月華狂宴 血界の夜想輪舞 9
「ぐぁあああうぁああああああああ!!!」
血が、滝のように溢れる眼球を手で押さえながら、クレハは叫んだ。だが、その宝物の宝石を大事に掲げるように抑えた場所には、すでにあるべきものは存在しなかった。
カーリャは油断なく、地に足を踏む。
そして、心緩むことなくクレハを見つめる。
天流奥伝、天翔跳ビ燕。
燕斬りから、水鳥斬りに繋げる大技である。燕斬りで流れた体勢から水鳥斬りに繋げる為、相当の体感覚と双方の技の練度が求められる。師ならば、目でなく、首を奪っただろうとカーリャは未熟を感じた。
クレハは、身体の一部を奪われた怒りと哀しみを露わに、カーリャに叫んだ。
「貴様!先ほどまでとは全然、違うじゃないか!ああも追い詰められたふりをして、牙を隠していたな!なんて姑息な!」
そのような事は微塵もない。
圧倒されたのは事実であるし、力を出し惜しみしたつもりは微塵もなかった。カーリャにとって、クレハは手を抜いて相手取れる存在ではなかった。
ただ。
薄々と、違和感のような物をカーリャは、クレハとの戦いの中に感じていた。それが何かは上手く言えないが、言うのならば、中が崩れたまま積み上げられた積み木、とでもいうのだろうか。
恐るべき剛腕。
まともに打ち勝つことなど、無謀にも程がある。純粋な膂力、腕力ならクレハはカーリャを明らかに凌駕しているであろう。
だが。
交えて、感じたのはそれだけであるという事。恐ろしいほどの攻撃力を持つが、高い技量を持つ攻防において、カーリャはことごとく、クレハの上を行く。
それはカーリャの技量が純粋に高いというだけではなく、クレハ=カズヤという男がフィジカルのみに念頭を置いている。言い換えるのならば、攻防において明確な浅さ、未熟さを感じ得るのである。
少々、欠損したぐらいで喚き散らすところもそうである。チャンバラをしているのだ。目の一つや二つぐらい、奪われたぐらいで取り乱す剣士がどこにいるとカーリャは思う。
クレハは悔しそうに奥歯を噛み締めると、再び力を収束し始めた。彼の体に集まる強大なアウラ。霊圧が高まる。まともに勝負したら撃ち負けると確信し、奥の手に出たという事である。
じゃんけんのように三つしかない奥の手に。
クレハは、剣を下し。
静かに、屈む。
来る技は、すでに確信している。
クレハは。
これは避けられないと、確信し。
獰猛に、笑う。
「ミストル・シュナイデン!」
そして。
跳躍。
そのまま。
斬り下ろし。
影が、揺らいだ。
クレハの姿が、カーリャの目の前で掻き消えた。レーヴァシュナイデンとは違い、身体に力を漲らせ、剣速と体裁きを一瞬の間、劇的に向上させる。ある種、エンチャントの亜種と呼べる技であろうと、カーリャは何度か受ける中で、確信した。
そして。
此度、三度目の水鏡面。
一度目は躱せなかった。
二度目は躱せたものの、追の手を捌けなかった。なんたる未熟。こんな稚技を見切るのに三度も掛かってしまった。師に、顔向けができないような失態である。
ならばこそ。
三度も馬鹿正直に放たれる雑な技に。
手痛い贈り物を返礼しよう。
カーリャは。
斬り下ろしの一撃を最小の動きで避け。
備える。
次に。
死角からの連撃。
意識するのは、地を貫く心。
足裁きは最小に。
極力、無駄をそぎ落とし。
一挙動にて。
無限の斬撃を。
避ける。
「ッウ!」
クレハが悔しそうに声をあげる。
何のことはない。
種さえわかれば、下らない。
ただ、やみくもに振り回しているだけである。このようなもの、技とは呼べない。棒切れ持ったそこいらの餓鬼と遜色ない。
カーリャは、それだけでは済まさない。
三度も、玉の肌を傷物にされたのである。
きちんと、返礼は済ませる。
水鏡面には、もう一つの顔がある。それは脱力と見切りだけではない。明確な、対の先である。
脱力の後に、待つのは。
強い緊張。
同時に、剣を放つ。
ザ。
「ぐぁああああああぁぁあああああ!」
天流奥伝、水凶刃。
水鏡面と対にして、敵を伏せる技である。
袈裟の一撃は浅かった。
さすが、体は強い。
クレハは、カーリャの、簀巻きにするつもりで放った一撃を寸前でよけた。だが、皮一枚、よけきれなかった。皮といっても服ではない。正真正銘の自前の皮である。
恐らく、甘く見ていたのであろう。
彼が身に纏うのは、場末の鍛冶屋が手慰めに打ったような鈍らの胸当てではない。貴族のコネで特注に仕入れた魔法銀の一等を、軍の鍛冶師を務める工房で誂えた特注である。鋼ぐらいなら傷にもならずに跳ね返すし、炎熱や冷気等の耐性だけでなく、魔術的な攻撃への抗耐も高い。自慢の一級品である。
それを。
まるで、濡紙を割くが如く、あっさりと。完全に、彼の女の持つ得物を甘く見ていた。
クレハは、かつての同僚から告げられたことを今更に思い出す。高い印術の効果を引き出す魔具には気を付けろ、と。印術の効果が高いという事は、その魔具自体に強い力が宿っている可能性が高い、と。
なるほど、と思う。あの当時は邪険に突っぱねたが、忠告はきちんと聞くものだと身に染みる。
だが、思い出しても今更の話である。白金貨数枚は下らない自慢の胸当ては両断されてしまった。だが、おかげで命一つ分の距離は稼げたのだから、良かったのかもしれない。雑に木の胸当てなどで胡麻化していたら心の臓まで斬撃が到達していたであろう。
クレハは、魔法銀の胸当てを邪魔そうに投げ捨てた。胸当て分だけ、身軽になる。
そして。
途端に、その胸に静けさを増した。
クレハは、今までさらけ出していた激しい感情を胸の底に秘め、カーリャをゆっくりと見つめ、名残惜しそうに下から、上から眺め見た。
華奢な体躯。
麗しの美貌。
剣を握っていなかったのであれば、煌びやかな舞踏会の会場で絢爛な上座で皆の羨望を集めていてもおかしくないほどの美貌である。まるで、漫画やお伽噺に出てきた御姫様のような容貌だ。
だが、残念かな。
彼女は明確な自分の敵で、今行っているのは舞踊ではなく武道であった。それも、互いの命を切り削りあいながら、お互いの在り方を確認する最悪の部類の、それである。
片や、骨に達する程の重傷を始め、身体中を覆う裂傷の数々。そして片や、片目の喪失を始め、数度の深手。
辛うじて、互いの動きには精彩を欠いていないが、おそらく決着がつくのはもう直の事であろう。もはや、互いに死に体寸前。立っているのがおかしく思えるほどであった。
どのみち。
自分も、もう大技は一度か二度。奥の手に限って言うのならばただの一度、全力で放つのが関の山だと実感していた。
ならば、こそ。
この強大な牙城を崩すには、自分の最大の奥義しかないと確信していた。おそらく、もはやこの女に自分の如何なる技も通じはしない。幾多もの攻防で、手の内は完全に見切られていた。
なるほど。
時代劇の侍とはこういうのをいうのだな。
クレハは、驚嘆の念を隠せなかった。
なので、言う。
「お前、本当にすごいな」
「どうも」
そっけない返事。
そこが、また良いとクレハは思う。
なので、言う。
この時間を惜しむがごとく。
「決着をつけよう」
クレハは、そう言い。
剣を握り締めた。
幼い頃、夕暮れで家に帰る前を思い返す。そういった憧憬が、この血生臭い戦場に砂金のように零れていた。
「これから、俺はラグナ・フィンスターニスを放つ。それで俺は打ち止めだ。もはや、動くことも出来ないだろう。この最後の一撃で、お前が立っていたらお前の勝ち。お前が倒れていたら、俺の勝ちだ。解りやすくて、いいだろう」
「好みだわ」
「初めて、好きな物を当てられたな。本当に、口説くのが大変な女だぜ」
そして。
クレハは。
最後に残ったすべての力を。
自らの四肢に。
循環させる。
瞬間。
アウラが、吹き荒れる。
クレハを覆うは紅蓮の炎と漆黒の砂塵を想起させるような紅と黒。人の身には余りあるほどに強大なそれは、対峙するだけで吹き飛ばされると錯視するような膨大な圧力だった。
ここに来て、再び驚嘆する。
未だ、ここまで傷つけられながらもこれほどまでの力を隠し持っていたとは。誠に素晴らしい。レーベリッターに推挙したならば即座に高官の仲間入りといっても過言ではないだろう。本当に、どこでこれほどの力を手入れたのか理解できないほどに練り込まれている。
ただ、惜しむべきは。
彼が悪人であり。
決して善には傾かず。
そして。
自分の対峙し、屠るべき相手である事。
クレハは、告げる。
「最後に、言わせてくれ」
カーリャに、深い親愛を込めて。
「楽しかったぜ」
その言葉を最後に。
彼の。
最後の技が。
放たれた。
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