「奴はすこぶる、貧乏だった」 6
カーリャは、触れたくはないが、触れなくてはならない。なので、あえてそっと、今度は傷口を撫ぜるように聞いた。
「期限は、いつなの?」
「明日」
「!」
「まあ、そういう事よ。あの子達には言ってないけどね」
フィリアはそう言いながら、ミシューとリーニャを優しく見つめる。まるで思い出の映写機にその最後の姿を焼き付けるかのように。
カーリャは、フィリアに問う。
「これから、どうなるの」
「異国に売られるらしいわ」
奴隷売買である。望んだ、動かぬ証拠が念願叶ってやってきた。だが、カーリャの胸にあるのは証拠をつかんだ達成感ではなく、強い怒りと憤りだけであった。
フィリアはカーリャを安心させるかのように告げる。
「心配しないで。おそらく、そこまで悪い待遇ではないらしいから。ベルファンド人で学院卒だと奴隷待遇でも、貴族や豪商の下で専門職として働く事になるらしいわ。自由や人権が無くなるだけで、基本的には大切に扱われるらしいから。売られる先にもよるけど、長い期間勤めたら恩赦でその国の市民権が獲得できる事例もあるらしいし。そうすれば、また戻ってこれるかもしれないからね」
軽く言うが、想像ほどに緩やかな道ではない。若く、高い位階を持つ魔術師である彼女は、当然ながら高い値段が付き、購入するのは相応の身分の者であろう。そして、高い買い物を雑に扱う人間はいない。どれほど間違っても性奴隷になどにはされないであろう。
けれども、奴隷は奴隷である。自由と人権はない。仮に外れの飼い主であっても逃げ出すことはできない。高等学校を卒業できるほどの知性を持つ少女がそれを想像できないはずはないのである。
それなのに。
「頼みがあるの」
フィリアが言う。
「リーニャを頼める?私がいなくなった後、あの子、独りになってしまうから」
フィリアは、寂しそうに言う。
「この国の、孤児の扱いはどうなってるの?」
「引き取り手がいなければ、孤児院に預けられるわ。ベルファンド人は優遇されているから、セインブルグ人と同様に成人まできちんとした教育を受けられるし、成人の十五歳までは国の監修で保護される。三層のスラムでゴミ漁りをするようなことにはならないわ」
「それを聞いて安心したわ。別に、家で預かってくれなんて虫の良い事を言うつもりはない。ただ、少し気にかけてくれるだけで良いのよ。あの子はしっかりしているから、たぶんそれだけでやっていける」
フィリアはそう言うと、リーニャの傍に歩み寄り、彼女の鮮やかな赤の髪に触れた。
「本当はね。今日、ミシューに頼むつもりだったのよ。こいつ、情だけは強いから。けど、やっぱりあんたで良いわ。少し話してみてわかった。あんた、無茶苦茶良い奴だから」
「ミシューなら、喜んで家で引き取ってくれると思うわ」
「かもね。だから嫌だったのかもしれない」
と、言い。
「なんで、私がミシューを誘ったか、解る?」
「善意で無い事、だけは」
「こいつを、はめてやりたかったよ」
それも、薄々勘付いている。
「こういう、心根の優しそうな人間が、心の奥底に一物を抱えていることを証明したかったのよ。こいつが、見た目通りの善人ではなく、自分の為なら人を陥れることも厭わない、闇の深い人間だと証明したかったの」
「証明は、出来たの?」
「駄目だったわ」
フィリアは残念そうに肩を竦める。
「こいつは、やっぱり良い奴だった。それも、骨の髄まで甘ったるい性格の善人。辛党の私には胸焼けしそうよ。こいつ、多分誰かを助ける為なら、平気で誰かの盾になるような性格よ。口では何と言おうとも、そういう性根の奴なのよ」
非常に納得できる。蜂蜜をまぶしたサトウキビ程に甘い性格をしている。
「だから、本当はこんな奴にリーニャの事を頼みたくなかったの。貴方ぐらいがちょうど良いのよ。後先考えずになんでもかんでも助けてしまうのではなく、多少打算や計算が含まれる、ほろ苦い程度の優しさの奴が」
「なぜ?」
「この子はこれから天涯孤独になるのよ。蜂蜜女に任せたら、骨まで溶かされて、おそらく、きっと、独りでは生きていけなくなる」
それはおそらく、真の愛情なのだろう。愛玩動物のようにただ弄ぶのではなく、その者の将来まで見据えて、大事に導く。唯一の裏切りは、その者が一人で歩むまで傍に寄り添えない事だけである。
だからカーリャは、仁義に応えた。
「解ったわ。あの子が一人で歩めるまでは、きちんと見守る」
「ありがとう」
フィリアは、優しく微笑んだ。
〇○○
眠りこけるミシューを背に、カーリャは帰り際、フィリアから受け取った小袋を片手に闇夜の中、帰路についていた。城に帰る前に、この娘を大通りの裏手にある小さな聖域に戻さなければならない。城に着いたら、おそらくグランクはご立腹だろう。美味しい土産話を渡したところで、怒りを鎮める自信はカーリャには無かった。
小袋は、そこまで重くはなく、子供が飴玉を入れる巾着ではないかと見紛うようほどのものであった。だが、カーリャはその小さな小袋の中に、九枚の白金貨が入っていることを知っていた。
馬鹿な娘だと思う。彼女の借金がどれほどかは知らないが、おそらくこの白金貨があれば少なくとも、現在の困窮した状況から逃れられるだろう。そうなれば、人生をやり直す日の目も見えてくるというのに。
けれども、フィリアはそれをしなかった。ミシューに借りをつくるのが嫌だという事もあるだろうけれども、おそらくそこで、そうしないことがフィリア=フェルトという少女の生きざまなのであろう。
ミシューの借金は、全部自分が持っていくと言っていた。重ねてしまったら、千も二千も同じ沢山という事なのだろう。
結局、彼女も良い奴だった。
軍の諜報部隊が動いている。おそらく、早ければすでに奴隷売買の明確な日程も調べ上げている頃合いであろう。大国の暗部は甘くない。
ならばこそ、あのような娘を国から放出させることは、国主として必ず阻止しなければならない。
「はっきゅしゅ」
背中で小鳥が囀る。
小金貨はすぐに返さないで、しばらくカーリャが預かっておくことにした。このわきの下が甘すぎる小娘は少し、痛い目を見た方が良い。この彼女の資産は、彼女がもう少し追い詰められてから返却することにしようとカーリャは思った。国一個保有している彼女にとって、こんな小袋の金は文字通りのはした金であるのだから。
日は沈む。夜は闇に包まれる。当然ながら、明日は訪れるが、当然ではないかのように明日が訪れない人間もいるのであろう。魔灯の光を共有した泡沫の友人のように。
そう考えながら、カーリャは魔灯にともされた路地を足で鳴らし続けた。
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