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衰退世界の人形劇  作者: 小柚
上巻
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第四章(2)

 わたしがぼんやりと過ごしてしまった数日間。姉さまはずっと修道院をお休みしていた。アイリスによると彼女は、寄宿舎を出て実家に戻ってしまったらしかった。

 心配なのは心配だったけど、姉さまの実家は貴族区にあるアピスリム家。教会区にある寄宿舎にいるときほど気軽に会うこともできない。

 そもそも姉さまが体調を崩している理由はわかりきっているのだから、テオドアの件についてなんの進展もない状態でわたしに何ができるというのか。

「どうして男の子なのよ、せめて女の子だったらここまで悩んだりしなかったわ」

 わたしは調査に尻込みをしている自分がもどかしかった。だけどイメージトレーニングを進める度に新たな問題にぶち当たる。

「眠っているところに忍び込むなんて、失礼過ぎるわよね……」

 前みたいに明るい時間に、鉄格子越しならそこまで問題はない。だけど今回のルートでは深夜で、しかも鉄格子の中に出てしまう。

 わたしだったら、きっとパニックになるわ。深夜に知らない人がベッドのそばに立っていたら。パニックになって、下の階に助けを呼びに行くだろう。

 さすがにあの男の子は肝が据わっていそうだから、そこまで狼狽えたりしないだろうけど、礼を欠いていることに変わりはない。怒りを買ってしまえば、まともに会話すらできないだろう。

 考えてみれば、別にあの男の子と話すのは必須じゃない。わたしが必要なのはテオドアに関する情報だ。テオドアが残した書き置きなどが見つかればそれでもいい。

 こっそり入って、鉄格子の鍵が開くか試して、開いたらテオドアの部屋を捜索する、というプランはどうかしら。気付かれなければそのまま帰って、気付かれたらお話をする。ここから逃がしてあげる代わりに、という交渉の姿勢を示せば、もしかしたら有益な情報をくれるかもしれない。

 "逃がしてあげる"なんて上から目線の態度では印象が悪いかしら。もっと対等な立場で、友人のように接するほうがいいのかしら。いえ、世の男性は女を下に見ていると聞いたことがあるわ。若い男性ほどその態度を隠せずに顔に出てしまうって。もっとへりくだって、相手を立てるような態度でいたほうがいいのかもしれない。

 でも、リリムが言っていたわね。"男はみんな単純だから、適当に褒めておけば気を良くする"とかなんとか。姉さまもアイリスも頷いていたし、そんなに気負わなくてもいいのかしら。

 わたしは考えに耽るあまり、背後に迫る人影に全く気が付けないでいた。

「あら~? カノンも恋のお悩み?」

「ひゃっ!」

 突然耳元で囁かれて、わたしはギョッとして振り返る。今は平日の放課後、ここは大教会裏のお庭のベンチで、辺りにモクレンが咲き誇る素敵な場所だった。ここにはあまり人が来ないから、物思いにふけるには絶好の場所だったのだけど。

「なに? 男? 忍び込む? 白子さまもやるときはやるのね」

「え? 違う、違うってば!」

 まずい、独り言を聞かれてしまったみたいだ。わたしはぶんぶんと手を振り、笑顔を振りまいてその場を乗り切ろうとした。

「やだなぁ、リリムじゃないんだから。ねえ、カーミィ」

「そうよ、リリム。それに、″カノンも″って何よ。"も"って」

「シノンさんは病気なのですよ。リリムさんが勝手に言っているだけですの」

 リリムの後ろには、見慣れたオルカ姉妹がいた。彼女たちはいつも、リリムよりはわたしの味方をしてくれるので助かる。

「姉さまがどうかしたの?」

「どうもしませんの。リリムさんが勝手に変なことを言っているだけです」

 わたしの問いかけに、アイリスが答える。何故だかとても不機嫌そうだ。

「? どうしたの? なにかあったの?」

 カーミィに問いかけると、彼女は面倒そうに肩をすくめた。

「リリムが変なことを言って、アイリスを怒らせたの」

「変なこと?」

「シノンのことよ。彼女、体調不良で屋敷に帰ったでしょう? それをリリムが邪推して変なことを言うのよ」

 わたしがリリムに目線を向けると、彼女は胸を張り、得意げに語り始めた。

「体調不良とか言って、あの子、ため息をついてぼんやりしていただけよ。絶対仮病ね。それかただの"思春期の乙女病"よ!」

「乙女病……?」

「きっと男に振られたのよ! もちろん婚約者じゃない男よ。年頃の娘の体調不良なんて、大体そんなものよ」

「はぁ……」

 わたしは呆れた風を装いながら、内心ドキリとしていた。当たらずといえども遠からず、だったからだ。

「ごめんなさいね。リリムは後で私が叱っておくから。行くわよ、リリム」

「え~、絶対そうだって。それに、カノンの話もまだ終わっていないんだから!」

 カーミィはリリムを引きずって行き、後には不機嫌なアイリスだけが残る。

「違いますよ。シノンさんは本当に体調が悪いのです。そんなふざけた理由じゃないのです。ですよね、カノンさん」

「そ、そうだよ。姉さまは真面目な人だから、悩むにしてももっと他のことよ、多分……」

「どうして断言してくださらないのです? もう、カノンさんったら!」

 姉さまが居なくても、この人たちは賑やかだ。

 確かに初めの数日は、アイリスは落ち込み、リリムでさえ口数が少なかったのだけど、一週間も経ってしまった今は、ほとんど元通りになってしまった。

 彼女らはワイワイ雑談しながら園庭に消えていく。久しぶりのお天気だったから散歩でもしようという話になったのだろう。

 いつもはあそこに姉さまの姿があるはずなのに……わたしはキュッと胸が締め付けられた。

 ごめんね姉さま。何もしてあげられなくて。

 実家のお屋敷に帰ってしまっては、連絡を取ることは難しい。元気な彼女の姿を見たいという願いは、いつになったら叶うのか。

 次の週のオブシディア・ユニムの午前の授業。

「みなさま、ごきげんよう。それでは、出欠を確認いたしますわね」

 鐘が鳴り、いつものように甲高い声で、フランシスカ先生が出席を取り始めた。

「ローディア様は……お休み、ですわね。もうしばらく、お城で個人授業を受けられると伺っておりますわ。あとは、シノンさん……」

 先生は急に声のトーンを落とし、わたしたちをぐるりと見まわした。

「残念なお知らせなのですけれど、みなさま。彼女はしばらくお休みを――その、体調が優れないので、隣町で静養なさると、今朝、お屋敷から連絡がありまして……」

 短く息をのむ音が聞こえた。おそらく、アイリスだろう。

 そんなに重い病なのかと、クラスメート達がざわめく。

「みなさま、ご心配なのはわかりますが、大丈夫ですよ。彼女にもあなたたちにもいつでも藍猫さまのご加護がありますわ。きっとシノンさんは、次の季節には元気な姿で帰ってきてくださいます」

 わたしは多分、他のクラスメートたちとは全く違う心持ちで先生の言葉を聞いていた。

 姉さまはわざと病気の振りをしているんだわ。確信に近い考えが浮かんだ。

 姉さま、そこまでしてテオドアの行方を追いたいのね。

 修道院を休学するなんて、かなりリスクの高い行動だ。しかもそれが仮病だと知られたら、由緒あるアピスリム家のお嬢さまという輝かしい家柄に泥が付きかねない。

 わたしは姉さまの決死の行動に、心が動かされた。

 何をやっているの、カノン。手がかりがありそうな場所を見つけておきながら、放置するとはどういうことなの。"誰も不幸にしないために頑張る"って、この前決意したばかりじゃないの。姉さまだけに危険なことをさせて、ただ傍観しているだけなんて。たとえ姉さまが元気になったとしても、顔向けできなくなっちゃうわ。

 わたしは授業が終わり、部屋に帰るなり準備を始めた。

 長いロープを仕入れなきゃ。懲罰房から穴に垂らすの。上り下りしやすくなるわ。あと、あちらの抜け穴に上るためにはどうすればいいかしら。踏み台にできそうなものはなかったわ。なら、壁に杭でも打って上っていくしかないわね。石壁の隙間になら杭が打てそうだったわ。登り切ったら上からロープを垂らしましょう、帰りに楽をするために。

 やると決めたら、行動は早い。それがわたしのいいところだ。

 その日のうちに必要なものを揃えたわたしは、再び夜中に地下へ潜ることにした。

「カノン様」

「なあに? ばあや」

 清浄室での湯浴びの後、意気揚々と部屋に戻ろうとしたわたしをばあやが引き留める。

 どうしたんだろう。なにか怪しい行動が耳に入ってしまったかしら。身に覚えがありすぎて、わたしは内心びくびくしながらばあやの言葉を待つ。

「いえ、少し気になったことがございまして、その……」

 ばあやは何故だかオドオドした様子で、わたしの顔を真っすぐ見ずに、両手を忙しなくこすりながら言った。

「先日、手鏡を落とされたと仰られておりましたが、どうなりましたか」

「え? ああ、上手く取れたわ。ありがとう、ばあや」

 そういえば、吸盤というものを借りてそのままにしていたことを思い出す。

「ごめんね、借りたものをまだ返していなかったわね。すぐに返すわ、待っていて」

「いえ、それは良いのです、カノン様」

 ばあやは慌ててわたしを引き留め、目の前に引き戻す。そして再び目を伏せて、両手をこすりつけ始めた。

「じゃあ、どうしたのばあや」

 どうやら怒られるわけではないらしい。それがわかったとたん、強気に出るわたし。早く部屋に帰りたいんだけど、というオーラを出しながら問う。

 ばあやはそれに気圧されたようだったけど、諦めずに言葉を絞り出してきた。

「あのう、その手鏡の件なのですけども、それは昔からあるものですか?」

「え?」

 全く想定していなかった内容の質問に、わたしは唖然としてしまう。

「はまりこんだ床の穴というのも、その、昔からあるものなのですか?」

「ええと……」

 困った。手鏡の話は全くの嘘だ。そんな都合の良い穴も手鏡も、わたしの部屋にはない。

 どうしてそんなことを聞くのだろう? 別にわたしが手鏡を持っていたって、床に穴が開いていたって、なにもおかしくはないはず。それともこの話が嘘だってばあやは気が付いている?

「どうしたの、ばあや。なにかおかしな話だったかしら。別に普通の手鏡を床に落としてしまったという、どうでもいい話だったのだけど」

 わたしは努めて冷静にそう言った。ばあやの顔色を窺ったけど、彼女は別にわたしの嘘を見破っているわけではないらしい。

「いえいえ、なんでもないのです、カノン様。少しその話を詳しくお伺いしたかっただけで、特に意味はないのです」

 妙に慌てふためいたばあやは、おやすみなさいませと言って、足早にその場を後にした。

 なんだったんだろう……。

 取り残されたわたしは、後味の悪さを引きずりながら、扉の鍵へ手をかけた。



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