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リサママと人類支配計画

カーテン越しの明かりが優しく包み、目覚めさせてくれる。

僕は念のためにセットしておいた目覚まし時計を止めて、枕元にある眼鏡を手探りで取る。体を起こし眼鏡をかけ、「朝か……今日も天気は良さそうだな」とつぶやくと、「さて、朝ご飯を準備しなきゃな」と気合を入れて起き上がり、背伸びを一つしてから身支度を整える。

そんないつもどおりの朝だったけど、台所に入るとリサが朝食の準備を始めていた。もういつもどおりとは言えない……そういえば、昨晩は彼女が結衣ちゃんを寝かしつけてくれたんだった……。突然現れたこの美しい女性は、たった一日で我が家に馴染んでしまっている。

僕が「おはようございます」と挨拶をすると、リサの鋭い視線が刺さる。なにこのご褒美……いや、僕がなにかしたのだろうか?

手を止めて僕に向き直ったリサは「マスター、おはようございます」と丁寧にお辞儀をしたあと、「ところで、いつまで他人行儀な態度を取るのですか?」とムッとした表情で首を傾げた。

「えーっと、いつまでって言われても、昨日初めて会ったんですけど……な、なにか気に入らないのかな?」

「マスターの優しい言葉は、普段どおりの口調が一番合います」

「そうなんですか?」

「ほら、また。練習です、『リサ、愛してる』と言ってみてください」

——何言ってんだコイツ。どさくさに紛れてよからぬ言質を取られてしまいそうだが、彼女の言い分にも一理あるような気がして、「気をつけるようにするよ」と応じた僕に、彼女は「まあ、いいです」と言って流しに向かい、野菜を洗い始めた。

「それと、私のことは『愛しのリサ』と呼んでください」

「『リサ』って呼びます」

再びリサの手が止まり、横目で一瞬向けられた視線が鋭く僕に突き刺さった。


リサが料理をしているのを、じっと見ていても仕方がないから、「僕も手伝うよ……リ、リサ」と少しビビりながら声をかけると、彼女は満面の笑みで僕に振り向いた。

「マスター、洗った野菜を切ってください」そう言って彼女が視線を向けたまな板の上に置かれているのは、さつまいもと長ねぎ。

「何に使うの?」

「味噌汁です」

なるほど、さつまいもの味噌汁は子どもにも好まれそうだ。とりあえず一口サイズにさつまいもを切る。いつもは時短のために小さく切るが、今日はまだ余裕があるから、いつもより少し大きめに切り分けていく。

「マスター、見かけによらず器用なんですね」

「一言余計な気がするけど、ひとり暮らしが長いから、これくらいのことはできるさ」

リサが僕の背中越しにまな板をのぞき込む。何とは言わないが、背中が幸せに包まれる。

「いえ、完璧なほどに大きさがそろっています。これなら全部が同じ時間で食べごろになります」

彼女がふと動くたびに、鼻をくすぐるいい匂いが、包丁を持つ手を狂わせる。

「そ、そうなんだ。そこまで考えていなかったよ。あのさ、包丁を持っていて危ないから、少し離れてくれない?」

リサは僕の耳にふっと息を吹きかけて、冷蔵庫のほうを振り向いた。


卵を手に戻ってきたリサは、手際よく玉子焼きを作り始めた。野菜を切り終えた僕は、彼女の料理を見ていたが、魔法のようにふわっとした玉子焼きができあがっていくのに驚いた。

「リサも器用だね。僕にはそんな美味しそうな玉子焼きは作れないよ」

「はい、マスターより器用です」

この人、少しはお世辞など言えないのか?と呆気にとられていると、「ですが、私は機械関係の方が得意です」と話が続いた。「機械関係?たとえば?」と問いかける僕にリサは一瞬視線を向けたが、すぐに手元に戻った。

「そうですね。剣などの原始的な武器から、最新の兵器、諜報用機器まで製造することができます。あとは銃器の取り扱いも得意です」

——なにその機械?僕が知っている機械とは違うようだ……そういえば、マシンガンを持っていたな。あれって、持っていても大丈夫なのだろうか?

「マスターは、セクハラ発言と箱ティッシュを高速で三枚取り出す以外に、得意なことはありますか?」

この人は、僕と話がしたくてここに来たとか言っていたけど、本当は罵倒しに来たんじゃないのか?

「あっ、これは失礼しました。まだ朝でしたね」

——いや、時間の問題じゃないだろ……

「そういえばさ、ここでの重要な任務ってなんなの?」と問いかけた僕にリサが微笑んだ。

「こうしていると、夫婦みたいですね。あ・な・た」

思わぬ不意打ちになぜか照れくさくなって「そ、そうかな?」と顔を伏せると、玉子焼きを作り終えたリサが迫ってくる。

「はい。もう夫婦と言っても誰も疑いません。マスター、今すぐ、ここでプロポーズしてください」

——何言ってんだコイツ……

このままだとリサのペースの飲まれてしまいそうな気がして、「そろそろ、結衣ちゃんを起こしてくるよ」と、僕は逃げるように台所を後にした。


「魔女っ娘になれると言った私の嘘がバレないように、必ず阻止してみせます」リサのつぶやきはウインナーを焼く音にかき消された。


——結衣ちゃんを起こして居間に入ると、ちゃぶ台の上に朝食が用意されていた。ご飯と味噌汁、玉子焼きとウインナー、そしてサラダ。ありきたりな朝食なのに、今朝はなぜかとても美味しそうに見えるのが不思議だ。

結衣ちゃんは「わー、おいしそー」と声を上げて、うさぎのぬいぐるみを抱いたまま、ちゃぶ台の前に座った。

「結衣ちゃん、うさぎさんは置いとかないと食べにくいよ」

僕が注意をすると、結衣ちゃんは「いやー!」と言ってますます強く抱きしめてしまった。その様子を見ていたリサが結衣ちゃんににこりと微笑むと、「結衣さん、ここにうさぎちゃんを座らせましょう」と言って、スカートの中から小さな椅子を取り出し、結衣ちゃんの隣にそっと置く。

結衣ちゃんはその椅子にうさぎのぬいぐるみを座らせると、にこっと笑ってリサを見た。

「ありがとー、リサママ」

「どういたしまして。さあ、ご飯を食べましょう」

「うん!」

あまりに自然で危うく聞き逃してしまいそうだったが、『リサママ』ってどういうことだ?昨晩、結衣ちゃんに何を教えたんだ?

「結衣ちゃん、『リサママ』って何かな?」ひきつった笑顔で問いかける僕を見て、結衣ちゃんはかわいく首を傾げた。

「リサママはリサママだよ」

リサを見ると、すました顔で朝食を食べている。

「亜希ママは?」

「ママはママだけど、リサママはリサママだよ」

「だそうですよ、あ・な・た。ご飯を食べないと遅れてしまいます」

——どうやら、たった一晩で何かしらの包囲網が築かれてしまったようだ。


朝食を食べ終わるとすぐに、僕は結衣ちゃんの登園かばんに着替えなどを詰める。自分のものならともかく、忘れ物があると結衣ちゃんは困るし、三浦先生にも迷惑をかけてしまうから、少し慣れてはきたがプリントで忘れ物のチェックは欠かさない。

「よし、準備できた。結衣ちゃんは着替え終わったかな?」

先代店主の部屋に追い出され、結衣ちゃんとリサに占拠されてしまった僕の寝室に入ると、着替え終わった結衣ちゃんがちょこんと座っていた。

「あれ、リサは?」

「リサママはおべんとー」

お弁当?よくわからないが、まあいいだろう。僕が結衣ちゃんに「結衣ちゃん、保育園に行こうか」と微笑みかける。彼女は満面の笑みで「うん、いくぞー!」と言ってぴょんと立ち上がった。

居間から店に出ると、いつも僕が座っているカウンターの椅子にリサが腰掛け、パソコンの画面を見つめていた。

「何してるの?」と聞くと、リサは画面から目を離さず、「この店のことを勉強してマスターをお手伝いします」と真剣な表情をしている。

真面目なときは凛としていて、素敵な女性だが……いろいろ気になることが多い。「なんでパスワードがわかったんだ?」僕のひとり言に、リサは「頭の悪い男性の大半は、生年月日をパスワードに設定するものです」と貶してくれた。

そんなリサを無視して結衣ちゃんが靴を履くのを待っていたら、リサが笑顔でこちらに振り向いた。

「マスター、この破廉恥な格好をした女性の画像がたくさん入っているフォルダ以外に、見てはいけないものはありますか?」

もう、なんとでも言ってくれよ……

「それを見たなら他にはないよ」

「わかりました」

ため息をついた僕に「おじちゃん、つかれたの?」と可愛い声が届いた。

「疲れてないよ。結衣ちゃん、準備できたかな?」

「うん!」

僕は結衣ちゃんと手をつなぐと店を後にする僕たちに、リサが「気をつけていってらっしゃいませ」と優しく声をかけ、見送ってくれた。


登園途中、チャイルドシートの結衣ちゃんはいつも以上にご機嫌で、「リサママがー、えほんよんでくれた!」とか、「リサママのごはんおいしいねー」とか、「リサママとおふろはいるのー」とか、終始リサの話ばかりしていた。たった一日で結衣ちゃんをリサに取られた気分で、ちょっと妬けてくるが、女性同士の方がいいこともあるのだろう。

「今日はリサとお風呂に入るの?」と尋ねると「うん!」と嬉しそうに返事をする結衣ちゃんだが、保育園でもこの調子で話されたら、三浦先生に余計な詮索をされそうでしかない。でもいつまでも隠せるようなことでもない。

「まあ、いずれバレるんだし、別にいいか」

「いいかー!」

バッカル二号改Ⅱは保育園までの十分間、楽しい雰囲気を振りまいて、ぴより野町を駆け抜ける。


結衣ちゃんを送ったあと、園長先生面接のときに提出する書類を取りに、僕は市役所にやってきた。相変わらず窓口は混んでいるが、今日は店番以外の予定はないから、多少時間がかかっても問題はないだろう。

「しかし、ここは年寄りの社交場か?」などと、ぶつぶつ言いながら申請書を書いていると、「あれっ、源屋さんじゃないのー。何やってんの?」と声をかけられた。顔を上げて振り向くと、馴染みの爺さんの笑顔が目に入った。——ていうか、顔が近い……

この爺さんは、先代の頃からの馴染みで自分の依頼だけでなく、お客さんも紹介してくれるありがたい存在。元は市役所で働く公務員だったらしいが、定年後はぴより野町を徘徊するのが趣味になったらしい。だが、たまに迷子になる。

「おはようございます。今日は住民票なんかを取りに来たんです」

「そうかそうか。ところで、先代はどうしてんのかな?」

先代のことはいろんな人から聞かれるのだが、僕も知らないので答えに困る。

「海辺の別荘で老いた体を労わるって言って、出ていったきりなんです。全然連絡も取れませんし」

「そうか、源さんらしくていいじゃないのー」と言ってうなずく爺さんに愛想笑いで応じていると、「源屋さんな、そろそろ家の裏の草刈りを頼めないかな?」とさらに爺さんが顔を近づけてきた。仕事をもらえるとは……今日、市役所に来たのは天の導きだったようだ。

「ありがとうございます。そろそろ暖かくなってきましたからね。来週で良かったら行けますよ」と応じながらも、思わず緩む顔を隠しきれない。

「そうかい、助かるよ。いつもと同じ値段でやってくれるかな?」

「もちろんです。天気の都合もありますから、今日の夕方にでも日程を連絡しますが、いいですか?」

僕の提案に爺さんはうんうんと大きくうなずき、「そんじゃ、頼んだよ」と言い残して、立ち去っていった。


「これ、お願いします」

「住民票と所得証明書を一通ずつですね」

「はい。お願いします」

窓口に申請書類を出した僕は、正面からの視線に気づき、顔を上げた。やはり、魔女っ娘としての才能が目覚め始めたのか、やけに視線に敏感になったようだ。その女性は僕の顔を見つめている。

その女性のことに気づき声を詰まらせた僕に「篠田君、変わってないね」と彼女は微笑み、書類を手に奥へと立ち去った。

さっきの女性は、小学校の同級生で宮坂美緒。六年生の運動会で彼女と手をつないだ僕は、彼女を好きになってしまった。それからは彼女を見るのも恥ずかしくて、一度も話をしていない。ちなみにそれ以降は、結衣ちゃんと手をつなぐまで、異性と触れ合うことのなかった鉄壁の男だ。

なぜか帰りたくなった僕の元に、書類を手にした宮坂さんが戻ってきた。

「お待たせしました」

「あ、ありがとうございます。宮坂さん……」

緊張して目を合わせることができず、うつむいたままお金を取り出す僕に、「覚えていてくれたんだ」と彼女は声をかけてくれたが、僕は黙ったままうなずき、「ありがとうございました」と礼を伝えて逃げるようにその場を去った。

書類を手に、早足で市役所を出た僕は、大きくため息をついた。

「なんか緊張したな……ここで宮坂さんと会ったのは天が導いてくれた運命かもしれない」

バッカル二号改Ⅱにまたがり、気合いを入れ直すと、「いや、運命なんかじゃない……」とつぶやき、エンジン全開でバッカル二号改Ⅱを発進させた。

「これは魔女っ娘になるための試練なんだー!」

宮坂さんからの試練という名の誘惑を振り払うように、僕は雄たけびを上げながら帰路についた。


店に戻った僕は扉の鍵を開けようとしてふと思い出した。「そうだ、リサがいるんだった」扉を少し開けてのぞき込むと、カウンターからリサがこちらを見ている。

「おかえりなさいませ、マスター。そこで何をしているのですか?」

ガラガラと音を立てて扉を開け、「ただいま。リサいるかなって思ったから」と話しかけながら店に入る僕にリサが微笑みかけた。

「ご安心ください。マスターに何を言われようと何をされようと、たとえマスターを殺してでも、私はここに居座るつもりですから」

今の言葉のどこに安心要素があったのだろうかと、思案しながらカウンターの中に入ると、たった一つの椅子をリサが使っているせいで、座る場所がない。仕方なく立ったまま「リサは何をしてたの?」と尋ねる僕を見て、彼女は立ち上がりスカートの中から真新しい椅子を取り出して僕の前に置いてくれた。

「ご覧の通りマスターの椅子を温めておりました」

「そうだったんだ。ありがとう」

見てわかるものではないと思うが、ありがたく使わせてもらうことにして腰を下ろす。たしかに椅子は温まっていた。——が、その必要性が僕にはわからなかった。

しかし、あのスカートはどうなっているのだろうか?朝もぬいぐるみの椅子を取り出していたし、僕が腰掛けている椅子も、スカートの中にしまえるサイズではない。だが、ここで興味を示すと、また内ももに挟まれて拷問されてしまうかもしれない。

下手なことを言い出せず冷静を装い振る舞う僕に、「マスター、お茶をどうぞ」とリサがコップを手渡してくれたが、これもスカートの中から取り出したように見えた。飲んでも大丈夫なのか?

コップの液体をじっと見ていると、リサが話しかけてきた。

「見かけによらず几帳面なマスターの記録を拝見し、仕事の内容は完璧に理解できました」

「その『見かけによらず』って必要あった?」

「はい、仕事の内容から売上の記録、さらには女性のいかがわしい画像まで、細かく分類・整理されておりましたので、その一見真面目そうな黒縁眼鏡に今は悪意しか感じません」

もう何も言わない……リサの嫌味に答えるより、この液体を飲んでもいいのか考えてみよう。

「ですが、どうしても理解できないことがありますので、教えていただけませんか?」

どうせつまらないことだろうけど、一応聞いてみようかと、「何がわからなかった?」と言って視線を向けた僕に、リサは「この店の存在です」と言い放った。なにその全否定……

「仕事のほとんどは、マスター自ら現地に赴き実行する必要がある仕事です」

「たしかにそうだね」

「ごくまれにこの店を訪れて仕事を依頼される方もいらっしゃるようですが、九十八パーセント以上は電話での依頼です。商品のように陳列されているものも拝見しましたが、すべて壊れているガラクタでした。いったいこの店は何のためにあるのでしょうか?」

突然全否定されたと思っていたが、その内容は意外と真面目な質問だった。しかし、この答えはもう決まっている。

「先代店主の趣味だな。あとは、お客さんも店があった方が仕事の依頼もしやすいんじゃないかな?」そう言ってリサを見ると納得したようにうなずいている。

「ではもう一つお伺いしてもよろしいでしょうか」

「なんだろう?」

「ここに陳列しているもの以外に、壊れていないものも回収されているはずですが、それはどこにあるのでしょう?」

「売ったよ」

「売った?やはり壊れていないものはすぐに売れるのでしょうか?その割に帳簿に記載がありませんでしたが」

「いや、すぐに現金化できるものは、他の古物商なんかに買い取ってもらって、売れた額の何割かを値引きとしてお客さんに還元しているんだ。それでも多ければ現金を渡している。先代からの教えなんだよ」

真面目な話で少し喉が渇いた僕は、無意識にコップの液体を口に含んでしまった。普通のお茶で安心したけど、スカートの中から出す必要はあったのだろうか?

「ところでマスター、記録を見る限り、引き取ったガラクタは他にもあると思うのですが」

リサは矢継ぎ早に質問を投げかけてくるが、この短時間でどこまで把握したんだろう?少し怖くなってきた。

「あるよ。裏の倉庫に入ってるけど、見てみる?」と尋ねたら、「是非見せてください!」と珍しく声を弾ませたリサが、目を輝かせて僕に顔を近づけてきた。

「じゃあ、行ってみようか」僕はカウンターの引き出しから鍵を取り出し、リサと一緒に倉庫へ向かう。


「長いこと開けてないからな……ホコリまみれなんじゃないかな」

倉庫の重い扉を引くと、なんとも言えない匂いの空気が溢れ出てきた。中は予想どおりホコリまみれで、足の踏み場どころか隙間もないほどガラクタが積み上げられ、外から眺めることしかできない。すぐ見える位置には家電製品やカーステレオなんかが置いてあるが、先代の頃から回収しているんだから、もっといろんなものが入っているはずだ。

「これは……すごいですね。これは捨てるのですか?」

「うーん。お客さんの思い出もある品だから捨てるなって先代は言ってたけど、さすがにもう置き場がないよな……」

何気なく見たリサの横顔はガラクタに期待に満ちた表情を浮かべていた。そして突然僕の方へ振り向くと、そっと両手を取った。

「マスター、お願いがございます。これを修理して売ってみたいです」

「えっ、修理できるの?」

「もちろんです。お願いします。お礼に身も心もマスターに捧げます。殺したりしませんから」

たしかにリサは機械関係が得意って言ってたな。それよりも——いつか僕を本当に殺すつもりだったんだ……

「そうだね。売れなくても、修理してこのガラクタがもう一度日の目を見るのならいいと思うよ」と答えると、「ありがとうございます、マスター」といきなりリサに抱きつかれた。

あー、不思議と幸せな気分になる。もてない男に見せつける以外の、恋人同士が抱き合う理由を少し理解できたような気がする。

「店番の暇つぶしにもなるだろうし、あとは任せるよ」

「はい、マスター。大好きです」

フローラルないい香りと、これまで聞いたことのない愛情表現の言葉が僕を誘惑する……今日はなんて試練の多い日なんだ。やはり魔女っ娘への道は険しい。


結局、成り行きでリサが店番とガラクタの修理をすることになり、倉庫になっていた二階の部屋から工具を運んだり、その部屋にも置かれていたガラクタにリサが目を輝かせたり、スマホに転送されるだけだった店の電話を使えるようにしたりしているうちに、結衣ちゃんを迎えに行く時間になっていた。

「そろそろ結衣ちゃんを迎えに行くよ」と僕が声をかけると、「もうそんな時間ですか?」とリサは時計を見て少し驚いた様子を見せた。

「では私は夕食の買い物と漁に行ってきます」

ん……『漁』?聞き間違えたかな?「えっと、今なんて……」聞き直す僕に、「なんでもありません。マスター、鍵をかけ忘れないでください。ここは宝の山ですから」と言い残して、リサは出かけてしまった。


保育園で結衣ちゃんを乗せたバッカル二号改Ⅱは、帰りも快調に疾走する。結衣ちゃんもご機嫌でチャイルドシートから話しかけてくる。

「おじちゃん、きょうはしちゅーだよ」

「そうだったね。リサとお風呂に入るのとどっちが楽しみ?」

「んーとねー……おふろ!」

あれ、意外な答えが返ってきた。てっきりシチューの方が楽しみだと思っていたんだけどなあ。

思えば、僕も小さい頃はシチューは好きだったな。作るのが面倒で、ひとり暮らしを始めてからは一度も食べていないけど。学校から帰って母さんがシチューを作っている日は、夕食までの間はテンションが上がった。早く食べたくて部屋と居間を何度も行ったり来たりしたものだ。いつからだろう、あまり食べなくなったのは。

「きょーはしちゅーとおふろのひー、きょうのしちゅーはー、おにくー!やー!おふろはリサママ!えーい!」

楽しみが頂点に達したのか、結衣ちゃんがついにオリジナルソングを歌い始めた。

「よーし、ちょっとスピードを出して帰りますかー」

僕は眼鏡を押し上げて、エンジンに喝を入れスピードを上げる。

「わー!おじちゃん、だしてー!だしてー!」

バッカル二号改Ⅱは勘違いを招きそうな声を振りまき、ぴより野町を疾走する。


店に戻って、天気予報を見ながら日程を決め市役所で出会った爺さんに連絡を入れたり、雑用を片付けたり、店の掃除をしたりしていたら、すっかり日も落ちていた。

「そうだ、忘れないうちに準備しとかなきゃ」と市役所で取ってきた住民票と所得証明を、園長先生面接シートにクリップで綴じようとしたとき、ふいに目についた自分の所得を見て驚いた。

「僕の収入、結構多いんだな。ぜんぜん知らなかった」言ってはみたが、よく考えればこれが多いかどうかは、同年代の収入と比べないとわからないよな。僕の感覚では多いと思っても、一般的にはすずめの涙ほどかもしれないし。

まとめた書類をカウンターの引き出しにしまったとき、「マスター、ご飯ができました」とリサの声が聞こえた。居間に入ると、ちゃぶ台の上には湯気を立てるシチューとサラダ、中央にはバゲットが置かれていた。

「おじちゃーん、はやくすわって」スプーンを握った結衣ちゃんに催促されて座ると、「いただきまーす!」と弾む声と同時に結衣ちゃんはシチューをスプーンですくい、頬張る。

「おいしー!リサママおいしーよ!」

「結衣さんに喜んでもらって、私もうれしいです」

いや、実に尊い光景だ。ありがたすぎて思わず拝んでしまいそうになる。

「これは、リサが来てくれたことに感謝しないといけないな」とにやけた顔でつぶやきながらシチューにスプーンを入れようとして、手が止まった。

「——なんだこれ?」

僕のシチューに何かがいる。結衣ちゃんとリサのシチューをのぞいてみるが、この何かは入っていないようだ。それをすくうと、スプーンの上でぬらりと光った。

「なんだろう、これ?」

「ドジョウです」

「ドジョウか……」

もう疑問が多すぎて、何から聞けばいいかわからない。スプーンの上のドジョウを見た結衣ちゃんは、「おじちゃんのしちゅー、どじょうがいるー!」とケタケタ笑っている。

「なんでドジョウが入ってるんだろう?」

「入れたからです」

リサ、それはそうだろう。ドジョウが勝手にシチューに入るわけがない。

「いや、そうじゃなくて。なんでドジョウを入れたんだ?」

「獲れたからです」

あー、たしかに漁に行くって言ってたな。

「なんのためにドジョウを入れたんだ?」

「滋養強壮作用があるからです」

僕がさらに問いかけようとすると、リサは顔をそむけた。

「結衣さん、このバゲットを柔らかくなるまでシチューに浸すとおいしいですよ」

「うん!」

仕方なくドジョウを食べてみたが、泥臭さがシチューにまったく合わない。僕はリサに何か悪いことをしたのだろうか……顔を上げると、結衣ちゃんが奇妙なものでも見るように、顔をしかめて僕を見つめていた。


風呂に入って部屋でくつろいでいたら、扉がキーッと音を立てた。振り向くとリサが部屋をのぞいている。

「どうしたの?」と僕が聞くと、リサは少し開いた扉から「まだ起きているのですね」と言ってこっちをのぞいている。「うん、もう寝るけど」と答えたのに、リサは部屋に入ってきた。

「マスターにも絵本を読んで差し上げます」

「遠慮しておくよ。結衣ちゃんは?」

僕の声を無視してリサは隣に腰を下ろすと、「結衣さんはもう寝ました。マスター、どちらの絵本が好みですか?」と言って、僕の前に二冊の本を差し出した。

白いバニースーツ姿の女性がウインクをしている『ぴょんぴょん学園の保健室、いけないリナ先生』と、スーツを着た女性が男性の胸に抱かれて頬を染めている『同窓会の人妻、初恋のやり直し』……なんだこれ。

「これ、どっちも『絵本』じゃないよね」

「絵本です」と言って顔をそむけたリサは、敷かれた布団を見て「今夜が初夜ですね……」と頬を染めた。

——何言ってんだコイツ……

「あのさ、もう眠いし、用事がないなら出ていってくれないかな?」

「今日のパンツは白ですが、見たいですか?」

完全に無視かよ……

「いや、遠慮しておくよ。だから、出ていってくれない?」

「もう少しいやらしい服が好みでしたか?」

「服とかじゃなくて、眠いし、出ていってくれよ」

強制的に部屋から追い出したいところだが、大きな音を立てると結衣ちゃんが起きてしまいそうだし遠慮がちに声をかけたつもりだったが、急に静かになったリサを見ると、うつむいて肩を震わせていた。

「そこまでして魔女っ娘になりたいのですか……そうですか、そうですか」

「あの、僕は何もしていませんけど」

「マスターを気遣ってドジョウまで食べさせましたのに」

「あれ、僕を気遣ってくれたんだ。嫌がらせかと思ったよ」

呆れていたら、突然リサが僕の両肩をつかんで、目を見開いた。

「いいですか、マスター。夫婦の営みというのは単に快楽を求める行為ではありません。言葉では伝えきれない想いを伝え合い、互いに確かめ合うことができます。また、オキシトシンが分泌されることにより心身の安定や幸福感の高まり、子育てにもいい影響を与え、それが子どもの健やかな成長に寄与します。ひいては夫婦間の絆を深め、結婚生活の満足度が高まるのです。それなのに、なぜ拒否するのですか?」

そんなに力説されても「いや、僕、結婚してないし……」としか答えようがない。

「たしかにそうです……わかりました。今から私にプロポーズしてください。私はそれを受諾します。これで問題解決です」

「プロポーズしないよ」と朝から二回目のプロポーズ要求をはっきり断ってやった。

「では私がプロポーズします。マスター、今すぐ私と結婚してください。そして夫婦の営みを……」

「謹んでお断りします」

「なぜそこまで拒否するのですか!」

突然のリサが大声を張り上げたので、僕は焦ってリサの肩を掴んで扉を振り返った。

「ちょ、ちょっと。しーっ、結衣ちゃんが起きるだろ」

「そんなに私に魅力がありませんか。そうですか、そうですか」

「そうじゃないけどさ」

「じゃあ、何なんですか?」

「じゃあ、逆に聞くけどさ、なんでそこまで僕が魔女っ娘になるのを阻止したいの?」

僕にとっては素朴な疑問だったが、リサは急におとなしくなり、顔をそむけた。

「それは……その……人類が滅亡するかもしれないからです」

えっ——マ、マジかよ。僕の想像のはるか上の内容に僕は驚きとともに興奮を押さえきれなくなった。

「魔女っ娘ってそんなにすごいの?」

「はい。きっと、たぶんすごいと思います」

やったぞ!これは楽しみになってきた。滅亡させることはしないが、人類の支配くらいはやってみたい。なるほど、人類の存亡がかかっているなら、リサの重要な任務も理解できる。

「それで、重要な任務って言ってたんだね」

「はい。とても重要な任務です……」

僕の興奮が頂点に達し、思わずリサの両肩をつかんでしまった。驚いた表情で、彼女は頬を染めて僕を見つめている。

「じゃあさ、一緒に人類を支配しよう。協力してくれないか?」

「マ、マスター、本気ですか?」

「もちろんさ。頼むよ」

リサは頬を染めたまま、僕の目をじっと見つめて、小さくため息をつくと、「わかりました……では、私は人類支配プログラムを立案するので、今夜はこれで失礼します」と言い残してリサは部屋を後にした。

「リサが協力してくれるなら、心強いな。あー、どうしようかな。僕と結衣ちゃんが人類を支配する……いや、影から人類を支配する魔女っ娘と少女って……くーっ、なんかかっこいいじゃないか!楽しみになってきた。これはどんな試練も乗り越えられそうだ」

僕は布団に入ると、結衣ちゃんと一緒に影から支配する地球を想像し、胸を躍らせた。


——そのドアの向こうでは、リサが小さくため息をついた。

「どうしましょう。また、嘘を重ねてしまいました。あんな純粋な瞳で見つめられたら断ることなんてできません……卑怯です。とはいえ、今さら『嘘です。ごめんなさい』とも言えそうにありませんし……」

足音を立てないように結衣ちゃんの部屋に向かうリサ。

「作戦を変更しましょう——しかし、あの顔……母性をくすぐる可愛らしい顔です」

『ぴょんぴょん学園の保健室、いけないリナ先生』は上村純子先生の『いけない!ルナ先生』へのオマージュです。私、ルナ先生の悲観的思考が大好きなので。


お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。

毎週土曜日投稿予定。よければブックマーク・評価のひと手間を。誤字は各話末の『誤字報告』からお願いします。


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