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ルインシールサーガ 二章 奴隷紋は光らない  作者: 宮下しのぶ
第六章 月華狂宴 血界の夜想輪舞

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月華狂宴 血界の夜想輪舞 2

 

 ミシュー=スフィールとカーリャ=レベリオンは、ダフトフ男爵が居城、バンドゥ邸宅に訪れていた。

 意外な事に、ホールにはすんなりと入る事が出来た。融通の利かなそうな門兵達はミシューとカーリャの言葉を聞くなり、すんなりと邸宅の中に入れてくれた。屋敷の中に入る時にも一悶着あると思っていただけに随分と都合よくも拍子抜けな展開であったが、カーリャはそれがまるで、大蛇が昏く深き自分の巣穴に上手そうな得物を誘っているようにしか思えなかった。

 誰もいないホールは静まり返っており、まるで暴風吹き荒れる嵐の前の不気味な静寂のようであった。先日のセレモニーが虚像か幻影だったのかと錯覚できるほどに、歪な沈黙に包まれており、まるでこれから起こる暴虐の予兆を告げるかのような静けさを保っていた。そして、その静けさは幽鬼に背筋を撫ぜられるようなおぞましさであると二人は感じていた。

 静謐な静寂が呼び覚まそうとしているのは残虐な暴虐か、あるいは魔性の狂乱か。いずれにせよ、一波乱が待ち受けているという予兆に微小な揺らぎすら存在しない確信をカーリャ=レベリオンは心に刻み込んでいた。胸を刻む鼓動はこれからの波乱に対する緊張か、はたまた闘争を予見し、心の奥底に眠り続ける凶悪な獅子が喜び猛っているのか、それを知る術は、今はない。

 少し、時を遡る。

 リーニャ=フェルトは、側近に預けた。

 ブーランジェリースフィールで静かにお茶を楽しんでいる時からなんともなしに気配を感じていたが、やはり後を付けられていたようである。

 レーベリッター、いわゆる王族やそれに準じる者の身辺を護衛する者達の総称で、親衛騎士と呼ばれることもある。基本的に騎士大隊と魔導大隊から、総合的に最も優秀とされる者達が選出される為、軍部の花形とされる役職である。

 二人ほど、カーリャも気が付かないうちに身辺をひっそりと警護していたので、カーリャはその者達を召喚し、リーニャの身柄を強引に預けることにした

 レーベリッターの中でも隠密に優れていた者達なので、自分の存在に気付かれた事を驚いていたし、リーニャを預ける際も随分と不服そうであったが、勅命と言いきれば、彼らはまずその命令に逆らう事が出来ない。邪魔なので強引に遠ざける。

 実際に、リーニャを一人にするのは危険であったし、どこにダフトフと癒着している官職が隠れているかもわからない。ならば、信頼のおけるレーベリッターに託すのがあの少女にとって最も安全な処遇であったし、何よりもカーリャ自身、自分の身辺を親衛騎士に纏わりつかれるのが好きではなかった。自分のような放蕩者の元に希少な新鋭騎士を出張らせるなど、人材の無駄遣いにも程があるとさえ思える。賢人のグラング=グルニュールにしては無能な采配である。

 リーニャの身柄を安心できる相手に託したことで、後顧の憂いは取り除かれていた。後は諸悪の権化を叩くだけである。

 そのような事を考えながら、静かなホールで時間を潰していると、そこに陰鬱な足音が聞こえた。無駄に豪華な大理石の透き通った床を高級な牛皮の靴で踏むものだから、その音はさぞ見事にホールに響き渡った。

 ダフトフ=ノーヴ=バンドゥは、屈強な体躯の男達数人を護衛とばかりに引き連れながら、尊大な態度でミシューとカーリャ、二人の前に現れた。彼の周りには取り巻きの護衛だけでなく、ドッチ商会の頭取であるドラン=ドッチの姿も確認できた。

 身構えるミシューとカーリャ、その二人に対してダフトフは困ったように肩を竦める。

「レベリオン家の御令嬢ですかな。突然、訪問されたものですからなんのおもてなしもできませぬが、本日はどのような用件で。よもや、税金で首が回らず、我が屋敷の目ぼしいものでも譲ってもらえぬか、金策にでも来た次第ですかな」

 そう言いながら、葉巻をふかす。市場最低価格でも小金貨一枚はする程に高価な魔具であるライターを惜しげもなく見せる事から、嫌味な事この上ないとカーリャは思う。

 カーリャ=レベリオンは、毅然と告げる。

「ダフトフ=ノーヴ=バンドゥ男爵。失礼ながら貴殿にフィリア=フェルト誘拐容疑、並びに違法な奴隷売買の嫌疑がかかっております。本日は、当該の件について詳しく事情をお聞かせ願いたく馳せ参じました」

「奴隷売買?」

 ダフトフはそう、言葉を繰り返すと傍らのドランと顔を軽く見まわしてから肩を竦めて見せた。

「随分と大それた話を持ってきましたな。奴隷売買はおおよそ三十年ほど前に制定された国律憲法によって固く禁じられていますでしょうに。その程度の事、無学な私でも知っております。それを、奴隷売買と。冗談にも聞き苦しい話ですな。レベリオン家では剣を振る以外の事を教わっておられなかったのですかな」

 そのような事を嘲笑交じりに言う。その言葉には明らかな侮蔑が含まれていた。

 成り上がりの男爵であるバンドゥ一族と、建国からの忠臣であるレベリオン子爵家。格としては当然、三百年も脈絡と続くレベリオン家の方が遥かに高い。だが、清廉潔白を旨とするレベリオン家は外敵が多く、昨今の退廃した貴族社会の中では権威を失っていた。

 逆に、バンドゥ家は成り上がりでありながらも、ファランドゥス公爵家を筆頭に様々な貴族との有益な交流網を築いていた。このセインブルグ王国の王都、アークガイアにおいて、より強い発言力を持つのは不器用で無骨なレベリオン家ではなく、狡猾な知略家であるバンドゥ家であった。レベリオン家がいくら、貴族社会でバンドゥ男爵の無礼を追求しようが多くの貴族が味方をするのはバンドゥ家である。それを知りながらのこの発言。そこにダフトフ男爵の性根の悪さが顔をのぞかせていた。

 だが、カーリャはその悪意に臆することなく力強く言葉を発する。今の自分は華美煌びやかな女王陛下ではない。無骨で不器用な騎士道の一族、レベリオン家のカーリャと言わんとばかりに。

「先ほど、フィリア=フェルトの実妹であるリーニャ=フェルトが悪漢に襲われている所を無事保護しました。拘束した悪漢、並びにリーニャ=フェルトから、私、カーリャ=レベリオンと隣に並ぶこの娘、ミシュー=スフィールの共通の友人である、フィリア=フェルトがバンドゥ邸宅に拉致されているという証言を得る事が出来ました。もし御身が潔白なのでしたら、真に失礼な事かと思いますが、一度、我々に屋敷の中を洗い流させていただきたいと思い、願い御存じ上げます」

「本当に失礼な物言いだな。人の屋敷を、我が物顔で物色したいとは。図々しいにも程がある。レベリオン家の一族は、ドブネズミの生まれ変わりなのかな」

 と、心底うんざりした様子で嫌悪感や苛立ちを隠すことなく、ダフトフ男爵はそう言い捨てた。そして、嫌々ながらも言葉を続ける。

「子供や悪漢のいう事だろうに。信憑性はあるのかな。こちらの邸宅を改めるとなると、それでもし何事もないという結論になった場合、当方としてはただでは済まさないぞ。貴族院裁判を通してレベリオン家に対して厳格な処罰を下して頂く所存だが、その覚悟はおありかな」

「勿論。どのような処罰でも如何様に」

「随分と強気な態度だな。相応に自信があるように思える。ただの子供の戯言に踊らされ、泰山鳴動して鼠一匹などという結末になろうものならば、泣きを見るのは偉大なる君のお父君だというのに」

「騎士道に殉じるのならば、後悔は致しかねましょう」

 ダフトフは、カーリャの譲らぬ姿勢に不快感を抑えきれない。話には聞いてきたが、噂に違わぬ融通の利かなさ。一度決めたら、たとえ親兄弟を反保にしようとも決して、微塵も揺るぐことのない直情性。これが、彼のレベリオン家かと心底、呆れてしまう。大抵の貴族ならば小金を渡して甘露のような甘言を二、三言含めれば、あっさりと身を引いてくれるのに、この調子ならば賄賂の類も無駄であろう。この栄華な時代に今更、無骨な騎士道など時代錯誤甚だしいにもほどがある。愚かなり、レベリオン。

 ならば。

 ダフトフは、あの手で駄目ならばこの手とばかりに品を変えて見せる。

「そこまで申すならば良いだろう。しかし」

 ダフトフはそこで、わざとらしく片目を瞑る。

「一つ、確認したいのだが、これは警察機構、ないしは軍上層部を通しての事なのかね。よもや、君の独断とは言わないだろうね。もしそうならば、越権行為に過ぎるというものだ。そのような強硬、黙認するわけにもいかぬものだな。どうなのだね」

 と、聞く。

 当然ながら、セインブルグ王国は法治国家である。そして、残念ながら貴族と平民という二極化は存在し、爵位を持つというだけで平民よりも様々な点において優遇処置を得ることができる。平民ならば、強引な執行も辞さないが、相手が爵位を持つ貴族であるのならばそれが、たとえ最下級の男爵位であろうとも、しかるべき機関に許諾を得なければならない。実際、大抵は許諾を断られるか、令状の申請をしている間に事件の証拠を闇に葬られるのかという結末なのだが。だから、この国はこのような利権を求める為に人を人とも思わず地獄に叩き落すような凄惨な事件が後を絶たない。ダフトフは悪人だが、特別ではない。

 彼は、問う。魔性の森に巣くう蛇のように。

「軍部に在籍する者が爵位を持つ者の所有する邸宅に対して家宅捜索を行う場合には、軍部統括機関オラノスを通じてアカシア紙を用いた令状を準備する必要がある。そして、令状の発行には五芒等級の軍人一人か、四紡等級の軍人二人の承認が必要とされる。貴公も軍部に属する以上、その程度の話は知っているはずであろう」

 五芒等級は、一つの部署の統括を行う役職に与えられる称号であり現在の軍部ではカーリアリアの異母姉弟であり騎兵大隊の総大隊長であるファラリス=ファランドゥスや、同じく魔導大隊の総大隊長であるセリナ=アンギス等が当たる。四紡等級は対して、大隊長のような師団規模の統括を行う役職に与えられる称号である。

 末端の従騎士が貴族の家宅捜索令状を求めた所で外部圧力によって頭ごなしに申請を却下されるか、受理されるとしても相応の時間が浪費されるのは定石であった。

 ダフトフの自信はそれを知っての事である。令状なしに捜索は出来ないし、強行すれば不法侵入の罪で投獄される事になる。爵位を持たない者が暴挙に走ったら、不敬罪としてその場で命を以て断罪される事すらあり得えない話ではない。それほどまでに貴族を侵すというのは罪深い行為なのである。

 ダフトフは勝ち誇ったように告げる。

「我が屋敷を捜索したいと申す以上、当然、令状の準備は出来ているのであろう。さあ、見せたまえ。令状さえあれば、如何様にも、快く要望に応じよう。我が私室。部屋の隅。箪笥の角。用便所の床の染みまで好きなだけ見せて進ぜよう。埃被った体毛を持ち帰ることだって許そう。先日献上されたマルセンの飾り壺の中を、銅貨を落とした孤児のように覗き込むことだって許可しよう。さあ、出したまえ。希少なアカシア紙を用いたオラノス発行の令状を出したまえ!さあ!さあ!早く!早く!」

 最後には、語尾が強く、粗くなっていた。それほどまでにダフトフ=ノーヴ=バンドゥは自身と確信に溢れていた。一介の従騎士に貴族の家宅捜索令状など出せるわけがない、と。

「カーリャ……」

 ミシューは心配そうにカーリャを覗き込む。彼女もまた、そのような物をカーリャが持ち合わせていないと思っていたからである。

 同じ貴族と言っても、建国されて百年かそこからの中小国家であるベルファンンド王国とは質が異なる。愛国に燃えていたのは数世代前で、今のセインブルグ王国貴族はベルファンドの王国ように民衆の象徴になろうと思う者が少ない。特に名君と名高いラムザス辺境伯の姿を間近で見てきた彼女としてはダフトフの愚劣な様は受け入れがたい者であろう。その明確な差異に、彼女は戸惑っているのである。

 実のところ。

 別に、貴族がいくら腐敗しようが、それで王国が崩壊しようが、カーリャとしては至極どうでも良い事であった。王の冠を戴く者がこのような思慮を持つなど言語道断だとは解っているが、好き好んで女王などやっているわけではない。勝手に自分を王様に決めたのは周りの連中である。むしろ国が滅んでくれた方が、後腐れなく王様を辞められるので清々するとすら思っている。

 だが。

 それでも。

 この傍らの向日葵のような友人に、いつまでも陰りのある顔をさせ続けているのはカーリャの信条に背く事であった。

 だから。

「令状、ねえ」

 懐に手を伸ばし。

「これで、いいかしら?」

 取り出す。

 その瞬間。

 ダフトフは、明確に顔色を変えた。

「そ、それは」

「ごめんなさい。オラノスの令状は用意することができなかったわ。代わりと言っては不足かもしれないけれども、これで勘弁して貰えるかしら。ただ、効力としてはこれの方がオラノスよりも上だと聞いているけれども」

 ダフトフは、歯ぎしりをし、唇をかみしめる。それこそ、血がしたたり落ちるのではないというほど、強く。

 それほどまでにその紙きれは予想を反する物であり、彼自身もそれを目の当たりにするのは初めてであり、噂に聞くのみの存在であった。

「ミネルヴァ……。王直下の特務機関。公安組織。円卓議会の傘下。偽物?本物のはずがない。しかし、その紙はアカシア製に違いない。なぜ、貴様が……」

 なまじ、奴隷紋やら、借用書の制作などに携わっているために気付いてしまった。それがアカシアの一等を用いた物である事も。現王の実際の署名が書かれている事も。そして現王のみが所有を許される聖銀印の判が押されていることも。その全てが、偽造であると断定するには証明が足りない事に気付いてしまった。

 ミネルヴァ。円卓議会に付随する公安機構の一つで、王直下の組織である。現王に付随し、円卓議会と同様にこの国の全てにおいて、上位の効力を持ち、王と同様に如何なる者にも侵害される事がない。

 王の強権に位置する。

 王の強権。数世代前から、力をつけ過ぎた輝爵十八翼やそれに付随する貴族達の顔色をうかがい始めた歴代のセインブルグ王は、徐々に王権の発動を遠慮するようになった。公爵、侯爵達が一斉に寝返ったら国が崩壊するからである。それに伴い、王旗下の様々な組織は力を失い、徐々に形骸化し続けた。ミネルヴァもその機構の一つである。

 ミネルヴァが再編成されたという話ではない。ミネルヴァが形骸化しているのは今も続いている。ただ、王の強権として、組織としては今も残っているので利用しただけである。そもそもが、自分で書面を書いて、自分で署名をして、自分で判を押せば良いだけの話である。難しい事ではない。五歳の子供でもできる。ただ、その署名をしたのがそこいらの商家の息子か、不良崩れの女王か、というだけの差異であった。

 それだけの差異であるが、王の署名と印が押されただけで、この国の全ての貴族はその命に逆らえなくなる。紙一枚で己が信念も仁義も平気で譲るところが、この国の貴族らしいと思いつつも、カーリャはその紙をダフトフに突き付けた。

「これで満足かしら。さあ、すぐにでも屋敷中を改めさせてもらうわ。後ろめたい証拠を隠す暇なんて与えないから。文字通り、便所の床の染みから、壺の中に隠した裏金まで銅貨一枚残らず、全て洗い出してあげるわ。覚悟する事ね」

 カーリャはそこまで言うと、ふんぬと鼻を鳴らす。悪党相手に優位をかざすのはとても気持ちの良い事であった。今まで勝ち誇った相手が顔色を変えるのをみるだけで溜飲が下がる思いである。壺、の下りで横の友人が微妙に反応したが、それは気にしないことにした。

 ダフトフは、忌々しそうにカーリャを睨みつける。まるで、百年来の仇敵のように。煮えくり渡ったはらわたの熱さを隠すこともなく、怒りに満ちた視線を向ける。


お読みいただき、ありがとうございます。

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