第四章(5)
『愛するテッドへ……』
初めの一文が目に入ってしまい、わたしは赤面した。これは姉さまからテオドアに宛てた恋文だ。二人だけの秘密を盗み見るなんて許されない。
それはわかっているのだけれど、わたしの目は、その次の一文を追ってしまっていた。
『先日のお祭りは、とても楽しかったですね。あなたに再びお会いできて夢のようでした』
お祭り……? わたしは首をひねる。この都でお祭りといえば、雨季が終わった直後に開催される“エリスフェスタ”だ。
エリスフェスタは都民が全員参加できる賑やかなお祭りで、七月の初めに一週間にわたって開催される。
神民はみんな銀髪のカツラと猫耳をつけ、白猫に扮して祭りを楽しむ。お祭りの間だけは白子のわたしも目立たないので、友人たちと街に降りるのを許されるのだけれど……。
去年のお祭り、姉さまはわたしたちと参加したはずだ。いつの間に二人で会っていたんだろう?
「どうだ? あったか?」
「はい、ありました。確かにこれは、姉さまがテオドアさんに宛てたものです」
ルカさんに答えつつ、わたしは手紙の内容に釘付けになっていた。
姉さまは一体いつテオドアと落ち合ったの? ふたりはどうやってお祭りを楽しんだのかしら……。
読み始めた理由は、ただの興味と、若干の嫉妬心からだった。でも、読み進めるにつれて、わたしの頭を別の感情が支配していった。
『あなたが仰ったこと、冗談だったとしても嬉しかったです。でも、ほんの少しだけですよ! だって、そんなことは許されないし、望んではいけないことだから。あなたもそれはお分かりになっていますよね?
……私はいいんです。私はただの人間。そして私の婚約者もただの人間です。私がこの国を出て行こうとも、誰も困りません。悲しむ人はいても、天真のままに生きた私を藍猫さまの真の信徒と認め、祝福してくれるでしょう。ですが、あなたは違います。あなたはこの国になくてはならない存在。どうか二度とそんなことは仰らないで』
「……『この国を出て行こうなんて、二度と仰らないでください』……」
わたしは愕然とした。手が滑って、ランタンを足元に落としてしまう。
「どうした?」
大きな音に驚いたのか、ルカさんがそう尋ねてきた。
「いえ、その……ちょっと、思わぬことが書いてあって……」
答えるわたしの声は、震えていた。
だって姉さま、わたしにそんなこと、一度も言わなかった。
――テオドアが国を出て行こうと考えていたなんて、そんなこと。
「姉さま、このことを知っていたから……あんなに狼狽えていたの?」
わたしは他の封筒も開けてみた。姉さまのプライバシーへの配慮とか、そんなものはもはや頭から消えていた。
『愛するテッドへ。
お体の調子はいかがでしょうか。お加減が悪いと聞いて、とても心配しています。
胸にアザができているというのも、聞いたことのない話で戸惑っています。胸の痛みが増しているようなら、どうかお医者さまに診てもらってくださいね。
私のほうでも、それとなく知り合いの医師に尋ねてみましたが、そのような症状は聞いたことがないと言われました。普通の医師ではだめかもしれません。
もし医務院でも駄目であれば、リデルの別荘地の診療所へ行かれてはどうでしょう。リデルの診療所のことはご存じないかもしれませんが、冬の間だけ、腕のいいお医者さまがご滞在なさるのです。ご高齢ですが、とても良いお医者さまですよ。一度あなたの保護者さまにお願いされてはいかがでしょう。……』
「姉さま。だからリデルに探しに行ったの……?」
姉さまの奇妙な言動が次々と思い出されて、わたしは苦々しい思いに満たされた。
姉さま、どうして話してくれなかったの。わたしは姉さまとテオドアのためにいろいろと頑張っているのに。姉さまはわたしを信用してくれていなかったの?
いいえ、そうじゃない。きっと、手紙に書いてあることではテオドアの行方は追えない。話しても仕方がないことだから言わなかっただけよね。きっとそうよ。
「なにが書いてあるんだ?」
「えっと、テオドアさんが国を出ていきたいと思っていたらしいことと、彼の体調が芳しくなかったらしいことですね」
「体調が悪かったのか? 病気か?」
「ええ。なんでも胸にアザができて、痛みがあるとか書いてあります」
「アザ? どんなアザだ?」
「どんな、というのは?」
「どんな形のアザだ?」
妙に具体的な質問に、わたしは首をひねった。
「形までは書いていませんね……」
「そうか。ならいい……」
「…………」
どうしてアザにこだわったのか、聞いてみたくはあったけれど、どうせ答えてくれないだろう。わたしは再び姉さまの手紙に目を落とす。
どうやらテオドアの異変について書いてあるのはほんの数枚だけで、大部分の手紙には、普通の恋人がするような他愛もない話が書かれているようだった。
わたしはエリスフェスタ前後の三通の手紙を手に取り、上へ戻る。
一通はエリスフェスタ後、七月のもの。国を出て行こうと思うテオドアを諫める内容が書かれている。
もう一通はその後、八月のもの。テオドアの体調を気遣う内容が書かれている。
最後の一通はエリスフェスタ直前、六月のもの。それにはこんなことが書かれていた。
「『おかしな夢って、どんな夢かしら。私もおかしな夢を見ることはありますよ。この間見た夢は、妹とお部屋を交換する夢でした。部屋に帰ったらあなたがいて、いろいろとお話をするんです。とても幸せな夢でしたわ。
だけどあなたのように、何度も同じ夢を見るということはありません。そのおかしな夢というのは、もしかしてあなたの前世の夢なのかもしれませんね。ローディアさまが仰っていました。白子は前世の記憶を持ち、成長と共に思い出すのだとか。どんな内容なのか、次にお会いするとき――エリスフェスタの時に、聞かせてくださいね』」
おかしな夢?
エリスフェスタの時に話す約束をしていたようだけれど、その後の手紙に夢の話は書いていなかった。どんな話をしたのかは、姉さまに聞いてみないと分からない。
「夢? 同じ夢を何度も見ていたって、書いてあるのか?」
「はい。そのようです」
わたしが読み上げる内容を聞いていたルカさんは、腕を組み、眉間にしわを寄せながら尋ねてきた。
「おかしな夢って、どんな夢なんだろうな」
「わかりませんが、姉さまが指摘しているように、前世の夢なのかもしれません。白子は前世の記憶を夢で思い出すのかもしれませんね」
「前世の記憶?」
「はい。白子は藍猫さまに選ばれて転生した魂なので、時とともに前世の記憶が蘇るという説があります。真偽のほどは不明ですが、前回の白子がそうだったらしいという噂を聞いたことがあります」
噂の主ローディアさまが、この話を神学の先生にしたのが去年の六月の終わり頃。その後の主教さまたちの狼狽ぶりを思い出すと、あれは本当の話だったんじゃないかと思えてくる。
わたしの答えを聞いたルカさんの顔が、どんどん険しい表情に変わっていく。もともと目つきが鋭いルカさんがそんな顔をすると、小さな子供なら泣きながら逃げていくんじゃないかと思うくらい、恐ろしい顔になる。
「ど、どうしたんですか……?」
わたしは内心の恐怖に震えながら、そう問いかけた。
「いや、別に……」
ルカさんはいつものように答えをはぐらかそうとしたものの、気が変わったように口を開いた。
「お前が言っている、その『白子』ってのは、髪が白い子供のことなのか? テオドアっていうやつも、髪の毛が白いのか?」
「え?」
わたしはその問いに、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「何かおかしなことを言ったか?」
「いえ、その……ルカさん、もしかして、全く何もご存じないんですか?」
首をかしげるルカさんに、わたしはがっくりと肩を落とした。
あのね、ルカさん。興味がないと言っても、そこまで何も尋ねないのは駄目だと思いますよ。わたしは心の中でそうぼやいたけれど、すぐに首を振る。
いや、違う。きっとランディスさまが意地悪で教えていないんだわ。三人目の白子に教典のことを教えてしまったら、自分も神官になりたいと言い出して困ってしまうかもしれないし。
「あのですね、全然ご存じないのなら、最初から説明しますけど。白子というのはですね、藍猫さまに選ばれて転生した魂で、神子とも呼ばれています。生まれながらに白銀の髪を持ち、生きながらにして神の国の地を踏める特別な存在です」
「藍猫……って、何者だ?」
「ええ――――?! そこからご存じないんですか?!」
わたしは床に突っ伏した。まさか主のお名前すら知らないなんて。一体ルカさんはどこでどういう育ち方をしてきたのだろう。
「なんだよ。そんなに驚くことか?」
ルカさんはそう言って口を尖らせる。不貞腐れたその姿は、幼い子供のようにも見えた。
わたしは姿勢を改め、乱れた呼吸を整える。そう、生まれたばかりの赤ん坊は藍猫さまのことを知らない。悲しいことに、誰かが教えないと、人は自らの主のことを知らないまま育つんだわ。
「藍猫さまは、この世界を作った女神さまです。二股に分かれた尾を持つ、青銀の毛並みの美しい猫の姿をしていると言われています」
「ふーん……」
どこまでも興味がなさそうなルカさん。駄目よ、ラウドの書を理解しないで大人になることは不幸だわ。わたしは一章から教典を暗唱しようかと思ったけれど、口を開く前にルカさんに釘を刺される。
「そいつの話はもういい。それより、白子のことを詳しく教えてくれよ」
「そいつって……藍猫さまは主神ですよ。この世で最も尊い存在です。藍猫さまのこと、というよりは藍猫さまの教えを知ることは、わたしたち人間がより良く生きるために必要なことです」
「俺には必要ない」
「駄目ですよ、普通の人ならまだしも、わたしたちは白子です。八戒に違反しちゃいます!」
「八戒?」
「神民が従うべき八か条の戒律です。下の大広間に飾られていませんか?」
「見たことないな」
わたしはその答えにハッとする。ルカさんは文字が読めないから……たとえ見たことがあっても、内容を理解できない。いくら厳かな雰囲気を醸していても、ただのらくがきとしか思えなければ、記憶にも残らないだろう。
「どうでもよさそうだから、その話はいい。それよりも白子の話を聞きたい」
「うーん、大切な話なんですけどねぇ……まあ、いいや。白子のことですね?」
興味のない話は、一生懸命話してもどうせ忘れられてしまう。わたしは潔く諦めて、彼の要求に徹することにした。
「白子はこの国に、一周期にふたり生まれます。それぞれアリアト派とアルベルト派の主教さまが引き取り、この教会のてっぺんの部屋で育てられます」
「一周期にふたり?」
「はい。この周期の白子は、わたしとテオドアの二人のはずなんですけど……」
わたしはルカさんの顔を窺う。ショックを受けてはいないかと心配したのだけど、事の重大さを理解していないのか、彼は涼しい顔をしていた。
「ともかく、白子というのは神さまの子供ですから、この部屋で大切に育てられて、いつかは藍猫さまの元に帰ります。白子は芽吹の節に生まれ、衰退の節に旅立つ。衰退の節の三年間のどこかで主からお告げが下り、わたしたちは藍の都へ旅立ちます。藍の都というのは神の国のことで、青の道の果てにあるそうです」
「ふーん……」
あれ? 知りたい内容と違っていたのかな。ルカさんは気のない相槌を打った後、こう尋ねてきた。
「さっき言ってた前世の記憶って、俺も取り戻すのかな。俺は“正式な白子”じゃないみたいだが」
「どうなんでしょう。前世の記憶については、教典に書かれていないのでよくわかりません」
少なくとも――わたしはそう言いかけて、口を閉ざした。
この話をしてもいいものか。少しだけ逡巡して、やっぱり口を開く。
「少なくとも、ルカさんはわたしよりは白子らしいと思うので、白子じゃないと謙遜する必要はないと思いますよ。わたしにはルカさんほどの治癒能力はありません。ちょっとくらい足が速くて、音感に優れているくらい。多分テオドアさんもそうですよ。それほどの能力があれば、もっと話題になっているはずですから」
テオドアについては、その優れた容姿くらいしか噂を聞いたことがない。おそらく足の速さと音感だけなら、わたしの方が上だったに違いない。
「前世っていうのは、生まれる前の人生のことだろ?」
わたしが躊躇った甲斐もなく、ルカさんは違う話題を口にする。
「そうです。わたしたちが転生する前に、白子ではなく、ただの人間として生きていた時のことです」
「要するに、普通の人間は転生せずに死ぬが、前世にろくでもないことをやらかしたやつは、その罰として生まれ変わるわけだな」
「違いますよ、何言っているんですか!」
わたしはルカさんの発言に驚愕した。なんという突飛な発想。教典を学ばずに育つというのは恐ろしいことなのね。わたしは冷や汗をかきながら言った。
「白子の前世の魂は、とてつもなく立派だったんです! だから藍猫さまは、自分のそばに置いておきたいと思って、白子の体を持たせて生まれ変わらせたわけです。白子は零の門を潜れた魂なのですよ! その中でも特に目立っていたから藍猫さまに気に入られたのです」
もしかして、死者の門の話もしてあげなきゃ駄目かしら。教典を知らないなら、そうよね。
わたしは死と再生のプロセスをかいつまんで説明した。藍猫さまによる審判の結果、どんな魂がどの門をくぐり、何に生まれ変わるかを説明した。零の門を潜れたものだけが、最後の審判の後に創世される楽園に招かれることも説明した。
「白子として転生することは、いわばご褒美なのです。教えを守り、正しく生きた人間への、藍猫さまからのご褒美なのです。生きながらにして神の国へ行って、主とともに楽園を創世できるのですよ! 白子として生まれ変わったわたしたちは、正しく清らかな魂だと主にお墨付きを戴いているということです。本当に本当にすごいことなんですよ!」
わたしは懸命に話した。白子であることは素晴らしいことなのだと、ルカさんにわかってほしかった。ルカさんは、ランディスさまの意地悪で白子の素晴らしさを知らずに育った、可哀想な人。わたしが教えてあげなきゃいけない――そう、使命感に燃えていた。
「ルカさんは、わたしから見ても素晴らしいです。それほどの治癒能力を与えられているのですから、白子の中でも特別なのかもしれません。藍猫さまに特に気に入られていて、必ずお仕えに来てもらいたくて、そのような体をご用意していただけたのかもしれません。きっと、あなたの前世はわたしのものなんかよりずっと高潔で、光輝く魂だったことでしょう」
わたしは必死だった。ルカさんを勇気づけたいと、心から思っていた。自傷なんてやめて、藍猫さまにお仕えする未来を一緒に思い描いてほしかった。わたしとテオドアとルカさんの三人で、仲良く藍の都に行ければいいと思っていた。
だけど、ルカさんにとってこの話は不快だったらしい。わたしは彼に希望をもたらすどころか、さらなる絶望に叩き落していたようだ。
「前世が素晴らしいということは、あなたも素晴らしいということです。白子は前世の生まれ変わりなのですから、あなたは同じ魂を持っている――」
ガシャ、と音がして、わたしの話は遮られた。何の音だろうと視線を向けると、ルカさんの手元に数本のフォークが落ちていた。
「ちょっと待ってください、ルカさん……それ、一体どこから……」
先ほど取り上げたフォークはわたしの近くにある。ルカさんは新たに、どこからかフォークを取り出してきたのだ。
ルカさんの背後の石壁に妙な窪みがあり、そこから銀色の食器類がこぼれ落ちている。あんな穴、あったかしら? 石で蓋でもして、わからなくしていたのかしら?
もしかしてルカさん、食事のたびにそれらを隠して、部屋のあちこちに溜め込んでいる……?
ルカさんはゆったりとした動きで、たくさん握ってしまったフォークを一本ずつ放っている。明らかに気分を害している。危険な状態だ。わたしは身を硬くし、青ざめながら彼の挙動を見守るしかなかった。
「…………正しい? 高潔? ご褒美? ふざけんじゃねえぞ……」
ルカさんは、怒りを無理やり押さえつけるような声で呟く。そこでようやく理解した。わたしは、何か言ってはいけないことを言ってしまったのだ。
何がいけなかったの? 目まぐるしく直近の記憶を掘り起こしてみるけど、どこが悪かったのか検討もつかない。
とりあえず謝ろうと思ったけど、遅かった。
「!!」
右手が、彼の喉を突く。何度も、何度も。
わたしは噴き出す血飛沫に恐れをなして、鉄格子のある壁際まで逃げ出した。
「ふざけんな! 俺は違う、違う、違う、違う!!」
叫ぶたびに喉を突き、おびただしい量の血が噴き出し、壁や床、家具を赤く染める。
こんな凄惨な光景は見たことがなかった。今まで想像したことすらない。わたしはガタガタと震えることしかできず、その間もルカさんは何度も、何度もフォークを首に突き立て続けた。
果たしてどのくらい経っただろう。ルカさんはようやく動きを止める。真っ赤に染まった首からフォークをぶら下げ、肩で息をしながらこう呟いた。
「今日はもう帰ってくれ。……話の続きはまた今度だ」
その言葉を皮切りに、わたしはパッとランタンを掴みに走る。そして床の穴に飛び込んで、一心不乱に自分の部屋へと逃げ帰った。




