月華狂宴 血界の夜想輪舞 8
どれほど。
目を閉じていたのだろう。
かつて、師にいかなる理由があろうとも戦いの中で目を閉じるのは剣士の名折れと辛言を頂いたものだが、それはいつぶりだろうか。結局、情けなくも目を閉じてしまったという事は、それ相応の中途半端な覚悟しか持たなかったことに対する自明なのだろう。
そして。
恐る恐る目を開けると。
そこには、つまらなそうに顔を歪めるクレハの姿があった。クレハはまるで、間違ってのみ虫でも潰してしまったような表情をしていた。その表情から相応の苛立ちと不快感を内包しているのが見て取れた。
そして。不思議な事に、カーリャの五体は満足であった。
その答えが如何なるものか、それを自分の中で問答する前に、明確な答えは目の前にあった。簡単な話である。あの致死である強烈な一撃を、咄嗟に変わりに受けてくれた者がいた。それだけの話であった。
その、愚かな身代わりは。
直撃を防ぐための精一杯の質量在る防御陣を霧散させると、静かにカーリャに身体を預けた。
吹き飛んでいない所を見ると、威力の相殺には成功したのだろう。あれほどの爆発力と突貫力のある一撃をよくぞ、と思う。
だが、その代償は確実なものであった。
当然なほどに当然なごとだが、カーリャを庇い前に立ち、ユグス・ランツェの一撃を正面から受けたミシューの腹部には大きな衝撃の痕が浮かんでいた。見てわかる。あばらを数本、損傷している。口に血を溜めている事から、臓器を損傷した可能性もある。重傷であった。
だが、もうろうとする意識の中で自らの手を腹に当てて、ヒーリスの召霊を行うのはさすがとしか言えない。カーリャは改めて、自分の相棒を見くびっていたと感じた。
ミシューは、弱弱しくカーリャに言う。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないわよ!馬鹿!」
上手いことが言えない。ただ、苛立ちと狼狽を交えて、叫ぶだけであった。
「なんで、出てきたのよ!動かず黙って大人しく見ていなさい、と言ったじゃないの!聞いてなかったの!」
「ごめんね」
「あーもう!」
自分の怪我はどれほど重ねようが何の感情もわかないが、この娘が傷ついている所を見ると、心底心中が穏やかではない。胸の内から説明もつかないような感情が無数にわいてくる。その苛立ちをぶつけている相手は目の前の少女であるが、真に内心で責め立てているのは、自らの未熟さ、彼女の愚行を止めることができなかった己が無力である。
そして、同様、同種の失態感、無力感を内包した様子で、慌てて傍に駆けつけてきたのは、彼女の御傍付きであるレーベリッター、シラギクであった。
「陛下、申し訳ありません」
呼称すら致命である。必要以上に小声で、おそらくカーリャ以外に聞こえないほどのものであったが、この場で、その呼称で読んではならないと彼女自身も知っているはずなのに、である。それだけで彼女の狼狽が見てうかがえる。
それも含めて、責め立ててやろうかとカーリャは思ったが、ぐっとその言葉を飲み込んだ。
「本来なら、私が……」
「過ぎた事よ。もはや、取り返しがつかないわ」
辛辣に、返す。
本来なら、御傍付きである自身が身を投じるつもりであった。それが毒杯を飲むことに繋がろうとも。だが、その一手前、意識を目の前に投じた瞬間に、最も守らなければならない主君の友人があのような凶行をしてしまった。如何なる言い分を用いても、もはや責任をとれる状況ではなかった。
表情に悲痛な色が浮かぶカーリャに対して。
「そんなに、責めないであげて。私が勝手したことだから」
と案じる言葉。一歩間違えたら命を落としていたのに、どこまでも清い心を忘れずにいる。その純白のような光景を目に、カーリャは言葉すら思い浮かばなかった。
対して、少女は、薄れゆく意識の中でカーリャに告げる。
「カーリャ。勝って」
「え?」
「あんな奴に負けるカーリャじゃないでしょ。知ってるよ。私はカーリャが本当は、とても強いって事。竜にだって負けないんだから、あんな奴、敵じゃないでしょ」
「……、私は!」
あれは、ミシューがいたから勝てたのである。自分一人の力ではない。自分一人、それほどの力は持っていない。そう、彼女に告げたかった。それが、彼女に対する裏切りになると知っていても。
ミシューは、カーリャの泣きそうな顔に、しかし顔をゆっくりと横に振って。
「目が覚めた時に、報告聞かせてね。ごめん。もう、起きていられない。少し、休むね」
そう、細い蜘蛛の糸のような声で告げ。
静かに。
瞼を、閉じた。
「ミシュー!」
カーリャは思わず、無垢の友の名を叫ぶ。
しかし、案ずることはなかった。
いつの間にか、ダフトフの元を飛び出し、二人の傍らまで走り出して来たフィリアが、ミシューの意識が完全に喪失するのと同時に、バトンを受け取るかのように治癒の魔術を継続して施した。迂闊に逃げ出したりしたら、傍付きの亜人に、後ろから斬り殺されてもおかしくはないのに、と思っていたらクレハが、軽く手を上げているのを横目で確認する事が出来た。それだけで、彼がフィリアを追おうと身構える亜人を静止したのだろうとカーリャは察することができた。
「絶対に助けるから」
その真剣な表情に、カーリャは全幅の信頼を置く事が出来た。これほどまでに真摯に向き合ってもらえるのであれば、おそらくミシューは大丈夫であろう。カーリャはそう、確信することができた。
なので。
カーリャは、すでに意識ないミシューを静かに見下ろすと、力強く告げる。
「解ったわ。ミシュー。勝利の報告が望みね。お安い御用だわ」
その言葉に。
すでに、ボロボロの四肢に力を籠め。
紅く染まる真珠の肌で。
カーリャは、クレハを睨みつけた。
「主」
多少は落ち着いたのか、御傍付きが懇願するような声色で、カーリャに言葉を紡ぐ。
「もはや、良いでしょう。後は私が。主はご友人と共にお下がりください。これ以上、続けても、もはや……」
「下がりなさい。シラギク。勅命を忘れたの」
「勅命と申されても、主の命に代えられる物などありませぬ。毒杯は後で煽りましょう。なればこそ、今は私にお任せください」
「貴方ほど、優秀な臣下に軽々しく毒を飲ませられないわ。毒を飲む前に、私の友人達を身を挺して守りなさい」
「主……」
カーリャはシラギクにそっと振り返り。
その口元に微笑を浮かべた。
水の戦神のような笑顔で。
「安心しなさい。貴方が誰に仕えているか、しかと見定めるが良いわ」




