月華狂宴 血界の夜想輪舞 4
先陣を切ったのは、半数の亜人であった。
円陣に囲んだまま、円を縮めるように二人に向かう。たった二人が相手ならば、全員で取り囲んで一斉に跳びかかった方が効率が良い。出来の悪い舞台のように一対一で行儀良く戦ってくれるような幻想は存在しなかった。
だが。
同様に、悠長に円陣のままで許されるような幻想も存在しない。彼らの失策は、敵陣に潜んでいるのが高位の魔術師であると知らなかった事、それに起因している。
魔術師と戦う時の鉄則。
それは、魔術師の魔術を絶対に完成させない事である。特に高位の魔術師との戦いにおいて、それは鉄則であった。大型の猛獣すら一撃で焼失させるダビデ式の戦術級攻性魔術など、まず人には防げない。
そして。
ここにいるのは、対軍用に開発された戦略級魔術を羽のように操る天才であった。
「ボレアス、ノトス。ゼピュロス、エウロス。
四方に集いし四柱のアネモイ。
四天の風に我が身を委ね。
四天の空よ、我が手に集え。
天廟、新たかに今、万象吹き荒びたれ!」
召霊せしは、四大が一柱。
顕現せしは、無比なる暴風。
緑柱のマナトゥースが駆け巡り、魂界より無窮のスピリチュアルが流れ出ずる。エントロピーは流動し、胎動し、物質界の自然的現象を超自然的現象で上書きする。
放たれしは、マギス式攻性魔術が壱つ。
「ヴェンディガスト!」
瞬間。
突風が放たれた。
大気が蠢く。
嵐が、生まれる。
風は、形なき暴虐となりて暴れ狂う。
暴虐の嵐は、今にも襲い掛かろうと足を踏み出した亜人達に逆襲の牙を剥き出しにし、その強靭な肢体を綿菓子か風船のように軽々と吹き飛ばした。
鉄よりも、鋼よりも、更に重いはずの鉛の剣が丸めた紙の棒みたいに愉快に吹き飛ぶが、地面に、もしくは壁に激突するや否や、自分の正体を思い出したかのように石壁を豆腐のように破壊した。十にも及ぶ鉛の剣は、それその物が巨大な暴力のようにホールに痛々しい痕跡を残した。
だから。
それほどまでの威力で吹き飛ばされた亜人達もただでは済まない。
身体をいたるところに打ち付けられて、骨折を伴う打撲により、たちどころに戦闘不能に陥った。誰も彼もが、打撲で済んだのは奇跡に近い。これが、肉体的な強度で劣る人類ならば内臓すら損傷し、大半が即死していたであろう。それほどまでの威力を伴った突風であった。
マギス式攻性魔術、ヴェンディガスト。その亜種である。黄金竜との戦いに用いた物とは違い、指向性を排除して全方位に効果範囲を拡大している。殺傷を好まないので威力をかなり抑えているが、それでもこれほどまでの攻撃力を誇る。全力で放てば、ここに至る亜人達を問答無用で虐殺できたであろう。
だが、悲しいかな。威力を抑えた故に、半数は暴風に耐えきってしまった。あまりの威力に狼狽し、武器を構えたまま警戒を重ねているが、いまだ、十人程が五体満足であった。
クレハは、口笛を吹く。
「すげえな。実力の程は、こちらの娘の比じゃねえな。今まで会った精霊魔術師と比べても頭二つか三つは抜けているんじゃねえの。なんだ、この世界の連中は大したことないと思っていたが、居るところには居るってことじゃねえか」
そう、感嘆交じりに手を叩く。感心した様子だが、あれほどの力を見た後でも、クレハ=カズヤはその余裕を失う事は無かった。
むしろ、相手の想像以上な力量の高さに、隣のダフトフのほうが動揺した様子で彼に問う。
「余裕なのは解ったが、大丈夫なのか?」
「なにか、だ?」
「勝てるのかと、聞いている」
「ああ」
クレハは、その問答に大した感慨も得ずに答えを返す。
「大丈夫だ。確かにすごいと思ったが、やはりつぐみほどじゃあない。あの程度なら、どうとでもなる」
そう、余裕綽々に。
一仕事終えたとばかりに、構えた杖を静かに落としたミシューに対して、カーリャは責めるように耳元で告げた。
「ほら、妙な手心を加えたから、生き残ったじゃないの」
「でも、あれ以上やったら本当に殺しちゃう」
「なら、私は死んでもいいっていうの?」
「そういうわけじゃないけどさ」
「なら、どういうわけよ」
「でも、露払いはしてくれるんでしょ」
カーリャはミシューのその言葉に。
その、信頼に。
嘆息交じりに、強く答えた。
「解った。是非、承った」
警戒の糸は、砂時計の砂のように瞬く間に流れてほどけた。緊張を重ねていた亜人達だが、覚悟が決まったのか、徐々に二人との距離を縮めていく。
この地に流れ着いて、セインブルグ王国に根付く亜人差別の中で真っ当な職も、居住地も与えられなかった彼らがすがる先は、ダフトフのような悪辣で、人を人とも思わない者が牛耳る闇稼業しかなかった。セインブルグ人よりもはるかに強靭な膂力で、その日の食い扶持を稼ぐ為に、恨みもない相手を、泣いて命乞いをするような相手を、その凶刃にかけるしかなかった。
中には、女や子供もいたし、関与した奴隷の中に心の架け橋を刻む者も現れたが、酷薄な結末を迎えるしかなかった。
彼の者に逆らえば、契約の奴隷紋が作動し、その命を奪う。だから、たとえ身の危険を冒すことになっても、彼の言う事に服従するしかなかった。
亜人たちは、共に頷きあって剣を握り締める。恨みはないが、今日を生きるためにこの二人には死んで貰わなければならない。その決意と覚悟を示して、亜人たちはミシューとカーリャに向かって、足を踏み込んだ。
「メルニドジャベリン!」
まず、先陣を切ったのはミシューの攻性魔術であった。メルニドジャベリン、テレーマ式攻性魔術の中でも中位に属し、カームヴォルフに放ったバレットスペルより相応に威力は落ちる。
バレッドスペルなら、骨も残らず燃やし尽くしてしまうので手心を加えたのだろう。亜人の一人に命中した炎の槍は瞬時に爆散し、そのまま彼の者を吹き飛ばした。
「まったく。甘い」
カーリャは剣を抜きながらも、陣形が組まれる前に一人に斬りかかる。剣は峰に。一刀を放つ。
だが、亜人の一人はその一刀を後ろにかわし、反撃の刃を振り下ろす。
遅い。
カーリャはすかさず剣を返し、そのまま横に凪ぐ。一連の所作はまるで流れるようで、壱文字より、左壱文字へ、一刀と見紛うような速さで放たれた。左壱文字は、亜人の右脇腹に当たり、鎖骨を粉砕した。
天流初伝、虎斬り。
返しに肝があるらしい。師は、斬撃の威を決して殺してはならないとおっしゃっていた。未だ、理屈は良く解らないが、そこそこうまくできるようになった自負はある。
カーリャはそこで、気を止めない。
乱戦で大事なのは、心を留めない事である。人間は背中に手や目が付いていない。囲まれたら終わりなのである。常に動きながら、複数人と対峙しない事が肝要である。
足を、運ぶ。
そのまま、流れるように一刀を放ち、間合いに踏み込んだ二人目の亜人の脳天を打ち砕いた。頭蓋が砕けたかもしれないが、不可抗力は仕方がないとあの娘の許諾も貰っている。
当然、相手も馬鹿ではない。
続いて、息を合わせたように左右から同時に剣を突いてくる。三方から同時にならば、もう少し焦ることができたのだが、とカーリャは冷静に考えるが、相手もこちらの力量に怖気たのだろう。判断を見誤った。その焦りが敗因だというのに。
カーリャは、身体を反らした。
そのまま、半身になりて斬り下ろす。
息の合ったと思われた二人の亜人の刺突による一撃は見事に避けられただけにとどまらず、その一方が手痛い反撃を伴う事になった。
初伝、三日月斬り。
身体を半身に反らしたまま、後の先を狙う技である。片手で剣を握らなければならない為に、出来るようになるまでに随分と草臥れたものである。だが、こうして命を救われているのだから稽古の甲斐はあった。なにが幸いするか、解らない。
「貴様っ!」
叫びながら、もう一方の亜人が斬りかかってくる。だが、やはり遅い。鉛の剣など気取って持たせるからいけないのである。
カーリャは冷静に一撃をよけると剣を何気なく振り上げた。亜人は剣速に恐れながらも後ろに避ける。あと一歩のところで、届かない、はず。
だが。
カーリャはそのまま、唐竹に剣を振り下ろした。またしても、一撃にしか見えない卓越した所作。振り上げから振り下ろしまで、剣速に一切の乱れ無し。
連撃の唐竹は、亜人の肩を砕いた。
初伝、燕斬り。
先日、黄金竜に放った大技の元となった剣術である。逆風から真向に斬り下ろす連撃であり、初撃の見せ太刀に怯んだ相手を二の太刀で斬り伏せる剣術である。熟練になれば空を自由に飛び回る燕すら軽々と斬り伏せられる事ができるらしい。実際に、燕どころか龍すら斬り伏せれたのだから中々に僥倖だったのであろうとカーリャは思った。
立ち所に、四人。
その間、僅か三アスル。十秒にも満たない程に短い時間であった。流水のような一連の所作は、刹那に四人の亜人に再び立ち上がれぬほどの痛手を与えた。
カーリャは返り血無き刃を七癖のように血振りし、残心すら忘れない。間断の隙すら見せることはなかった。正に、熟練の剣士のような所作である。
カーリャはそこで、ミシューを見やる。
塩梅はどうかと気を反らす。
すると。
「ちょっ!馬鹿!」
そこには驚くべき光景が存在した。
信頼して、意気揚々と置いてきぼりにした相棒は、少し目を離した瞬間に、物の見事に亜人の一人に組み伏せられ、これ以上ないほどの窮地に陥っていた。
まさに、枯木を折るがごとく。赤ん坊の手を捻るかのように、あっけなく、造作なく、物の見事に押し倒されていた。
そして、枯木のように容易く押し倒された少女の周りには残った亜人が四人。彼女を動けぬように押さえつけている男も含めると計五人に囲まれている。絵にかいたような絶体絶命であった。
油断した。
計算違いにも程があった。
膨大な魔力と他者を一切寄せ付けぬ程優れた魔術師としての才覚にすっかりと騙されたが、彼女は実戦の素質がまるでなかった。
いや。
実のところ、気付いてはいた。
妙な鈍臭さ。
一瞬の判断の遅さ。
戦場での万華鏡のように変わる状況に対応する能力の低さ。
彼女が、乱戦や混戦、あるいは純粋に技量を勝敗の旨とするような戦いを根本的に苦手としていることに薄々とは勘付いていた。
当然である。
十五まで、温室のような学舎の中、生き死になどとは無縁な場所で勉強だけをしてきた娘である。学院を卒業した後も、平穏な都会で誰かを傷つけることなどなく、安穏な日々を過ごして生きてきた。
派手で見目麗しき魔術の数々に目を惑わされてきたが、そんな彼女がどこの老木かも知れない古ぼけた杖一本で、屈強な兵士すら薙ぎ倒す亜人連中と対等に戦えるはずがあろうはずないのである。
一撃で、亜人の半数を昏倒させた彼女である。正直、片手ぐらいの人数ならばなんとでもなると甘く考えていた部分もあった。
誤算だった。
「あ……」
と、彼女は声を漏らし呆然とする。
彼女の目の前には、彼女自身を押し倒した亜人の、振り上げた凶刃が光る。年端も行かない少女だが、瞬く間に大半が立ち上がれなくされているのである。油断する謂れはなかった。思い切り、そのまま一挙に剣を振り下ろす。刺し貫くように、心臓を一突きで終わらせようと、勢い良く。
カーリャは、焦燥したままに空の印に触れる。放たんとする技は風刃殺。風の刃を生み出し、遠からん者を断裂する魔技。
印が、光る。
殺しは駄目だと厳命されたところで、友人の命には代えられない。誹りは後で承る。今は彼女を助けるのが必定。
だが。
一瞬、間に合わない。
それが。
戦い慣れたカーリャには、はっきりと判った。
こんなところで、終わるのか。
そう。
自分の命すら軽んじてしまう彼女が、友人の喪失の危機にいつ以来ぶりの恐怖を感じた瞬間。
鉛の凶刃が。
がきんと。
跳んだ。
何が起きたか。
それを、一瞬遅くカーリャは認識する。
それは。
苦無であった。
苦無が、今まさに襲い掛かろうとせん亜人の凶刃を跳ね飛ばしたのであった。
苦無。
刃渡りは僅か三ミュース、十センチに満たないほどの短剣である。東方のシフォンで生まれた武器であり、暗器、つまりは暗殺用の道具として使用する他に、今のように投擲として用いるのが主だった使い方である。
当然だが。
シフォンで生まれた武器なので、ガリア大陸で使用される事はほとんどなく、当然ながらカーリャの身の回りにも、この武器を好んで使用する者は数える程しかいなかった。
そして。
「やはり、傍に御付きになった方がよろしいと思われますが。主」
そこに現れたのは。
白髪の女性だった。
白髪と言っても、王家の銀髪ではない。
シフォンの鮮やかな烏色の髪が混じった灰のような白。カーリャが聞いた話によると、純粋なシフォン人ではなく、シフォン人とセインブルグ人の混血らしい。正確にはクォーターのシフォン人だと耳にしている。
肩までかかる灰髪。
藍色の色気のない薄手のロングコートを身に纏う。まるで男性のような出で立ちだが、軍属に色気など必要ない事と、故国での役職を想起させる事から、好んでこのような色合いの服を好むのだろうとカーリャは勝手に勘ぐっていた。着飾れば、百合のように綺麗なのにと思いながらも。
手に持つ得物は、有り体な西洋剣ではなくシフォンで度々用いられる東洋刀。ただ、カーリャと違うのは彼女のように歌舞いているのではなく、純粋にそれが彼女の本来の使い慣れた得物だからという点である。
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