月華狂宴 血界の夜想輪舞 9
「もう、良いのかい」
クレハの、挑発混じりの言葉にカーリャは、エスコート待ちの紳士をなだめる貴婦人のように、軽い調子で答える。
「大丈夫よ。待たせたわね」
「別に、いいさ。こちらも、水を刺して済まなかった」
「へえ、殊勝に謝るとは、随分とらしくないじゃない。無抵抗な娘を散々なぶって、珍しくも罪悪感にでもかられてしまったのかしら」
「ぬかせ」
クレハは、吐き捨てるように言う。
「解っているはずだ。本来ならば、あれで終わっていた。今、あんたが立っているのは姑息にも、あんたが自分の友人を肉の盾にした甲斐であるんだぜ。そこのところは、どう思うんだい」
「……」
クレハの辛辣な言葉にカーリャは沈黙で答えるしかなかった。そこには沈痛な色が明確に浮かんでいた。カーリャの暗澹とした様子にクレハは嘆息を一つ、告げる。
「折角助かった命、無下にするのも愚かに過ぎると言いたいところだが、俺だって解っている。あんたみたいな人間は、心の臓をねじり切られるまで、止まることがない、と。侍魂とでも言うんだっけか。そんな時代錯誤な物、ここに来て見せつけられるとは思わなかったぜ」
そう、物語りをしながら。
クレハは、静かに剣を握りなおした。
「ならば勝敗は、双方いずれかの死を以て成すという事にしよう。それで、よろしいかい」
「ええ」
クレハの言葉に、カーリャは頷き。
水平線を交えた光と闇のように。
鏡合わせに、柄を握った。
その、様子に。
クレハは口元に嗜虐の笑みを浮かべる。
「なればこそ、決着をつけることにしよう。カーリャ=レベリオン。雌雄を決しよう。互いの命を以てして」
..08-07
最終局面、開幕。
初撃は変わらずクレハより、殺意を込めて。
目に追えないほどの豪剣。
それが、真正面から。
飾り気無く。
カーリャ=レベリオンに。
牙を……。
ーーー剥いた。
真面に受ければ、腕ごと持っていかれる。
両手で受けても、侭に唐竹に成る。
それほどまで、豪腕。
カーリャは。
静かに。
その一撃を。
視射る。
斬撃。
装飾無き斬撃。
凄まじき威力。。
竜斬りの一撃と呼んでも過言ではない。
実際、竜を両断している。
だが。
所詮。
只の唐竹。
そもそも。
自分は、何に怖気ていたのだろう。
見てくれが派手なだけの、承認欲求を丸出しにしたような、成金趣味の中身無き、底の浅い一撃に、何故怖気づいていたのであろう。
何のことはない。
ただの一刀。
怖気る事など、必要ないのである。
派手だろうと。
地味だろうと。
斬られれれば、人は死ぬ。
濁流のような一撃に、ただ臆病になっていた。結果的に、終始防戦に回っていた。らしくない戦い方を演じてしまった。彼の者の剣速と威力に対して、明確な圧力を感じてしまった。そのように立ち振る舞う理由は微塵もありはしないのである。
ならば、こそ。
カーリャは。
正面から。
大鬼の一撃に。
足を。
踏み入れた。
〇〇〇
師は、おっしゃった。
「虎穴に入らずんば虎子を得ずって言葉、知ってるか」
唐突に深みある問いに。
「知らない」
と答えた。
すると。
「そうか。私も良く解らん」
脳筋の師は、あっさりとそんな言葉を返すので、なら初めから意味深な言葉など投げかけるなと、幼心に思ったことである。
師は、気を取り直すように。
「まあ、つまりだ。あえて危険に踏み込まなければ、喧嘩には勝てないってことだ。コジを得るにはコケツに入るって事だ」
「だから、コケツってなんですか」
「そりゃあ、あれだよ。ケツの一種だよ。汚い物でも覚悟を決めて、きちんと拭けって事だ。うん。先人は言い事を言ったな」
「……」
まあ、明らかに色々と間違っているのだろうなと理解してはいたが、迂闊に突っ込むと理不尽に切れる人だったので、あえてそこには深く踏み込まないことにした。たぶん、なんとなく深い事を言いたかったのだろう。病気の発作のような物である。
まあ、屋敷に住ませて食事と只酒飲ませてあげるだけで、気持ちよく剣術を教えてくれる大層、底の浅い人なので取り合えず、感極まったふりをすることにした。
「師匠。さすがです」
「え、そう。じゃあ、今日はまた天流の奥義でも教えちゃおうかな。本当は何年も稽古しないと教えないんだけど、特別だぞ」
「え、本当ですか。師匠。大好き」
こうして、門外不出の奥義は湯水のように次々と伝授された。目録のバーゲンセール。出血大サービスである。本当に、扱いやすい人だった。
〇〇〇
(師匠。年齢を重ねて初めて分かりました。虎穴とは、虎の巣穴の事です)
稲妻のようなクレハの斬撃。
それを。
カーリャは、軽々と横に避ける。
そして。
脱力。
から。
緊張。
一気に、斬り伏せる。
「ッチ……」
舌打ち交じりに、クレハは軽々と間を取る。一歩下がる事で、軽く服に障らせる程度に避けるつもりであった。皮、一枚だけ触れさせる余裕。よほどの力量差が無ければ、不可能な芸当である。その洗練された所作から、カーリャはクレハが明確に、斬撃を見切っていると確信した。
あれほどの剛剣の使い手だ。
田舎剣法の一つぐらい、朝飯前に見切るであろう。それはカーリャにとって、前もって安易に予測得た事である。
だが。
これは剣術である。
見切られた程度で、止められるようならば剣術ではない。常に、相手の意識の間隙を突き、斬り伏せる。幻術にかかった旅人のように。だからこそ、剣の魔術、剣術と呼ばれるのである。
カーリャは。
ままに。
更に、一歩踏み出し。
切っ先を、キッと返した。
更に、一歩。
剣が、妖術のように伸びる。
「なっ!」
クレハは、それを頭一つ下げて躱す。
だが。
ザ。
という音と共に、斬撃は。
クレハの頬を、切り裂いた。
意識の外。
一寸、遅れる。
赤が散る。
クレハは。
ゆっくりと。
頬を撫ぜ。
そして。
今宵、自分が初めて傷を負ったことに気付いた。触れた頬から、手に移る仄かな赤。その色が自らの身体からしたたり落ちた物だと、徐々に理解したクレハは、表情に鬼を浮かべて、深く言葉を漏らした。
「てめえ」
顔色が明確に変わる。
怒り狂うのも当然の明。
傷をつけられたのは何時以来であろうか。
初伝、虎斬り。
虎閃とも呼ばれる。
振り切った切っ先を返し、そこから更にもう一歩振り切って払う技である。切っ先の返しと、足運び、体運びが洗練されていなければ、ただの凡くさい連撃へと成り下がる。
師の虎閃は、二太刀が一つに見える程速かった。未だ、あの人の足元に及んでいる自覚はないが、この程度の三下な相手ならばどうやら、事足りたようである。
修練の分、命には一歩足りなかったようだが。そこに未だ、未熟を感じ得るしかない。女王家業が足を引っ張り、身体がなまっているのかもしれない。とっとと、楽隠居したいものだと切に思う。
だが。
彼の者の動揺を得る程度には効果があったようである。ここに来て、初めて傷をつけられただけで、今までの明確な余裕は明らかに失われた。
クレハは、憎々しげに言う。
「よくも、俺の顔に」
クレハの苦渋の表情に。
カーリャは先ほどまでの意趣返しとばかりに皮肉を投げかけた。
「良い男になったじゃない。不細工が、見違えたわ」
「舐め腐りやがって」
飄々としていた態度や嗜虐的な振舞から対するに、自分の痛みには明確なほど弱いらしい。ただのかすり傷で、クレハの余裕は面白いほどにあっさりと吹き飛んだ。
精神の鍛錬が甘い。
カーリャは内心で思う。
思いつつ、油断なく柄を握る。
対するクレハは、激情に狩られて必要以上に強く剣の柄を握り締めた。今までの柔軟さを欠いているようにカーリャの目には映った。
「女だと思い、手加減してやればつけあがりやがって。叩き切ってやる。目か。腕か。持ってかれても、恨み言言うんじゃねえぞ」
「そういうのは、やってから言うのよ」
「ぬかせ!」
叫びつつ。
クレハは。
一歩踏み込んだ。
右上段からの袈裟。
落雷のような一撃。
だが。
紫電では決してない。
ならば。
見切れる。
カーリャは。
流水の如く、足を運び。
陽炎のように迅雷の一撃を避ける。
そして。
描かれるのは、月の弧線。
流麗に避けつつ。
後の先。
故に。
ーーー斬。
「っ!」
身をひるがえしつつ、クレハは躱すが。
夜空を照らす三日月のような斬撃は。
クレハの肩を、鮮血で染めた。
「チィ!」
舌打ち交じりに、再び距離を取るクレハ。
ついさきほどまでの余裕も忘却の彼方。
表情に浮かぶは、わずかな焦り。
初伝、月斬り。
月閃とも呼ばれるそれは、身をひるがえしながら、放つ斬撃であり、背面に担いだ剣を、弧を描くように担ぎ上げ、振り下ろす。体勢が崩れた状態で、背面に隠すように放たれる剣閃は、躱すのが非常に難しい。初伝において、もっとも難易が求められる技である。
クレハは、顔を歪めながら剣を握りなおす。動揺と狼狽を表情に浮かべ、先ほどまでとは違うカーリャの動きに困惑している。
気圧されてる。
そう、カーリャは確信し。
ならば、と。
今宵。
初めて、攻勢に出た。
踏み込みながら。
下段に、剣を構え。
そのまま、振り上げる。
クレハは、間を取りながら。
流水の一撃を避ける。
だが。
先ほどとは違い、皮一枚残すなどという余裕はなかった。届かないほどに間を置き、確実に躱せるように、鋭くカーリャの一撃を観察する。故あれば、反攻に出ようという威まで感じた。
流水の一撃が、魔法の様に跳ね降る。
今までなら、ここでクレハは明確に反攻へと売って出ていた。けれども、天流虎斬りを受けたクレハは、目の前の女の剣技が続けざまに放たれることを明確に理解し、油断なく、構えを崩さない。
カーリャは、そのまま足を踏み出し。
更に、連撃。
天流の肝である返しを、打つ。
初伝、燕斬り。
斬り上げから、斬り下ろしまでが一挙動で放たれ、そのままカーリャの斬撃は地に流れて行った。
それを見たクレハは口元に微笑を浮かべる。
流れた体は、簡単には戻らない。ましてや、返しを利用した技なら、その隙は更に大きな物となる。燕斬りの連撃の後、わずかにカーリャの身体が流れ、明確な隙を生じていたのをクレハは見逃しはしなかった。
斬り下ろしを狙い。
クレハは。
剣を横に。
足を前に。
ーーー。
一閃。
鋭き斬撃が、空を切る。
まるで、空間までが断裂されたような一撃。大鬼を両断する彼の一撃は、早く、重く、人が目視で見切れるそれをはるかに凌駕していた。
狙うは、首。
胴を、一文字にしても良し。
いずれにしても。
これで、終わらすつもりだった。
だが。
「な!」
と、声が出た時にはもう遅い。
宙で、転返ったカーリャは。
身体を翻しながら。
鳥の羽のように。
剣を、放った。
「っ!」
息を吐きながら、強引にクレハは身体を反らす。だが、それすらも遅かった。すでに凶刃は、クレハの目前に迫り。
刃が。
目を、裂く。
「があぁああぁあああああっっっっ!」
今宵、初の絶叫。
それほどまでの、致命の一撃であった。
カーリャの宙で放った斬撃は。
クレハの片方の眼球を、無残に奪った。
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