奴隷紋は光らない 1
三日後。
セインブルグ王国王都アークガイアのシャーレ区サン=マリーテ広場にて、ダフトフ=ノーヴ=バンドゥ男爵とドラン=ドッチ準男爵の処刑がしめやかに行われた。
久しぶりの貴族の公開処刑に訪れた民衆は数千を下らずそれが如何にこの国にとって注目すべき事件かを物語っていた。
ダフトフ=ノーヴ=バンドゥ男爵は最後まで喚き散らし、処刑人も豚のような体躯の男爵を取り押さえるのに随分と苦労した様子であった。対してドラン=ドッチ準男爵は蒼白に染まり、最後まで虚ろであり、心神喪失の状態であった。なので処刑に際しては随分とてこずらずに行われたらしい。
亜人に関しては、共謀という事で罪に問われる事になったが、結局は奴隷紋の拘束による強制という事で情状酌量の観察処分という結末になった。異国に厳しいこの国で、寛容な処分だがそれには、上からの計らいと圧力が随分とあったと事に当たった役員は言っている。
そして、クレハ=カズヤだが。
共謀の罪を問われて、自らの遺志で事に当たったという事で情状酌量の由無しと、処刑が執行されることになった。その際に、王金級の称号は剥奪されたらしい。
処刑は、両貴族と前後する状況で速やかに行われたらしい。
ただ。
後日、追跡調査するが彼の遺体は確認できず、実際に処刑が厳格に行われたかは知られざることであった。
こうして。
長いとも短いともいえる王都における一連の奴隷売買の騒動は幕を下ろした。
〇 〇 〇
王城グラン・ゼ・アートに聳え立つレアの天塔といえば王都アークガイアの象徴の一つとして名高い。広大なアークガイア全域、どこからでもその長大な姿を確認できる程に荘厳なそれは、王城における展望の役目を果たし、クラリスコープ越しに覗けるのは首都の外壁、ラウンズ・フォーセリアをはるか超えた地平の果てまでであった。
レアの天塔の展望台は誰もがその姿を遠目に見ることができるものの反して、そこに足を踏み入れられる者は極めて少ないというのがまごう事なき事実であった。
なぜならば、天塔の置かれるのはグラン・ゼ・アートにおける天殿、つまりは王位の者の居城だからである。王国の精鋭である第一師団が厳重に警備を行うこのアークガイアの心臓に足を踏み入れられる者は、極めて限られていた。
そして。
レアの天塔の煌びやかな展望台に、熱いメルニドの時節の風に吹かれ、その女は地に歩む無数の民衆を眺めていた。子を愛でる母親のように。
煌びやかな金髪。うっすらとそこに銀が絹のきらめきの様に混ざっているのは、数代前に王位の者の血が混ざったらしいと女は耳にしていた。
歳の頃ならば、二十代とも四十代とも受け取れる。妖艶な美貌、しかしながらそこには蜜の毒のような苦々しい甘々しさと、大母のような優しき厳しさが入り混じっていた。
今日は、シルクに身を包む。天女のような煌びやかなドレス。ニケの女神像のように美しい相貌であった。
彼女はただ、静かに夏の風に身を任せ、穏やかな一時に、いずれ訪れる朗報を待ち望んでいた。
と。
そこに、初老の小太りな男性が現れた。
男性は、恭しく傅くと目の前の女性に神妙な様子で苦々しく告げる。
「ダフトフ=ノーヴ=バンドゥ男爵と、ドラン=ドッチ準男爵の処刑が、先ほど執り行われました」
「そう」
と、感慨もなく相槌し。
「早かったわね」
そう、他愛なく言葉を返す。
初老の大柄で小太りな男性は目の前の女性に問う。
「よろしいのですかな」
「何が?」
「あの者は、派閥の者。それをみすみすとあのような目に。あの盗人鼠の小娘め。到底、肝要できることではありませぬな」
しかし、目の前の女性は事も無げに。
「かまいません。あの者にはいずれ、相応の罪を払ってもらうつもりでしたから」
「と、申しますと」
察しの悪い側近に、女は言葉を返す。
「別にあの者が何をしようがかまいません。けれども、愛しき自国民を小銭欲しさに他国に売り渡す。それは到底、看破できるものではありません。いつか、あの者には手痛い代償を払ってもらうつもりでした」
「ならば、だからこそあの泥棒の女王を当てた、と」
「それは、アイゼンドック。あなたの想像に任せることにしましょう」
と、悪戯げに言葉を返す。
女は、ダフトフ男爵がひそかに奴隷売買に手を染めていた事を憂いていた。けれども長い歴史の中で、奴隷売買は表向き、禁止されていたものの、一部の心無い者によって執り行われていた。それは、到底許される事ではなかった。
何れの度に、天誅を与えようかと目論んでいた最中、あの王位をかすめ取った小娘が、事に対して興味をしめした。
それは女にとって僥倖であった。
ダフトフ男爵らの尾を踏み、そのまま失脚すれば良し、そうでなくとも、自分の手を汚さず、あの小娘に汚名を着せたままに奴隷売買を一掃することができる。どちらに転んだどころで、女にとってそれは益のある結末であった。
結果として、ダフトフ男爵らは処刑、奴隷売買も以後、きわめて厳しい処罰が下されると耳にしている。そしてそれに伴い、女王の現政権に対して貴族があれこれと、不満を毒の入った風船のように膨らませ続けていると耳にしていた。小娘は案の定、いらぬ尾を踏んでしまったようである。
けれども、意外であったのはあの小娘がダフトフに対してあそこまでの厳罰を下せたという事実である。女は、あの小娘が連綿と紡がれた貴族たちの悪意に潰されてしまうと思っていた。
だからこそ。
此度は、素直に称賛を送る事にした。
「カーリアリア。やるわね」
そう呟く女に。
アイゼンドックと呼ばれた初老の男性は、次いで言う。
「失礼ながら、殿下に仰ぎたい事が一つ」
「何かしら」
「此度の件にて、あの娘のもう一つの顔が明るみに。事の裁判に当たった者達が騒いでおります。グランクの輩より、開口令がしかれたとも聞き及んでおります。如何、なさいますか」
「黙らせなさい」
「は」
女は、察しの悪い腹心に告げる。
「彼の者らに、私の名を使い、開口令を重ねて敷きなさい。カーリアリアのもう一つの顔については決して口外しないように。もしなんらかの形で事が漏れた場合、私の寵愛は金輪際失われる事と告げなさい」
寵愛が失われる。つまりは派閥からの追放である。女の持つ王城でも無比の勢力より追放されることは今後の人生に多大な影響と損害を生む事に相違ない。あの者たちとて馬鹿ではない。黙れと言われたならば、決して事を口外しない事であろう。
男性は。
「かしこまりました」
と頷きながらも、次いで問う。
「しかしながら、よろしいのですか」
「何が」
「此度の件、あの者を失脚させる一刃となりうりましょう。それをみすみすお見逃しになるとは。吹聴し、馬脚を曝けてしまった方がよろしいのでは?」
「馬鹿ね」
女は、男の無能を鼻で笑う。
「折角、小娘が無謀にもアキレス腱を見せびらかしたのよ。ならば腱に刃を向けるのは今ではなく、あの娘がもっとも愚かを曝け出す場でなければならないわ。あの小娘がもっとも痛がる、もっとも致命的な場でなければ。そして、それはいずれ、訪れる事でしょうね。確実に。あの娘が最も痛み悶える瞬間が」
その言葉を聞き。
男は戦慄した。
無き夫の死と共に一線を退いたとはいえ、彼の方の政界への影響力と、予知のように十重二十重にも巡らされる知恵の格子糸は老いてなお、健在だと思い知らされた。
女は、笑う。
我が子から王位を奪った、憎々しい小娘が絶望と共に破滅し、何時の日か断頭台に上る瞬間を夢見て。
風が、女の髪をなびかせる。
夏の陽炎は女の影に、黒々とした怨敵に対する憎悪の影を浮かび上がらせていた。
メリアリア=エクニルプ=グランデ=ファランドゥス。
十八輝爵ファランドゥス公爵家に連なる者。前王ダバフが正妻にて、この国の大后。グランディ・エブンを統べる者にて、第一位王位継承者の実母である。
「カーリアリア。努々、覚悟する事ね」
大后の言葉は鈍く、青々としたセインブルグの空に響き渡るのであった。
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