月華狂宴 血界の夜想輪舞 1
フィリア=フェルトが目を覚ますとそこは、石牢であった。太陽の光は無く、わずかな魔灯の光が弱々しくも頼りなく室内を照らすばかりである。そんな脆弱な光にすら頼らなければ石壁の場所すらわからない。そんな薄暗い場所であった。
自分がどれほど眠っていたかわからないが、おそらくそこまでの時間は経っていないだろうというのがフィリアの見解であった。人は痛みだけでそこまで長い時間、昏倒はしない。
軽く肩に触れると、そこには痛いしい火傷の痕があった。触れるとまだ、相当に痛い。魔術によっての治療は可能だろうが、ダフトフの言い分によると魔術的な霊法が執られているので傷跡を消すことはできないであろう。
そこまで確認して、辺りを見回す。
辺りに居たのは、女性であった。それも複数人。十人を超すかどうかといったところであろうか。正確な人数を把握したいところだが、こう暗くては上手く数も数えきれない。
ただ、だれの方にも一様にあの忌々しき紋様が刻まれていた。それだけで、彼女たちが自分と同じように奴隷落ちした女性であると理解できた。
しかし、女性だけである。
男性はいないのであろうか。
そう考えて、更に辺りを見回すと。
「野郎は、いないよ」
と、声が返ってきた。
目を凝らすと。
そこに居たのは、自分を昏倒させたあの王金級の剣士、クレハ=カズヤであった。不可思議な事に彼も、また牢屋の中にいた。あのダフトフの忠実な子飼いである彼が、なぜ牢屋の中にいるのだろうか。もしかしたら、あの後なんらかの不義理を働いて、罰とばかりにダフトフに牢屋に閉じ込められたのだろうか。いや、さすがにそれは思考が飛躍しすぎだろうとフィリアはすぐにその考えを否定する。
彼は、部屋の隅にぽつりと置いてある安物のベッドの上に居た。そして、そのベッドの上で何らかの作業をしていた。まだ目覚めたばかりで頭に血が回っていないのに加え、牢内があまりにも暗すぎるためにフィリアは、クレハが何をしているか確認することができなかった。
彼は、身体を動かしながら気楽そうに答える。
「女と男を一緒にすると、女を男が襲っちまうからな。旦那の活きな心遣いだ。寝ている間に奪われちまうなんていう間抜けをかまさないだけ、感謝するんだな」
そう、投げやりに言う。
そこで。
フィリアはようやく、彼が何をしているか理解することができた。それは至極簡単で、男性ならば当然、三大欲求として内包している原始的衝動を、欲望のままに果たしているだけであった。
クレハは、言う。
「安心しな。ちゃんと、性交用とそれ以外は、奴隷紋で判別しているんだ。あんたのは違う。だから、手を出したら旦那に怒られる。まあ、性交用でも質の高い奴隷には手を出させてくれないけどな。けど、二等級の連中はこうして、使っていいと言ってくれる。俺だけに与えられた特権だけどな」
そう、悪戯をした子供のように笑う。
全裸のまま。
二等級と蔑まれた女性は、クレハ=カズヤの乱暴な行為に声を上げていた。すでに、何度か事を終えていたようで、ベッドの周りには二人ほど、疲れ果てて力尽きた様子で横たわっていた。
「暴力の痕は、たぎっちまう。冒険の後なんて特にそうさ。命の危険に晒されているからだろうな。どうしてもあがなえねえ。人間っていうのは不便な物だな」
クレハは何の気なしに、さして聞きたくもないような下世話な内情をフィリアに説明する。
「しかし、セインブルグ人は綺麗な女が多いな。日本人と違って、肌は白いし抱き心地も良い。少し臭いのが難点だけどな。あんたの匂いも嗅いでみたかったんだが、お手付きにするなと旦那からの厳命でな。残念だ」
フィリアは惨状に対する恐怖と、自分が明確に被害を免れた事に対する安堵が入り混じった、複雑な感情に包まれる。その微妙な表情を横目に、クレハはフィリアに聞いた。
「あんた、ちなみに処女かい」
「え?」
「聞かせろよ。どうなんだい?」
「何を、急に!」
「なるほどな。言わなくていいぜ。今の反応ですぐに解ったからな。なるほど。見たままの、真面目な娘ってわけか」
フィリアは、自分の身体の事を当てられて顔を真っ赤にする。クレハはその様子を面白そうに眺めて、世間話のように言った。
「処女は相場が一割から二割り増しらしい。旦那が大層喜ぶな」
「な……」
それは暗に、これから売られていくフィリアの品定めをしているだけの瞳であった。ダフトフの子飼いと言うが、フィリアはこれまでの問答だけで十二分に理解した。この男も、ダフトフと変わらず、自分の衝動や情動、そして利益や欲望の達成のためにならば他人など、平然と崖下だろうが、溶岩の中だろうか、果ては深海だろうか、突き落としかねない邪悪を内包していると。
クレハはにこやかに、昏い瞳をフィリアに向ける。抱いた女の華奢な裸体に、爪で傷つけながら。意味はない。ただ、傷つけたかっただけである。暴力という手段で、この雌に消えぬ傷を、心ごと刻みたかっただけである。地獄でも自分を覚え続けてもらえるように。
「そういえば」
クレハは、腰を止めて、思い出したように言う。
「旦那から言われてたんだ。商品価値を下げない程度になら遊んでもいいって。中に入れたり、肌に傷をつけない程度ならば、楽しんでも構わないって、な」
そこで。
フィリアは自分の考えが甘かったと自覚する。
この男は、目の前の女と事が終われば、次は自分に来る。例え最後まで行かないにしても、女の尊厳を崩す程度には乱暴に扱われるであろう。彼の表情、彼の瞳はこれからどのようにフィリア=フェルトを汚してやろうかと、その享楽に対する無垢な想像に悦を得ていた。
悔しかった。
彼我の差の絶望。
ここにきて、明確にフィリアは後悔した。
自分の見通しの甘さに。
あの時、維持を張らずにミシュー=スフィールに頭を下げておけばよかったのだ。彼女ならばきっと、快く自分を助けてくれたのに違いない。それを、何を意地になってしまったのだろうか。命の話である。意地になっている場合ではなかったのに。
だが。
それでも。
やはりフィリアは、あのミシューという能天気な小娘をこのような地獄の連れ添いにする気にはなれなかった。ああいう娘は、不幸になってはいけない。仲間の愚かさに引きずられ、共に奈落に堕ちてはいけないような娘なのである。
ならば。
少なくとも、覚悟は決めようと思う。
フィリアは、クレハの言葉に強い恐怖と絶望を感じながらも、自らの矜持、そして尊厳を崩すことなく、しっかりと見つめ返した。
クレハは、その意思の瞳に。
「いいねえ。それ。そういうのを求めていたんだよ。ここに来る女どもは誰も、彼も、皆絶望しっぱなしでよ。まるでマグロ抱いてるみたいなんだ」と、クレハは抱いた女の髪を引きちぎらんと限りの力でつかみ「そういう強い瞳をした女をなぶって、なぶって、なぶりつくして俺のすべてをぶちまけて、徹底的にブチ壊して、俺はそういうファンタジーを求めているんだよ!解るか!売女!なあ、解るかよ!」
そういい、情動のままに叫び出す。
飄々とした態度などハリボテで。
強い情動のままに好きなまま、自らの力を誇示し、弱きすべてを、その善性ごと壊し尽くして行く。それが、クレハ=カズヤの正体であった。
クレハは、行為の途中だというのに女を邪魔だとばかりに突き飛ばし、ベッドから降りるとフィリアに向かって歩きだした。
「気が変わった。すぐに始めよう。我慢比べだ。俺が満足するのが先か、お前がブチ壊れるのが先か。そういう勝負だ。楽しもう」
結局。
突っぱねたところで順番が少し早まっただけだった。しかも、向こうをやる気にさせるというオマケ付きである。なんて馬鹿な話だろうか。
けれども。
それでも。
あの娘の悪い影響を受けたのだろうか。
フィリアは、目の前に立つ悪獣の皮を被った人間に対して、決して引くつもりはなかった。
だが。
運命は、いと数奇かな。
そのような彼女の運命を救ったのは彼女を地獄に叩き落した張本人だった。
「クレハ」
そこにいたのは、ダフトフであった。
牢の鉄格子の外から、大層険しそうな表情でクレハを見ている。そして、辛辣な口調で彼に言った。
「商品には、手を出すなと言ったぞ」
クレハは、両手を挙げて首を横に振る。
「まだ、手を出してないぜ」
「衝動に駆られると、何でも壊してしまうのがお前の悪い所だ。それで、何人の美品がその価値を失ったか。いい加減、その損害はお前の給金から払わせるぞ」
「勘弁してくれ。俺が悪かった」
「解っているのだか」
そう言い、連れ添った従者を顎で促す。
従者は牢の鍵を開ける。
クレハが疑問のままに聞く。
「どういうことだ?」
「仕事だ。付いてこい」
「仕事?」
ダフトフは顔を更に険しくし、言葉を続ける。
「レベリオン家の三女が来ている」
「レベリオン?なんだ、そりゃ」
「無様に未だ、騎士道を掲げている古臭い子爵の末席だよ。厄介な相手でな。融通が利かず、金や話し合いでの解決が通じない。しかもなまじ伝統があるもので、身分以上に国家や政界への影響力が大きい。騒がれると厄介なことになる」
「交渉事はドランのおっさんの領分じゃねえのか」
「融通が利かないと言っただろう。穏便に済ますのが一番だが、場合によってはこのまま闇に消えてもらおうと思っている。だから、お前の出番もあるやもしれぬ」
「なるほど」
クレハは、そこまで言うとつかぬことを聞く。
「そいつ、強いのかい」
「一年ほど前にふらりと帰ったばかりの跳ね返りだから良くは知らん。だが、軍の模擬戦では負け知らずと聞いている。親衛のレーベリッターすら返り討ちにしたとか」
「へえ、面白いねえ」
「噂だけならいいがな。本当ならお前の力、見せてもらわなければならない。給与以上には働いてもらうぞ」
「ああ、任せな」
クレハは、これから起る闘争の喜びに一物を膨らませながら服を着始めた。ダフトフはやれやれとばかりにクレハの奇行を眺め、傍らの従者に目配せをしてから、フィリアに視線を移した。
「お前も、来い」
「え?」
「レベリオンの娘と、その連れはお前の知り合いなのだろう。お前の名を随分と呼んでいたぞ。いざという時は、人質ぐらいにはなるだろうからな。お前も、来るのだ」
そこで。
フィリアはようやく、レベリオンというのが昨日、ミシューが連れてきたカーリャ=レベリオンであると繋がった。
そして、その連れ。
こんな危険に、なんの考えもなく突っ込む人間は、フィリアの知る限り、一人しかいなかった。
「ミシュー……」
フィリアは、安堵と怒りの混ざった複雑な感情を胸に、あの能天気な娘の顔を思い浮かべながら、つぶやいた。
「なんで、来ちゃったのよ」
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