月華狂宴 血界の夜想輪舞 5
カーリャは、彼女の名を呼ぶ。
「シラギク……」
灰髪の女性、シラギクは振り返り、氷のように冷静な視線をカーリャに向けた。
「御身が、無用な警護を好まない事は存じておりますが、その我儘で友人を一人亡くされるところでしたよ。偶には、我々の存在も顧みたらいかがでしょうか」
そう言いながら、五人の男が警戒する中、街中を散歩するかのような気軽さでシラギクと呼ばれた女性はミシューに歩み寄る。
警戒心無く、気を追わない所作で無警戒に近づいてくるその女性の圧力に、ミシューを押さえつけている男は見事に屈した。狼狽露わに、すぐさま立ち上がると空手のまま、女性に向かって殴りかかる。
亜人の膂力ならば、女性如きならば素手ですら、殺害が可能である。
だが。
女性は、まるで邪魔な庭木でも避けるかの所作で軽く身を翻すとそのまま、男の姿など無かったかのようにミシューの傍らに立ち、腰を下ろした。
「お怪我は?」
「あ、はい。大丈夫です」
「それは、重畳」
そこで、初めて笑みを見せる。
その笑みは、氷と呼ぶには暖かすぎて、まるで雪山に咲く一凛の花の様だった。
カーリャは、肩を竦めて。
「助かったわ。ありがとう」
「御身に何かあれば、我々は毒杯を飲み干さなければなりません。戯れも程ほどにしていただければと願います」
シラギクは、心底困ったような表情でカーリャに対してそのような言葉を返した。
シラギク。
レーベリッターに所属する正騎士の一人であり、カーリャ、いや、カーリアリアの身辺警護を主だった職務とする。
東洋人の血が混じっている事からも解るように、彼女の出身はシフォンであり、なんらかの事情により故国を追われ、流れ着いた所をカーリアリアに拾われた経緯がある。
その為、カーリアリアに主従すら超えた親愛と忠誠を持ち、彼女に対して絶対の服従を誓う一人である。
多少の口添えはあったものの、王立軍に入隊してからほぼ最短でレーベリッターに選別される程には技量に長ける。
シラギクは、鬱陶しい虫でも見るかのように亜人達を一瞥し、敬愛すべき主君に問う。
「この者は、始末しても?」
「いえ、生かしたまま制しなさい」
「御意に」
彼女は、言葉に頷く。
水を持って来いと頼まれた給仕のように。
気軽に。
主の命に応える。
亜人たちは。
一様に。
警戒を強める。
だが。
突如現れた見知らぬ来訪者に対する警戒と緊張を隠すこともなく、重い鉛の剣を僅かに震わせながらも力強く構え、臨戦の体制を取る亜人たちに対して。
灰の百合は。
一歩。
踏み出した。
一瞬。
踏み込み。
初手の得物は、傍らに立つ片手の男。
彼の者の水月に手を当て。
まま、に。
放つ。
「火遁・爆ツ葉」
炎が。
爆ぜる。
先ほどまでミシューを力強く拘束していた空手の亜人は、突如腹部で起きた爆発の衝撃に耐えきる事が出来ず、自分が何をされたのかという事も理解しないままに衝撃で、吹き飛び、そのまま地を転げ、意識までも岩の床に置き去りにした。
その光景に。
ミシューは目を丸くする。
何が起きたか、解らなかった。
アウラの流動は感じたし、マナトゥースも活性化していた。ただ、召霊を行わずに火を発現する様子は精霊魔術とは明らかに違う系譜であった。どちらかと言えば黒魔術の系統だと感じることができたが、学院で教わった黒魔術とも違う系譜であることがミシューはなんともなしに理解することができた。
その疑問に、シラギクは世間話程度の気軽さでミシューに説明を行う。
「アーシュナイド学院の方はご存じないでしょうね。忍術です。源流は陰陽術から派生し、それを遁術としてより隠行向けに改良した物です。威力は精霊魔術に遠く及びませんが、勝手は明らかによろしいかと思います。オガム語のような難しい詠唱技術も必要ありませんし」
その言葉を聞きながらも、ミシューはなるほどと納得する。陰陽系ならば解るはずがない。学科でも、軽く触る程度の話であるし。アーシュナイド学院ではほとんど熱を入れていない系統である。物好きなシフォンかぶれの教師が一人、隙間時間に課外活動として実習していたぐらいの話であった。
まあ、シフォンかぶれならば自分の身の回りにも一人いるが、と軽く気付かれないようにカーリャの姿を見やるが、視線に敏感なのかそれだけで、カーリャは明確にそれ勘付いた。本当に野生のような勘をしているとミシューは思った。
その間にも、亜人達は警戒するようにシラギクの周りをゆっくりと動き、時折挑発するように剣先を動かすがシラギクには動揺の一つもない。なので、亜人たちはどうやって攻め込もうか惑うのみであった。
かつて、格闘技の競技などで弱い者が強い者の周りを動くという光景をミシューはよく目の当たりにしたが、それと同じことがこの場でも起きていた。それほどまでに、シラギクと亜人の間には明確な技量が存在していた。
わざとらしい挑発を繰り返し、中々攻め込まない亜人たちに対してシラギクは業を煮やし、強く言葉を放つ。
「覚悟を決めなさい!」
その言葉に。
亜人の一人が。
辛抱、できず。
それが明確な罠だとも察せず。
察することが出来ず。
一人で。
息も合わすことなく。
雄たけび交じりに。
無謀に。
突出する。
「金遁・金剛」
掌底が、見舞われる。
緩い長剣の斬撃を避け様に、顔面に放たれた一撃は亜人の顔にめり込み、そのまま豪快に床に倒れ込んだ。何が起きたのかはミシューに理解が出来なかったが、亜人の顔面が腫れ上がるほどに砕けている事からまるで、人の拳ではなく堅い鈍器で殴ったかのような錯覚をミシューは感じずにいられなかった。
シラギクは氷雪の大河のような冷たい声色で、残りの亜人に酷薄に告げる。
「三人になりました。数の利のみが貴方達に与えられた優位では?」
シラギクは、再びの挑発。
再度の言葉の投げかけに。
亜人たちは顔を見合わせて。
彼女が望むとおりに。
一斉に。
息を合わせて。
三方から。
一足に。
飛び掛かる。
だが。
「風遁・跳跋扈」
シラギクは、一瞬で跳躍し。
空中で、転じ。
勢いのままに。
亜人の一人の顔面を。
蹴り。
ーーー放つ。
重力すら加わった痛烈な一撃に亜人は、大きく身体を震わせると、そのまま地面に膝を落とし、それとは対照的にその意識を天高く昇華した。
危険だ。
そう強く感じた亜人達は、シラギクに対して警戒を更に強めた。だがそれが、本来もっとも警戒しなければならない者に対する意識を失わせてしまうという結果に繋がるという事に、気付く事すらなく。
彼女にとって。
僅かな時間さえあれば。
亜人の一人や二人、昏倒させうる魔術など片手間に完成させることができるのである。
彼らが、彼女から目を反らした瞬間。
集中。
呼吸。
魔力元素を体内にて循環。
魂界への干渉。
そして。
召霊。
召喚せしは大地の神霊。
顕現せしは堅牢たる魔弾。
その間、一アスル、三秒、その十分の一にも満たない、閃光が瞬く間程度の時間。
それほどまでにわずかな時間。
その一瞬で。
テレーマ式の攻性魔術が完成する。
ミシューは。
意趣返しとばかりに。
亜人達に向かって。
それを。
放つ。
「ロックストライト!」
生み出された、二つの岩の弾丸。
それは、大きさにして握りこぶし大程度。
それが。
風を切りながら亜人に向かっていく。
二つの弾丸は、片や一人の腹に、片や一人の肩に、ゴキンという嫌な音と共に命中する。片やは肋骨を砕かれ、片やは肩を粉砕された。二人とも、勢い良く倒れ込み、蠢き、二度と起き上がれないほどの痛みにうずくまるだけであった。
それにて、終焉。
二十の亜人は、たった二人、いや加勢も含めて三人の女の前に見事に、しかも手心を加えたままに戦闘不能に陥った。
ミシューは、肩で息をする。
そして、緊張が解けたようにすっと脱力した。額には汗が滲んでおり、表情も蒼白であった。手と足は震えており、もう一瞬、何かが狂えば全てが終わっていたかもしれないという事実に恐怖し、焦燥と不安に身を支配されていた。
「お見事です」
そう、言いながら。
シラギク、カーリャの側近の女性が手を差し伸べてきた。優しく微笑み。ミシューはその言葉に無言で頷くと、彼女の手を取り立ち上がった。
「無理もありません。命のやり取りなど、そうそう慣れるものでもありませんから。恐怖を知りながらも、立ち入った事こそ勇気と感じ入ります」
「あ、ありがとうございます」
そう、言葉を返す。
実は、ミシューはシラギクの姿に心当たりがあった。リーニャを預ける時に、カーリャと話していた二人組の一人である。あの時は、軍か警察の知り合いだと勝手に推測していたがどうやら事情はもう少し混み入っているようである。確か、もう一人いたはずだが、とミシューはおぼろげな記憶を想起する、が。
そこで、カーリャがざっくばらんに声をかけてきた。
「シラギク。とりあえず礼を言っておくわ。ありがとう。けれども、私はあの幼子を守れと厳命したはずよ。その件はどうなっているのかしら。まさか、子供一人置き去りに、とは言わないわよね」
「幼子の御守など、カゼマル一人いれば、事足りる事でしょう。そう判断し、私のみが、ここに馳せ参じました。主こそ、失礼ながら軽率が過ぎるのではないでしょうか。このような死地に、たった二人足らずで足を踏み入れるなどと、無謀無策にも程がありますでしょうに」
「う、うるさいわね。いいじゃないの。後で、グランクにはきちんと怒られてあげるわよ。それでいいでしょ!」
カーリャは苛立ち紛れに言葉を返す。カーリャの言葉に中に、ミシューの知らない人物の名称が表れる。どこかで聞いた事のあるような名前だと思ったが、似たような名称の人物などいくらでもいるので、ミシューは気に留めないことにした。
二人の会話を阻むのも吝かだと思ったが、ミシューはどうしても気になったことがあったので藪蛇だなと思いつつも、好奇心が勝り、カーリャに聞いた。
「ねえ。どのようなお知り合い?」
「え。ええ」
カーリャは珍しくも口ごもる。まさか、自分が王様でそれに仕える家臣とも言えない。カーリャがどのように説明しようか迷っていると、シラギクが恭しく頭を下げ。
「レベリオン家に世話になっております食客の一人です。遠方の地で居住の場所をお与えくださった主に、恩返しとばかりにこうして仕えておる次第でおります」
と、答える。
概ね、内容は間違っていない。ただ、それが貧乏子爵の一族か、セインブルグ王家かという違いだけである。差異なのか、はたまた甚大なのか。疑念は尽きない。
しかし、これでシラギクに一個、借りを作ってしまったことになる。これでは、しばらくは彼女に頭が上がらない。カーリャの身としては、耐えがたい失態である。対面のミシューがなるほど、と大して疑わずに信じてしまったことも含め、である。
カーリャは、半ば八つ当たりも含め、ミシューを睨みつけると厳しい口調で叱責する。
「大体ね」
と、いつものように眉間にしわを寄せ。
「あんたも、丸底人形みたいに簡単に押し倒されてるんじゃないわよ。しかも、もう少しでコロコロされるところだったじゃないのよ。ものすごく焦ったじゃない。怒髪天が限界突破よ。もう少し、ピンとしなさいよ。ピンと」
「ごめんなさい」
「まったく」
そう言いながら、カーリャは嘆息する。
ミシューは、珍しくも神妙に反省しているようである。さすがに、目の前に凶器を振りかざされて随分と堪えたのだろうか。救いがたいほどに気が弱い。
本当に、戦いに向いていない。
臆病だし、好戦的でもないし、すぐに手心を加える。たとえ、それが自身の窮地を呼ぶ愚策だとしても、戦いに対する甘さを根本的に捨て去る事ができない。
その優しさは好ましいものであるが、時にそれが命取りになる事は嘘偽りなき真実であった。それは今日という日が証明している。
だからこそ、戦いの場ではその甘さ、優しさを切り捨てて欲しい。そうしなければ、いつか取り返しのつかない過ちに繋がるであろう。そうなってからでは遅いのである。闘争の場では、自分の命を最も大事にしてほしい。
それが友人の身を案じるカーリャにとっての偽りなき本音であった。
お読みいただき、ありがとうございます。
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