壁の花になりたくて…
軽い挨拶を済ませると、アレイは身を翻して奥へと戻って行って、ほっと安心した。
「でも、どうして会わないの? 婚約者だったのでしょう? 神託を受ける前から」
「もう5年も会ったことないわ。今更出てもいいことなんてないじゃない」
「じゃあ、今日はどうして…」
向かい側からやって来る男性を見つけて、さっとナナティアの背中に隠れる。生憎社交はとんとできない。
歩み寄ってきた男性は、にこやかにナナティアに話しかけた。
「こんばんは、お嬢さん。今日はどちらから?」
「すぐ下の街からです。あなたは?」
「隣領から。これでも領主の三男坊なんですよ」
「まあ!」
ナナティアの目が輝くのがすぐに察せた。彼女は隣領の生糸にとても興味があるらしい。この男性、見事にナナティアの心を掴んで見せた。
流されやすい友人は、すぐにどこかへ消えてしまいそうだ。一人になるのは構わないけれど、できるだけ知り合いと一緒にいたい。
「そちらの姿を見せてくれないお嬢さんは、名前は何て言うんだい?」
苦笑するように男性は訊ねてくる。きっとこれは私に向けられている。この男性から隠れているのはおそらく私だけだ。
緊張して声が出ない。そして動けない。これはもしかして、無礼を働いてしまったことになるのだろうか。
返事ができない私を庇って、ナナティアが前に出てくれた。
「すみません、この子恥ずかしがり屋で。初めてのパーティーに緊張しているみたいなんです」
「そうなのか。それは悪いことをした」
「代わりと言ってはなんですが、ダンスでもしませんか? 最近頑張って練習しているんです」
ナナティアが、私のためにダンスを誘ってくれている! ……違う、これは生糸の話を聞くための口実だ。証拠に彼女の目はきらきらとして、ここを見ていない。
「お誘いとあらば、断るわけにはいかないな。行きましょうか、お嬢様」
なぜか上機嫌の男性に、ナナティアがエスコートされていく。離れていく直前、彼女は私にそっと耳打ちした。
壁の花になっていて━━と。
"壁の花"とはつまり、輪の中には参加せず、きらびやかな舞踏会を眺めていろということだろう。それには異論はない。そもそも私は踊るために来たわけじゃないから。
ジュースを受け取って、いざとなったらカーテンに隠れることができる場所に陣取った。見事に目立たない。最高の場所じゃない、壁の花!
ひらひらと揺れるドレスの裾を眺めながら、特にすることもないので物思いにふける。
折角着飾っても、これでは掃除婦と変わらない。でも掃除婦の格好だとこのきらびやかな場では目立つから、やはりこれでよかった。
思えば生まれてこの15年間、自由なんてほとんどなかった。
5歳までは良かった。優しい両親のもと、健やかにたくましく育ってきた。そして5歳の誕生日、私に神託が降りたのだ。その証にもともと栗色だった髪は金髪に変わり、驚くほどの知恵を手にした。代わりに体力は削られてしまったけれど、日常生活に支障があるわけではない。
教会に引き取られ、生まれた時からの婚約も解消された。それも『純潔であれ』と神に告げられたからだ。聖女は純潔でなければならい。口付けすら許されない。世俗との関わりを一切なくされ、唯一の友はナナティアだけだった。
我慢に我慢を重ね、諦めの境地に達しそうだった私を、ナナティアからの朗報が根性を引き止めた。それは『領主のお城で舞踏会がある』ということ。
教会の外に出たかった。ドレスも着てみたかった。それが1番の理由か、と言われれば、そうではない。
しかしそもそも、舞踏会に来たところで私は踊れない。簡単なステップはナナティアに教えてもらったけれど、実践はおろか、教会では練習さえもできなかった。
ではなぜ、よりにもよって舞踏会を選んでしまったのか。それは━━。
気づくと辺りが騒がしくなっていた。何があったのかと顔を上げて確かめるより早く、視界に綺麗に磨かれた上等な靴が見えた。
それはぴったり私の前で、止まっている。
いつの間にかざわめきも、ずっと流れ続けていた音楽も止まっている。その理由に思い当たることはない。
まさかもう舞踏会は終わってしまった? まだ始まったばかりだというのに? 12時も回っていないのに。
うろたえて、緊張して働かない頭では、何を考えても結論は導き出せなかった。
そして、音が止まった静寂の中に、もう懐かしい声が響く。
「エスター」
どうしよう。顔が上げられない。だって目の前にいるこの人が、彼だと気づいてしまった。顔を見れない。顔を見たらきっと━━泣いてしまう。
その声はいつの間にか声変わりを迎え、低くなっていた。けれど優しく響く、染み渡るようなこの声を、聞き間違えるはずが無い。私の名前を呼ぶ声も懐かしい。
「エスター、顔を上げて」
一歩近づいてくるのが見えた。びくついて、カーテンを掴んでその影に隠れた。彼が苦笑する気配がする。
頑なに口を閉ざす私に愛想を尽かして、立ち去ってくれたらいい。もうお前なんか知らないと、背を向けてくれたらいい。悲しんだりなんてしないから、もう振り返らないで。
「あんまり強情だと、連れ去ってしまうよ、エスター」
私がその言葉を噛み砕くより早く、彼は行動を起こした。
つかつかとカーテンの前に立ったかと思うと、次いでカーテンからはみ出ていた左の手を掴んで、強引にそこから連れ出す。ダンスをするように、腰に手が回された。
驚いて思わず、彼の顔を見上げてしまった。
見てしまった。こんな間近で、彼を。5年ぶりに。
「綺麗だ、エスター」
そんな言葉に顔が火照る。ナナティアに言われてもこんな風にはならなかった。彼の目は熱を孕んでいる。照れるのは当然のことだ。
「僕を覚えてる?」
ひとつ頷いた。それだけで彼は嬉しそうに顔をほころばせるから、また体が熱くなる。私が覚えていただけで、ここまで喜ぶことでもないはずだ。頭ではそう分かっているのに、嬉しくなった。
私はまだ、彼に背を向けられていないということが、どうしようもなく嬉しい。これからそうなってしまうんだとわかっていても。
持っていたグラスを奪われ、彼は飲みかけのそれをテーブルに置いた。そしてエスコートをするように、私を会場の真ん中に連れて行こうとする。
もしかして、ダンスをする気!? それに思い当たってなりふり構っていられなくなった。
「待って、アレイ! 私踊れないの!」
「そうなの? 教会では習わなかった?」
「教会は生きるのに必要最低限なことしか教えてくれないわ。待って、どうして真ん中に来るの!?」
「大丈夫だよ。僕に任せてくれればいい」
「駄目よ、本当に踊れなっ」
必死に訴えたのに、彼は強引に踊り出した。つい先ほどのまで止まっていた音楽も鳴り出す始末。もう終わるまで止められない。
始まった曲はスローテンポで、ステップがぎりぎり間に合うか、という状態にも関わらず、ふわりふわりとドレスの裾は揺れている。もしかして、私も今は、花になれている?
踊っている最中も、彼は上機嫌な笑みを浮かべていて。
人生で最初で最後のダンスは、結論から言えば最高だった。
*****
1曲を踊り終えると、アレイはすぐさまダンスを切り上げて、私をテラスへ連れ出した。
そこから見える夜景に、彼の突然の行動に対する文句も頭から抜け落ちる。
「わあ…」
「綺麗だろう?」
言葉もなく頷く。丘の上だから視界が高い。見下ろす街の灯りがオレンジ色にまたたいている。星空と相まって、見たこともない美しさだった。
並んでベンチに座る。近い距離に心臓が脈打った。彼の吐息が甘い。
およそ5年ぶりに直視する彼。以前会った時は、お忍び用の質素な格好だったから、こうもきらきらしいと違いに戸惑う。
所在なくドレスのフリルをいじっていると、彼はようやく口を開いた。
「どうやって来たの?」
「ナナティアに手伝ってもらって…」
「教会はどうした?」
「抜け出して来たのよ」
「それは、エスターらしくない」
「そうね、私らしくないわ」
以前の私なら、こんな無謀なことはしなかった。危険なことをする前に諦めるし、失敗する可能性が高いことには手を出さない。そうすることで安全を手にしてきたのだから。でも、
「どうしても、来たかったの」
「どうして?」
「……」
教会を出たかったから。ドレスを着てみたかったから。お城に上がってみたかったから。理由ならいくつもある。でも、一番はやはり━━。
「あなたを一目、見たかったの」
今、とんでもなく恥ずかしいことを言ってしまった気がして全身を硬直させた。これでは告白も同然じゃない!
口をつぐんだ私に先を促すように、変わらない優しい眼差しを向けてくる。それによって解きほぐされ、続く想いを口にした。
「お城で舞踏会があるって聞いて、お城ならあなたに会えるんじゃないかと思ったのよ。だって、五年前から会いに来てくれなくなったから、嫌われてしまったのか確かめたくて。もう一度、会えるなら、一目見ることができるなら、よかった」
「うん」
「寂しかったんだもの、ずっと。嫌われてしまったのかと思って怖かった」
「……ごめんね」
「ねえ、アレイは、私が嫌い?」
不安な面持ちで訊ねる。覚悟はしていたけれど、いざ聞くとなると怖い。目をつぶって沙汰を待った。
「嫌いなわけない。ずっと、好きだ。君がいなくなっても、待ち続けていただろう?」
ええ、知っている。あなたはずっと、待っていてくれた。
涙が盛り上がり、ぽたぽたと零れる。拭おうとしても、今日は化粧をされている。しかも身につけているのは全て借り物だ。ハンカチなんて持っていない。
困り果てていると、アレイがハンカチでそっと涙を拭ってくれた。あとからあとから出てくる涙を、全てそれが吸い取ってくれる。
「だからこれからだって待てる。神託では成人までなんだろう? あと2年じゃないか。それくらい僕は待てるよ」
「でも、お父様がゆるさないでしょう」
「大丈夫さ。今日のこれも周りがうるさいから仕方なくやっただけで」
「うん、ありがとう。でも、もういいの。待たなくていいよ」
「……どういうこと?」
不穏なものを感じ取ったのか、アレイが目をすがめる。彼のその目は、鋭さと迫力が倍になるから怖い。でも目はそらさないようにした。
今日は嫌われるために来た。別れるために来た。もう待たなくていいよと、彼を解放するために。
「王宮に呼ばれたの。いずれ聖女となる身ならば、王宮の神殿で身を清めておきなさいって」
「でもそれなら、いずれ帰ってこられるはずじゃ…」
「『次期国王は聖女を求めている』」
ハッとアレイが息を呑む。
私は苦し紛れに微笑んで、どうしようもない現実を彼に伝えた。
「明日、王都に発ちます。今までありがとう、アレイ。しあわせに……」
ナナティアとあの男性のダンスは、相性が悪過ぎてどちらも足を踏みまくるというどうでもいい情報です。
ありがとうございました! 次回最後です!




