月華狂宴 血界の夜想輪舞 7
「二の剣、ミストル・シュナイデン」
影が、消えた。
同時に、四方から見えない斬撃が生まれる。
一瞬。
カーリャはそれが風刃殺のような飛ぶ斬撃かと予見したが、実際は違う。単純に早く、鋭い剣撃が、見えない程の鋭さであらゆる方位から牙を剥いてきただけの話であった。
確かに、単調。
だが、単調こそにその内包しているフィジカルの差異が明確に感じ得る。カーリャからして、ほぼすべての方面から同時に襲い掛かる斬撃の嵐に対抗する術はなかった。
だから。
カーリャは大地を貫くように軸を意識し、その場で身体を捻る。完全な脱力と共に、翻し。
歩を、退ける。
そして。
次にクレハが視界を確認した時。
カーリャは遙か間合いの外にいた。
クレハは、驚嘆を隠せない。ミストル・シュナイデンは彼女のように、正面切っての単調な攻撃ではいとも容易く見切ってしまうような手練れに対抗する為に生み出した。単純に剣速を跳ね上げたのみだが、この技で、自称剣豪や剣聖を、数えるほどに打ち破ってきた。
それを。
初撃で見切るとは。
ハトラーの戦友以外で、この技で決着がつかなかったのは初めてだった。クレハの胸は、故国を出奔してから初めて強く高鳴った。
「あんた。すげえな。この世界にも、居るところには居るもんだな。手練れって奴が」
だが、そんな称賛にも、カーリャは余裕を見せることができなかった。
天流奥伝、水鏡面。
奥義の一つである。高い精度の脱力と体感覚操作が必要で、極めれば魔法のように相手の死角に回り込むことができると師はおっしゃった。大目録を掲げる師範や師範代のような位になってようやっと習熟できるらしい。
実際、自分は目録なんぞと縁のない、旅烏から教わった青空剣法である。だから、斬った張ったと縁のないただの足運びの技、随分と軽視していた物だが、師から首根っこ絞めつけられて強引に習得した甲斐はあったらしい。また一つ、命拾いした。
ただ、足運びを軽視した報いは受けた。
カーリャは頬を撫ぜる。
そこに。
鋭い切り傷から、血が滲んていた。
「カーリャ!」
ミシューが必要以上に叫ぶ。
煩い。黙っていろと思った。
裂傷、計五ヶ所。いずれも軽傷。
頬、肩、左腕、大腿部、それに脇。腱の断裂や内臓の損傷はない。戦闘の続行に一切の支障はない。
クレハは、面白おかしそうに聞く。
「さあて。まだやるかい。奴隷落ちして旦那の金塊になるっていうのならばこの辺りで見逃してやっても良い。いや、あんたなら俺専属の玩具になってもらうのも良案かもな」
「冗談」
「だろうな。俺も、不完全燃焼といった所さ。あんたみたいな奴とは、最後まで殺り合いたいからな」
そう言い。
クレハは、今度は脱力したまま無防備になった。カーリャはその奇異な行動に眉をひそめる。
「どういうつもり」
「撃って来いよ」
「え?」
「俺ばかり、攻撃して不公平だろ。今度はあんたの番だ。古臭いRPGゲームのように、交互に殴り合おうぜ」
「ふん」
余裕を、とカーリャは苛立ちながら思った。同時に、RPGという言葉にどこかで聞き覚えがあったがどの道、意味ない戯言だろうと聞き逃すことにした。
カーリャは、納刀する。
奇策は好まない。
正面から、打倒する。
放つは、神速の一撃。
柄に。
手を。
腰を切る。
そのまま。
抜刀。
「ふ!」
一息と共に、一閃。
天流初伝、虚閃。
鞘で滑らせた太刀は、速度を増す。
軍の演習に混じってチャンバラを行った際、この技でダース単位の軍人を地に伏せた物である。故郷で熊や猪を相手に研鑽したこの技を、軍の演習でまともに見切れる相手は、いなかった。
だが。
しかし。
「早えな」
クレハは、またしても感嘆交じりに言う。
予測していた事だが、甘かった。
これほどの手練れなら、抜刀術の一つぐらい、安易に見切るとは予測していたし、その目算が当然のように果たされたのだから、カーリャとしては驚くべきことではない。
だが。
予測と反することは別のところにあった。
カーリャの神速の抜刀。
それは、クレハの片手の平にて、素手で受け止められていたという事である。魔獣すらも幾多も切り裂いた自慢の一閃を、まさか手で受け止められるとは思っていなかった。
カーリャはここに来て、初めて狼狽する。予想もしていなかった状況に取り乱し、次の手をどうするのか、一切考えられないほどに困惑した。
その様子にクレハは苦笑し、告げる。
「シール・ジ・ユグス。いわゆる防御陣の一種だ。分類的には白魔術に該当するらしいんだが、理論そっちのけの鵜呑みで覚えた魔術だから詳しい事は説明できない。が、見ての通り色々と便利でな。眉間に突き付けられた鉛玉もビー玉みたいに弾き飛ばせるらしい」
「……あ」
「あんたの一撃は、鉛玉より鋭かったぜ。手の皮、一枚は持ってかれた。そこは誇って良いな」
カーリャが視線を移すと、彼の者の、皮一枚切り裂かれた掌にはうっすらと小さな魔法陣が発言していた。陣術はウィッチクラフトの得意とする分野である。まさか、ここに来てカームファニアの魔術が表れるとは思っていなかった。
動揺を抑えきれないカーリャに、クレハは皮肉交じりの微笑を浮かべ、その目を鋭く細めた。
「そして、これが」
クレハは、そのまま。
腰を落とし。
鋭く、掌底を放つ。
カーリャは、ハと我に返り刀の腹でそれを抑える。愚策と思いつつも、それしか打つ手がなかった。刀の腹で直撃を抑えつつも、脱力をし、そのまま衝撃に逆らうことなく後ろに跳んだ。
竜ほどの大きさに育ったカームヴォルフに角を突き付けられたような感触だった。
吹き飛んだ距離は、おおよそ三ルゥース、十メートル弱といったところか。得物がナマクラ刀でなかった事と、直撃を防いだことで致命ではなかったが、ダメージは大きかった。
「が、ハッ」
無様に転げまわることはなかったが、地に足を付けた瞬間、口から赤い液が吐き出された。口を切ったのか、あるいは臓腑をやられたのか。いずれにせよ、勢いを完全に殺すことはできなかった。
クレハは、カーリャの苦しむ様を嗜虐的な笑みで面白可笑しそうにに観察する。
「ユグス・ランツェ。陣術を攻性魔術に発展させたものだ。しかし、流石だねえ。これで終わると思っていたが、まだ立っているとは」
あいも変わらず五体満足なクレハに対して、カーリャはすでに満身創痍に近づいていた。力量の差は想像以上で、辛うじて捌いてはいるが、決着がつくのも遠くない。それも、望まぬ形で。
しかし、僥倖もある。
これで、彼の言った手札がすべて露見した。見切ったというにはおこがましいが、手札が解っているのとそうでない状況には雲泥の差がある。手札をさらすまでの代償は大きかったが。
カーリャは気を緩めば恐怖という暴風に吹き飛ばされそうになる揺らいだ闘志に再び火を灯し、クレハに刀の切っ先を向けた。その様子を一瞥したクレハは、さぞ嬉しそうに口元をほころばす。
「へえ。ここまでしてやられているというのに、まだやるのかい。その白玻璃のような手も、足も、水鳥のように張りのある頬も、すべてがボロボロじゃないか。そろそろ、降参した方が良いんじゃないか。命を失ってからじゃあ、ごめんなさいの言葉すら言えないんだぜ」
「死んでも、御免だわ」
と、言いながら痰をペ、と飛ばす。痰は血で赤く滲んでいたし、カーリャ自身も傷ついた玻璃の彫像のような姿になっていたが、依然としてのその眼光は強く輝いていた。
クレハは、身震いをする。
「本当に、いい女だな。ここまで絶対的な力の差を見せたというのにまだ、心が折れないとは。初めてだぜ。殺すには惜しいと思わされたのは」
クレハは、そこまで心中を吐露すると。
静かに。
静謐に。
剣を腰だめに構えた。
そして。
恐ろしいまでに神妙な顔つきになり、厳かにカーリャに告げる。その表情には、今まで垣間見せていた軽々しい雰囲気は全く、無く、冷酷な覚悟のみが只、浮かんでいた。
「女。名を、なんという」
クレハの言葉に。
カーリャは、答える。
「カーリャ。カーリャ=レベリオン」
「そうか」
クレハは、頷き。
「カーリャ。これが今宵の最後の通告だ。負けを認めて俺の女になれ。そうすれば、命だけは許してやろう」
「何度、言わせるつもりかしら。例え殺されても、それだけは御免被るわ」
「まあ、聞け」
と、クレハは言葉を遮る。
「これより披露するのは、奥義と呼べる技だ。今まで魅せた三つの技、レーヴァ・シュナイデン。ミストル・シュナイデン。そして、ユグス・ランツェ。この三つを複合した俺の奥の手だ。俺は、この技を神々の蝕、ラグナ・フィンスターニスと名付けた」
「事前に手品の種を教えてくれるとは、随分と気前が良いのね」
「ほざけ。俺は確信したんだ。今までのあんたの動きを見て。あんたの力量を感じて。はっきりと。あんたには、この技を捌き切ることは出来ない。放ったら最後、あんたは立っていられない。そして、恐らく、死ぬ」
「偉い自信なのね。天狗の鼻は伸び切った?」
「これは、確信さ。だから、カーリャ=レベリオン。大人しく降参しな。そうすりゃあ、命まで取らねえ」
「はん」
命を取らずしてどうだというのだ。この男は口で、甘言を言うがその後、降伏した者を宝石箱の指輪のように愛で愛することなど無い。もし、言葉通りの情を持つような人物ならば、奴隷売買になど加担せず、多くの無辜な民を地獄に落としたりなどしない。
どの道、この男の凶行はここで止めなければならない。民の肩にまた一つ、奴隷印が増える前に。
カーリャは、決意と共に剣を構える、が。
そこで。
思わぬ横やりが入った。
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