怨嗟の坩堝 破滅への序曲 1
第一印象は、普通の子だった。
つまり、いわずもがな何の感想すら持たなかったという事である。どこの学校の教室にも数人いるような垢ぬけていない普通の女の子。別に英雄談のような活躍をするわけなければ、王族に見初められて王妃になるわけでもない。そういう普通の少女に対する感想を求められても至極困るというのがこの問答に対する正確な感想なのかもしれない。
それが私、フィリア=フェルトのミシュー=スフィールに対する感想であった。
今だからこそ、リースティア教室の神童とまで呼ばれ、持て囃されているが当時は、座学の成績さえ良かったものの実地に関しては散々で、忌憚なく言うのであれば落ちこぼれていた。座学が良かったので辛うじて留年は免れていたが、総合的に見て中の下か、下の上というのが彼女の学内での実力に対する評価だったのであろう。
学寮でも割と部屋は離れていたし、私が彼女が辺境伯の令嬢であることを知っていたので、どう考えても話が合わないと思い、意図的でもなく彼女とは距離を置いていた。
ある日の座学。
三年も前の事なので相当に霞んだ記憶だが、おそらくは錬金薬学の実習の一つだったのだと記憶している。当然薬学なので、しかるべき施設を利用しなければならない為、私は数人の友人と薬学部の演習室を予約していたのだが、そこで当時の先輩連中と口論になった。
内容は非常に単調で、要するに自分達が使いたいから譲れと言う話である。理不尽この上ないが、その先輩連中というのは三学年の最上級生だったし、しかもどこぞの子爵やら伯爵やらの令嬢様だったので、普段ならぐっとこらえて波風立てず、譲っていたところである。
けれども、私も馬鹿だった。実習の提出物期限が迫っており、譲ってしまうと単位を落としてしまう状況だったし、なによりもその上級生の尊大な物言いにカチンときた。なので、立てなくてよい波風を立ててしまったというわけだ。
売り言葉に買い言葉。生意気な平民の下級生に逆らわれた先輩は本気で怒りだし、ならば決闘で雌雄を決しようと言いだした。
決闘と言いだすのであるのだから、腕に覚えがあるのは間違いない。リリス=リースティアの名前が独り歩きしているからといって、名門学院に勤める教師がこぞって無能という笑い話などあるはずもない。
教室の名前は憶えていないが、当時のその教室の講師がセインブルグのダビデに勤めていた時期があり、ベルファンド王国の王都でも数年、魔道協会の役員としての実績があった。噂によるとエルランドへの留学経験もあるらしい。恐ろしい経歴だ。なので当然、精霊魔術に熟知しており、その生徒もこぞって高位の精霊魔術を使いこなす鬼才ばかりであった。
逆に私と言えば、まだ座学が大半で、本格的な精霊魔術の実習は受けたことがない。青空教室で、マルクトの位階をようやっと手に入れた老人の先生が教えてくれた必殺のメルニドダートが唯一の攻撃手段であった。
ちなみに青空教室の先生は、見事に案山子を焦げ付かせるメルニドダートを見て、十年に一度の天才だと褒めたたえていたが、入学して三日後の上級生による精霊魔術の演習を見た時に、自分が優秀なのではなく、あの青空教室の先生が無能だという事を強く実感した。
口論の後、流れるように実戦演習の為に用意された魔術演習場に向かうとそこに待ち受けていたのは三人の上級生であった。全員が簡単なダビデ式の攻性魔術を使う、軍属でもおかしくないような実力者であった。
対するこちらの戦力は、私一人。連れの友人は何か、言い訳じみた事を言っていたが要約すると、上級生とは喧嘩できない。喧嘩するならあなた一人でやってくれと言う話である。別に恨むつもりはない。至極当然の判断だ。友人関係の継続についてはこれから再考することにするが。
そして、戦いは始まった。
面白いほどにぼこぼこだった。青空教室の先生が教えてくれたへっぽこ魔術障壁は紙切れのように破られるし、必殺のメルニドダートは腕で払いのけられるだけで霧散した。後は多種多様の、雨あられな攻性魔術がオンパレードのように私に襲い掛かった。特殊な結界が施されているために怪我しないようになっているが、そうでなければ二、三十回はあの世逝きであったことであろう。猫三匹分である。
とっくに決着がついているのに、いたぶるのを止めないのは、上級生に逆らう事の恐ろしさを肌で感じさせようとしているのであろう。周りに対する見せしめの意味もある。現に、演習場を恐る恐る見学していた同期の仲間は顔面を蒼白にして観戦していた。助けろよと思うが、別に死ぬわけでもなし。迂闊な事を言い、上級生の叛意を買うならば、ということなのであろう。それが、正しい選択だと私は思うし、私が逆の立場でも絶対に、立ち入ろうとはしない。
ただ、そこに足を踏み入れる馬鹿がいた。
「やめなさい!」
馬鹿は威風堂々と叫んだ。
「それ以上やるのなら、私が相手よ!」
結果としては、ボコボコにされるのが一人から二人に増えただけであった。当時、今と違って落ちこぼれ真っ最中のリースティア教室の神童は、簡単なダートスペルすら使えなかった。
本当に、何しに来たんだろう。
ただ、一つ利点があるというのならば攻撃の対象が一人から二人になった事で上級生の気が済むまでの時間が半減したことであった。結果的にボロ雑巾になった事には違いないのだが。
二ダースだが、三ダースの攻性魔術を思う存分放たれた後、「今日はこれぐらいで勘弁してあげるわ」だの「もう二度と逆らうんじゃないわよ」だのと捨て台詞を残して上級生は至極満悦した様子で演習場を去って行った。その上級生が後々、酷い目にあったという爽快な復讐劇というものは存在しない。自分を酷い目に合わせた人間がすべからく酷い目に合うという幻想も存在しない。世は無常という事である。理不尽とも言う。
ただ、一つ喜ばしい事があるとするのならば。
「ねえ、あなた。大丈夫?」
おそらく、当時は顔も知られていなかったのだろう。能天気で向日葵のようにいつもボケっと太陽の方を向いているような娘は、その向日葵の笑みを私に向けて手を差し伸べてきた。自分もボロボロのボロ雑巾の癖して。
私は無言で、純度の高い黄金のように眩い笑みを見上げながら、そっと手を上げ、その手を掴んだ。
その後、私達は無二の親友となった、と言われれば物語にドラマ性も生まれようものだが実際、私は彼女に近づく事はなかったし、彼女は彼女でその経験を理由に私に近づく事もなかった。彼女は彼女でコミュニティを作っていたし、私も自分のコミュニティを持っていて、彼女に意識的に近づく事はなかったという事である。
本音を言うと、近づき難いというのもあった。あの輝かしい善性を見ていると自分が惨めになり、どうにも胸の中に黒ずんだものが淀んでいくのがわかる。後日、喧嘩していた上級生と仲良く談笑している光景を見た時は、頭おかしいじゃないかと思ったし。そういうのも含めて、おそらくは絶対に相いれない存在なのだなあと私は感じてしまった。
実際、この体験が元で人は信用できるものだと勘違いした私がセインブルグのアークガイアで大ポカをやらかす理由になるのだから、ある意味究極の加害者ともいえるだろうし。
結局、私はミシュー=スフィールを最後まで好きにはなれなかった。
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