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ルインシールサーガ 二章 奴隷紋は光らない  作者: 宮下しのぶ
第五章 怨嗟の坩堝 破滅への序曲

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怨嗟の坩堝 破滅への序曲 2


 その日は、憎らしいほどに蒼天だった。

 私は部屋の窓を開けると、心地よい夏の日差しと爽快な空気を部屋に優しく招待し、私の大事な唯一の肉親である小さな天使に祝福を与えた。

 草臥れたベットで眠っているリーニャは、軽く身じろぎし、けれども心地よい微睡みの中から逃れることは出来ないでいた。願わくば、彼女をもう少し、この微睡みの中に沈めておいて欲しい。目を覚まし、あの純粋な笑みで「お姉ちゃん」と呼ばれたら、硝子のような決意が粉々に砕けてしまうから。

 心残りがあるのならば、彼女が心地よく眠れる膨よかなベッドを最後までプレゼントできなかったことである。辛いことの多い人生、せめて眠りにつく時ぐらい、幸せな時間であってほしかった。

 孤児院のベッドが寝心地良く、孤児院の院長が心優しき人間であることを祈る。

「よし」

 私は立ち上がる。安手の色気がない麻のシャツとスカートに身を包んで。おめかしは、必要ない。これから行く場所は煌びやかな社交場ではない。身、一つしか持っていけないのだから手荷物すら必要ない。必要なのは全てを捨て去る勇気だけ。

 私はベッドで眠るリーニャを見下ろす。

 今生の別れという言葉はよく聞くし、村によく来ていた吟遊詩人の語り部は、随分とドラマチックに脚色した物だけど、存外あっけないものだ。父と母の時もそうだった。いずれ帰るつもりだったのに、三年前に村を出て行ったあの日が今生の別れになってしまった。

 今日がその日だという実感はないが、今日がその日だという確信はあった。もう、私はここに戻ってこれない。

 考えては駄目だ。考えたら、心が折れる。

 私は頬を軽く叩くと、なけなしの勇気を振り絞り、部屋の扉を開いた。もう、リーニャには振り返らない。もし振り返ったら、私はもうこの場から動けなくなる。もしそうなれば、リーニャまで私と同じ業を背負うことになってしまう。それだけは、避けなければならない。

 私は、振り返ることなく一言。

「さよなら」

 妹に、最後の言葉を投げかけた。


 〇 〇 〇


「乾杯、と行こうか」

 高級なレッドロゼのワインを片手に、ダフトフ=ノーヴ=バンドゥは下卑た笑みを浮かべた。その醜悪な笑顔はおぞましく、彼の者の明確な本性を露わにしていた。

 レッドロゼのワインは、フォンスタット領ラーカス郡で醸造された一級品であり、マルセットという銘柄で知られている。市場価格は一本中金貨一枚程度であり、これ一本と同額でクリュール区の大通り近くに一軒家を借りることができる。

 ラグラストラから輸入した高級なストラチークを使用した一級品のダイニングテーブルを囲んだ対面には、彼の素敵な友人が二人、座していた。

 ドラン=ドッチ。そして、クレハ=カズヤである。

 バンドゥ男爵邸の二階にある応接室は相も変らぬデパール様式で、成金趣味が度を越した華美な装飾を施されていた。彫像。絵画。そして壺。どれもが、クリュール区市民一節の収入と同等の貨幣価値を有していた。これらの調度品は、セインブルグ人一人が王都から二度と戻らぬ旅に出る度に一つずつ増えている。

 涙と血の染み込んだセイレンマツの華美なサロンチェアに座り、尊大に言葉を放つダフトフに対して、クレハは皮肉を込めて聞き返す。

「何に対して、乾杯するんだい」

「我々の素敵な商売と、その未来に」

「いいねえ」

 笑みを浮かべて、クレハはグラスを軽く掲げる。対するダフトフも、同じようにグラスを掲げて見せた。邪と邪が混ざりっても色は変わらない。

「初めは随分と奇抜な事を抜かす小僧だと思っていたが、なるほど。確かにこれは良い。ハラムビジネスはそれそのものが中々に収益性が高いし、そこから零れ落ちた者も諸外国の御客人が喜ぶ大した商材になってくれる。ある程度下地を作ればこちらがなにをするわけでもなく勝手に流通網は増えていくし、本当に素晴らしい商売だ。良く思いついたな」

「別に俺が思いついたわけじゃない。ただ昔、似たような事をしていた奴がいただけさ。俺はそれを少し真似ただけに過ぎない。ただ、ここまでうまくいくとは思わなかったけどな」

 クレハは、満足そうにレットロゼのワインを一口含む。濃厚な味だ。舌に絡みつく。酸味も強い。こういうワインを毎日飲みたい。

「しかし、俺から言わせたらあんたらの方が鬼才だよ。良く、マルチ商法と奴隷売買を結び付けたな。俺のいた国では考えられなかった手法だよ。そもそもが奴隷売買なんてとうの昔に廃れた手法だからな。しかも、中々に利率が良い。ハラムビジネスに対する投資で生み出された借金を親元に返還するだけの話だから大して懐も痛まないしな。興味本位で聞くけど、一人頭どれぐらい儲かるんだ?」

 と、今度はドランに話を振る。ドランは、金勘定が面白いのか嬉しそうに微笑み、喜んでクレハの質問に答えた。

「人にもよりますなあ。老人などはそれこそ捨て値で売るしかありませぬが、一般的な成人男性では大金貨十枚。女性や子供はそれよりももう少し値が下がり八枚程度。ですが、若くて見てくれの良い女性なら十五枚以上の値が付く事もあります」

 その言葉に、クレハはヒューと口笛を鳴らす。

「中々、割が良いなあ」

「ふふん。甘いですぞ。クレハ殿」

 ドランは、指を立てて振る。

「これは、国籍のおぼつかない者達の相場。セインブルグ人ならば、相場はそうですなあ。現在なら、この五割から十割増しが妥当でしょうな。国が奴隷売買に対する禁止法案を出してくれたおかげで、セインブルグ人やベルファンド人に対する市場価格が急上しているのです」

「入れ食いだな」

「更に、特殊な技能を持つ者は市場価格が更に跳ね上がりますな。特に医師や、錬金学全般の知識を持つ者、貴族の血統、エルフ種、他には高い位階認定をされた魔術師などは市場価格が更に倍に跳ね上がりますな」

「へえ」

 そこで、更に興味深げにクレハは聞く。

「なら。あんた達が目にかけている例の娘は。たしか、なんちゃらっつー名門の出で、ベルファンド人で、しかも若い女なんだろう。相当、高く売れるんじゃないのか」

「そうですな」

 ドランは、そこで嬉しそうに、希少な宝石をどうやって売りさばこうか考えている少年のような表情をした。

「まあ、少なく見積もって大金貨三十、いや四十五は見込めますな。若くて健康で見てくれも良くて、ホドの位階を持っているとなると、特殊な競りにかければ、相当に値段は吊り上がるでしょうな」

「すげえな。王都に家が買えるじゃねえか」

「ホドとなると、魔術師としては一流として扱われますからな。ホドの魔術師でベルファンド人ならば、金に糸目をつけずに欲しがる富豪は山ほどいるのです」

 実際、あの娘は白金貨で二十枚は取れる逸材だった。ガリア大陸の魔道における最高学府の卒業生が奴隷として流れてくるなど相当に無い。あの娘がベルファンドから流れてきたときに目をかけておいてよかったとドランは、心が安らいだ。

「しかし、いいのかい?」

 クレハは、今度は意地悪そうにダフトフに聞く。ダフトフははて、とあごをさすり。

「いい、とは?」

「この国は、奴隷禁止なんだろう。なのに、ここまで大体的に奴隷売買なんてやってしまって。お上にばれたら、怒り心頭で厳罰に処されるんじゃないのかい?あんたが断頭台にさらされている姿なんて、俺は見たくないぜ」

「いらぬ心配を。確かに、表向きは奴隷売買が禁止されている。だが、いつの時代も禁忌に触れても利権を得たがる者達は後を絶たないのだ。そういう者達は利権を得る為には何でもする。結局、口では偽善を言いながらも、裏では黙認しているのだよ」

 クリュール区の区役院や警察の上層部にもこの件に関わる者達はいる。そこに対する圧力があるから、奴隷売買に対する大っぴらな捜索は行われない。当然、定期的な賄賂は必要だが、大きな売買活動の度に内部から圧力をかけて組織を硬直させるだけで小遣い稼ぎになるなら喜んで行う連中は山ほどいるという訳である。

 クレハは、はっと息を吐く。

「天下の大国、セインブルグと聞くからもっと楽園のような素晴らしい国かと思えば、内情はどこも変わらねえな。いや、あの国の清廉潔白さが異常なんだよな。まったく、感服したぜ」

「不服か」

「いや。むしろ気に入った。人間らしくて非常に良い。人間っていうのはそうでなくてはな。そういう下卑さが人間本来の物さ」

「お前も、こちら側だな」

 そういいながら、再びワインを口に含むとダフトフは尊大に告げる。

「だが、忘れるなよ。お前を雇ったことの意味を。お前に払っている金額分はきちんと働いてもらうぞ。わざわざ、高い金を出して竜の爪を購入してまで箔をつけてやったんだ。口だけではないところを、きちんと証明してもらうぞ」

「安心しな。忘れちゃいない。あんたが俺にかけてくれた恩情分はきちんと働くさ。あの禿げ上がった愚かな裸の王様から逃げてきた俺を、拾ってくれたことに対する感謝は忘れてないつもりさ。安心して、仕事に精を出してくれ」

「それを聞いて安心した」

 ダフトフは、満足そうに笑った。

 そこで、今度はドランが気になった事を尋ねる。

「時に、クレハ殿?」

「なんだ」

「実際、竜退治というのはどうなんですかな?常に大軍を用いて行われる竜退治。本当に、戯曲の英雄談のように、人間が一人で退治出来るものなのですかな?」

 クレハは、ふむと顎に手をやる。

「状況や種族に左右される要素は大きいな。まず、下級のロウ・ドラゴンだが、一般的に戦力差、一対百とされているがこれは、正面から何の戦略も持たずに戦った時の概算だ。実際に、きちんと戦略を練り、正面から戦うことを避け、一撃必殺の手段を持てばたとえ一対一でも勝利することは可能だと思うぜ」

「なるほど。実際には出来ると」

「簡単じゃないが、不可能という話でもない。ただ、ノーブル種となると話は少し変わってくる。連中は各々が特徴深く、様々な性質を持っている。火を吐いたり、雷を纏ったり、あるいは空を飛んだり。当然、知性も高く、並みの手段では倒れない。これも、不可能とは言わないが、ロウ・ドラゴンとは比べ物にならないほどに厄介な相手だろうな」

「ほう」

 そこで、ドランは真に気になっていた質問をぶつけてみる。

「ならば、高位種として名高い竜の王族であるグラン・ドラグーンは?」

 クレハは、ドランの言葉に少し口ごもり。

「不可能だ。あれは、強さとしては桁が違いすぎる。それこそ、同じ高位種で対抗するか、高位の戦略魔術を使うか、何か特殊な手立てを用意するしかないだろう。そもそも、人間が挑むことを想定した強さじゃない」

「なら、やはり竜退治は夢物語と?」

「いや」

 クレハは首を振る。

「ノーブル種なら、何体か殺ったことがある」

 その言葉には、淀みがなかった。

 実際、それは偽りではなかった。ダフトフが在野でくすぶっているクレハを拾った理由の一つも、彼の功績によるものであった。

 諸外国からの帰路の最中、とある山道を馬車で走っていたダフトフの一行は不運にも、竜の巣を突いてしまった。もう少し詳しく説明すると、街道の近くをコロニーからはぐれた竜が住処にしてしまい、その巣にちょっかいをかけてしまったのである。

 竜の種族はヴェルズ・ケルドゥン。火竜種。真正のノーブル種であった。護衛の中隊を火の一吹きで灰燼と化されてしまったダフトフは、御者や生き残った僅かな従者と共に死を覚悟するしかない状況であった。

 そこに、助けに入ったのが当時、国を出奔し放浪していたクレハ=カズヤであった。彼は、鬼神のような一撃で竜の首を軽々と跳ね飛ばした。その見事な手腕にダフトフは感服し、感謝の印として食客として、屋敷に招く事にした。

 当然、クレハには、貴族に恩を売れば何らかの褒賞が得られるのではないかという打算があったし、ダフトフにも腕の立つ剣士を私兵として手元においておけるという打算があった。両者の利害が一致した結果、現在に至るという訳である。

 ダフトフは、私兵として魔族領、マグナグランドから流れてきた亜人種を奴隷契約して使っているが、究極的にはクレハ=カズヤ一人で良いとまで考えていた。おそらく、彼には王立軍精鋭であるレーベリッターが束になっても叶わないであろう。そこまでの確信を持っていた。

 竜を一刀に伏している姿を見ていないドラン=ドッチの疑念を持った様子を横目に、実際の竜殺しの光景を目に焼き付けていたダフトフは、微笑みを浮かべて言った。

「期待しているぞ」

「ああ」

 クレハは、力強く頷いた。

 そして。

 シルクのカーテンが吊るされた窓を見つめ、軽く首を鳴らすとくつろいだ様子で言った。

「旦那達。金塊がお出ましだぜ」

「金塊?」

 不可思議な物言いだが、すぐに意味が解る。屋敷に仕える従僕の一人が戸を鳴らす。「入れ」というダフトフの言葉に扉を開くなり、すぐ様に告げた。

「お客人が現れました。平民の娘ですが、閣下に御目通り願いたいと申しております。面会の約束は取り付けていると申しておりますが、如何いたしましょう」


お読みいただき、ありがとうございます。

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