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ルインシールサーガ 二章 奴隷紋は光らない  作者: 宮下しのぶ
第五章 怨嗟の坩堝 破滅への序曲

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怨嗟の坩堝 破滅への序曲 4

 

 顔面を涙と涎で汚しながら、フィリアはぐったりと地面に横たわっていた。すでに、従者たちが抑える必要はない。抑えなくても、暴れ狂う余力すらない。ダフトフは、随分と泣き叫んだ物だとつまらなそうにフィリアを見下ろしていた。所詮、女の我慢、かと。

 そこで、彼は思い出したかのように付け加える。

「そうそう。その焼印は奴隷落ちの証明だ。正式な奴隷契約が交わされた時、契約時にもう一度、焼き印をするから慣れておくように。正式な契約時の焼き印は、この倍の大きさだからな」

 どこから取り出したのだろうか、ライター……着火の魔術を内包した火を付ける携帯機器で葉巻に火を付けながらダフトフは言い捨てた。

 よもすれば、意識を失いかねないほどの激痛。それよりも更に残酷な未来が待ち受けていることを耳にしながらも、もはやフィリアは何の感情を得ることも出来なかった。

 ただ、薄れゆく意識の中で、蔓延する深い絶望と未来への喪失の中で、わずかながらの希望もあった。それは後顧の憂い。自分がこうして、これ以上債務を積み立てる前に、これ以上傷口を広げる前に、自ら覚悟して奴隷に落ちる事で、少なくともリーニャは助かる。リーニャは奴隷に落ちることなく、この地で暮らしていける。

 天涯孤独の身である。きっと艱難辛苦が待ち構えている事であろう。だが、それでも、たとえ孤児として生きることになったとしても、自分と違い、人の尊厳までは奪われていない。可能性ある繁栄した王都の地である。逆境に負けずに歩いていけば、掴める未来もあるであろう。少なくとも、あのお節介な二人がいる間は、なんともなしに安心はできるとフィリアは薄れる意識の中で思った。

「男爵」

 そこで、ドランが困ったように声をかける。まるで悪趣味な寸劇である。ドランの困惑した様子にダフトフは心配そうに顔をしかめる。

「どうした。ドラン」

「実は、非常に由々しき事態になりまして」

「由々しき事態?はて、それは?」

「実は」

 そこで、ドラン=ドッチはフィリアを軽く一瞥してからダフトフに言葉を続ける。

「彼女一人では、返済金が足りぬようなのです」

「なに?」

 そこで、フィリアがハッと上体を起こす。二人の悪党が始めた寸劇の末路が予測できたからである。だが、四肢に力が入らず立ち上がる事すらできない。そんなフィリアをしり目に二人は言葉を続ける。

「実は、例の小麦菓子屋の娘からの借用金を全額、自分に負担させろと言ったので、私はその友情の貴さに涙ながらに頷いたのです。正しく信愛。ですが、そうなると非常に困ったことが起きたのです。そう、彼女が反保であるだけでは返済金が不足してるのです」

「なら、どうするのだ」

「どうするもなにも。彼女にはあるではありませんか。最後に、もう一つ、残された資産が」

 外道。

 正に名の通り、いつの間にかホールを離れていた従者が三人、力づくで連れて来たのは自分と似た髪の、自分よりも幼い、自分より無垢な天使のような少女だった。

「リーニャ!」

 予想した。

 だが、空想のままであって欲しかった。

 願イ、虚シク。

 彼の者らが引きずり寄こしたのは最愛の妹であるリーニャであったし、彼の者らがこれから語ろうとする事が、地獄の極卒の暴虐すら生ぬるいほどの無道な行為である事も当然のように予測できた。

「残念ながらお姉ちゃんよりも奴隷としての売却価値は無いのかもしれません。ただ、非常に幼いですから、幼いなら幼いなりの役に立ち方があります。幸い、容姿も整っていますし、あちらの方々にもそういった趣味はとても多いので、需要は中々にあります」

「うむ。五年も性経験を積めば、大人になった頃には立派な娼婦になれるだろう。姉とは違い、高等教育を受けていないのが残念な結果になったとしか言えないが、何。そういった人生もある。せめて、向こうで会えるように売られる地は同じであってほしいものだな」

「ですな」

 二人は、笑う。

 すでに、人の道理は失われている。

 眩いほどの善性を見た後だから余計に強く感じる。ここまで、救いがたく、ここまで救いようのない外道の中の外道もいるのだと。

 ダフトフは、指を鳴らす。

 従者が、リーニャを抑えた。

 別の従者が、焼き印を掲げる。

 リーニャの身体には焼印は大きすぎる。

 それを。

 小さな体に。

 幼き体に。

 強引に。

 まるでスラムのレイプのように。

 残虐に、突き刺そうとする。

 リーニャは叫ぶ。

 リーニャは泣き叫ぶ。

 小さな口から言葉があふれる。

 姉の名があふれる。

 それだけで。

 すでに壊れかけた四肢に。

 再び、力が戻った。

「リーニャ!」

 フィリアは手を掲げた。

 右手にメルニド。

 左手にシュティア。

 同時に二種の召霊。

 穿たれしは、荒れ狂う炎風。

 フィリアは、放つ。

「グランフェルト!」

 炎と風が入り混じり、熱風が湾曲る。

 灼熱が輪舞となりて踊り笑う。

 風と炎が、従者達にじゃれついた。

 小生意気な妖精のように。

 恐れ、戦慄くは三人の男達。

 だから。

 とっさに、手を放す。

 妹の少女が、自由を得る。

 姉の少女が、思わず叫ぶ。

「リーニャ!」

 妹の少女が、同じく叫ぶ。

「お姉ちゃん!」

 そして。

 抱擁。

 そのまま、姉は妹に告げる。

「逃げなさい」

「え?」

「お姉ちゃんが時間を稼ぐから、早く」

「でも」

「逃げなさい!」

 くどくど話している暇はない。

 この一時、遅れてしまえば機を逃す。

 だから。

 これが真の今生の別れであろうとも。

「行きなさい!お姉ちゃんを困らせないで!」

 そう、強く言い含める。

 賢い子だ。

 それだけで。

 姉の言わんとしてくれることをすべて、察してくれたリーニャは、もはや理解している。もう、二度と最愛の姉に会えることがないという真実を。その悲しき末路を幼い心で理解しながらも、それでも姉の決死に生み出した最後の機会を無駄にしない為にも、リーニャは素直に、本当はここに残りたかったが姉の遺志を無駄にしない為にも素直に、ホールから走り出した。

 同じように、炎に焼かれかけたダフトフとドラン。もちろん、遠巻きに見ていたので巻き込まれるといった愚行は起こさないが、それでも強大な魔術の余波に圧倒され、戸惑い、うろたえていた。

 ダフトフは、炎が収まるのを知り、たいそう慌てた様子で、従者たちに叫んだ。

「追え!逃すな!」

 並みの人間なら、皮膚が焼けただれ立ち上がることも困難な炎の奔流。しかし、従者たちは不思議な事に、軽い火傷を負うだけで、それだけで済み、正気のままにダフトフに頷くと、三人が三人とも五体満足に駆け出していた。

 フィリアはそれを止めようとする。

 だが。

 強引に動かした身体、自由は効かずに三人の従者を見送る結果になってしまう。二の魔術を紡ごうにももはや、間に合わず、きしむ身体では走る事すら難しかった。

 けれども、屋敷を出て大通りにまで足を運べばもしかしたら誰かしらが保護してくれるかもしれない。警邏中のポライズンか、もしくは騎兵か。あるいは……。

 あいも変わらず、薄れ、気を抜けば飛ぶような意識の中、フィリアはダフトフが怒り心頭の表情をしているのに気付いた。

「やってくれたな」

「油断しましたな。さすが、アーシュナイド学院の卒業生。二重召霊とは。この若さで、すごいものです」

 現在のアーシュナイド学院はリリス=リースティアが圧倒的に持て囃されているが、あの学院はそれだけではない。高官待遇としてもおかしくないような優秀な講師が無数に在籍している。フィリアが専属に教わった講師も、複合的な召霊における大家だった。同時にいくつもの召霊を行う技術なら群を抜いた実力者で、その教え子たるフィリアも複数の召霊技術を習熟していた。

 ダフトフは、危うく大怪我をさせられかけた悔しさから多少どころではない苛立ちを露わにしているが、それでも強引に怒りを押し殺して言う。

「まあ、良い。これで実力の程も測れた。なるほど、随分な逸材だな。これなら諸外国の方々も随分と高い値を付けてくれる事であろう。むしろ、安心したぞ」

 そう、尊大に言い放つダフトフに対してフィリアは正面から力強く見つめ返した。自分一人ならば我慢もする。どのような仕打ちにも、どのような辛苦にも耐える。そもそもが、この状況を招いたのは自分の無知と愚かさが原因である。その責任は自分で果たす。

 けれども、そこに最愛の妹であるリーニャが巻き込まれるのならば話は別である。彼女すら、自らのおぞましき毒牙にかけるというのならば、彼女のたった一人の肉親として、たとえ心臓がねじり切られようとも命を賭して守るという覚悟がフィリアにはあった。

 だから。

 フィリアはダフトフに正面から対峙した。

 それを、見て。

 ダフトフは面白くなさそうに鼻を鳴らす。

「平民の小娘が。いきりおって」

 そして、視線をドランとは別の方向にずらし。

「クレハ。あの娘、抑えられるか。生憎、あの印章は物騒でな。殺すか生かすかしかできぬ。あれは殺すには惜しいから生け捕りにしたい。頼めるか」

「お安い御用」

 そこで。

 ドラン=ドッチとは逆側に控えていた青年が足を踏み出す。

 クレハ=カズヤ。

 ハンターギルドの王金級。

 竜退治を始め、数々の高難易度の依頼を達成しているらしい。小鬼や人獣は言わずもがな。大鬼や小竜、そして民衆から恐れられる悪獣すらもその討伐対象とする。噂によると高位種すら討ち倒しているとされていた。

 紛う事なき、一線級の相手。自分では、手も足も出ないかもしれない。所詮、魔術師である自分と生粋の戦士である彼我の者とでは、事、戦闘における力量差は圧倒的過ぎる。フィリアもそのような事は理解していた。

 けれども、それでも。

 彼女は、彼女と彼女の妹の人としての最後の尊厳を守り切る為に、彼の者と対峙し、戦うしか選択肢が存在しなかった。

 フィリアは、構える。

 その姿を眺めながら、クレハ=カズヤは一歩、また一歩とゆっくりと、けれども微塵の緊張は無く、気ままに近所の酒場にでも飲みに行くような緊張感の失われた仕草で足を踏み出した。

 鏡面対称。

 鏡合わせの像のような両者の対称的な様。クレハ=カズヤはなんの恐れもなく、嘲笑交じりにフィリアを品定めしながら言う。

「確か、アーシュナイド学院の卒業生っつーのは凄腕の魔術師の集まりらしいな。先ほどの複合召霊だっけ?実際に、見事だとは思ったぜ。だが……」

 クレハは、携えた剣を抜く事もなく。

「おそらくハトラーじゃ、一般兵としても通用しないな。この世界の人間は、皆、こんなに弱いのか。まるで、赤子の手を捻るような真似だぜ。いや。こっちの世界では、小鬼の指を折るほどの、っつーんだっけか?まあ、いいや」

 そして、荒々しき笑みを見せた。

「旦那の命令だ。精いっぱい、手加減はしてやる。だけど、力加減は苦手だからな。大怪我しないように必死こいて、あがなってみな」

 そして。

 戦いの火ぶたが切られた。

 フィリアは、詠唱を開始する。

 彼の男との距離は、三ルゥース以上。歩幅にして十歩以上は優にある。ならば、全力で駆け出しても一アスルは必要とされる。

 ならば。

 それだけの時間があれば、フィリアは中位のテレーマ式攻性魔術なら構成できた。召喚せしは猛き雷。呼び出すは激しき閃雷。

 フィリアは両手を掲げる。

「ヴォルトスティ……」

 しかし。

 フィリアの予想空しく。

 クレハは、何の気なしもなく、まるで豹の跳躍のように俊敏に足を踏み込むと、十メートル以上の距離を一瞬にして零にした。

 フィリアは驚愕する。

 アーシュナイド学院では模擬訓練も行われ、中には運動能力に長けた者も当然いたが、こうまで俊敏に距離を潰される事は初めてだった。

 やられる。

 そう思うフィリアに、しかしクレハは。

「撃ってみな」

「え?」

「撃ってみな」

 クレアの言葉。

 そして、表情から浮かび上がる侮り。

 彼は、自分を見下してる。

 フィリアも、当然ながら名門の卒業生たる矜持がある。こうも侮られては引き下がるわけにはいかなかった。そもそも、遠慮をする必要性も、そして余裕すらもない。目の前のこの男を倒し、一刻も早くリーニャを追いかけなければならないからである。

 フィリアは、問答無用に。

 掌に収縮した魔術を。

 ーーー放った。

「ヴォルトスティングッ!」

 雷閃が、光る。

 雷閃が、容赦なくクレハを襲う。

 雷の暴虐が襲う。

 雷獣が牙を剥く。

 テレーマ式攻性魔術、ヴォルトスティング。雷の精霊であるヴォルトを召霊し、その電熱で敵を刺し貫く一撃である。中型の獣ぐらいなら、当たり所が悪ければ一撃で絶命させかねないほどの威力を持っていた。

 だが。

「効かねえな」

 クレハはそれを避ける様子もなく、軽く手を振りかざすだけで跳ね除けた。フィリアの驚愕も虚しく、クレハはその払いのけた手にさえも微塵の焦げ跡すら残すことがなかった。

 フィリアは狼狽し、声をあげる。

「あ!」

 クレハはその様子に面白くもなさそうにつぶやいた。

「同じ精霊魔術師でも、つぐみとは比べ物にならねえな。文字通り、雲泥の差だ。この世界の一流っつーのは、全員、こうなのか?」

 その呟きの意味を理解する暇もなく。

 クレハの拳が。

 フィリアの腹に。

 鋭く。

 突き刺さった。

「がは」

 との、声を上げ。

 地面に膝をつき。

 そのまま。

 前のめりに、倒れ込んだ。

 そして。

 フィリアの意識は遠い世界へと昇華された。

「ふう」

 気を失い、すでに起き上がる事ないフィリアを見下ろしながら、クレハは心底、面白くなさそうにダフトフに振り返り、言った。

「終わったぜ。殺してはない」

「うむ。ご苦労」

「ガキも追いかけるか」

「いや。それはいい。魔術も使えない小娘、亜人三匹で事足りるだろう。お前は上手いワインでも飲んでくつろいでいれば、それで良い」

「そりゃ、有難い」

 クレハは軽くフィリアを一瞥し。

「なら、つまらねえ喧嘩の戦勝会では、この娘を酒のつまみに楽しませてもらおうかな」

「商品に手を出すんじゃない」

「こいつは、手厳しい」

 クレハは、肩を竦めておどけて見せた。多少残念そうなのは、本当に抱きたかったからかもしれない。商品の奴隷に手を出される前に、手慰みの女でも用意しなければならないとダフトフは思う。

 クレハの様子をしり目に、ダフトフは懸念をした。万一にも、あの小娘に、ポライズン、警察機構に駆け込まれるとさぞ面倒だと。癒着してる相手もいるが、清廉潔白を掲げる輩はいつの時代も跋扈する。そういう者達の元に駆け込まれたら少々の面倒になると。

 いざという時は、面倒を見ていた貴族の仲間の交流網を活用する必要性もあるなとダフトフは内心、歯痒く思った。


お読みいただき、ありがとうございます。

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