悪の華を手折る薔薇 5
「よろしいのですかな」
それは、グランクの最後通告であった。カーリアリアも解っている。グランク=グルニュールの立場からすれば、今よりカーリアリアがしようとすることは彼にとってもとても、喜ばしい事なのだろうと。
けれども、それでも彼は忠告する。それが彼の望まぬ結末を生むことになったとしても、彼が何より心酔し、崇拝する己が主にとってそれが心のよりどころであり、最も尊ぶものだと本心では理解しているからである。
だからこそ、今まで様々な弊害があろうとも強くそれを阻止することはなかったし、あえて日向より、影より、彼の主の奇行を止めずに、ただ見守る事にしていた。
つまりはただ純粋に、彼は仕える主の事が好きなだけなのである。
だからこそ。
「この王都に住まう貴族共はこのように、利権を護るためには平気で王道を踏みにじります。勿論、全員がそうではありませぬが」
「それは、解っているわ」
グランクやバナンのような、真に気高き王道を歩もうとする者も彼女は見ていた。そして、それに実のところ、わずかばかりの憧憬を抱かずにはいられなかった。
「例え、一つの小さな悪を裁いたところで、この国の貴族の根底は変わりませぬ。それでも、よろしいというのですかな」
「構わないわ」
確かに、小さな埃を払うために片腕をもぎ取るような行為、馬鹿げているにも程があると言わざろう得ない。
だが、それでも。
「ここで小さな悪を野放しにすればきっと、いずれ手に負えぬ大きな悪も同じように野放しにするようになる。それだけは、道化の王だとしても絶対に阻止しなければならない」
「そうですか。ならば、止めますまい」
そう、諦観と共に告げるグランクにカーリアリアは、一言。
「ありがとう」
「御意に」
〇〇〇
そうして、締められようとする裁判に、強く歯止めをかけるように彼の、硝子の彫像の女王は告げた。
「裁定に、異議申し立てます」
彫像は彫像である。見て愛で眺めるものである。彫像は話してはいけない。だが、硝子の彫像の女王は強く、口を開いた。
最高裁審官は、女王に言葉を返す。
「裁定に対して、異議が?」
「ええ」
「決定した裁定を覆すことは例え、女王陛下でも許されませぬ。それはお分かりで」
との、裁審官の言葉。
だが、硝子の女王ははっきりと言葉を返す。
「『私』が異議を申しているのです。それを聞かずに、勝手に裁定を下すと?」
その言葉に。
理では、理不尽と理解しつつも。
裁審官は、頭を下げた。
「失礼いたしました。お続けください」
カーリアリアは裁審官の言葉に、一つ頷く。結局のところ、彼女が強く言いさえすればこの国の者は無条件で従わなければならない。これがこれこそが王の強権である。
カーリアリアはこれまで、公の場で理不尽な強権の行使は避けてきた。ゼーファリア大森林や此度の奴隷売買調査に際して強権を発動させたことはあるが、対外的には静かで、物を申さない女王だと臣下からは思われている。
だが。
ここで、強情を通さなければ、きっと永劫、飾りの女王で終わってしまう。ならばこそ、言おう。
「ダフトフ=ノーヴ=バンドゥ男爵、並び、ドラン=ドッチ準男爵に最後に問います」
二人は裁定が下り、肩の荷が下り気の緩んだ瞬間に、再び審議が再開されたのでいささか面食らっている様子であった。
二人は互いに目配せをする。そして、ダフトフ=ノーヴ=バンドゥが恭しく言葉を返す。
「まだ、何か?」
「あの日、あなた方二人の元に客人が訪れたと聞いております。ベルファンド王国のスフィール辺境伯が一子と、レベリオン子爵の三女、両名の訪問に際して、あなた方二人は亜人を使い、暴力で事に当たった。二人を暗殺することで、事件の一部始終を闇に葬ろうとする為に」
「記憶にございませぬな」
あの日の事は、全て区警察が隠蔽した。中には軽く口を滑らす者もいるかもしれないが、区警察の公表としてあの日は、すでに何も起こっていなかったことになっている。検察がそう発言したのだから撤回は無い。
なので、ダフトフは安心して答える。
「何度おっしゃられようと、あの晩は何もございませんでした。すべては、あの娘の虚言でございます」
「実際、スフィール辺境伯の娘と、レベリオン家の娘が被害にあっています。もしも、この双方、いずれかの証言が得られるのであれば、如何様に?」
「証言。は」
ダフトフは不敬に、鼻で笑う。
「もしや、レベリオン家の三女でも連れてきたと?所詮、この王都の歴史にうずもれし古臭い子爵の末娘。そのような者の言葉、聞く価値もありますまい」
実際、その自信はあった。
例え、目の前の女王の根回しによりレベリオン家の三女が証言に当たったところで、区警察の証言の正統性は動かないし、評判悪い放蕩娘の戯言など、この法廷で裁定に当たる者達が今更、耳を傾けるとは思わなかった。
ドランも同様の感想である。おそらくはスフィール辺境伯の娘かレベリオンの娘、どちらかを証言者として召喚したのであろう。だが、その証言程度では裁定は覆らない。先ほどのフィリア=フェルトと同様に虚言と呈して、黙殺されるだけであろう。
二人は、この裁判の勝利を確証していた。
案の定。
「実は、ここに証言者としてもう一人、そのレベリオン家の三女を呼んでおります。彼の者はあなた方二人に凶刃を向けられ、男爵の子飼いの傭兵に、危うく殺されかけたとも申しています」
「それこそ、虚言でしょうに。もし仮にそれがあったとしても、あの評判悪い放蕩娘が、我が子飼いの者に野良猫のように噛みついただけに違いあるますまい。陛下も、そのような者の戯言に耳を傾けますと、御身の名に泥がつきますぞ」
その言葉に。
カーリアリアは沈黙で答えた後。
双方に、問う。
「ちなみに、そのレベリオン家の三女ですが、その者の容貌は、このような物で相違ないでしょうか?」
との、言葉と共に。
彼女は。
蒼の秘蹟の指輪を。
そっと。
指にはめた。
同時に。
その相貌が、魔術のように変貌する。
いや。
実際に。
それは。
魔術であった。
秘錬官監院の管理監督する遺物の一つに相貌を変貌させる物がある。変化ではなく幻術の区分らしいのだが、視覚を通して見える情報を歪曲させる効果があるらしい。視察に行った時に献上された物だが、こうして二重生活に有効利用させてもらっていた。
そして。
その指輪をはめた先。
そこにいたのは。
あの晩に突如訪問し、全てをかき回して揉みくちゃにしたあの憎き、レベリオン家の三女の姿であった。
法廷は騒然とする。
特に、彼女の姿をすでに見知っていたダフトフ、ドラン。そして彼女を友人として迎えていたフィリア=フェルトは目を見張るほどに驚愕し、フィリアなどは信じられなそうに口元を抑えていた。
二人の悪辣な貴族が動揺する中。
女王、いや貧乏子爵の三女は高価なドレスに身を包み、王家の紋章を象った装飾品を身に纏ったまま、二人に問う。
「思い出話をしましょう。あの晩、あなた方の屋敷に訪れたレベリオン家の三女は、あろうことか亜人をけしかけられ、それを正当防衛にて撃退すると、貴方の子飼いの傭兵をけしかけられた、ここまでは如何?」
その言葉に、ダフトフが口元を震わせながら、「なぜ、貴様が……」と呟くように言葉を返す。状況に理解が追い付いていない。カーリャ、いやカーリアリアは軽く嘆息をすると話を続ける。
「あろうとことか、殺されるか、奴隷として売り払われるかの瀬戸際だったと聞きます。辛うじて、レベリオン家の三女はその者を撃退したのでしょうが、随分と大立ち回りだったそうな。一部始終を見ていたあなた方には、話すまでもない事ですが」
と。
そこで、肩をめくる。
そこには、痛々しい斬撃の痕があった。『こういうことがあろうかと、消さずに残しておいた』。
この国の最も尊ぶべきである女王陛下を凶刃で殺そうとした動かぬ証拠を突き付けられ、ダフトフとドランは、震えが止まらなくなっていた。
ダフトフは、そこで何かに気付いたようにはははと、笑うと女王に対して言葉を放つ。
「いやはや。戯れを。確かにうり二つですな。感服しましたぞ。よもやあの者とここまでとは。しかし陛下も人が悪い。このような余興を厳格なる法廷の場で行うとは。私は、取り乱してしまいましたぞ」
「まだ、白を切るの?」
と。
彼女は、いい加減に我慢の限界を得て。
貧乏子爵の三女となる。
「言ったでしょう。あの晩。忘れたならばもう一度聞かせてあげるわ。後ろめたい証拠を隠す暇なんて与えない。文字通り、便所の床の染みから、壺の中に隠した裏金まで銅貨一枚残らず、全て洗い出してあげると。引導は渡すから、覚悟しなさい」
そう。
あの晩と同じ言葉を二人の悪党にぶち込んだ。それだけで、この目の前の者があの夜に訪れた貧乏子爵の三女だと、疑う由もなく確信した。
女王は、言いたい事だけを言い満足したのか、再び指輪を外す、と同時に再び巻き戻された時計のように彼女の姿が、この国の君主であるカーリアリア=ギュース=セインブルグ=フラングルブに戻る。
彼の女王は、裁審官と検察に問う。
「以上のように、両名は奴隷売買に当たる一連の騒動を調べるために変装し、市井に下りた私に対し凶刃を向け、殺害をしようとしました。それに対して、両名は如何なる返答を?」
そういう君主の言葉に、裁審官も検察も、言葉を返すことができなかった。
君主暗殺未遂罪。
この国の王位に就く者を文字通り、殺害しようと暗躍する罪である。国家転覆罪に位置する。この罪に際して、謹慎や罰則金などいった甘い減刑は存在しない。例え輝爵十八翼であろうとも発覚すれば死罪が待っている。
それを悟り。
ダウトフとドラン、両名は相貌を蒼くした。ドランなどはなまじ知恵が回る故、これから起こる事を明確に理解し、ガタガタと歯を鳴らしていた。
検察、裁審官、両名は沈黙する。そして、厳かに、観念したかのように口を開いたのは裁審官であった。裁審官は最後に、君主に確認する。
「それは、お間違いないと」
「『私』が証人です」
「ですか。ならば」
彼は瞳を閉じ。
そして、口を開いた。
相当ぶりの、その言葉を紡ぐために。
「ダフトフ=ノーヴ=バンドゥ男爵、及びドラン=ドッチ準男爵。両名は市井に下りた女王陛下に対し、それと知らぬこととは言えその生命を脅かし、この王都に甚大なる損害を与えようとした。その罪は極刑に相当する物です。故に明々後日、三刻の鐘と共に両名に、サン=マリーテ広場にての公開斬首を申し付けます。執行までの猶予の間、身辺の整理をよろしくお願い申し上げます。遺品整理や遺言等の処置に関しては、専属の法治律政院にお申し付けください」
そして、木槌を叩く。
審議の決定を告げるように。
「以上。閉廷します」
閉廷の宣告が行われてからも、ダフトフとドランの両名はその場から動く事は無かった。ドランは完全に動揺していたし、ダフトフも又、「なんだ?何が起きたのだ?」と自分の求刑を受け入られていないようであった。
当然である。三日後に殺されると急に言われ、温室でぬくぬくと育った豚と狐が受け入れられるはずがあるまい。せめて、処刑の執行までは正気に戻り、死ぬ準備を済ませた方が身のためだと女王は感じた。
結局、付き人である法治律政院の職員に支えられながら退席することになった二人、それを見送った後で傍らのグランクが声をかけてくる。
「傍聴人を締め出しておいて正解でしたな」
「ええ」
「裁審官と検察に対しては可能な限りの開口令を行いますが所詮、大后の手先の者です。どこまで持つか」
「それは、覚悟しているわ」
そう、頷き、彼女は言う。
「今後、このような事が無いように以降の奴隷売買に関しては厳罰で対応します。減刑などは認めないわ。いかなる理由があれども、極刑を以て事に当たります。すぐに法治律政院とポライズンに通達しなさい。すぐよ」
「御意に」
そう頷くと、グランクは事に当たる為に席を離れる。場が冷えてからでは遅い。彼の者の刑執行と共に押し通さなければ又、事があいまいなままに終わってしまう。
極刑という事で、もしかしたらなんらかの不備が起こるかもしれない。ただ、今はこの国の腐敗を正すことの方が優先であった。
カーリアリアはそこまですると、胸を撫で下ろすように息を吐いた。無事、全てが終わり、一息つくと。
そこに、一人の少女が足を運んだ。
フィリア=フェルトであった。
フィリアは、レーベリッターに見守られながらカーリアリアの前に立つと膝をつき、頭を垂れて、傅く。
「この国の女王陛下と知らず、とんだご無礼を」
「いいのよ。別に」
「ですが、知らずの事とは言え、あのような馴れ馴れしい態度。申し訳ございません」
そのようなフィリアの態度の変化に、カーリアリアは少々の寂しさを覚える。と共に、フィリアに対して恩情含む言葉を投げかけた。
「色々と大変だと思うけど、住むには悪い国ではないわ。たった一人の姉妹を大事に、健やかに暮らしなさい」
「有難きお言葉」
そこで、フィリアは問う。
「この度は、陛下に多大なる迷惑とご助力を頂きました。私のような者で恐縮ですが、何らかの形でこの恩情に報いたいと思うのですが」
「そうねえ」
カーリアリアは少々、思案しそして。
「なら、命ずるわ」
「は」
「恐らく、偶にレベリオン家の放蕩娘が市井でくらげのようにふらついていると思うから、気が向いたら構ってあげて頂戴」
フィリアは拍子抜けしたように。
「それだけ、ですか」
「それだけでいいのよ」
その言葉に。
確かに、最高学府を卒業しているだけある。頭の回転は速いのかもしれない。フィリアは妙に納得した様子でうなづく。
「かしこまりました。陛下の命を受け、王都に下りた放蕩者の三女をいじり倒してあげます」
フィリアはそこで。
あの夜の語らいと同じような表情を見せた。温かな陽だまりのような優しい表情に、この娘もまた良き者だなあとカーリアリアは心の琴線を僅かに揺らした。
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