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衰退世界の人形劇  作者: 小柚
上巻
27/125

第五章(5)

 わたしは次の夜も地下に潜った。鞄に忍ばせていたクッキー缶の存在を思い出したからだ。クッキーが痛む前に、ルカさんのところに行かないと。その一心でわたしは、急勾配の石階段を懸命に下った。

 今宵もルカさんは祭壇の前にいた。わたしが近付いてくるのに気が付いて、彼は眉間に皺を寄せる。

「何だよ、やっぱり気になるのか?」

「気になりますよ、そりゃあ……」

「聞かれても教えないぞ。俺はお前と揉めたくないんだ」

 あら。奇遇ね。わたしも常々そう思っているわ。わたしは内心そう思いながら、水路を飛び越えて祭壇近くへ足を進めた。

 警戒の表情を見せるルカさんを尻目に、わたしは祭壇の端っこに背中を預けて座り込む。怪訝な視線を横目に感じながら、わたしは平然と口を開いた。

「別にその本の話をしに来た訳じゃありません。暇だから来ただけです」

 明らかに虚をつかれたような様子のルカさん。愉快に思ったわたしはさらに言葉を繋ぐ。

「わたしには友達がいないんです。ご存じないかもしれませんが、ラウドの書の第十二章は酷い内容なんです。誰もわたしと特別な関係になってはいけないんです。だからわたしには友達がいません」

 わたしはそう述べながら、どんどん惨めな気持ちになっていった。

 サリーにはオズワルドさまがいた。わたしには姉さまがいると思っていたのに、テオドアに盗られてしまった。

 わたしには"特別な人"がいない。わたしは誰のために義務をこなせばいいのかしら。段々とわからなくなってきたのだ。

「…………」

 ルカさんは何も答えない。出会ったばかりの人にこんなこと言われても困るわよね。わたしは無理矢理笑顔を張り付けて言った。

「ルカさん、ずっと読んでいて疲れませんか? わたしクッキーを持ってきたんです。一緒に食べましょう」

 鞄からククルに貰ったクッキー缶を取り出す。上ぶたを外すと、途端に甘酸っぱい匂いが溢れ出てきた。わたしは中から濃いピンクのジャムが乗ったものを取り出す。

「ほら、これ、サクランボのジャムですよ。美味しそうですよね。どうぞ、ルカさん」

「…………」

 ルカさんはちらりとこちらを見た。だけど本当に一瞬だけで、彼はすぐさま石板に視線を戻した。

「一人で食ってろよ」

「え~……。ルカさん、甘いものお嫌いですか?」

 冷たい一言に落ち込む。わたしは仕方なく、自分の口にそれを放り込んだ。サクサクとした食感と共に甘酸っぱい味が口の中に広がる。

「おいし~い! ルカさんも食べましょうよ。一人じゃ量が多すぎるんです」

 わたしは再びクッキーを、今度はあまり甘くなさそうな青いものを差し出した。けれどやっぱりルカさんは興味がなさそうに言った。

「いらない。そんなの食ってると、眠くなるだろ」

「まあ、確かに、お腹がいっぱいになると眠たくなりますね……」

 わたしはそう相槌を打ちながら、忙しなく口を動かす。青いの、赤いの、黄色いの、全種類を食べ終わり、急に空しい気持ちが溢れてきて缶の蓋を閉じた。

「一緒に食べたかったんですけどね……ルカさん、どんなものなら食べてくれます? 今度持ってきますよ、お好きなものを仰ってください」

 わたしはククルに言われたことを真に受けていた。″白子はもっと美味しいものを食べないといけないんじゃないか″。藍猫さまに美味しい食べ物の話をするために。楽園に美味しい食材をたくさん実らせて貰うために。

 わたしの問いかけに、ルカさんは冷たく答える。

「俺は何も食べない」

「何もって……」

 ″何も食べない″なんて、こちらの提案を全却下する回答だ。そんな突き放した言い方をしなくてもいいのに。ちょっとくらいは譲歩してくれてもいいじゃない。

 わたしは白子同士、ただ仲良くなりたいだけなのに。どうして気持ちが伝わらないのだろう。

 やっぱり異性は難しい。どうやって仲良くなったらいいか分からない。女の子だったら、クッキーを差し出せば大抵は上手くいくと思う。たとえクッキーを受け取ってもらえなかったとしても、根気強くファーストネームで呼んでいれば、そのうち日常会話くらいはしあえる仲になると思う。女の子だったら……。

「…………!」

 わたしはふと、ルカさんがまだわたしの名前すら呼んでくれていないことに気が付いた。

 これはゆゆしき事態だ。わたしはすぐさま問いかける。

「ルカさん」

「なんだ?」

「あの、わたしの名前って、ご存知でしたよね?」

「ああ。知ってる」

「…………」

 わたしはガツンと頭を殴られた気分になった。知っているのに、呼んでくれない。これって、全く仲良くなる気がないってことじゃない。

 わたしはため息をつき、ブリキの缶を鞄に片付けた。

 そうよね。そもそもわたしたちは、テオドアの痕跡を探すために一緒にいるだけなのだから、当然よね。ルカさんはテオドアを見つけ、自由になりたいとしか思っていないわけだし、目的を果たせばわたしとはお別れなのだ。

 わたしは勘違いしている。わたしはルカさんに何を期待しているの? 一人で神官になることが寂しいのなら、わたしはテオドアと仲良くならなくてはならない。いくらテオドアが姉さまと添い遂げることを望んでも、それは許されない。わたしたちは、神官同士で仲良くなるしかないのよ。

 でも……。でも、もしテオドアが見つかったとしても……。

 テオドアは姉さまとお祭りに行くんだ……。わたしとじゃない…………。

「…………嫉妬?」

 やだなぁ、わたしったら。乙女病なんて似合わないのに、なにをやっているんだか。

 わたしはもう一度ため息を吐いた。いらないことをしていないで、わたしもテオドアを探しましょう。ルカさんの望みを叶えましょう。

 ″誰も不幸にしないこと″。わたしが望んでいたのは、ただそれだけのはずよ。

「ルカさん」

「なんだよ」

「ルカさんに見てもらいたいものがあります」

 わたしがそう言うと、彼はようやく石板から体を離した。

「あっちです、あっちの扉。もうご覧になりましたか?」

「いや……見てない」

 わたしはルカさんを祭壇の向かい側にある壁に誘導した。二つの水路が飲み込まれていく洞窟の真ん中に、ポツンと鉄扉が備え付けられている。

「ここに神さまの言葉があるんですけど、なんて書いてあるのかわかります?」

「ああ……」

 ルカさんは閂に刻まれた文字を読むために身を屈めた。

「『真実を知る者よ、七つ目にならんと欲するか。ならば己の意思で、我らが元へ来たりて頭を穿て。四肢は汝に従おう』」

「はあ、また暗号ですか……」

 ルカさんは閂を手に取り、ガチャガチャと鳴らす。

「回りそうだな、これ」

 閂は円筒状になっていて、真ん中に一本の切れ込みがある。そこを境に左右の筒は、それぞれ逆の方向に回すことが出来るようだった。

「要するに、この左右を逆向きに一定回数回せということでしょうか」

 ルカさんは徐に、左を七回、右を四回回す。そして閂を抜こうとしたけどびくともしない。どこか他に動く場所はないか、扉を押したり引いたり色々試していると、鉄扉の中央の四角い部分がズズと動き、さらに押すとスコンと向こう側に抜けた。

「あれ、閂ってただの飾りだったんですか?」

「そうみたいだな」

 鉄板が抜け落ちてできた穴は、人ひとりがなんとか通り抜けることができそうな程度の大きさだった。再びガチャガチャ動かしてみたけど、閂はびくともせず、鉄扉自体が開くわけではないらしい。

「どこに繋がっているんでしょう」

 わたしの差し出したカンテラを、ルカさんは穴の向こうに翳す。

「暗くて見えねえな……ん?」

 何かを見つけたのか、ルカさんは上体を穴につっこんで、ごそごそと向こう側を探った。

「これは……」

「手紙?」

 戻ってきたルカさんの手には、一枚の封筒が握られていた。水色に染められた封筒に、藍色の封蝋がされている。

「この印璽、見たことがあるな……」

 ルカさんが眺めていたのは、封蝋に刻まれた星のマークだ。五芒星の凹みの部分に、さらに小さな星々が描かれている。

「他に描かれているのは、麦と、羊ですかね」

 見慣れない紋章だった。アリアト派の紋章である麦と、アルベルト派の紋章である羊が並んでいるものなんて普通は存在しない。

 わたしが首を捻っていると、ルカさんがこんなことを呟いた。

「これ、テオドアの部屋で見たことがあるな。この色の封筒も」

「え?! 本当ですか?」

 まさかこれは、テオドアから姉さまへの手紙? ルカさんから手渡されたそれを、わたしは隈なくチェックする。ところどころ黒ずんだそれには宛名や差出人の名前はない。だけどわたしは、その可能性は高いと断じた。

「そういえば姉さまの手紙の印璽も、星のマークがありました……そうだ! たしかに、星と、麦と、羊の紋章だった気がします」

 わたしの脳裏に、その紋章が鮮やかに浮かび上がる。恐らくこの紋章は、彼らの目印として使われているものなのだ。

「どうして手紙がこんなところに……」

「そりゃあ、テオドアがここを通ったんだろ」

 そうね。そうとしか考えられない。わたしたちは顔を見合わせ、すぐさまその穴に潜ってみることにした。

 その穴は短いものだった。わたしたちはすぐに向こう側の空間に辿り着く。そこは黴臭いじめじめした部屋で、黒ずんだ木の壁を埋め尽くすように、ボロボロの巻物が積み重ねられていた。

「書庫? かしら……」

「だとしたら、随分ひどい管理だな」

 巻物はいかにも保存状態が悪く、どれもこれも崩れかけていた。とても読めるようなものではなく、わたしたちは踏まないように慎重に先へと進む。

 床板がギシギシと鳴る。修道院の床よりも痛みが激しい。木製の狭い階段を上ると、再び小部屋が現れた。

 変な形の部屋だ。丸みを帯びた壁と壁に挟まれた細長い部屋。部屋というより、廊下なのかしら? 弧を描いた廊下の先には、暗幕らしきものが垂れている。

 布を捲り上げてその先を覗くと、一番に目に入ったのは、ランタンの明かりを受けて煌めく金属質の壁だった。

 いや、壁じゃない? 妙に丸みを帯びているそれにランタンを翳し、上へと視線を移していくと……。

「こ、これ、ご神体だわ!」

 それは、藍猫さまの像の横顔だった。こんなに大きい青銀の像は、正教会にあるご神体くらいしか見たことがない。

 わたしたちは辺りを見回す。ランタンの明かりだけではどうにも頼りない。そろりそろりと歩きながら辺りを照らしていくと、わたしたちは一つの結論に到達できた。

「ルカさん。ここは、正教会ですよ!」

「あの、気持ち悪い集まりの……」

「正礼拝が行われる場所です!」

 古ぼけた教壇と長椅子の先には重そうな鉄扉がある。わたしたちは扉に近づき、耳を澄ませた。辺りはしんとして、微かに虫の鳴く声が聞こえる。

「正教会は王城の地下にありますが、普段は誰も近づかない裏庭に出入り口があります。昼間ならともかく、深夜であれば監視の目はほとんどないでしょう……」

「ここからなら、脱走できるってことか」

「そうですね。不可能ではありません……」

 わたしたちは祭壇の部屋に戻り、開いた穴に蓋をした。そして鉄扉の前に座り込んで、テオドアの遺した手紙を眺めた。

「やっぱりあいつ、脱走したんだよ。これで決まりだな」

「うーん。そうですね、そうかもしれませんね……」

 わたしは頭を抱える。もう、テオドアってば。一体何をしているの? どうして姉さまを放置して逃げちゃうのよ!

 わたしは頭を抱えつつ、うわ言のように呟く。

「でも、でも、テオドアさんは夢を見ていた。前世を思い出しかけていました……。前世を思い出せばきっと、神官になるために戻ってきます。白子は藍猫さまに選ばれた……」

「正しい魂だから、か?」

「はい……そうです……そうですけど…………」

 わたしはまた調子に乗って、ルカさんが怒りそうなことを口走ってしまった。 

 恐々と様子を窺うも、特に彼の表情に変化は見られない。熟睡したから機嫌がいい、というのは本当のことのようだ。

「この都を出たんなら、俺たちに探索は無理だ。教会の奴らが捕まえてくるのを待つしかない」

「そうですね……」

「どこか心当たりはないのか? 奴が頼りそうな人物とか」

「うーん。わたし、テオドアさんのことほとんど知らないんですよね……」

 手紙をやり取りしていた姉さまですら、リデルに向かうという選択しかしなかったところを鑑みるに、恐らく誰にも見当はつかないんじゃないかと思う。

「じゃあ手掛かりは、その手紙しかないか……」

「はい、そうです。そうなんですけど……」

「……」

「……」

 わたしたちは無言になる。

 目の前にあるこの手紙、宛先は恐らくユノ……姉さまだ。姉さまを差し置いて、部外者であるわたしたちがこの手紙を開けてしまって良いものか……。

「お前に任せる」

「え、そんなぁ~」

 判断を丸投げされたわたしは、とりあえずそれを持ち帰って考えることにした。

「印璽と蝋を探しておく。うまくあいつの目を誤魔化せるか分かんねえけどな」

 あいつというのはランディスさまのことだろう。さすがに彼は一日中あの牢に閉じ込められているわけじゃなく、外に連れ出してもらえる時間があるみたいだけど、ランディスさまの監視付きみたいね。

 もし印璽と蝋が手に入れば、開封しても再び封ができる。姉さまにバレずに中身を読むことは可能だ。姉さまに中身を読んだのがバレるのも良くないんだけど、わたしが危惧していることはもう一つある。

 ″中にとんでもない内容が書かれているのを姉さまが目にして、ショックを受けてしまったらどうしよう"。

「これ以上、姉さまの経歴に泥を付けるわけにはいかないし……」

 姉さまが休学してもう三週間ほどになる。春季のおよそ五分の一を休んでしまったというのは由々しき事態だ。

 どんなに休学してもダメージがないのは王族のローダさまくらいのもので、わたしたちは基本的に勉学を休むことは許されない。

 テオドアがリデルにいなければそろそろ戻ってきそうなものだけど、この手紙を渡すことによって彼女が再び寝込んでしまったら目も当てられない。

「姉さまは普通の人間なんだから、テオドアさんと関わることで人生を狂わせては駄目よ」

 わたしは部屋の天井を眺めながらそう独り言ちた。

「そうよ。テオドアさんは白子。姉さまとは違う世界の存在なんだから」



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