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極東の海の女王  作者: 優笑
第二章  不死身の空母
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第二十二話 褐色のエース

お待たせしました。次回はいよいよ最終決戦。なるべく一か月以内に投稿したいと思います。

 ヨークタウンの索敵機が迫る危機を母艦に伝える。

「敵機が来る。敵艦も……」

 どこか絶望に近いもの含んだ、苦しげな表情でヨークタウンは呟く。太陽は徐々に水平線に近づきつつあるが、敵機は太陽が沈むまでには到達するだろう。今の手負いの彼女には、戦闘機を発艦するのに必要な速力を一時的に発揮するのもやっと。航空機はおろか、鈍足の戦艦相手でも今日中には補足されてしまう。そうなれば例え航空機の攻撃に耐え抜いたとしても、生き残る術はない。それを理解している彼女は、重油に黒く染まった袖で、潤んだ目もとをぐっとぬぐうと、バイソンを見つめる。

 そんな彼女の思いを知りながら、否、知っているからこそ、彼は彼女と対照的な、どこまでもさっぱりとした笑顔をたたえる。夕暮れの太陽に、褐色の肌をいっそう赤く焦がしたその姿は、心のうちに燃えさかる炎をそのまま映すよう。そうして彼は踵を返し、甲板に並べられた戦闘機の一団の先頭にある、十分に修理された愛機に向かって足を踏み出す。その背中は、数万トンの巨体を持つ彼女からすれば蟻のように小さいはずなのに、なぜだかどこまでも大きくみえて、だが彼の心の内で燃え盛る炎が、そんな彼を包んで、その身を燃やし尽くしてしまいそうに思えてしまった。

 次の一瞬、ヨークタウンは彼の背にすがると、二度と離さないように、強く、強く、握りしめる。一分、一秒が戦況を左右する戦場で、わずかでも彼を止めることがどれほど危険なことか、そしてそれはバイソンを苦しめることに他ならないことを理解していながら、彼女はあふれ出す思いを、止めることができなかった。

「私はどのみち助からない。だからせめて、あなただけでも」

 震える声で、紡がれる言の葉。その背に滴る暖かな滴に、バイソンは一度彼女の方に向き直ると、その白く美しい頬に手を伸ばし、そこを伝う透き通った滴を、その太い指で掬い取る。

「大丈夫、なんて気休めは言えない。現実はそんなに甘くない。相手のいることだから。だが、死なないように、全力を尽くす。だから、その涙は帰ってきたときのために、とっておいてくれ」

 バイソンはそう真剣な表情と声音で告げ、だが一拍の後、また先ほどまでのさっぱりとした笑顔を浮かべる。そうして再び踵を返し、二度と振り返ることなく、愛機に向かって歩み出す。そんな彼の姿に、彼女もそれ以上、すがることも、言葉を紡ぐこともしない。言っても、小芝居を演じても無駄なことも知っているから。その代り今出来る精一杯を、彼にささげる。

「必ず飛ばして見せるから」

 魚雷二門を被雷し下がりきった喫水、機関の出力を上げた途端、急速に激しくなる鼓動、切れる息。体全体にいくつも鉄球をくくりつけられているかのように重い船体。いつ機関が停止してもおかしくない、走るどころか、歩くのも精一杯の体。それでも彼女は一度大きく息を吸い込むと、ぐっと口元を引き結び、目を見開く。

「あああああああああああ」

 美しい少女の容貌とおおよそかけ離れた、野獣のような叫びとともに、空母ヨークタウンの機関もまた心の底に直接響くような低く重い唸りを上げ、その出力を上げていく。だが浸水し重くなった彼女の数万トンの肉体は、砂漠で車のタイヤがスリップするように、スクリューのみが回転速度を上げて空回りし、速度は容易に上がらない。そうしているうち彼女の体の方が先に、長距離マラソンの最終盤のように高熱を発して真っ赤に染まり、大量の汗が流れ落ち、息遣いは過呼吸気味に激しくなる。

 機関が負荷に耐えきれず爆発してもおかしくないほどの状況、それでも一向に速度の上がらない船体。だが彼女はスクリューの回転を維持するどころか、さらに機関に負荷をかけ、一層その回転速度を上げていく。それと共に両脇腹と腹部の傷口から走る、体の引き裂かれるような激痛、朦朧とする意識。もう無理だと叫ぶ体に、しかし彼女は、着艦の時も速度を出せたのだからもう一度出せないわけがないと、逆に叱咤する。例え彼を送り出す先が、死地なのだとしても。

 思いとともに、右手を、今にも壊れてしまいそうなほど脈打つ心臓にあて、瞳を閉じ、願う。

 彼を飛ばさなければいけないの、お願い、今だけでいいから、持ちこたえて。

 願うとともに、機関の出力を最大まで絞り出す。するとそのうち、それまで空回りするようだったスクリューが徐々に重みを取り戻し、大量の海水を捉えてうねりを巻き起こし、数万トンの巨体をゆっくり前に押し出す。そんな船体にぶつかる巨大なうねり、大きな軋みを立て縮む船体、だが一呼吸ののち、鋼鉄の巨体は粘りと共に全身を使ってうねりを跳ね返し、舳先は荒波を切り裂き白波を高々と上げ、船尾に引く白い波の尾をいっそう長く伸ばし、全てを飲み込む黒い海原を悠然と進み始める。

 そうして徐々に、だが確実に速度を上げ始める船体に、女神のほほえみか、死神のいざないか、自然の風もまた艦首方向から強く吹き始め、速度を上げた彼女の巻き起こす風に加わり、甲板に強い風を巻き起こす。やがてそれが一定以上に達するのを確認すると、彼は機体を前に進める。白銀のその翼は甲板を滑走しつつ、彼女の巻き起こした風を受け止め浮力を得、甲板の先端を蹴る。その一瞬、重力に引かれ、甲板の下に高度を落とす機体。だがバイソンが慌てず機体のバランスを整えれば、その翼は風を一杯に受け止め浮力を得、再び大空へと舞い上がる。

 空戦に有利な高空に向かい舞い上がっていく彼と、それに続く自身の艦載機を、彼女はただ信じ、甲板から見送る。今までも何度もそうしてきた。そのたび数を減す彼らを迎え、帰らない者たちを思った。どんなに信じようと、思おうと、それが変わることはなかったし、今後も変わらないことも知っている。だからそのたび、信じるのも、思うのもやめようと思ってきた。だがそのたび、これが最後だからと、躯を海底にさらすその時まではと、納得させてきた。だが結局、その時を迎えた今なお、そうすることを続けている、そんな自分に気づき、彼女はわずかに微笑む。

 もうやめよう。これが最後なんて思うのは。私はやめない。いつまでも信じ、思い続ける。例え再びこの命が尽きる、その時が来たとしても。そしてそれは絶対に今日じゃない。今日にしてはいけない。必ず守り抜いて見せる、彼らの帰る場所を。

 絶望的戦況、今にも倒れてしまいそうな満身創痍の体で、それでも彼女は誓う。現実がどれほど残酷か知っていてなおそれを貫く、それが彼女の強さであり、彼女のために命を懸けて戦う、彼らへの誠意だった。

 

 バイソンは空戦に優位な高度を得るべく一気に上昇し、だが中空まで舞い上がったところでスロットルを緩め、機体を水平に戻す。その脳裏によぎるのは、自らが空母を攻撃した際、描いた軌跡。迎撃側の優位を生かし、数的に不利な状況を覆すには、空戦に有利な高空に陣取り待ち伏せるのが定石だ。だがそれでは、海面すれすれの低空から肉薄する最も危険な敵、雷撃機に対応できない可能性がある。爆撃機の250キロ爆弾ならともかく、破壊力の絶大な魚雷をこれ以上受ければ、今の彼女は助からない可能性が高い。

 もちろん迎撃する自身が撃墜されてしまえば、彼女を救うことなど到底できはしない。それを知りながら、彼はそれ以上高度を上げず、低空に対処可能な高度にとどまる。と、後続して舞い上がってきたヨークタウン戦闘機隊もその意図を知ってか二手に分かれ、半数はより高空をめざして高度を上げ、残りはバイソンに従い中空にとどまる。

 と、そのうち、遠方の空、バイソン機と同程度の高度に煌めき、姿を現す敵編隊。その数40機強に対し、ヨークタウン側は高空に6機、中空にバイソン機を含む6機の計12機。ヨークタウン甲板上では非爆装の艦爆が迎撃に加わるべく並び始めているが、そのほとんどは間に合わないだろう。

 敵もまたヨークタウンの戦闘機の存在に気づき、護衛の戦闘機隊がヨークタウン戦闘機隊の動きを阻止すべく動き始め、攻爆撃機はそれぞれ攻撃コースをとり、ヨークタウンに向かう。圧倒的に数で上回る敵機、迫る戦闘機に向かえばヨークタウンを危険にさらし、逆ならば自身を危険にさらす。そんな状況で、しかし彼の笑顔は微塵も揺らがなかった。

「必ず、帰ってみせるさ」

 ヨークタウンの前では言えなかったその言葉、彼は現実を知りながら、それでもあえて吐き出し、誓って見せる。 

 出来る。やってみせる。

 根拠のない自信を疑いなくその胸に抱き、彼は機体を左にひねりつつ、背面になった機体の機首を海面に向けるように、一気に急降下をかける。狙うは雷撃機ただ一つ。

 強烈な重力が全身を絞り、視界が暗くなっていく中、バイソンはしっかり意識を保ち、海面に降下していく敵雷撃機に向け一直線に駆け降りる。急速な降下にゆがむ機体。だが彼はその機体を文字通り自身の体の一部と化し、その耐えられる限界で操り、それ以上はないというような一切無駄のない軌跡を描く。

 そのうち後方から迫る敵機と思われるエンジン音。だが音の大きさからまだ危険な距離ではないと、あえて後方を振り返ることすらせず、目指す雷撃機を追う。と、特にバイソンが目立った挙動も見せないうち、迫っていたエンジン音は徐々に離れていき、やがて音も聞こえなくなる。

 急降下を苦手とする敵戦闘機は追従できなかったのだろう。振り返る必要などない。今はただ、目指す敵だけを……!!

 そう急降下で加速した機体は、重い魚雷を抱いた鈍重な敵雷撃機の編隊にみるみる追いつき、その機体がバイソンの視界一杯に広がる。と、目前まで迫ったバイソン機に敵編隊から一斉に放たれる旋回機銃。7.7ミリ弾の閃光の嵐がバイソン機に集中し、視界を埋めつくす。

 敵艦隊に突入した時と比べれば!

 風防にいくつも風穴があく中、バイソンは機体をいっそう加速させつつ、今日初めて機銃の発射レバーを引く。それと同時火を噴く両翼の銃口、レバーを握る指に伝わる衝撃。無駄弾を撃つまいと敵機が照準から外れる直前、射撃レバーから指を離すと、放たれた閃光は最後尾の敵機のエンジンに余さず吸い込まれる。

 直後、降下したバイソン機が敵編隊の下に潜り込むうち、被弾した敵機が煙を吹き脱落していく。バイソンはそんな敵機を横目に機首を上げ、今度は敵機の腹に向かって下から機銃を打ち上げる。と、放たれた閃光はそのほとんどが逸れることなく敵機に風穴を開け、そのうち数発が機体の急所に的確に食らいつき、煙を吹かせる。

 まさに瞬く間、歴戦の森羅軍攻撃機2機を仕留めるバイソン。そうして火を噴き後落していく敵機をかわしながら、彼は後方に敵機が迫るのをエンジン音で知ると、機体をわずかに左にひねり横に滑らせる。と、瞬間の後、機体の真横を撃ち抜いていく敵機の閃光の牙。

 だが今の彼はあの時と違い、重い爆弾を抱いてはいない。一連射をかわしてなお敵機のエンジン音が肉薄する中、彼は後方を振り返ることもなく再びわずかに機体を右にひねり、横に滑らせる。直後再び後方から飛びくる閃光が翼の間をすり抜けていくのを横目に、彼は滑らせた機体を立て直すと、敵戦闘機が逸れた照準を合わせるより早く敵雷撃機に機体を向け、照準を確認することすらせず射撃レバーを引く。そうして放たれた閃光は、しかし照準を確認していなかったとは思えない正確さで敵機に風穴をあけた。

 


「奴は何者だ!?」

 森羅軍攻撃隊の護衛につく戦闘機の搭乗員が呟く。戦闘が始まってわずか数分、森羅側の戦闘機隊は高空からの降下攻撃で打撃を受け、その後も機体性能の差もあり、数で劣る敵機に劣勢を強いられていた。とはいえ全体的に見れば数に勝る森羅軍側に余裕があり、母艦を救うべく無理に艦爆、艦攻に食らいつく敵機は、その一機と引き換えに護衛の戦闘機に撃墜され、戦況は五分に戻りつつあり、形勢が逆転するのも時間の問題かと思われた。

 だがそんな中、彼が視線を向ける先に、不利になりつつある戦況をものともせず戦う敵機がいた。見慣れない敵機の中に唯一混じったそのメーム軍機は、艦攻隊の必死の回避も、旋回機銃による反撃も、後方に張り付いた戦闘機の攻撃もものともせず、決して軽快とは言えないはずの機体を巧みに操り、一切無駄のない機動を描いて虎の子の攻撃機を食う。自他ともに世界最強を認める、歴戦の森羅軍搭乗員の繰る機体を相手に、だ。

 これ以上好き勝手させてなるものか。彼はそう機体を敵機に差し向けつつ、それを繰る搭乗員はどんな奴かとその搭乗席を見やり、そこに信じられない光景を目の当たりにする。

 果たしてそこにいた特徴的褐色の肌を持つ搭乗員は、戦場の真ん中で鬼神のごとく暴れ狂う姿と対照的な、どこまでも穏やかな微笑みを浮かべていた。

 その時、彼は前日、彼の母艦でもちきりとなっていた話を思い出す。その出所は、基地航空隊から空母に移動してきた一人の熟練搭乗員。

 

 メーム軍戦闘機の性能はわずかばかり我が方(森羅軍戦闘機)より上だが、大方のパイロットの腕は機体の性能差以上に大したことはない。数が互角で、燃料に余裕さえあれば、まず負けることはない。

 だが戦場で褐色の肌をしたパイロットの駆る戦闘機を見かけた時には用心しろ。尋問した捕虜の吐いた話によれば、そいつの名はアンガーバイソン。前大戦の際我が軍に立ち向かってきたウィルディア族の将、グレートジャガーの息子で、航法を苦手として最初は基地に配属されていたそうだが、空戦の腕は確か。目立つのを嫌って撃墜マークもエンブレムの類もつけていないそうだが、すでに10機以上はほぼ確実に落とされてるし、その中にはこっちのエースもまじっている。最近では苦手としていた航法も克服して空母に配置転換されてるなんて話もあるが、いずれにしても危険な相手だ。そいつにだけは気をつけろ。

  

 そして同時に彼は思い出す。彼の母艦が攻撃を受けた際、直掩の任務に就いていた彼は、ある一機の戦闘爆撃機の突破をゆるし、空母は直撃に近い至近弾を受けた。その時、熟練の森羅軍搭乗員もかくやというような超低空を飛んだその敵機の搭乗員もまた、褐色の肌をしていた。

 あの時の敵搭乗員、ならばあの強さも理解できる。

 その時、一機の森羅軍戦闘機が彼の機の横に並ぶ。相対する敵機と対照的にいくつもの撃墜マークと、三日月と狼のエンブレムを誇るように機体に飾った味方のエースは、指で例の褐色の肌を持つ搭乗員の繰る敵機を指し示す。

 二人で同時にやろう。

 そんなジェスチャーに、普段ならプライドから首を横に振ったかもしれない彼も、この時ばかりはうなずきを返す。実は彼が敵の搭乗員について考えていたこのわずかの間に、森羅軍戦闘機は艦爆、艦攻の犠牲と引き換えに戦況を五分に立て直していた。だが同時に、時間と共に森羅側に傾くと思われていた形勢が、逆に覆される要素を、彼の優れた目は捉えていた。

 戦況が再び逆転されるまで数分、その間に是が非でも奴を落とす。自身もまたこれまで30機以上の敵機を撃墜してきたエースである彼は、強敵を相手に一対一で戦いたいという衝動を抑え、隣に並ぶ味方のエースと共に、恥も外聞もなく2機でバイソンに挑みかかる。

 万の将兵の命が散った決戦。その最後を飾る戦いが、始まろうとしていた。 



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