怨嗟の坩堝 破滅への序曲 8
そんな、他愛のない時間に亀裂が走る。
まず、皮きりは怒声であった。
「餓鬼!逃げるんじゃねえ!」
「邪魔だ!どけ!邪魔するんじゃねえ!」
そんな粗暴極まりない声が、カート五、六台は余裕で並走できるほど道幅のあるクラムストリートに響き渡る。大通りを歩いていた人々はあっけに取られて動揺を露わに一斉に視線を怒声の先に移した。
距離としては百ルゥース超、おおよそ三百メートルはあるだろうか。それほどまでに離れた場所から駆け出してくるのは、身長四トゥース半、百四十センチもそこそこの小柄な少女だった。愛らしい紅葉の様な赤毛を振り乱し、汗を拭く事もなく懸命に走っている。愛らしい容姿とは裏腹に、その表情には余裕がなく、恐怖と焦燥に染まっていた。
天使のような容貌の少女がそこまで追い詰められる理由は如何なるものか。その答えは明確に、彼女の背後に存在し、彼女を今、まさにその毒牙を以て捉えようとしていた。
大柄で、大の男もすくむような屈強な三人。体格は、良い。恵体。一目見て典型的なセインブルグ人ではないと解る。硬い肌質。ごわごわとした髪質。隆々とした肉質。膂力は強く、彼処の平民ならば喧嘩にすらならないうちに打ち倒されるであろう。体毛は濃い。戦う為の身体つきをしている。そんな男が三人。強い男が三人。
そんな強い男が三人、弱い少女を追いかけている。少女は随分と頑張っているが、彼我の距離はつまるところ、三ルゥース強、百メートル程度しか離れていない。その程度の距離、双方の体躯の差異を考慮すればあってないようなものであろう。
少女も、捕まればもはや逃げられない事は、感覚的に理解している。自分より圧倒的に身体つきの良い大人が三人、一度拘束されれば、どれほど力任せに暴れ狂った所で象の前の蟻であろう。
少女は、涙に顔を濡らしながら懸命にかける。口からは時折、「誰か……っ、助け……」と漏れるが、残念ながら運悪く、騎士団や警察とすれ違う事はなく、彼女を、身体を賭して助けようとする勇敢な若者もあらわれることはなかった。そして、それが彼女の天運であった。
だが。
ミシューとカーリャ。二人にとって、その少女は見知った存在であった。
リーニャ=フェルト。
フィリア=フェルトの最愛の妹にして、彼女の日常の象徴。どこにでもいるごく普通の少女で、間違っても野に放たれた不毛な荒くれものどもに血相を変えて追いかけまわされる悪行をするはずがない。
そんな無垢な少女が、鬼の形相をした三人の男に追い回されてる光景。それを目の当たりにした二人はしばし驚愕に支配されるが、すぐに互いに顔を見合わせて、一つ頷いた。
それだけで、互いの遺志は伝播される。
あの女に、頼むと言われた。ちゃんとやれるように見届けて欲しいと。そして、その願い、承った。ならば、彼女に集る悪党の露払い程度は引き受けなければならない。
関わりたくないとばかりに一斉に引いた波のように避ける民衆と対比的に、ミシューとカーリャの二人は、男達の前に立ちふさがった。
見知った顔を発見し、安堵したのか、リーニャは二人に駆け寄ってくる。ミシューは手を広げ、勢いよく走るリーニャを力強く受け止めた。
同時に、背後の男達が間髪入れずに追いつく。その表情には、明確な闘争の意志が含まれていた。
ならば、油断する云われはない。
「その餓鬼、渡せっ!」
そう言い、掴みかかってくる男に。
カーリャは。
掴んだ手を強く拘束し。
そのまま半身で。
勢い良く肩を回した。
片方の手は、相手の肘に当てる。
その瞬間、相手は崩れ落ちる。
これが、試合ならこれで終わりであろう。
だが、これは実戦である。
ガキン、と。
そのまま強引に、決して入れてはいけない方向に勢いそのままに、カーリャは力を入れて強引に男の腕を折り曲げた。
逆間接に決めてしまったら、予後によっては完全に完治しない事もあり、場合によっては二度と腕が使えなくなるが、いかなる理由があろうとも子供を、しかも知り合いの大事にしている妹を鬼の形相で追いかけているような男に容赦する気は毛頭なかった。
関節を折り曲げられ、地に倒れた男は激痛で戦意を完全に喪失している。無力化したければ、四の五の言う前に動けぬほどの激痛を与えるか、行動できない程に身体の機能を奪ってしまうか、命を奪ってしまうのが手っ取り早い。
「てめえ、ふざけやがって」
二人目の男が、怒り心頭に殴りかかってくる。直感的に反応し、カーリャは剣の柄に手をかけた。
天流にも抜刀術と呼べる技がある。風斬りとも虚閃とも呼ばれているが、初伝から中伝程度に位置する技であり、難度としてはそう高いものではない。
そもそも、天流は抜刀術に比重を置かないので、室内等の密閉空間に対応する為に、慰み程度に取り入れられている程度のものである。
ただ、空手で敵の距離が近い位置にいる状況、例えば今、まさに屈強な男に飛び掛からんとされてている時、そういう時には非常に役に立つ技である。
カーリャは左手で鞘を握り、右手で軽く柄に触れた。後は軽く抜くだけである。血糊を拭かなくても切れ味が落ちることがないので気楽な得物だとカーリャは思う。
だが。
「殺しちゃ駄目」
ミシューのその一言に、カーリャははっとなり、慌てて跳びかかってきた男を半身で避けた。
おそらく、利は知らなくとも直感的にカーリャが次に何をしようか勘付いたのだろう。面倒くさいとカーリャは思った。相手の命が良ければ、友人の五体が満足かなど知った事ではないのだろうか。そう考えるとむかついてきた。
カーリャは距離を置きながら刀を抜く。そして、刀を棟に向けた。
男が再び、跳びかかってくる。力任せに掴んでしまえばこちらのものだと思っているのだろうか。実際に、その通りで、組み伏せられたら膂力に劣るカーリャには為す術がない。だが、帯刀している相手に、無防備に飛び掛かるのは愚策過ぎるのではないかとカーリャは思った。
思いながら、刀を上段に構えてそのまま、勢い任せに振り下ろした。右手のみで柄を握り、空いた左手は右手首に添えて、遠心力を利用して斬り下ろす。
天流、鬼斬り。
上段から、斬り下ろす技である。熟練の者が放てば、相手は唐竹になる。重力と体感覚が肝だと師からは聞いている。膂力と体躯に優れた者が得意とする傾向にあるので、華奢で力の強くないカーリャには今一つ得意と言えない技でもあった。
それが、肩に当たる。
例え峰打ちでも、鉄の棒。それが骨に勢いよく当たった為に、男の肩は軽々と砕けた。それも、粉砕である。しかるべき治療を受けなければ二度と使えなくなるであろう。
当然、二人目の男はのたうち回る。本当は、のたうち回る事すら許されない状況にしようとしたのだから、手心を加えた事に感謝してもらいたいものだとカーリャは思った。
「バーサーカーリャ……」
うるさい。なんだそのとんでもネーミングは。ちょっとかっこいいじゃないか。ミシューの何気ない呟きに、カーリャは軽く悦になった。戦闘中なので眉間のしわは消えていた。
カーリャは、三人目もぶっ叩こうかと軽く視線を移した。三人目の男は臆病なのか、狼狽していた。目の前で二人、あっという間に倒されたからである。
カーリャとしては、二人かかりで跳びかかってくれば良いのにと思った。そうすれば、もう少し苦戦できたのに。思考が完全に、戦闘民族であった。
三人目は、どこを砕こうかなとワクワクしながら眺めていると、その圧力に耐えられなかったのか、三人目は恐怖にかられて背を見せて逃げ出した。
あ、という間もない。
遠ざかっていく男。さすがに、距離があると殺傷用の技しかカーリャは持ち合わせていなかった。風刃殺で簀巻きにしたら、ミシューが怒るだろうなと思って横を見ると。
ミシューがごにょごにょと呪文を唱えていた。そういえば忘れがちだが、こいつは魔法使いだったのだ。洗剤や薬の販売員に熱を入れて、正直良く解らなくなっていたが、ようやく本分を取り戻したようである。
カーリャは叫ぶ。
「ぶっ殺せー!」
「ぶっ殺さんわ!物騒な!」
ミシューは、そう反論しながらも掌を掲げて、逃げようとする男の、少し前の地面にそれを向ける。
召霊せしは地の精霊。
偉大な御名は、神霊ルガイア。
マナが流動する。
「ツチボコッ!」
その瞬間。
逃げようとする目の前の地面が鋭く隆起する。実際、一トゥース、三十センチもないであろう。その程度の隆起である。
けれども、意の外からの力に、男は思わず足を取られる。そのまま、勢いを殺すことなく転倒し、顔面から地に叩きつけられる。こいつは、痛い。
スフィール式攻性?魔術。ツチボコ。地の精霊に干渉し、地面を操るミシューの創作魔術である。昔読んだラノベで主人公が颯爽と使っていたので自分も出来ないかなあと思って練習したら出来た。異世界マンセーである。
カーリャが、感嘆する。
「便利ね~」
「でしょ」
「私にも教えなさいよ。有効利用できそうな奴。ちなみに私、飽き性だからすぐに習得できる奴じゃないと駄目よ。パッと解ってパッと出来る奴がいいわ。それでよろしくね」
「いや、そういうのもあるけどさ。なんて、こらえ性の無い」
そう言いながら。
二人は、ニコニコと三人目の男に歩み寄る。
三人目の男は。
屈強な体躯に似合わずおびえた様子で。
まるで、虎と狼の前の栗鼠のように。
地に倒れたまま。
二人を見上げた。
カーリャは眉間の皴をすっかり消して、これから起こるバイオレンスに、春の恋の訪れに胸躍る少女のように無垢な喜びを露わにして、楽しそうに言った。
「さあ、拷……尋問を始めましょうか」
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