第四章(4)
わたしは彼のことが知りたくてたまらなかった。
粗野でちょっぴり怖いと思っていたその容貌までもなんだか神々しく思えてきて、わたしは頭の先から爪先まで彼の姿を脳裏に焼き付けようとした。
わたしの態度がすっかり変わったことに気が付いたのだろう。彼はさらに苦々しい表情でわたしを見るようになったけど、わたしは大して気にしなかった。
欲望のままに質問をぶつけてみたけど、ほとんどが空振り。彼はわたしに自分のことをほとんど語ろうとしなかった。
「あなたは、どこからいらっしゃったのですか?」
「どこからでもいいだろ」
「アピスヘイルですか? 別の町ですか?」
「…………」
「今までどこで何をされていたんですか?」
「どうでもいいだろ」
「ランディスさまとはいつからのお知り合いなんですか?」
「…………」
「そうだ、まだお名前を聞いていませんでしたね」
彼はその質問にだけ顔を上げ、ぼそりとこう答えた。
「ルカ。……そう呼ばれていたかな」
「ルカさん」
わたしは彼の名前を舌の上で転がす。
神子の名前。とても尊い名前のように思えて、わたしは何度もそれを反芻した。
「気持ち悪い奴……」
その行動は彼の心証をひどく悪くするものだったようで、わたしは慌ててにやけた顔を引き締める。
「わたしはカノンと言います。正礼拝でお会いしたからご存じだと思いますが、あちら側の大教会の白子です」
わたしは禾穂の塔がある側らしき壁を指差した。ルカさんは興味なさそうに瞳だけそちらに動かすと、さも面倒くさそうに言った。
「お前は俺のことを聞きに来たのか? テオドアとかいうやつのことを調べに来たわけじゃないのか」
「あ、そうです、そうでした!」
あまりの出来事に、わたしはすっかり目的を見失ってしまっていた。
意外にも彼は、以前わたしが言ったことをよく覚えていて、わたしに協力してくれるつもりでいたようだ。
「俺はそのテオドアとかいうやつの代わりをさせられているんだろ?」
「そうです。ランディスさまから何も聞かされていないんですか?」
「ランディス? ああ、あの偉そうなおっさんか……」
ランディスさまを"偉そうなおっさん"呼ばわりするのは、この国ではあなただけよ……わたしは心の中で笑った。
「あいつはただ偉そうに、『ここにいろ』、『誰とも喋るな』としか言わねぇし、俺も特に興味がなかったから、何も尋ねたりしなかったな」
「興味がなかったって……」
何故こんな牢屋に閉じ込められるのか、何故正礼拝に連れて行かれるのか、今まで疑問に思わなかったんだろうか? 普通なら考えられないけど、ルカさんならそうなのかもしれない。
わたしは段々、この人の性格が判りはじめてきた。極端に面倒くさがりで、興味のあることにしか反応を示さない。関心を示す幅が極端に狭い。
彼が現在興味を示しているのは、自分が身代わりを務めているらしいテオドアに関することだけ。
「テオドアとかいうやつが戻ってくれば、俺はここに居なくても良くなるわけだろ?」
「だと思います」
「なら、協力してやってもいい」
「ルカさんはやっぱりここから出たいと思っているんですか」
「そりゃあそうだろ」
「そうですよね……」
わたしはちょっぴり悲しくなった。折角出会えた白子仲間。一緒に藍の都に行く道もあるだろうに、彼はそれを望んでいない。
仕方ないわよね。嫌で嫌で仕方なくて、自傷を繰り返すくらいだもの。わたしは彼の天真を尊重しなくてはならない。
「ルカさん、この下の抜け道をご存じですよね。わたしが入ってきても驚かなかったですもの」
「ああ。知ってる」
「ご存じかもしれませんが、この抜け道は外には通じていないようです。ですが、わたしの部屋になら簡単に行けます。もしここから出たいのであれば、わたしの部屋を通って脱け出すことはできますよ?」
「そうなのか」
「あ、そういえばわたし、ここの鍵が開くかどうかを試そうとも思っていたんですよね」
わたしはふとポケットに入れていた鍵の存在を思い出し、彼に示してみせた。
「禾穂の大教会の懲罰房の鍵なんですけど、もしかしたらこちらにも使えるかなと思って」
「……」
「もし開いたら、ルカさん、好きなところに行っても大丈夫ですよ。深夜なら誰も見張っていないと思いますし。そもそもあなたはこの教会にいないはずの人なんですから、ランディスさまも表立って大騒ぎすることはできないでしょう。都から出るくらいはきっと簡単にできます」
「……そうだな」
なんだろう、この手ごたえのない反応は。ここから出たいなら、これが一番手っ取り早いと思うのに。
ルカさんはきっと、テオドア本人にもアルベルト派の事情にも興味がないんだから、全部放り出して逃げてしまえばいいのだ。
「あの。ここから出たいんじゃないんですか? わたし、脱獄のお手伝いくらいはしますよ?」
むきになったわたしの大胆な提案にも、ルカさんは無反応だった。
少しの沈黙の後、彼は遠い目をして口を開く。
「都を抜け出してどうするんだ。一体どこへ行って、どうやって暮らすんだ」
ひどく現実的な問い掛けに、わたしは言葉に詰まってしまった。
確かにアピスヘイルをうまく抜け出せても、アピス国は広い。すでにアピス国の端っこまで藍猫さまの教えは浸透している。主にアルベルト派の司教さまが都外へ布教に出られていると聞いたことがあるし、ランディスさまが彼らに捜索を命じたら、どこへ逃げてもあっという間に捕まってしまうだろう。
わたしたちは髪の白さで白子だということはすぐにバレてしまうから、この国のどこにも逃げ場なんてない。
「ここで大人しくしていれば、とりあえずは平和だろう。何も起こらないし、何も見なくていい。俺が望んでいるのは、『どうぞ出て行ってください』と頼み込まれることなんだ。そうじゃないと意味がねぇんだよ」
ルカさんの顔は、なにかを諦めたような、ひどく寂しげなものに見えた。
そんな彼にわたしは思う。ルカさんが今までどういう生活をしていたのかはわからないけど、きっと、幸せなものではなかったんだろう。
わたしだって、白子であることを辛いと思ったこともある。母さまに会えず、姉さまとも引き離され、友達も満足に作れなかった。
存在してはいけないはずの″三人目の白子″である彼は、わたしなんかよりもっと辛い人生を送ってきたに違いない。ずっと独りで、いつ終わるとも知れない重圧に耐えてきた。
ずっと独りで……。わたしはとても悲しい気持ちになって言った。
「すみません、そうですよね。なんとなくわかります……。考えなしの発言をして申し訳ありませんでした」
わたしの言葉に、ルカさんは意外そうな顔をする。しばらくその顔でわたしを眺めた後、ポツリと呟いた。
「前から疑問に思っていたんだが、お前って……」
ルカさんは途中で言葉を切り、緩くかぶりを振る。
「いや、なんでもない」
「え? 何ですか? わたしのことなら、何でも聞いてくださいよ」
「聞いても仕方がないことは、聞かないことにしてるんだ」
即座に断られ、わたしは少ししょんぼりした。ようやく彼がわたしに興味を持ってくれたみたいで、嬉しかったんだけどな。
わたしは落ち込んだ気分を変えるべく、右手に掴んでいた鍵を掲げる。
「そういえばわたし、この鍵を使ってもし鉄格子が開いたら、上の部屋を捜索しようと思っていたんです」
「なんのために?」
「テオドアさんの手がかりがあるかもしれないと思って」
「……手がかり、ねぇ」
「何か心当たりがあるんですか?」
「いや、逆だ。なにも出てこないんじゃないかと思って。俺が上の部屋に住んでいた時に、あいつ、ランディスとかいうやつが色々と片付けていたから」
「え? 上の部屋に住んでいたんですか?」
はじめからこの牢に入れられたわけじゃないの? わたしが驚いた声を上げると、彼は眉間にしわを寄せて不満そうに言った。
「あの部屋、窓があるだろ。あそこから二回ほど飛び降りたあとに、こっちに移された」
「飛び降り?! あんな高い所から?!」
だから窓が塞がれていたのね、と合点が行く。
トビオリは成功率が高いとかなんとか言っていたけど、まさかあんなところから飛び降りて無事なんて。やっぱりこの人、只者じゃないわ。
「ランディスさまは、あなたの自傷癖についてなんて仰ってるんです……?」
「別に。何も……目立つことだけはするなと言われたかな」
「あ、あー、そういえば前回そんなこと言っていましたね……」
そりゃあ、目立つわよね。塔のてっぺんから人が降ってきたら……。
ランディスさまはすでにルカさんの治癒能力を把握していて、彼が何をしようと死なないことをご存知なのだろう。ルカさんはこの悪癖以外は物静かで従順だから、あえて好きにさせているんだろうな。
ルカさんが懲罰房に入れている理由がなんとなくわかってきた。逃げ出すつもりがない彼をここに閉じ込める理由はこれしかない。
"成功率が高い"らしい飛び降りをしたがる彼を止めるには″とにかく窓に近付けない″方法しかなかったんだろう……。
「あなたの自傷を目撃した人って、すでにたくさんいるんじゃないんですか? ランディスさまはどう言い訳しているんでしょう」
「さあ、知らねえな」
「そうでしょうね……興味なさそうですもんね……」
そういえば前回ここに忍び込んだとき、聖堂の奥の広間に使用人が一人もいなかった。だから簡単に忍び込めたわけだけど……まさかすでにみんな解雇されているんじゃないかしら……。
「どうしてルカさんは、そんなことをなさるんです。ご自分を傷つけて、一体何になるんです?」
「…………」
しまった。つい尋ねてしまったけど、この質問は良くなかったみたいだ。ルカさんはあからさまに不機嫌な顔になり、あさっての方向を見て黙り込む。
「ごめんなさい、答えたくないならいいんです……」
わたしは慌てて謝罪し、淀んだ空気を変えるために立ち上がった。
「とりあえず、試しておきますね、この鍵」
小走りで鉄格子に向かい、隙間から鍵穴に手を回す。鍵を差し込んでガチャガチャ言わせたけど、開かない。やっぱり鏡合わせになっているから、鍵の形状が少し違うのか。わたしは諦めて、鍵をポケットに戻した。
「駄目でした」
「……そうか」
ルカさんは全く残念に思ってなさそうな相槌を打った。
「どうしましょう。ルカさん、テオドアさんについて何か心当たりとかありませんか?」
思えばわたしばかり話して、ルカさんからの話を聞いていない。話の種が尽きたわたしは、壊れた椅子のクッションに座りなおして彼の言葉を待ってみた。
「……その手紙」
ルカさんはしばらく思案した後、徐にわたしの鞄のポケットを示す。
「それ、俺が下に隠したやつだよな」
「あ、そうです。下で拾って、持ってきました。やっぱりルカさんが隠してくれたんですね?」
わたしは桃色の封筒を引っ張り出して、にこりと笑った。
「ありがとうございます! もしランディスさまに取り上げられてしまったら、姉さまがどうなっちゃうか心配で心配で……」
「姉さま? お前の手紙じゃなかったのか」
「そうですよ。姉さまがテオドアさんと偽名でやり取りしている手紙です」
わたしは裏の署名を示したけど、そういえばルカさんは文字が読めないと言っていたっけ。彼はそれをちらりとも見ずに話を続けた。
「それと同じ封筒が山積みになっているのを見たか?」
「え? どこに……?」
「その封筒の有ったところだ」
「有ったところって……板に挟まっていましたよね」
「その奥だ。石を開く仕掛けのあるところの、もっと奥」
そんなところまで見ていなかった。わたしはすぐさまカンテラを掴んで、抜け穴へ首を突っ込む。板がはがれた部分に向けて明かりを翳すと、確かに配管の奥に何かが積み重なっているのが見えた。
ここからでは手が届きそうになかったので、一旦穴の中に降りて、腕を空洞に突っ込む。
掴めた分だけを引っ張り出し、灯りの前でじっと見る。本当だ、姉さまの封筒と同じ桃色だ。封はすべて開いているようだったので、わたしはその中の一枚から中身を引き出した。