↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
衰退世界の人形劇  作者: 小柚
上巻

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/124

第四章(1)

 教会のてっぺんのこの部屋は、藍猫さまの目に届きやすいよう、高く高く作られている。この部屋に住まうわたしを、藍猫さまは青の道の果て、遠い天の国から見守ってくださっているのだろう。

 『藍猫さまとその御子の大切な時間を、邪魔してはいけない』――そういう意図から、この部屋と部屋に関する規則は作られたらしい。

 藍猫さまが本当に常にわたしの姿を見ているかはわからないけれど、少なくとも事細かに暮らしぶりを監督するつもりはないようだ。

 わたしが夜更かしをしようと、こっそり香水を吹こうと、部屋に残る白子の遺物を丹念に調べようと、藍猫さまがご気分を害されることはない。もし懲罰房の抜け穴を調べることがいけないことだとしても、そのせいで嵐がやってきたり、大雨が降り続いたりはしないだろう。

 この部屋での出来事は藍猫さま以外の誰にも咎められることはない。だからわたしは藍猫さまのことだけを気にしていればいい。羽目を外しすぎて翌日まで疲れを引きずり、結果的にばあやにばれることにならなければ問題はない。

 わたしは一通り教典に目を通し、問題になりそうな表記がないか確認した。念には念を入れ、窓の外の遠き藍の都に向けて祈りを捧げる。特に神官サリーさまへ、念入りに祈りを捧げることにした。

「藍猫さまがお怒りにならないように、ある程度大目に見てもらえるように、サリーさまからもお口添えお願いいたします」

 祈りを終えたわたしは、ひらひらのネグリジェから動きやすい服に着替え、底の厚い革靴を履き、ランタンを縛り付けた鞄を背負う。入念な最終チェックを終えて、満を持して懲罰房に降り、ぽっかりと空いた穴に臨んだ。

 しゃがみ込み、ロープをくくりつけたもう一つのランタンを穴の中に下ろす。かしゃりと地につく音を聞いた後、穴に首を突っ込み、中の様子をくまなく見渡す。内部の安全性を充分に確認するためだ。

 うん、大丈夫そう。そう判断したわたしは穴の淵を両手でしっかり持ち、体をゆっくりと穴の中に滑り込ませる。靴底に足場を感じてから、両手を放す。しゃがんでランタンを拾い、さらに奥を覗き込む。少し先に次の足場がある。次はそこに向けてランタンを降ろす。

 この作業を繰り返し、わたしはどんどん奥に進んでいった。

 おそらくこの隠し階段は、塔の内部を螺旋状に下っているのだろう。普段使っている部屋までの階段は塔の外壁に沿っているので、この階段はそれより内側の、今まで何もないと思っていた部分をくりぬいて作られているのだと思う。

 外の階段よりも一段一段が高く、角度も急だ。落下すれば怪我は免れない。下手すると骨を折って動けなくなり、そのまま餓死してしまうかもしれない。

 慎重に、慎重に。一段一段、集中して下りる。十段ほど降りたところで、上からロープを垂らせばよかったと思った。

 とりあえず行けるところまで行き、どれだけ深いのか確認してからにしよう。でないと、どのくらいの長さのロープを用意すればいいかわからない。

 さらに十段下りると、少しの横穴があり、這って進んだ後に再び縦穴に出くわした。

「水の音がする……」

 その穴から、はっきりと水が流れる音がする。これまでもわずかに聞こえていたけれど、風なのか水なのか判断が付かなかったのだ。

 近くに水脈でもあるのかしら。こんな暗い中、水中に落下したらたまらない。

 わたしは荷物から杭を取り出し、壁に打ち付ける。そこにロープを結び付け、簡易の命綱とした。

その判断は功を奏した。二段下りると、その先には開けた空間があり、かなりの高さから下に降りなければならなかったからだ。

「ロープが無かったら、今日の探索はここで打ち切りになっていたわね」

 わたしはロープを伝ってその部屋に降りた。そこは不思議な部屋だった。もう朝になってしまったのかと思うくらい明るく、わたしは慌てて光源を探した。

 どうやらこの部屋は外から明かりを取り入れているわけではなく、そこにあるもの自体が光を放っているらしい。

 “そこにあるもの”というのは、祭壇と二つの水路だ。

 祭壇には二本の柱があり、その柱がまぶしいほどの輝きを放っている。そして柱には上から水が注がれ、それぞれ水路に繋がっている。

 わたしは足元を流れる一本の水路に顔を近づけた。柱に比べると輝きは弱いけど、部屋の様相を照らすには充分な光量だ。二本の水路は部屋の奥にぽっかり空いた二つの洞窟に向かっており、その先はここからでは見えない。

 わたしは光る水を両手ですくって臭いを嗅いだ。微かに刺激臭が鼻を衝く。

「これって、『導きの水』かしら」

 わたしはそう呟き、鞄のポケットをまさぐり小瓶を取り出す。ランタンの予備の燃料として持ってきたものだ。蓋を開けて臭いを嗅ぐ。同じく微かな刺激臭がした。

 水路の水と比べると、小瓶の水の光は弱いけど、独特な臭いはほぼ同じ。おそらくこの二つは同じものなのだろう。

「導きの水の源泉……ということは、この二つの水路はそれぞれ、大教会のほうに繋がっているのね」

 わたしはそう納得して立ち上がった。

 『導きの水』とは、わたしたちの信仰心に対する報酬として藍猫さまから与えられる不思議な水で、藍猫さまの代わりに様々な恵みをもたらしてくれる。確か、大教会のご神体の後ろにある秘密の部屋に、この水が湧く泉があると聞いたことがある。

 市民の生活を支える湯社や火社が焚いている湯や火、粉社の粉引き機もこの水を燃料としているし、鍛冶屋やパン屋なども使っている所があると聞く。この小瓶程度の量で小さな湯屋が一か月稼働できるというから、たくさんの市民を抱えるアピスヘイルにはなくてはならないものだ。

 藍猫さまの恩恵であるこの水は際限なく使えるわけではなく、極めて公共性の高い場所から順番に配られている。教会が管理する湯社、火社、粉社などの公共設備、一部の鍛冶屋やパン屋がそれにあたる。

 そういえばローダさまが、最近小雨が続いて農作物の収穫量が激減しているので、肥料としてこの水を使うことを検討していると言っていたかしら。

 それらの分を差し引いて、余った分が教会区や王城の個人使用分として貯蔵されていて、わたしがランタンの燃料として使っているのはそれにあたる。ランタンだけに使用するなら、この小瓶一本分で数年間灯りに困らないんじゃないかな。

 ほんのり光って独特の刺激臭のするこの液体は、一般市民から見れば金銀宝石より価値がある。この小瓶一本がいくらで取引されると言っていたかな……。横流しして捕まる使用人が後を絶たず、数年前に罰則が強化されたと誰かが言っていた。

 多分、わたし以外の人がここを見つけたなら、王さまの宝物庫を見た時よりも興奮してしまうだろう。国宝級の財宝が絶え間なく流れているに等しいのだから。

 導きの泉ですら立ち入り禁止で、導きの水が汲み出される様子を見たことはない。まさかその水源にお目に掛かれるなんて驚きだ。

 わたしは光に集まる羽虫のように、輝く柱に吸い寄せられていく。

 初めは目を開けていられないほど眩しかった光にも段々慣れ、柱の根元に着く頃には、柱の中身が認識できるほどになっていた。

「なにかしら、この丸いもの」

 柱の中には、こぶし二つ分ほどの大きさの瓢箪型の物体がたくさん浮かんでいる。この物体が発光源らしく、ずっと眺めていると目がつぶれてしまいそうだ。

 わたしはそこから目をそらし、祭壇に視線を向けた。壁一面に積みあがった石に模様が彫られている。それは毎日のように目にしている部屋の入口の扉の模様に酷似していた。

「きれい……」

 その模様にしみ込んだ水が光を放っている。輝く祭壇は今まで見たことがないくらい神々しく、わたしは内なる信仰心に誘われるまま、その場に跪いた。

「藍猫さま……真なるお母さま。あなたの祭壇を拝見できて、カノンはとても感激しました。

 サリーさま、わたしをここまで導いてくださりありがとうございます――」

 そう唱えて顔を上げたとき、わたしは目の前の台座が奇妙な形をしていることに気が付く。

「これ、何? ……本?」

 台座は何枚かの薄い石で構成され、本のように中央が半円の石で綴じられ、めくれるようになっている。

 その本と石板の中間のようなものには、びっしり文字が書かれていた。

「うわっ」

 わたしは思わず声を上げ、しりもちをついた。

 突然、頭の中をもみくちゃにされたような感覚。読んだはずなのに内容が頭から抜けていくこの感覚。これは、この文字は……。

「正礼拝のあの呪文と同じものだわ……」

 わたしはもう一度、石板の文字を目に焼き付けようと立ち上がる。だけどやっぱり、目に入った瞬間に頭の中をもみくちゃにされ、何一つ記憶に残らない。

「神さまの文字だわ……」

 正礼拝の呪文以外でこの文字を見るのは初めてだ。こんなものがアピスヘイルにあったなんて。

「ローダさまが知ったらどうなるかしら……」

 旧約の書や、前回の白子など、そんなものがふっとぶくらいの衝撃だろう。

 導きの泉の源泉と、神さまの本。おそらくアピスにあるどんな国宝よりも貴重なもの――。

「あ、いけない!」

 違うわカノン、わたしがここに来たのはこれを見るためではないでしょう? わたしは我に返り、周辺の探索に戻る。

 この祭壇を流れる水が導きの水なら、二本の水路は大教会のご神体の後ろにあると言われる導きの泉へと続いている。

 そして禾穂と羊角の大教会が、王城を境に鏡面構造になっているなら……。

「羊角側にもここへの抜け道があるはずよ!」

 わたしは水路を飛び越えて、向こう側の壁へと向かう。天井は凸凹としていて、いくつも影を作り、抜け穴を見えにくくしている。

 だけど、この辺りにあるはずよ。わたしはランタンを翳し、根気よく探す。

 あった! わたしの期待通りに、それはぽっかりと口を開けていた。

 思わず顔がほころぶ。だけど、その喜びはすぐにしぼんだ。

 確かに横穴はあった。けど、それで何がわかったというの?

 抜け穴があっても、それをテオドアが使用したかどうかわからない。だいたい、あんな分かりにくい抜け道、どうやって気が付くというのよ。わたしだってサリーからの情報がなかったら、絶対に見つけられなかった。

 穴からロープが垂れ下がっていたのなら、テオドアがここを通った証明になり、彼が消えた先を予想する手掛かりになったかもしれないけど。横穴はひっそりと暗闇に紛れて口を開けているばかりで、中からなにも垂れ下がったりしていない。

 わたしは一旦そこから離れて、部屋の隅々を見て回った。この部屋は祭壇と水路があるばかりで、あまり広くはない。二つの水路が飲み込まれていく背の低い洞窟の間に錆びた鉄扉があったけど、閂を抜かないと開きそうもない。閂には例の奇妙な文字が刻まれていて、見ているだけで頭がくらくらする。

「ここはどこにつながっているのかしら」

 おそらくこの閂もからくりだ。開けるには手順を踏まないといけないのだろう。押しても引いてもびくともしない閂に、わたしはすぐに匙を投げた。

 水路が流れていく先の洞窟にも足を踏み入れてみたけど、すぐに行き止まりにぶつかった。水は祭壇と同じような石造りの壁に開いた小さな穴に吸い込まれて行って、それ以上は進めそうになかった。

 お手上げだ。テオドアの手がかりはここにはない。

 わたしはすっかり意気消沈して、とぼとぼとロープの下に戻った。ローダさまや他の人から見たら、涎を垂らすほどのすばらしい場所なのかもしれないけれど、わたしの期待にはそぐわなかった。

 もしこれ以上の捜索をするとするなら。わたしは抜け穴のあった場所を睨む。

 あの抜け穴に上って、羊角側の懲罰房に出る。あそこにはあの男の子が居るはずだから、彼から話を聞く。テオドアのことは知らないと言っていたけど、彼自身の話くらいは聞けるだろう。彼が何故テオドアの代わりになっているのか、彼がどこから来たのか。

 ――そうは言っても。

 わたしは部屋に帰り、汗にまみれた服を脱ぎ散らかしてベッドに飛び込む。

 ――あの男の子に話を聞くなんて。わたしにそんなことできるかしら。

 わたしは尻込みした。

 少し接しただけでも異常な人なのがわかる。普通は近付かない、というか専門のお医者さんじゃないと近付くのは危険なんじゃないかしら。

 彼はわたしの話を落ち着いて聞いてくれるのかしら? 話の途中でまた首でも吊り始められたら、わたしはどうしたらいいのかわからない。

 わたしは腕を抱えて悩む。

 彼が死にたいと願うほど辛い状況を、まずは取り除いてあげないといけないのでは? それはあの部屋から逃してあげることなのかもしれないし、他のことかもしれない。

 逃してあげることならできるかも……。わたしは机の引き出しに突っ込んでいた鍵を取り出して眺める。

 この鍵で入口が開けられたなら、彼はわたしの話を聞く気になってくれるんじゃないかな。

 そうしたら……お名前と出身地を聞いて……ここに来た経緯を聞いて……もう一度テオドアのことを聞いて……。

 わたしは具体的なイメージトレーニングをしようとしたけど、どうしても会話のイメージがそれ以上浮かんでこない。

 だって、自分と同い年くらいの異性と話をしたことなんてないんだもの。初対面の男の子とはどうやって話をしたらいいの?

 前はその場の勢いでなんとなく会話をしてしまったけど、本来この国では親族以外の異性とはお話ししてはいけない。

 そりゃあ都合上、司教さまや修道院の先生、召使いやお城からの使者さんとかとお話しすることはある。けれどみんなわたしよりも一回り以上歳上だ。

「男の子かぁ……」

 わたしはなかなか向こうへ行く意志が固まらず、数日間をぼんやりと過ごしてしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。