奴隷紋は光らない 2
熾烈を極めた円卓裁判より早くも十日ほどが過ぎようとしていた。夏の蒸し暑さはあいも変わらずで、その日の威力を変わらず弱めようとせずにいた。
そのような灼熱の炎天下、今日もブーランジェリースフィールは通常運行であった。しばし前に、質の悪い勘違いのように置かれていた様々な日常品は店頭からひっそりと、申し訳なさそうに消え失せ、かわりに並んでいるのはこの地では珍しい小麦の加工品である香ばしさかおる菓子であった。
店主の壮絶の勘違いと暴走によって一時は失われていた客足だが、なんだかんだで熱心な固定客はいたのか随分と戻っており、昼下がりというのに店内にはチラホラと飲食を嗜む色とりどりの市民が姿を見せていた。
あれから。
ダフトフ=ノーヴ=バンドゥとドラン=ドッチの処刑により、ダフトフの財産は全て国に没収される事となった。相続者がいない為、爵位は継承される事なく返納。結局、あれだけ財産を必死にため込んだところであの世までは持っていけないという苦い教訓を彼は最後に伝えてくれた。
対して、ドッチ商会だがそれは商会員の一人が継承することになった。金融業はあいも変わらずだが、国の是正処置と監督が加わり、随分と潔癖な業態へと変貌したとミシューは聞いていた。
続いてあの珍妙なハラムビジネスだが、これも両名が失われたと共に終了、とはならず業務形態をフランチャイズ、いわゆるのれん分けシステムに変えて運営を続けている。別に、商品の品質は悪いわけではないので地味に、固定客が増えているらしい。高いけど。
王都ののれん分けシステムに異議を唱えたビジネス形態だったのに、結局最終的にそこに戻るのはこれ、否にとミシューはしみじみと思わずにはいられなかった。
ちなみに、運営者はザックバッハーさんらしい。あの僅か二節、九十日足らずでホワイトプラチナを達成したあの人である。あのような『すごい人』ならばきっと、ハラムビジネスの商品の素晴らしさを多くの人たちに伝えることができるであろう。そして多くの人に『成功』を与えることができるのである。いつか、世界がハラムビジネスで満たされたら良いのにとミシューは思わずにはいられない。まだ、地味に洗脳は残っていた。
そうそう。
あれから、変わり映えのない日々が再び戻ってきたと一見すると思われたが、ミシューの日常にもわずかな変化があった。
それは。
「ミニコッペが一袋とブルージュのジャムが一瓶。それにシュガーツイストですね。小銀貨二枚で承ります~」
にこやかな笑みで接客を行っていたのはこの店の能天気な店主、ではなく紅葉髪の、気の少々強そうな年若い少女であった。
彼女は、接客業はそこそこに得意なのか、愛想よく多種多様な客を流れるように捌いていく。玉に少々鈍くさく気分屋な所がある店主より、はるかに接客の才能があった。
昼下がりなので、少々客足も遠退いた頃合い、ミシューは店頭で店番をしている少女に優しく告げた。
「フィリア。客足が途絶えたら休んできていいよ。こっちの仕事も落ち着いたから。私、仕事しながら見てるから」
「まだ、いいわ。もう少ししたら、一服させてもらけど」
「解った。無理しないでね」
そんなやり取り。
あれから。フィリア=フェルトはブーランジェリースフィールで働く事になった。働くと言っても、現状はそこまで人手が必要という訳ではないので店が開いてから、昼終わりの落ち着く時間帯までのシフト、といった感じである。
夜は夜で、どこぞの居酒屋で働いているらしい。それを聞いて随分と頑張るものだとミシューは感じた。彼女は彼女で随分とブラックな働き方をしているのだが。仕事がだいしゅき過ぎて改善するつもりは無いらしい。
チラホラと客足が減り、飲食ブースも少々閑散とした頃合い。ブーランジェリースフィールのアンティークな扉を開き、ドアチャイムを鳴らしながら一人の少女が実家のような安心感で入店してきた。
「お邪魔するわよ~」
いつものようにそう言いながら入ってきたのはミスターブシドー、今日も誰かをぶった斬りますでお馴染みのカーリャ=レベリオンだった。
何がかったるいのか、随分とストレスをためた様子で眉間にしわを寄せていた。癖にならないうちにボツリヌストキシンでもぶち込んだ方が良いのかもしれない。もう手遅れかもしれないが。
いつものように、何の気兼ねもなく入店してきたカーリャの姿に、フィリアの動きが止まる。神妙に、何か思う事でもあるのか、黙ったままにカーリャを静かに見つめる。
カーリャはフィリアの視線を不快に思ったのか、眉間の皴を、これ以上はいけないというほどに更に深めて。
「あによ」
と、つっけんどんに喧嘩を売るような態度。対するフィリアは、気まずそうに言葉を返す。
「いや。別に」
「早く、案内しなさいよ。私は客よ。客は偉いの。神様なの。そんな客をボケっと待たせて、不必要に時間を奪うのは許されざる大罪であるのよ。この店をミチャクソにされたくなければ、すぐに案内する事ね」
「何を、脅迫じみた事を」
「ちなみに私は窓際が所望よ。あそこ、微妙に人の目が途絶えているし日当たりも最高だから。私が座るのはあそこだけよ。昼時は小さな看板でも置いて予約席にしておきなさい。もし私以外の誰かが私の入店した時間にあそこに座っていたら、私どうにかなって暴れ狂ってしまうかもしれないわ」
「あーはいはい。空いているので勝手にどうぞ」
「あによ。その態度。そんな態度なら店長に言うわよ。むちゃくそ言うわよ。毎日クレームの手紙、送り付けるわよ。長文で送り付けるわよ。私、基本的に閑職で暇だから、時間だけは腐るほどあるわよ」
「グズグズ言ってないで早く座りなさいよ。いつものは、ミシューが気を利かせて取っているから。あの肉厚のソーセージのやつ」
「うぐう。雑に扱って。硝子の心にひびが入ったわ。後で慰謝料、請求するから。覚悟して、妹共に震えて夜を過ごす事ね」
文句をぶつぶつと言いながら、カーリャは窓際の席に歩いて行った。育ちの悪いチンピラの様に。
その姿を横目に、フィリアは嘆息する。
あれが、あの見目麗しい女王陛下と同一人物とは未だに思えない。どちらかといえばスラムみたいな治安の悪い土地で育った不良娘であると言った方がよほどしっくりくる。
どちらが素かと問われれば言わずもがな、やはりこちらなのだろうとフィリアは思う。彼女の正体を知った時はどうなる事かと思ったが、ああも自然体だとこちらも変に気を遣うのが馬鹿らしくなると言った方が正直な感想であった。
フィリアは、彼女のどうしようもない姿になんともいえない気持ちになり、嘆息する。
「おまちどう」
ふらんく?どく?とかミシューの呼んでいた良く解らない、肉厚のソーセージをパンで挟んだものを二つ、珈琲とチシヤのサラダを添えて運ぶと、カーリャ=レベリオンは暇そうに窓際から外を眺めていた。
知らない頃合いは随分と気楽なものだと思っていたが、今は彼女の事情を知っているのでこうして気を張らずにいられるのはこの瞬間だけなのだろうと、フィリアは察することができた。
カーリャは珈琲が置かれると共に一口含み、フィリアに質問を投げかける。
「随分と馴染んだものね」
「まあね」
「ここで働くと知った時は驚いたものだけどね」
「私にも、思う所があるのよ」
「そう」
それきり、何かを思うようにカーリャは沈黙する。そして、彼女に再び問いを投げかけた。
「せっかく名高い学府を卒業したというのに随分と要領の悪い事をしているじゃないの。夜は何をしているの?」
「チェリル・ジョリオが人手足りないらしいから、そこを手伝ってるわ。ここの賃金だけだと少し厳しいからね」
「ミシューも、賃金増やしてあげればいいのに。随分と肝の細いことよね」
「私が無理いって働かせてもらっているんだから文句は言えないわ。それに、思ったより大変だとは知っているし」
カーリャ、友人の甲斐性なさに嘆息する。そして、ふと思いついたようにフィリアに告げた。
「私が、推挙してあげようか」
「え?」
「アーシュナイド学院の卒業生は厚遇されるわよ。貴方なら、望むなら軍だろうが院だろうが、どこでも好きに就職できるわ。フリーパスってやつよ。勿論、私の推薦が必要だけど。そうすればここみたいな安い給料で苦労しなくても、山の手で暮らしていける程には稼げるわよ」
「ああ。そうね」
「妹さんを隙間風で苦しめるのも程ほどにした方が良いわよ。どうする」
そう、割と耳の痛い所をカーリャはピンポイントで突くが、フィリアは苦笑すると首を横に振った。
「今は、いいわ」
「そう」
「どうにも、そんな気分じゃなくなったし」
フィリアは、そう言う。
件の一件以来、フィリアの借金は無くなった。元々が元金以上の返済を行っていたのに加え、此度の迷惑料と口止めという意味合いが強いとフィリアは、ドッチ商会とのやり取りの中で明確に感じた。
借金がない以上は、今の収入で十分に暮らしていけるし貯蓄も少しだができる。妹の食事を塩とクズ野菜のスープで胡麻化す必要ももはや無かった。
ならばと、ただの我儘だがフィリアはこの店で働くことにした。客足が増えてきたので、店主はちょうど人手が欲しかったらしい。カーリャの言う通り、割の良い仕事は山ほどあるが今は、ここでの時間を過ごしたいと強く考えていた。
「ところで」
フィリアが、ふと気付いたように聞く。カーリャはフィリアの問いかけに顔を上げると。
「なに?」
「ミシューは知っているの?」
「知らないわ」
「言わないの」
「ええ」
「言い辛いなら」
との言葉に、カーリャは困ったように。
「黙っていて」
そう、告げる。
「お願いよ」
そう、付け合わせのサラダの様に付け加えて。フィリアはその返答に素直に頷くと、答えた。
「解ったわ。王様」
カーリャは皮肉めいた言葉に、苦笑で答えた。すると、店の奥から、大きな元気ある声が決してお世辞にも広いとは言えない店内に響き渡った。
「え?カーリャ来てるの?フィリア、何かされてない?脅迫されたり、暴れるクン宣言されたらすぐに言ってね!一命に変えても止めるから!」
「大丈夫よ!腹は空かせてないから!」
フィリアの言葉にカーリャは思う。失礼な。女王陛下に不敬であるぞ、と。
だが同時に、知ったうえでこうも気を置かずに付き合ってくれる友人に、感謝の念を抱かずにはいられないというのもまた、本心であったことをカーリャは否定できずにいた。
「そういえば、新作できたよ!新作!カーリャがお望みの肉厚の奴!たくさん塩入ってるから、血圧もガツンと上がるよ!楽しみにしていてね!」
「そういうことは早く言いなさいよ!すぐに持ってきなさい!すぐに!肉マニアの私が長文で駄目出ししてあげるわ!」
そんな二人の問答に、フィリアは、温かな何かを胸に抱かずにはいられなかった。
ブーランジェリースフィールは、今日も田舎の牧歌のような曲を奏でていた。
第2話
奴隷紋は光らない完
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