第六章(3)
六月は、教典の第六章『賛美』をもじって『賛美の月』と呼ばれる。この月はアピスヘイルにとって特に重要なもので、多くの作物を育むための"恵みの雨"がもたらされる。
アピスヘイルの民は毎年、この月の間だけは藍猫さまに泣いていただくために努力をする。庭に雨桜を植えている家が多いのはこのためで、雨季に一斉に花開く光景はこの都の風物詩だった。
さらには雨粒を模した丸い形の"雨粒ガラス"が町の至るところに飾り付けられ、街全体がキラキラと輝いているようである。街をきらびやかに飾り付けて、その美しさに感動の涙を流していただこう、というのがこの習わしの趣旨なのだそうだ。
衰退の節に入り、毎日のように雨が降るようになった今年はどうなるのか心配していたけど、大人たちは変わらない日々を送るつもりのようだ。大教会の軒下にもたくさんの透明なガラス玉が吊り下がっていて、屋根をつたって落ちてきた雨水を表面に滑らせながらユラユラと揺れている。
わたしはいつものように、懐中時計の時間合わせをしながらぼんやりとそれを眺めていた。
「おはようございます、カノンさん」
「おはよう、みんな」
姉さまは未だに修道院をお休みしていたけど、アイリスたちは変わらずわたしと仲良くしてくれている。わたしたちはいつものように礼拝のあとに集まって、お喋りを楽しみながら教室へと向かう。
「カノンさん。最近いいことでもありましたか?」
「え? どうして?」
「近頃のカノンさんは、いつもニコニコしていますの」
「そう? そうかなー」
道すがら、アイリスにそんな話を振られてわたしはドキリとした。確かに近頃のわたしは毎日が絶好調だけど、そんなに顔に出ているのかしら。
わたしは両頬に手をやり緩み具合を確認する。うーん。言われてみれば。緩いのかもしれないわ……。
「あなたねー! 男ができたからって、そこまで態度を変えるのは良くないわよ~」
「え?! カノンさん、そんな不謹慎なことをなさっているんですの?」
「なさってない、なさってないよ! リリム、なんてことを言うの!」
相変わらずリリムの勘は鋭くて参ってしまう。わたしはダクダクと冷や汗をかいたけど、友人たちはそこまでこの件に興味はなかったようで、すぐに違う話題へ移った。
わたしはホッとしながらも、少しだけ残念な気持ちになる。ちょっとでいいから、わたしの"幸せな時間"を自慢してみたかった。
いつもわたしは、みんなの恋の話を聞くばかり。ちょっとくらいなら、話してもいいんじゃないかしら。わたしだけの"素敵な男の子"の話を……。
午前の授業中、わたしはのぼせた頭を冷やしていた。
馬鹿なカノン。駄目に決まっているでしょ。わたしは白子なのよ。異性と仲良くしているなんて、匂わせることすら駄目。ルカさんのことは絶対にバレては駄目なのよ。長い授業時間のお陰で、わたしは正常な判断能力を取り戻した。
お昼休み、いつものようにおかずを一皿と白パンをひとつトレイに乗せて席に着くと、リリムが意味ありげにこちらに顔を近付けて、こんな話を始めた。
「そういえば、知っている? シノンがお屋敷に戻ってきているらしいのよ」
「え? 本当ですか?」
アイリスが驚きの声を上げる。リリムはニヤリと笑って言葉を続けた。
「私の男友達がね、言っていたの。その子、イザク様と仲がいいのだけど、彼、シノンを元気づけるためにエリスフェスタを一緒に回ろうと声をかけたんですって。だからシノンはこっちに戻ってきたんだって言っていたのよ」
「きゃ、素敵ですね。イザク様ってお優しいですわ」
ぽっと赤面するアイリス。リリムはさらに、イザクさまが姉さまのために身を粉にしている話を自慢げに語る。
一体どこからそんなに沢山の情報を仕入れてくるのだろう。彼女にはいつも感心させられてしまう。
「これだけ尽くしてくれる男はなかなかいないわ! イザク様は優良物件よ。シノンが羨ましいわ~」
「あなたの婚約者のリオンくんも素敵じゃない。誕生日に送ってくれたネックレス、あなた毎日つけているわよね」
「えー、やだぁ、気付いていた? そうなの、彼って結構センスが良くてー」
姉さまの話はすぐにリリムの婚約者の話に置き換わり、その後カーミィとアイリスの婚約者の話に変遷する。彼女らはひとしきり各々の婚約者の自慢を終えた後に、エリスフェスタの話を始めた。
「ねえ、今年はどうする? シノンはイザク様と回るみたいだけど」
「そうね。シノンがいないと、なんだか盛り上がりに欠けるわね」
「シノンさんがいないなら、私はレアル様と回りたいです」
"エリスフェスタ"というのは、アピスヘイルに数あるお祭りのうち最大の規模を誇る。正式名称は『聖女エリスに捧げる感謝祭』。雨季が終わる七月の頭に、藍猫さまへの感謝を込めて盛大に行われる。
都民はもちろん、アピスヘイルの外の街からもたくさんの人が参加し、様々な催しや露店が並ぶ。参加者は皆、銀色のカツラに猫の耳と尻尾をつけることが義務だから、白子であるわたしも参加しやすいお祭りだ。
「そういえば私は今年、エリスをやらないといけないのよね……」
「そうでした! カーミィお姉さまが、今年の貴族区のエリスを務めるんですのよ」
「え? そうなの? うっそー! 似合わなーい」
「貴女よりはましでしょう」
"エリス"とは、このお祭りの主役だ。貴族区と平民区から毎年一人ずつ選ばれる。
一応は成人前の女の子なら誰でもなれることになっているけど、毎年選ばれるのは清楚で可憐な美少女ばかり。エリスに選ばれることは、都で一番の美少女として認められるに等しく、女の子にとって毎年の重要イベントだった。
……まあ、わたしのような平凡な顔の女の子には全く関係のない世界の話で、今までイベントの存在すら忘れていたわけだけど……。
「じゃあ、カーミィは一緒に回れないのね。なら私もリオンと回ろうかなー」
エリスは青銀の髪のカツラに藍色の耳、二股に分かれた尻尾を付け、神輿に乗って街を練り歩く。
"エリスには藍猫さまの魂が降り立ち、共に祭りを楽しまれる"といわれているため、エリスフェスタでは全市民がエリスをもてなす。
エリスはもてなしを受けたお礼として、市民と躍りの時間を設けなければならない。エリスと踊れた市民はこの一年、幸せが訪れると言われており、みんなエリスと踊るために必死で神輿に付いていく。そのため、エリスの周りは常に人で溢れる。
今年はカーミィと一緒にお祭りを回るのは無理そうだ。
「今年もあの人だと思っていたけど、違うのね」
「そうね。さすがに何年も貴族区のエリスが同じなのはまずいと思ったんじゃない?」
「早く気付いてよー遅いのよー」
"あの人"とはもちろんローダさまのことだ。カツラがなくても青銀の髪の彼女こそ、最もエリスにふさわしいと王さまが譲らず、二年連続で貴族区のエリスを務めていた。
確かにローダさまは輝くばかりの美少女で、衣装も似合っていたから、誰も文句は言えなかった。だけど、容姿にそこそこ自信のある女の子たちは、内心で不満を募らせていたのだろうな……。
お昼休みの終わりの鐘が鳴り、その日の話はそこで終わった。
みんなそれぞれに祭りの予定を考えていたようだけど、わたしは誰にも予定を聞かれなかった。
急に不安になる。毎年当然のように姉さまにくっついて祭りを回っていたから、自分で予定を考えたことがないのだ。
みんなは婚約者と回ると言っていたけど、祭りは六日間も続く。まさか全日程を婚約者と回ることはないでしょう?
一日くらいは一緒に回ろうと声をかけてくれるんじゃないかと期待していたし、アイリスくらいはそうする心持ちでいたのかもしれない。
だけど翌日に発生したイレギュラーのせいで、その予定は大きく狂った。




