未だに疑問符を浮かべた顔で、わたしを振り返って言った。

「なにかあるかい? きれいじゃないか」

「え? だって、ここもここも、真っ黒ですよ」

「そうかい? わしには見えないねぇ」

 わたしは首を捻る。マーリン、目が悪いのかしら。確かに彼はもうかなりの高齢のおじいちゃんだ。彼はわたしが物心ついた時からおじいちゃんなのだから。目くらい見えなくなっていてもおかしくはない。

 だけど、こんなに真っ黒な汚れが見えないとなると、花壇の花と雑草の区別も難しいと思うのだけど。彼は全く問題なく、雑草だけを掴んでカゴに放っていた。

 黒いものが見えないのかな? わたしが知らないだけで、そういう病気もあるのかもしれない。

「じゃあ、わたしがきれいにしますね」

 そう言って彼からぼろ布を受け取り、噴水の水で濡らして地面をこする。あれ? 全然落ちないや。ごしごしとこすり続けるも、全く薄くなる気配がない。

「そういえば、このあたりじゃったかいの。随分前に、服が落ちていた気味の悪い場所は」

 わたしの傍で、ふと思い出したようにマーリンが呟いた。

「服?」

「ああ。服が一式。靴も、下着も、靴下も一緒に落ちていたんじゃ。気味が悪くての……近頃は、妙ないたずらをするものがおるんじゃなと、庭師の若いもんと話したのを思い出したわ。確かにその時、連れも汚れがなんたらと言っておったかの……」

 マーリンはもういいとばかりに、わたしからぼろ布を取り返して、よぼよぼと歩いていった。対してわたしは呆然と、その汚れを前に立ちすくんでいた。

 黒い汚れは噴水の周りのとあるレンガを中心に、放射状に広がっているように見える。それは親指ほどから拳大までの黒い楕円で構成されており、中心に近いほど楕円は濃くて小さい。何かが飛び散ってできた汚れにしては、その楕円は規則的に並びすぎているように思えた。

 その模様をひとりでずっと見ていると、どこかに吸い込まれてしまうような不気味さを感じたので、わたしは慌てて踵を返して家路についた。手紙を預けるという用事は終わったのだ。これ以上何にも首を突っ込みたくはない。これ以上頭を混乱させたくなかった。

 教会区に戻り屋根付きの小道を歩いていると、侍女が固まって何やら話している。ククルとマーサ、そしてサニアという最近来たばかりの女の子だ。彼女らのそばを通り過ぎようとすると、ククルがわたしに気が付いて手を振ってきた。

「カノンさまー!」

「どうしたの? みんなで集まって何の話?」

 わたしは庭に降りて、彼女たちが佇む洗濯場に歩み寄る。するとククルがわたしの肩を引き寄せて、井戸端会議の仲間に入れてくれた。

「聞いてくださいよ! カノン様。先ほどサニアが街で聞いてきた話なんですけど」

 ククルの目配せで、サニアがオドオドと話を始める。なんでも、お使いの帰りに閉会の儀に少しだけ顔を出したらしい彼女は、衝撃的な話を聞いたのだという。

「カノン様は、ローディア様とご学友なのでしたよね。もしかしたら既にご存知かもしれませんが……」

「ローダさまがどうしたの?」

 彼女は狼狽えた様子で左右を見渡す。あまり誰かに聞かれたくない話なのかな? 彼女は口元を覆って、か細い声で話し始めた。

「王位継承権の第一位って、ずっとオズワルドさまの第一夫人の次男アーノルドさまが有力候補だと言われていたじゃないですか。アリアト王にはご子息がいらっしゃらないし、亡くなった王妃様の他は妃にしないと仰っていましたから」

「ええ。そうね。そう聞いていたわ」

「先ほどの閉会の儀で、国王様が突然、王位継承権について語り始めたのです。別にご病気とかでもなく、お元気そうだったのに。この先何があるか分からないから、王位継承権の順位をきちんと知らせたいというのです。その内容に、私、びっくりしちゃって」

「元気といっても、王様のお歳も五十を超えていらっしゃるから。そろそろ継承順位はちゃんとしておいた方が良いわよね。それで? 一位がアーノルドさまじゃなかったの?」

「はい。なんと、王位は娘のローディアに告がせると、はっきりと仰ったのです。もう私びっくりして、腰が抜けるかと思いました」

 ふーん。わたしは特に驚きもなくその話を聞いた。だってそもそもローディアさまが継承の最有力候補だって、修道院では普通に噂されていたのだもの。

 アーノルドさまが継ぐはずだと信じて疑っていなかったのは、アリアト派の中でもごく一部のオズワルド派と言われる貴族の間だけで、サナトリムやオルカといったアリアト王の側近の貴族たちは、もともとローディアさまを推していた。

 オズワルドさまの次男のアーノルドさまが王位を、長男のオズワルド・ジュニアさまが主教を継がれることになると、オズワルド派に国の全てが支配されてしまうもの。

 禾穂の大教会に勤める侍女は、オズワルド派の貴族の分家にあたる半貴族やオズワルド派貴族に恩義のある平民の家出身が多いから、アーノルドさまを継承一位だと信じて疑わなかったのだろうけど……。

「ローディアさまご自身が王位を継がれるの? わたしが聞いていた噂では、ローディアさまと婚姻される方が次の王になる可能性もあるとか言われていたけど」

「そのことには言及されていませんでした。ただ現在の順位は、一位がローディアさまで、二位がアーノルドさまであるということでした」

 ふーん。わたしは自分でも驚くくらいその話に興味が持てなくて、適当に相槌を打ってからその場を後にした。

 部屋に戻ってぼんやりと考えたのが、わたしがルカさんに勝ったらローダさまがこの国の女王になるのか、ということだった。

 彼女の作るアピス国に興味はあったけど、わたしはそこに住むことはできない。神官として遠い場所から眺めることはできるかもしれないけど、眺めていることをこの国の誰にも知られることはない。

 わたしはこの国にとって、始めからいなかった人となるのだ。

 夕餉の時間となり、わたしは食卓に並んだ贅沢な料理の数々を眺めた。今思えば、急に贅沢になったこの食卓にも含みがあったのかもしれないわ。

 神官として旅立つわたしに、できるだけ良い思い出を抱いてもらいたいという、主教さまの姑息なお考えかしら。

 わたしは全く味がしなくなった料理を機械的に口に運んでいった。

 そういえば、神官はどんな食事をするのだろう。ラウドの書には食事の描写が全くないからわからない。一口に神官といっても、重臣とそうでないものに分けられるようだから、もしかしたら料理を作る下っ端の神官もいるのかもしれない。

 わたしがルカさんに負けたら、わたしは誰か偉い神官さまの侍女のような仕事をさせられるのかな? エプロン姿のわたしを想像して、ふと笑顔になった。

 あら、とってもお似合いだわ。わたしにはその方が良いのかもしれない。アリアト派のみんなには悪いけど、わたしはルカさんに負けてしまって下っ端神官として永遠に雑用をしている方が似合っているような気がした。

 そして同じ下っ端の神官と仲良くなって、発展し続けるアピス国を見ながら楽しく生活するの。

 あら。結構良いじゃない。神官になるのも、悪くない気がしていたわ。


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