第六章(4)
翌朝、教室に入ろうとしたわたしたちは、いつもと部屋の雰囲気が違うことに気が付く。後ろの方に固まったクラスメイトたちと、彼女らの視線を集める教卓前の集団。
「お久しぶりね、カノン!」
「ロ、ローダさま……!」
わたしの姿を見つけるなり、集団の中心にいた見目麗しい少女が駆け寄ってくる。あの事件からずっとお休みをしていたローダさまが、このタイミングで戻ってきたのだ。
わたしは脂汗をかく。こうなってしまったら、当然アイリスとリリムはわたしのそばから離れていく。
「長くお休みをいただいてしまいました。カノンはご機嫌いかが? わたくしは少し体調を崩していたの」
「そうなんですか。もう大丈夫なんですか?」
「ええ。おかげさまで」
にこりと笑う彼女は、宝石のように美しい。美しいのだけど……。わたしは離れた場所からこちらを伺う友人たちを目にして、深いため息をついた。
ローダさまは悪くない。決して悪くない。だけどタイミングが悪かった。教室でもお昼休みでも、放課後までもわたしにくっついて歩く彼女に、他のクラスメートからは距離を取られる。誰もわたしにエリスフェスタの予定を聞いてくれなくなったし、わたしから友人を誘う機会も無くなってしまった。
わたしは再度ため息を吐いた。もはや懐かしい旧約の書の話や、前世や前任の白子の話を軽く聞き流しながら、わたしはご招待を受けた王家の温室で紅茶をすする。
「美味しい紅茶ですね。このクッキーもおいしいです」
「その紅茶は、わたくしが育てたリンドの花を香り付けに入れているの。濃い紫が、綺麗でしょう?」
「素晴らしいですね。農家へのご訪問もまだ継続されているんですか?」
「ええ。導きの水の農法は劇的な成果を上げていますわ! 今後は麦だけでなく野菜も育ててみることになりましたのよ」
……はあ。ローダさまの話は格式が高すぎて疲れてしまう。数ヶ月前のわたしは″まあまあ面白い″と思って聞いていた気がするのだけど、近頃のわたしはリリムが話しているような乙女病的な話の方が面白く感じる。
ため息を聞かれてしまったのか、ローダさまはきょとんとしてこちらを見ていた。
まずい、変に思われたかしら。わたしは一瞬流れた気まずい沈黙を破るために、慌てて口を開く。
「そうだ、ローダさま。今年のエリスフェスタまで、あと少しですね!」
「ええ。今年はカーミィがエリスを務めるのよね。彼女はとても美しいから、楽しみね」
ローダさまはキラキラした笑顔で答えた。何の含みもなく、心からそう思っている笑顔だ。
きっとリリムがこの言葉を聞いていたら、陰口のネタに使っていただろうなと思う。『自分の方が似合っているのにとか思ってるのよ、絶対!』とかなんとか言って。
みんな勘違いしているけど、彼女がエリスを務めることにこだわっていたのは王さまである。彼女が二年もエリスを務めたのは、国王陛下のワガママだっただけで、ローダさまがやりたいと主張したからではない。
ローダさまは根っからの"良い人"なのだ。恵まれた境遇で目立ってしまうから、妬まれやすいだけの可哀想な人なのだ。
わたしくらいは彼女のことを理解してあげないと……。わたしだって、一歩間違えたら同じような立場に立たされていたかもしれないのだから……。
「今年のお祭りはどうされるんですか? 誰かと回られるんですか?」
「ええ。お父様とご一緒しますわ。去年と一昨年は一緒に回れなかったので、お父様ったらとても楽しみにしていますのよ」
クスクスと笑うローダさま。わたしはガックリと肩を落とした。
そっか。そうよね。お姫さまにご予定がないわけがない。白子とは名ばかりの、わたしみたいな庶民とは違うのよ。
露骨に落ち込むわたしを見かねたのか、ローダさまは慌てたようにこう言った。
「そうだわ、わたくし、あなたをお誘いしようと思っていたの」
「え……?」
「カノン、一日で良いからわたくしと街を回ってくださいません? わたくし、一度で良いからお祭りを歩いて回ってみたかったのです。お父様とご一緒だと、どうしても馬車で回ることになってしまいますから」
「も、もちろんです!」
わたしは顔を輝かせた。真っ白だったわたしのスケジュールが一日埋まる。今までのどんよりとしていた気持ちが、ぱっと爽やかに晴れ渡る心地だった。
「そうね、三日目はいかが? 夕方には帰らないといけませんが、それはカノンも同じですよね?」
「はい! ありがとうございます、すごく楽しみです!」
思いがけない収穫が得られ、わたしはルンルン気分で大教会に帰った。これでわたしもお祭りに参加できる。ひとりで寂しく部屋に引きこもらなくてすむ。つい口のはしが緩むのを抑えられないでいた。
浮かれているのはわたしだけではなくて。毎年エリスフェスタが近づくと、どこもかしこも浮ついた様相を呈す。帰り道、普段は立ち話なんてしない真面目な侍女たちが柱の陰に隠れてひそひそと雑談をしているのを何組も見つけた。叱られなければ良いけど、と老婆心に思ったけれど、まあ大丈夫だろうとも思った。お祭り期間中は、少しくらい羽目を外しても許されるのだから。
エリスフェスタの六日間、侍女たちは交代で休暇を取ることができる。実家の手伝いをしたり、副業にいそしんだり、はたまた友人や恋人と出かけたりと彼女らの予定は様々だろう。みんなエリスフェスタを心から楽しみにしていて、それを藍猫さまも望んでおられる。その雰囲気を大教会も大切にしているのだから、わざわざ水を差すようなことは誰もしないだろう。
「ねえ、マーサ、ブレンダ!」
「カノン様! お帰りなさいませ」
わたしは大広間の隅で楽しげに話していた二人の侍女に声をかける。彼女たちはククルと仲が良く、ククルの影響か、段々とわたしに笑顔を向けてくれるようになった侍女たちだった。
ふたりが笑顔で迎えてくれたので、わたしは彼女たちに近付いて質問をしてみた。
「あなたたちはお祭り期間はどうするの?」
「私は実家を手伝います。うちの実家は食堂を経営しているんですが、エリスフェスタでは毎年露店を出しているですよ~」
「へえ。何を売る予定なの?」
「ミートパイです。たっぷりと脂の乗ったウサギのモモ肉をですね、お祭りのためにたくさん仕入れているんですよ」
「いいなぁ、すごく美味しそう!」
確かククルが言っていた。ブレンダの実家は都でも五本の指に入るくらいの美味しいお料理屋さんだと。ブレンダはこの教会に三年くらい勤めているのに、わたしはそのことを全然知らなかった。
侍女たちの背景を知れたのは、全てククルのお陰だ。ククルはばあやが見ていない隙を見つけてはわたしに声をかけ、色々な話をしてくれる。ククル自身のことはもちろん、仲の良い侍女のこと、街で流行っていること、話題の本や、ちょっとした事件、ばあやへの不平不満など……。ククルのお陰でわたしは侍女たちに興味が持てるようになり、彼女たちもわたしに応えてくれるようになった。
もちろん、ばあやが見ていない隙を狙ってのことだけど。わたしは何人かの侍女と雑談を楽しめる関係になっていた。
「もちろん、カノン様にはサービスしますから、是非是非おいでくださいね!」
「ええ、絶対に行くわ! ありがとう」
わたしはもうひとりの侍女にも聞いてみる。
「マーサはどうするの?」
「私は、特に予定は……」
彼女はモジモジとして口ごもった。
予定がないのね! わたしと同じだわ! 嬉しく思ったそのすぐ後に、奈落の底に突き落とされるような一言がブレンダから発せられる。
「え? マーサ、恋人と一緒に出掛ける予定でしょう? 結婚前の最後のデートなのよね?」
「マーサ、結婚するの? おめでとう!」
マーサはさらにモジモジとして、消え入りそうな声で答えた。
「あ、ありがとうございます……その、彼が、指輪を選びに行こうと言ってきたので……一緒に出掛けます」
「入籍はいつ? ばあやには報告しているの? 仕事は辞めてしまうのかしら」
「はい……その、ミリアさまには報告済みで、秋季はじめには家庭に入るつもりです……」
「そう。折角仲良くなれたのに残念だけど、おめでとう! お祭り、楽しんできてね」
「ありがとうございます」
そうよね。もうお祭りの一週間前だもの。みんな予定は決まっているよね。六日のうち、一日しか埋まっていないのはわたしくらいのものじゃないかしら。