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神託を受けた娘は私です  作者: あかねあかり
3/3

逃げたがる愛しい人

最後です!

 テラスから逃げるように立ち去ると、ナナティアを強引に馬車の中に押し込んでお城を出た。

 驚くナナティアにはごめんなさいと何度も謝って、馬車を操る人には教会まで、と伝えた。

 そのまま、力尽きるように気を失ったのだった。


 教会は家出したはずの私がだらんと疲れきった様子で運ばれてきて驚いたようだ。おぼろげな意識の中で、ざわめきが耳元で聞こえた。

 とりあえず部屋に運ぶという話になったらしい。動けない私を抱き上げたのは、あの優しい修道士長様だった。ゆらゆらとゆれる腕の中、嗚咽をこらえる私の背中を、修道士長様はずっと撫でていてくれた。


 そして、運命の日を迎える。


 *****


「昨日はどこに行っていたのです。みんな心配していたのですよ」

「ごめんなさい」

「全く。戻ってきたからいいものを…。危うく私たちの首は飛ぶところでした。わかっているのですか」


 ヒステリックに叫びはしないものの、言葉の中には彼女の汚れた本心が見える。

 全てのシスターを統括する彼女は、己の体も心も神のみに捧げると公言してやまない。普通つつましいシスターならばそんなわかりきっていることは口にしないけれど、彼女は違った。

 ただ己と教会の保身のみ考える。

 そのために、王宮に身を寄せることを嫌がる私を無理矢理追い出そうとするのだ。彼女自身は私の後見人として付いてくるらしい。

 また、神の神託を受けた私を、嫉妬の目で見ていたことも知っている。


「もういいだろう。エスターは疲れているんだ。金切り声で叱られては、万全な状態で王都に上がることはできまいよ。きみはきみで支度することがあるだろう?」

「修道士長様…」


 私を見ると、顔のしわを深めてにこっと笑を向けてくれる。柔和な表情が良く似合う好好爺。私が最も信じる人。

 シスター長は納得しきれていないようだったが、渋々部屋を出ていった。残ったのは私と修道士長様だけだ。


「すまないね、エスター。彼女はあれでも信心深さでは一番なんだ。少し相手を顧みないのも、神のことを第一に思うが故なんだよ」

「わかっています。ただ、これから2年も彼女とずっと一緒だと思うと頭が痛いだけです」

「私が行けたらいいんだけどね」

「そんな無理は言えません。修道士長様はこの領地の庇護に務めてください」


 それに何より、年老いた修道士長様を長時間の馬車の旅に同行させるわけにはいかない。目の前で大事な人が弱っていくのは見たくない。

 修道士長様は微笑みに少しの苦笑を滲ませて頷いた。そしてしわしわの手で私の手をとり、真摯な目で告げた。


「嫌なら嫌と言っていいんだよ、エスター。きみには待つ人もいるだろう」

「いいんです、修道士長様。……彼とは、お別れもしてきました」

「……そうだろうと思っていました。きみがあんな強行手段に出るのなら、きっとそういうことだろうと」


 やはり彼には何もかもお見通しだったらしい。隠せるはずがなかったとわかってはいても、どこか恥ずかしい。


「我儘は行き過ぎると悪いことですが、きみはもっと多くを望んでいいのですよ。こうも欲がないと、私は心配になります」


 欲ならばたくさんある。もっと修道士長様と一緒にいたいし、もともと住んでいた街にも帰りたい。両親にも会いたい。

 それを口にすると、彼は苦笑して「とんでもなく矛盾していますね」と言った。私と一緒にいたいといいながら、きみは街に戻ることを望んでいる、と。そういう矛盾こそが、我儘なのだろう。


「正直に言ってください。王都に行きたいですか?」

「いいえ」

「神殿に上がることは?」

「そこまで嫌ではないですね」

「では、王太子殿下に召されることは?」

「……」


 その沈黙が、何よりの答えだったかのように思える。言外に発せられた思いは、修道士長様に届いたようだ。彼は満足げに頷いて、支度をしておきなさいと言って出て行った。

 修道士長様を目の前にすると、建前はどこかに吹き飛んで、本音だけが溢れてくる。

 その本心だけを語れる居心地の良さに、依存していてはいけない。


 もう私は、諦めた。


 *****


 荷物とともに馬車に乗せられた。

 対面にはシスター長が座っている。彼女の表情は私とは真逆に、意気揚々としている。王都への期待に満ちた表情だ。


 王都は最も天に近い場所とされている。そして王国の国王は、神の御霊の一部を与えられ、人間としては最も髪の位置に近い者、と云われているのだ。信心深い彼女が喜ぶのも無理はなかった。


 シスターたちと修道士長様に見送られながら、大きく手を振る。ナナティアは見送りには来なかった。理由はわからないけど、彼女なら来てくれるだろうと思っていた分に、悲しい。別れを惜しむ子ではないと思うけれど。


 ガタゴトと揺れる馬車の中、対面の彼女との会話はない。シスター長は移ろう窓の外の景色を眺めているし、私は私で手元を見つめている。

 昨日はとても楽しかった。やりたかったことは全て出来た。もう街に悔いはない。

 だけど、なぜだろう。どこかうつろだ。心に穴が空いているようだ。それは馬車が揺れる度に、少しずつ少しずつ広がっていく。

 そんな錯覚に陥りながらも、意識は現実にある。どこまでも眩しい現実に。


 その時、唐突に馬車が停止した。シスター長が苛立たしげに眉をひそめる。進路に大きな石でも落ちていたんだろうか。しかし怒鳴り声まで聞こえてきて、これはただ事ではないだろうと気づく。

 よく聞けば怒鳴っているのは女の声だ。馬主に掴みかからんばかりの勢いで、何かをまくし立てている。残念ながら声はくぐもっていて、その声の主は愚か、会話の内容すら聞き取れなかった。


「なんなのですか、全く」

 忌々しげにそう言う彼女を無言で見やる。しかし彼女はこちらを見向きもしない。それほど興味が無いということなのだろう。

 その彼女の、"神託を受けた娘"に対する態度は、一度教会内で問題になった。けれど何も変ることはなかった。


「…ェ……ター!」


 声が先程より近くに聞こえる。それは明瞭ではないけれど、どこか…ナナティアの声に似ている。

 もしかして、見送りに来てくれた? そう思うと止まらなかった。

 扉を勢い任せに開けて、馬車の中から身を踊らせる。背後からシスター長の止める声が聞こえたけれど、気にしてはいられない。

 ナナティアが、私の唯一の友達が来てくれたのだ。


「ナナティア!」

「……エスター!? エスター!」


 馬車の先頭で馬主と言い合っていたナナティアは、私に気づくと顔をほころばせて喜んでくれた。抱きついてきて、抱き締める。


「ああ、よかった! もう会えないかと…」

「お見送りに遅れたのはわるかったけど、少しくらい待っててくれてもいいわよね!」

「ふふ、そうね」


 見ればナナティアの周りにはたくさんの人がいた。その人たちが馬車の進みを止めたらしい。しかし彼らは、自警団ではなく、れっきとした領主直属の部隊であることを示す紋章が使われている。


「まさか…」

「どうしたの?」


 嫌な予感は当たるもので、部隊の人垣の間から、昨夜も見たあの彼がやってくるのが見えてしまった。

 表情は和やかだけれど、纏う空気は刺とげしい。その優しくも鋭い眼光は、正しく私を射抜いている。


「エスター、どうして隠れるの?」

「あなたにはあれが見えてないの? 目が合ったら即刻叱られるわ」

「そうかしら」


 そうに決まってる。だってきっと怒ってるもの。怒ると彼は叱ってくる。それは今だって変わっていないはず。

 いつの間にか彼がすぐ近くまで来ていたので、慌ててナナティアの背中に隠れる。呆れたような溜息が2つ聞こえた。


「なぜ君は僕が来るとすぐに隠れてしまうんだろうね」


 わからない。顔を合わせたくないのはもちろんだけど、いざとなると何を話せばいいのかわからなくなる。


「ねえ、私はどうすればいいの?」

「とりあえず避けるといい」

「ああ! そうね!」


 さっと目の前からナナティアの背中が消える。そのまま背を向けてどこかへ逃げていく。なんということ、見捨てられた。


「ナナティアっ」

「ちゃんと話すのよ〜」


 追いかけてどさくさにまぎれて逃げようかと思ったけれど、それは手首を掴まれて叶わない。……とても痛い。


「前々から思っていたけど、エスターはよく逃げたがるよね。僕が怒っていない時でも、毎回」

「そ、そうかしら。覚えがないわ。もう五年も会っていなかったもの」

「こうして話しているのに、君はこちらを見もしない。嫌われてるんじゃないかと心配になったりするんだ」

「……嫌いよ」

「ん?」


 会いに来てくれないから嫌い。意地悪な言葉をかけるから嫌い。私が逃げても、追いかけてくれないから嫌い。彼は見た目だけで、全然優しくなんかない。


 10年間待っていてくれるより、毎日会いに来てくれる方が嬉しい。約束より、想いが聞きたい。本音の話をしてほしい。

 こうして考えてみると、彼には要望ばかりが出てくる。我が儘だろうか、と思いつつもこれが本心なのだから仕方ない。こんな面倒くさい私が嫌だと言うのなら、この手を離して見送って。

 離してくれないと、期待してしまう。嫌だ、私はもう諦めたはずなのに。


 やっと絞り出した言葉は彼には聞き取れなかったようで、訊ね返してきた。もう一度、決死の思いで口にする。


「アレイなんか嫌い! 早く離してっ」


 腕をぶんぶん降って訴えるけれど、力はさらに増すばかりでどうにもならない。なんで……どうして離してくれないの。


「期待なんかさせないでよ…。私はもう決めていたのに」

「何を?」

「私は、神託を受けた娘だから自由なんてなくて、成人するまで口付けも許されない、不自由な身のつまらないひとだからあなたは私を待たなくていいのっ」


 自虐になってしまったけれど、仕方ない。だってこれは彼にこの掴んだ手を離してもらうための言葉だから、嫌われるようにしなくちゃ。


「可愛くないし、話してもつまらないし、よく逃げちゃうし、人見知りだし……」

「うん。後半は直して欲しいけど、でも全部僕の好きになったエスターのものだから、全部ひっくるめて好きなんだ」


 突然の告白に、出しかけていた言葉も引っ込む。確実に嫌われてしまうだろうと思っていた。そのために、ここまで自分を蔑んだのだ。そうならなかったら詐欺だ。

 けれど彼は真逆なことを言う。どういうことだ。目を白黒させる。


 そんな私に彼は苦笑して、待てるよ、と告げた。


「いつまでだって待つ。これは僕の勝手だから、エスターが責任を持つ必要も無いよ。だから、王都には行かないで欲しい」

「で、でも…」

「教えてくれ。君はどうしたい? 僕といたいのか、顔も知らない男の元に召されるのか」


 そんなことは決まってる。あなたと一緒にいたいに決まってる。けれど、許してくれない人もいる。

 そう、あのシスター長のように。


「教会の心配なら必要ない。君ごと守る」

「それもあるけれど、そうじゃなくて……」


 ちらと馬車を見るけれど、いつもなら真っ先に降りてきて私を馬車無理矢理でも押し込みそうな彼女が、どういうわけか出てこないのだ。

 その行動の意味に気づいた彼が、ああ、と声を漏らした。


「あの人のことも心配ない。望みを叶えてあげるんだ」

「どういう意味?」

「大した事じゃない。…これで、心配事は消えた?」

「ええ、まあ……っ!!」


 突然、大きな腕の中に囲われる。


「アレイっ、待って」

「駄目なの? 前は許してくれたのに」


 今は昔とは違う。背だって大きくなって男らしくなったし、何より私の抱える気持ちが変わった。

 真っ赤になって拒否する私を微笑みながら見下ろして、次いで腰に手を添えて抱き上げる。さらに頬が上気して、自分でもわかるくらいだった。


 五年前とは違う。彼は私を確かに、連れ出してくれた。約束してくれた。守ってくれた。

 もうあの虚しさはない。ただ晴れ晴れとして、彼と結ばれることが嬉しくて、涙が流れた。

 それをそっと拭う、アレイの手も優しい。

 愛しさが込み上げて、私は初めてその言葉を彼に伝えた。そっと小さな声で。


「好きよ、アレイ」



なんだか変な終わり方ですが眠たかったんです!

お許しくださいっ!

ありがとうございました!!

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