「気づけばすでに手遅れだった」 1
明けて翌日。
グランクの熱心な火消しも泡沫のごとく空しく水泡に帰し、カーリャ=レベリオンは普段の和洋折衷な平服に着替え、蒼海のような髪をなびかせて、クリュール区随一の大通りであるクラムストリートを歩いていた。どうにも火消しをするには火が燻り過ぎていたらしい。さもありなん。
空は満天、そして蒼天。嫌らしいほどに夏真っ盛り。先日の議会で起きた不穏な空気など感じることが難しく思われるほどに街は活気に満ち溢れ、人の喧騒がやむことはなかった。
取り立てて特筆する程の事はない普段通りの日常が繰り広げられ、明日の心配もほどほどに、今日という日を楽しむ無垢なる民。かつての彼女の故郷であるグラフェルク郡ならば、飢饉等の自然的要因の為に明日の食すら心配する必要性が生じていたというのに、いかに王都が治安良いかという証明であった。
日中という事もあり、人に溢れた大通りをカーリャはなんともなしに歩みを進める。
王都随一の飲食街の、王都随一の大通りともなると、様々な店舗が軒を連ねる。衣服や雑貨等を取り扱う日用品店、エールやワインを取り扱う酒店、海外や他領より来訪した者が滞在する宿も存在する。都市間における荷の運送を承る配送業などはこのアークガイアの特色なのではないだろうか。王都は広すぎて、他区に足を延ばすには下手をすれば半日や一日がかりなのである。なので、配送業の需要は高い。
他にも諸々。
中でも、やはり飲食店の軒数が取り立てて多い。主食である小麦を使った小麦団子やパスタ、ウドゥン等を扱う大衆的な食堂から、鳥、羊、猪等の肉料理を提供する店。大衆酒場なども存在し、区の直轄である飲食組合が経営する大衆食堂兼酒場などは他区からも客が訪れる程に有名である。
ラバに引かせたカートと両手で数えきれないほどすれ違う。オートマタの魔導車が実用化されてから幾分かの時が経つが、いまだに高級品で王都における交通の主流はカートやバギーである。ペダルを踏んで動く車が街中を縦横無尽に走る時代など夢物語だなとカーリャは思う。
大通りなのに閑古鳥の鳴いているしけた小麦団子屋の角を曲がり、更に裏手。博打の神の天啓か、よほどの気まぐれを起こさなければ足を踏み入れる気も起らないような典型的な裏路地を少し歩くと、見えるのはアンティークな洋装の店構えであった。
ブーランジェリースフィール。
不可思議な小麦の加工食品を販売する地域密着型の飲食店であり、最近では、地元で知る人ぞ知る良店として名を馳せ始めている。裏を返せば、知らない人間には全く知られることのない無名な飲食店でもあるのだが。
出される料理の品は良く、味の割りに価格は安い。朝食などは小銀貨一枚で飲み物まで付いてくる。コスパに勝るとはまさにこのことである。
内装も綺麗で、店主のきめ細かさがうかがい知れる。客席数は多くないし、店内もお世辞にも広いとは言えないが正午の暇な一時を過ごすには最適解の一つと断言できるだろうとカーリャは常々思っていた。
ただ、残念なのは立地問題である。普段なら気にも留めない典型的な裏路地。おそらく店主は、大通りの傍ならば多少人目につかなくても人気が出るだろうと思っていたのだろう。ただ、見通しが甘かった。客はことごとく大通りの有名店に取られ、わざわざ裏路地にひっそり佇む、何を食わせるのかもわからない不可思議な小麦料理店に足を踏み入れる物好きはおらず、一時は閉店の危機にまで陥っていた。好事家なインフルエンサーの影なる助力によってそれは辛うじて防がれたが。
実のところ、先ほどの大通りにある人気のない小麦団子屋と立地を交換した方が良いのではないかとまでカーリャは思ってしまうが、自分の愛店が多くの人間に知られ、閑散とした憩いの一時が失われるのもまた、嫌なのであった。一言で言い表すのならば、適度に寂れていて欲しい。カーリャの歪んだ愛情がここに存在していた。
初めは一刻近く、丸々迷ったが、今は手馴れたものである。目をつむっていてもたどり着ける気までする。まだ時節の一つを跨いだ程度であるのに随分馴染んだものだとカーリャは感じずにいられなかった。
玄関前に立てかけられた看板には、本日営業中と書かれていたが、この店が休業しているのをカーリャはいまだに見たことがなかった。年中無休。春夏冬中。月月火水木金金。随分と頑張るものだとカーリャは感心する。店主が半ば、道楽でやっているので、仕事が楽しくて仕方がないのだろう。
今日、ここを訪れた理由は、先日の円卓議会で話し合われた一連の事件についての注意喚起をするためである。勿論、情報の出本は伏せて。妙に癇の鈍い小娘なので自身の出自がばれる心配など微塵のミジンコほどにもしてはいないのだが、用心に用心を重ねることは悪い事ではない。脳みそがスポンスポンなスポンジで目が節穴この上ないあの小娘だって天文学的な割合で気付く時は気付くのである。
ただ、実際の話、杞憂に終わるとは思っていた。クリュール区の市民に対して現在進行形で起きている事件なので、あのチンチクリンの小娘が関係しない話ではないのだが、いくら頭の中身が宙ぶらりんなノータリンでも、ああいったあからさまな詐欺に引っ掛かりはしないだろうという安心感はある。元々が自分で事業を運営しているだけあって金銭管理に関しては割としっかりしている印象があるし、そもそも、あの場では区長に大げさな物言いをされたが実際の被害件数が千に届く大事件というわけではない。クリュール区の現在の総人口が二十万人を少し上回る程度なので、実際の人口における被害者の割合は一分以下。三百人区民を無作為に選んで、一人か二人は騙されるといったところである。よもや、そんな低い割合で墓穴を掘るわけがあるまい。
ただ、重ねて言うが用心に用心を重ねるのは悪い事ではない。もしかしたら彼女の昔の旧友が突如現れて、彼女を悪い道へといざなうかもしれない。そういった状況に対処する、という意味合いを含めてここで一つ、言い含めておくのが真なる友情というものであろう。
ついでに、友情の見返りに珈琲の一杯でもサービスしてもらえないかなと、カーリャはセレブリティの癖して妙に貧乏くさい事を考えながら、ブーランジェリースフィールの扉を潜った。
「お邪魔するわよ~」
すると。
景気良く扉の開く音に呼応するように。
天使のように軽快に。
朝露の妖精が目覚めの挨拶を告げるように。
透き通った声が。
幸せな山彦のように。
来訪した旅人を、豪雨の中の大樹の軒下で一時の癒しに誘うかのように。
精彩な蝶の歌声で。
可憐な水の飛沫で。
蒼海の風の調べのように。
元気に。
爽快に。
答えた。
「いらっしゃいませ。ハラム公認シルバーディストリビューター直営店スフィールへようこそ!購入ですか?会員登録ですか?それともビジネスの打ち合わせですか?」
壮絶に手遅れだった。
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