怨嗟の坩堝 破滅への序曲 5
「ミシューちゃんに、お茶をおごってもらえるなんてとてもうれしいわ」
と、ブーランジェリースフィールの窓際の席で微笑みながらおっとりとした口調で話すのはテリア=マーテルという名の女性である。
白花のような白藍の髪が特徴の美麗な女性で、クリュール区に住む平民の人妻なのに、地味な彩のシュミーズドレスが、長い髪と相まって妙に似合っている。平民の服など貴族が着古した古着と相場が決まっているのに、着る者が着れば、造花も名花という事であろうか。
温和な雰囲気から察するに、平民でも中々に裕福な家庭なのではないかとカーリャは疑っていた。実際に身なりは良いし、非常に清潔感がある。これで一児の母というのだから世の中、解らない。
やはり、妊娠を経験済という事は、あれ程までの美人であっても妊娠線があるのだろうか。カーリャは気になる。私、気になる。気になって夜も眠れない。妊娠線を確認させて貰いたく思うで候。
そんなカーリャのドクソな邪念になど気付きもせずに、ミシューとテリアは会話を続ける。
「最近、お店の方にマームのお菓子が置いてないから私、とても寂しくなっちゃって。でも、こうしてミシューちゃんが私の為に色々としてくれて、とっても幸せな気分よ。これ、新作のパン?」
「はい。力作とは程遠いけど、中々上手くできたと思っています。どうぞ、召し上がってください」
そういい、差し出したのは甜橙のような色合いのパンであった。南瓜のような形に成形され、傘まで乗っている。傍から見ていて大層、手先が器用だとカーリャは思った。
テリアが、それを割ると中から出てきたのは同じように甜橙色のフィリング。遠巻きだが、妙に食欲がそそられる。横からかっさらって食べたら怒るだろうなと、なんともなしに考える。まあ、あまりやらないが。
「へえ。美味しそうね」
「良い南瓜が手に入ったので生地に練り込んで、残りはパンプキンフィリングにしてみました。割と甘めな味付けで、クリームチーズも混ぜてるんです。形にもこだわって、可愛らしくパンプキン仕様にしてみたんです。見た目が可愛いから、子供にも喜ばれると思うんです。どうでしょうか」
テリアは、うなづくと一口含む。
「いい味ね。とっても美味しいわ。南瓜の風味がきちんと現れていて、クリームチーズとも相性が良いわ。これはこれで素晴らしいと思うけど、もうひと手間加えたら良いかもしれないわね。粉糖をかけてみるとか」
「なるほど。勉強になります」
「色々、試してみると良いと思うわ。料理の味は人それぞれだから。味のコンセプトをリンクさせるのも正解なら、あえてアンバランスに仕上げるのも手だから。あえて、フィリングの塩味を強めてみるとか、ね」
「なるほど。実は色々、煮詰めていたアイディアがあるんで、試してみたいと思います。その時は試食、またお願いしていいですか」
「ええ。喜んで」
「ありがとうございます」
ミシューは春の太陽のように微笑んだ。
そして。
一枚の用紙を取り出してテリアに言った。
「ついでに、これにサインをお願いできますか」
「それは、駄目」
〇〇〇
(痛ましい)
ハラムビジネスのさりげない?勧誘をテリアに、にこやかに断られ、午後から子供の迎えがあるからと早々に帰る姿を見送りながら、ミシューはしょぼんとうなだれる。
あいも変わらず、店の陳列棚は悪趣味なハラム製品だらけ。このような阿鼻叫喚な地獄絵図の状況で、懲りずに常連を続けている奇特な奥様方に対する感謝を忘れてはいけないだろうとカーリャは心の中でミシューを叱咤しながら、どうしてもぬぐえない別の疑念をそのままに、彼女に対して口にした。
「なぜ、私に頼まない」
「え?」
「私がいるだろう」
そこでミシューはカーリャが言わんことに気付く。要するに、試食の相手をわざわざ呼ばなくても、ここに一人、素晴らしき適任がいるではないか。私に頼まずして誰に頼む。なあ、パン屋。という話である。
ミシューはすでに言わずもがな、嫌な形の以心伝心だが友人の考えを明確に察する。そして呆れたように半目になり、その明確な回答を彼女に対して辛辣に返した。
「だって、あーた。基本的にしょっぱくなきゃ怒るじゃん。後、二言目には肉、入れろだし。原価率ガン無視してコスパ求めるでしょ。あーたにパン屋の何をアドバイスできるのよ。ここ、焼き肉屋じゃないのよ。肉食べたきゃ、クラックバードかモンスステーキにでも行って」
「なんで」
「肉食べたいんでしょ」
「食べたいわ。ここで」
「だから、肉屋じゃないから、肉食べたきゃ別のところに行ってよ。ここはパン屋。パンとコーヒーを提供するお店」
「良いこと考えたわ。素晴らしいアイディアよ。この店の現状を解決する画期的なアイディアだわ。売れない小麦風船屋をやめて、猪肉屋にしましょう。そうしましょう。猪肉は毎日、私がフォゼアート街道に出張って狩ってくるわ。調理は貴方に任せる。私がフロントであなたがバック。役割分担も完璧ね。きっと素敵なお店になるわ。二人でステーキハウス・スフィールを流行らせましょう」
「やめて!アイディンティティが壊れる!」
「アイディンティも何も、すでにここ、半分どころか八割がた、ハラムショップになっているじゃない。すでにアイデンティティもへったくれもないでしょ」
「そうだけどさ。そうだけど。捌けないの。あれ。次の仕入れの期限も迫ってるのに」
「そりゃあ、ご愁傷様」
「ねえ、カーリャ。買ってよ。これ。いい石鹸だよ。高いけど。質が良くて、汚れも良く落ちるよ。高いけど。米ぬか使って、使用感も最高だから。香りも最高だよ。高いけど」
高いと三回言った。確かに高い。てか、なんで揃いも揃ってこんなに高いんだ。値段設定、間違ってないか。どう考えても本社の中抜きが大きいパターンだろうとカーリャは思った。ミシューも再三、口酸っぱく文句を言っているところから、いい加減自覚があるのだろう。ならばそろそろ、洗脳から醒めろとカーリャは強く言い含めたかった。
「というかさ」
ミシューは、半眼のままカーリャを可愛らしく睨みつける。
「昨日に続いて今日も遊びに来て。第七師団ってそんなに暇なの。昼間から、死にかけたクラゲみたいにふらふらして。そんなに暇なら、店ぐらいちょっと手伝ってよね」
「手伝うほど、人来てないじゃない」
「うるさいな。これから流行るの」
「下らぬ商売に浮気していなければ、あの行列が生んだ固定客をそのままにしておけたのに、もったいない」
「うっさいな」
「本当に、もったいない」
「だから、うっさい。こういうのは一旦、沈んでから浮かび上がった方が燃えるのよ。ほら、漫画、じゃ通じないのか。演劇とかでもさ、主人公は初め、逆境に立たされるものじゃない。なんか、無駄に追放されたり、無駄に無能で馬鹿にされていたり。そういう状況から、逆転してのし上がることに人はカタルシスを覚えるのよ」
「負け犬や無能の遠吠え見て、何が楽しいのよ。私は勝ち組が勝ち組のまま、問答無用にのし上がるのが好きよ。大体何?良く解んないけどそれで、今までの連中に復讐したりするパターン?そういうの。思考が根暗過ぎない」
見てもいないのに、随分と的を得ているのか外しているのか分からない発言をするカーリャ。色々な方面に全力で喧嘩を売っている。ミシューは内心で、お前は日常系アニメでも見てろと思った。アニメ文化の無い世界なので見せるわけにもいかないが。
あと、ついでに私をバトル系に巻き込むな。私は日常系が送りたいんだと思った。年がら年中、俺、強敵え(つええ)ーやつと激戦い(たたかい)てーんだみたいな雰囲気を出さないで欲しい。類友の法則で向こうからやってきそうだから。
ちなみに、カーリャこと、カーリアリア女王陛下ともあろう者がなぜ、昼間から公務を放り出して、友人の切り盛りする店であるブーランジェリースフィールで時間を潰しているかといえば、それには海よりも深く、山よりも高い明確な理由があった。
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