タンスの秘密と譲れない男
まごころ源号が今日も晴れ渡ったぴより野町を走る。信号待ちから発車すると、助手席で姿勢を正していたリサが、ふいに僕の方を振り向いた。
「マスター、クラッチをつなぐ前に吹かしすぎです」
「こうしないと、ノックすることがあるんだ」
まごころ源号はもう古い軽トラックだし、これくらいの不具合は出るものだろう。
「そうでしたか、あとで修理しておきます」と言って再び正面を見据えたリサに、「車も修理できるんだ……」と驚いたら、彼女は顔を窓の方に向けてしまった。
「当然です。据え膳を食わぬどころか、怖気づいてしまうマスターと一緒にしないでください」
まったく話が違うと思うが、リサはあの夜のことをまだ根に持っていることは理解できた。
結衣ちゃんを保育園に送ったあと、そんな感じのくだらない話をしながら、僕はリサを連れて実家に向かっている。僕も結衣ちゃんも相続を放棄することにしたから、結衣ちゃんの日用品と写真類を持ち帰るためだが、実家に立ち入れるのは今日が最後になりそうだし、リサに手伝ってもらうことにした。
結局、結衣ちゃんのタンスは持ち出せるが、雛人形は資産価値があるかもしれないため、持ち出せないことになった。それと、両親と兄夫婦の普段着などを処分するつもりだ。さすがに普段身につけていたものを残したまま、他人に引き渡すのは気が引ける。
駐車場にまごころ源号を停めると、リサはさっさと降りて、実家を見上げた。
「マスター、なぜここに住まないのですか?ここなら私たち夫婦と結衣さんが快適に生活できそうですが」
どこの夫婦のことを言っているのかは知らないが、わからない部分は無視しておこう。
「この家は結衣ちゃんが生まれたときに建て替えたんだけど、そのローンが残っていて、僕の収入では払えそうにないんだ」
「お金の問題でしたか……たしかにマスターは裕福そうに見えません」
ゴミ袋と段ボール箱を準備しながら、「悪かったな」と愚痴ると、「ですが、私にお任せください」とリサの声が聞こえた後、ガチャッと重い音が響いた。彼女に目を向けると、右手に拳銃を持ち、銃口を上に向けて顔の高さに掲げ、左手はスライドに添えている。
「なにそれ?」怪訝な顔で見る僕に、リサは笑顔で「H&KのP7、私のお気に入りです」と教えてくれたが、そんなことを聞いたんじゃない……
「えっと、それで何するの?」
「ちょっと銀行に行ってきます」
「へー、そうなんだー。でも、やめておいたほうがいいんじゃない?」
「ご安心ください。マスターの家まで逃げたあとは、この銃をマスターにプレゼントしますので」
「それって僕が捕まる?」
「はい」
まったく安心要素はなかったが、リサは胸を張って笑顔で話を続ける。
「魔女っ娘になるにはとてもいい環境で生活できます。良かったですね、マスター」
どことなく闇をまとったリサの笑顔から察するに、あの夜のことを相当根に持っているのだろうか?
「やめてくれないかな?実家の片付けもしたいし」
「マスターがそうおっしゃるなら仕方がありません」
リサは当然のように銃をスカートの中にしまったが、いったいあのスカートはどうなっているのだろうか?っていうか、前と違うスカートを履いているけど、あれはリサ自身の能力なのだろうか。銃がどこに消えたのかと、じっと見つめていたら、彼女が「マスター、見ますか?」とスカートの裾を少し持ち上げた。
「いや、遠慮しておくよ」
「そうですね、このような屋外では変態にもほどがあります」
とりあえず理解はしてもらえたようだが、場所の問題じゃないんだ……
実家に入った僕は、リサを兄夫婦の部屋に案内した。結衣ちゃんの部屋のものはタンス以外は持ち帰ったから、あとはこの部屋に残る結衣ちゃんの服と写真だけだが、探すのはいろいろと気が引けて後回しにしていた。
「結衣ちゃんの両親の部屋なんだけどさ、ここにあるものの分別をお願いしたいんだ」
リサは部屋を見回して、僕の方を振り向いた。
「どのように分別するのでしょうか?」
「結衣ちゃんの私物と写真類はこの箱に入れてほしい。持って帰るからね。それ以外は捨てるから、このゴミ袋に入れて。でも、高価そうなものはそのままここに置いておくから注意して」
リサはうんうんとうなずきながら僕の話を聞き終えると、小さく拳を握った。
「任せてください……しかし、なぜ写真なのですか?」
「今は無理かもしれないけど、結衣ちゃんがもう少し大きくなったら、懐かしんで見られるかもしれないだろ」
「それは理解しています」と言って、リサがテーブルの上を指さした。
「それなら、あのパソコンを確認すべきではありませんか?いくらマスターが時代遅れのバカでも、それくらいわかると思いますが」
「パスワードがわからないんだよ。てか、バカって何だよ、今日は毒づくよな」
リサは僕を無視して部屋に入ると「では、さっそく始めます」と腕まくりをする。僕は彼女に「頼んだよ。僕は一階の両親の部屋にいるから」と伝え、両親の部屋へ向かった。
両親の部屋でタンスの中のものを出していたら、アルバムを見つけた。何気なく開いてみると、少し色あせた写真の中で、幼い頃の僕と兄さんが両親に囲まれている。父さんが写真を撮っていたから、母さんばかり写っているが、中には、母さんが撮ったのだろう、父さんと僕たち兄弟の写真もある。
「懐かしいな……これは兄さんの小学校入学式の写真だな。母さんに抱かれているのが僕だよな……」
ページをめくるたびによみがえる思い出に浸っていたら、突然ドアが開き、「マスター、見てください!」と弾む声を上げてリサが入ってきた。その手には濃い紫色のパンツを広げている。
「このように股の部分が大胆に開いているパンツは、パンツとしての役割を果たさないのですが、いったいどのように使うのですか?」
「知らないよ!」
「あっ、失礼しました。童貞マスターに聞いたのが間違いでした」
コイツ、わざわざ悪態をつくために来たのか?
「しかしながら……なぜか魅力を感じてしまいます。マスター、これを買ってもらえませんか?」
「勝手に買えばいいだろう!」
リサは深々と僕にお辞儀をすると、「ありがとうございます、マスター。では私は作業が残っておりますので、暇人の相手はここまでにします」
部屋を後にするリサを見て、僕は思わずため息をついた。——いったい何だったんだ……
まごころ源号の荷台にゴミ袋と段ボール箱を積み終わった僕たちは、庭に腰を下ろし、リサがスカートの中から取り出したお茶で一息ついていた。
「あとは、結衣ちゃんのタンスだけだな」
「あれは持って帰ってもいいんですか?」
「うん、一応、弁護士さんに聞いたけど、結衣ちゃん専用だし資産価値もないから持って帰っていいって」
「結衣さんの衣類が片付きますね」
僕は黙ってうなずいた。そして、眼鏡を指で押し上げて実家を見上げる。
「将来のためにせっかく建てた家だったのにな……」そうつぶやく僕の横顔をリサがじっと見つめていたのに気づかなかった。
「マスター、タンスを運びましょう」リサの元気のいい声に励まされた僕は腰を上げた。
「そうだね。僕はロープを取ってくるよ」
まごころ源号のダッシュボードに入れていたロープを探すが見当たらない。「どっかで使ったんだったかな……」と記憶をたどりながら、荷台を見ると、ロープが転がっていた。「さっき出したんだった」と思い出し、苦笑いを浮かべてロープを手に取り振り返ると、二階の窓にタンスが見えた。
「マスター、投げますので、壊れないように受け取ってください!」
「ちょ、ちょっと待て!受け取れるわけがないだろ!」
僕の声が聞こえたのか、タンスの横からリサが顔をのぞかせて、「受け取れないのですか?」と聞いてきた。
「当たり前だろ!」と僕が声を上げると、リサはタンスを窓から下ろし「じゃあ、早く上がってきてください。待っていますので」と言って窓を閉めてしまった。
二人でタンスを二階から下ろし、まごころ源号に積み込んだ。玄関の鍵をかけようとしたところに、「マスター、少しいいですか?」とリサが声をかけてきた。
「なにかあった?」振り返った僕を見たリサは少し悲しい微笑みを浮かべた。
「二階の部屋には結衣さんの描いた絵がたくさんありました。探せばマスターが描いた絵もあるのではないでしょうか?」
僕は小さくうなずいて、玄関に向き直って鍵をかけた。そして、「もういいんだ。これだけで……」と実家に別れを告げ、まごころ源号に乗り込んだ。
大量のゴミ袋を運んだゴミ処理場からの帰り道、信号待ちの交差点で前に停まったトラックに僕は目を奪われた。
金太郎のような派手な絵と『日本全国一人旅』の金縁文字が車体に書かれている。何より、電飾の派手さとピカピカのシルバーで縁取られた車体、そしてカスタムされたバンパー。すべてが整っている。
「かっこいいよな」と思わずつぶやいた僕に、リサが冷めた口調で「あれのどこがかっこいいのですか?」と聞いてきた……おっと、これは話し合いが必要なようだ。
「リサ、古い映画だけど、一番星号ってトラック、知ってる?」
「トラック野郎ですね。もちろん知っています」
「あのシリーズのトラック、どれもかっこいいよな」
「それは理解できません」
信号が変わって、トラックがマフラーからド派手な音を上げて発進した。僕も後を追うように、まごころ源号を発進させた。
「そっかー、リサにはわかんないよなー。男のロマン」
「ロマンですか……マスターはそんな古い映画をご存知なんですね」
僕がハンドルを握り締め、横目でリサを見ると、彼女は興味深そうに僕を見つめている。
「父親が好きで、小さい頃よく一緒にビデオを観てたんだ。今は規制が厳しいから見ないけど、もっと派手なトラックも走ってたんだって……憧れるよなー」
「なるほど、マスターにとっては思い出と憧れとロマンが凝縮された存在なのですね」
「そうかもしれないなー」と父さんとの思い出に浸りながら、僕はまごころ源号を走らせた。
店に戻った僕たちは、真っ先に結衣ちゃんのタンスを運び込んだ。残りの段ボール箱を僕が運び、リサがタンスに服を片付けている。
全部運び終えた僕が、リサに「なにか手伝おうか?」と声をかけると、「邪魔になりますので、店番でもしておいてください」と部屋から追い出されてしまった。
店のカウンターに腰を下ろしたところで、ポケットの中でスマホが震えた。着信画面を見ると、印刷屋の親父からだ。「チラシができたのかな」と少し期待しながら電話に出ると、いつもの無愛想な声が聞こえてきた。
「お前さんに頼まれたチラシ、できてるよ」
「ありがとうございます。今日は時間があるので、これから取りに行きます」
「いや、ちょっとお前さんに頼みたいことがあるからよ。三十分後にメランコリックまで来てくれ」
わざわざ店の近くの喫茶店まで来てくれるほどの相談なのか、と考えると一抹の不安が頭をかすめた。「わかりました。三十分後ですね」電話を切って心当たりを思い浮かべてみるが、あの無愛想な親父の親切さには、嫌な予感しかしない。
しばらく店番という名のネットサーフィンをしていたら、リサが店に入ってきた。
「マスター、そんなにいやらしいものがご希望なら、私がいくらでもお見せしますのに」
僕のどこをどう見てそう言ったのかわからないが、無視して「見てのとおりだよ。同業者のホームページを見てたんだ」と答えると、リサは僕の隣に腰を下ろし、画面をのぞき込んできた。
「何のためにそんなことをなさっていたのですか?」
「いや、ホームページ作るのもいいかなって思ってさ。まあ、検討段階だけどね」
彼女は興味なさそうに「そうでしたか」と言った後、「お茶を淹れましょうか?」とスカートを少しまくり上げる。
「いや、ちょっと出かけるから、店番をお願いするよ」と立ち上がる僕に、リサは「わかりました。気をつけていってらっしゃいませ」と声をかけてくれる。小さくうなずいた僕はズボンのポケットを触り、スマホと財布を確認して店を出た。
——純喫茶メランコリック。意味を知って付けたのかはわからないが、なかなか鬱になるような名の喫茶店。四十代前半のマスターは影が薄く、店を訪れた客が無人だと思って帰ってしまうため、元気のいいアルバイトの存在が大きい。ちなみに夜はマスターが一人でスナック営業をして、この近所のおっさん連中の憩いの場になっている。
カランカランと音を立てて扉を開けると、カウンターに座っている女の子が振り向いた。
「いらっしゃいませー!あっ、源屋さんじゃないですかー。しばらくぶりでしたね」
「お久しぶりです」と挨拶をした僕に、女の子はにっこりと笑ってくれた。そんな明るい雰囲気を壊すように、「おう、こっちだ!」という声が店内に響く。奥のテーブル席で手を上げる印刷屋の親父だ。
「僕はホットコーヒーで」と注文すると、女の子は明るい声で「まいどありー!」と言って伝票注文を書き取る。ここまで店のマスターはまったく存在を感じさせていない……もはや達人芸ではないだろうか。
席に着くと、親父はすぐに「お前さん、大変だったらしいな」と話しかけてきた。
「ようやく落ち着きましたよ」
「そうか。まあ、気を落とさずに頑張れや」と言って、紙袋を手渡してきた。中をのぞくと、頼んでいたチラシが入っていた。「ありがとうございました。またお願いします」と礼を伝えると、親父はうなずいて、カップを手に取りコーヒーを啜った。
僕が「それで、相談っていうのは?」と本題を切り出すと、親父はカップをテーブルに置き、少し身を乗り出してきた。
「お前さん、浦島の爺さん知ってるだろ?」
「知っていますよ。この間、市役所で会いました。また迷子になったんですか?」
「いや、そうじゃない。あの爺さんがな、ぴより野町のミニコミ誌を発行するんだ」
そういえばあの爺さん、この町が大好きで徘徊してるって言ってたな。
正直まったく興味はないけど、「浦島さんらしくていいんじゃないですか」と笑っておいた僕を見て、親父はさらに身を乗り出した。
「それでだ。お前さん、広告出してくれ」
どうやら嫌な予感は的中したようだ……これも魔女っ娘の才に目覚め始めたからだろう。ただ、喜んでばかりもいられない。とりあえず「広告?」と何のことかわからないふりをした僕を見て、親父はほくそ笑んだ。
「ああ、スポンサーってやつだ。月一回発行で、最低五百部は配る。どうだ、出してくれないか?ていうか、出しやがれ」
何だよこの親父は……もうちょっと丁寧に頼めないのか?めんどくさいなって思っていたら、僕の前にコーヒーがそっと差し出された。
女の子が「源屋さんも出すんですか?うちの店も広告出すんですよ。ねー、マスター」とカウンターに向かって声をかけると、「うん……ほとんど強制だけどさ……」と沈んだ声が返ってきた。印刷屋の親父に無理やり同意させられたんだろうな……ていうか、やっぱりマスターいたんだ。
「うちの店は一番小さいサイズですけどねー」
なぜか自分のことのように嬉しそうなアルバイトの女の子を見ていると、印刷屋の親父とこのアルバイトが結託して、マスターに広告を出させたんじゃないかと思えてくるから不思議だ。
そんなことより、「でもこの小さい町で、月一回発行できるほどのネタがありますか?」と気になったことを尋ねると、印刷屋の親父はにやけた顔で僕を見た。
「それがあるんだよ。この間も、そこのドブ川で、きれいな女がドジョウすくってたらしい」
——ん?ドジョウだと……僕も最近ドジョウを見たような気がするけど……まあ、気のせいだろう。
「あー、それ私見ましたよー。すっごくきれいな女の人が、スカートを太ももまでまくり上げて、ドジョウすくってました。あんな汚い川のドジョウをすくってどうするんですかねー」
目撃者がいたんだ……そして、僕もものすごく心当たりがある。きっとその汚いドブ川のドジョウは僕が食べました……
「そ、そうなんですか……」と言いながら、リサはなんてものを食わせてくれたんだと肩を落とす僕に、印刷屋の親父は、「なっ、月に一回くらいはそんなネタがあるんだよ」と押し売りしてくる。
とりあえず深呼吸をして心を鎮め「どうせ僕に断らせないつもりなんでしょ?」と聞くと、印刷屋の親父はソファーに深く腰を掛けた。
「よくわかってるじゃねえか」
「じゃあ、うちも一番小さいやつでお願いします」
「それは無理な相談だ。もう空きがない」
「なら、できるだけ小さいやつで」
「一番小さくても見開きだ。それしか空いてない」
どうやら僕ははめられたようだ……「ちょっと待ってくれ。いくらするんだ?」と焦る僕に親父は笑顔で両手を広げて見せ、「月十万だ」とかほざきやがった。
「出せるわけないだろ……」とぼやいたとき、僕はこの親父のセコさを思い出し、カウンターに向かって「ここの店の広告料はいくらなの?」と声をかけると、アルバイトの子が「マスター、いくらなんですか?」と聞き直す。あの子はマスターの通訳もしているのだろうか?
程なく「六段で月三千円だそうです」とアルバイトの子が教えてくれたが……ということは、一ページ一万八千円……
「おい、親父……」
「もうバレたか……月三万だよ」
「セコいことすんなよ」と愚痴った僕は、コーヒーをひと口飲んで胸をなで下ろしたが、冷静に考えてみると、やっぱり高い……でも、浦島の爺さんには世話になってるから、断りにくい。
悩む僕に印刷屋の親父は「値引きしてやったんだから、決まりだな。また、浦島の爺さんがお前さんとこに電話するからよ」と言い捨てて、席を立ち店を後にした。
「なにが値引きだよ……普通の料金になっただけだろ……」
「源屋さんも大変ですねー。でも、源屋さんの広告楽しみですよー」
差し出された伝票に視線を落とす。——あの親父、コーヒー代まで僕に回して帰りやがった……
印刷屋の親父にすっかりカモられて、帰路についた僕は、紙袋の中のチラシに視線を落とした。
「ミニコミ誌に広告出すなら、これ、要らなかったな……早めに配ってしまうか」
ミニコミ誌の広告の件はリサに相談してみよう。メランコリックのマスターの話だと、写真撮影には来てくれるらしいから、彼女ならうまくやってくれるだろう。
メランコリックから徒歩三分の道のりが終わる頃、店の前にまごころ源号を停めて、リサが何かしているのが見えた。指で眼鏡を押し上げて見ると、まごころ源号のルーフに派手なライトをつけようとしているのがわかり、僕は焦って駆け出した。
「リ、リサ!なにやってんの?」慌てて声をかけた僕に、リサが笑顔で振り向いた。
「あっ、マスターおかえりなさいませ。見てのとおり、修理したついでにデコレーションを施しております」
「いや、ダメだよ」
「でも、マスターの思い出と憧れとロマンを実現すれば、今夜には私が床上手になれそうですが」
——何言ってんだコイツ……
ため息をついた僕は、まごころ源号を見上げる。ルーフに取り付けられたフレームに投光器が三つ等間隔で並んでいる。
「でも、夜の作業に役立ちそうだな……リサ、これはスイッチで点けたり消したりできるの?」
僕の問いかけにリサは「そのようになっておりますが……」と答え、少し不安そうな表情を浮かべ、ちらちらと僕に視線を向けている。
「そうか……それなら、このまま使うよ。便利そうだし。ありがとう、リサ」
僕が礼を伝えると、リサの顔から不安の色が消え、笑顔で僕に抱きついてきた。女性は感極まると抱きつく生き物なのだろうか?
「マスター、不安にさせないでください。これを怒られたら、あれをどうしようかと心配になったじゃありませんか」
僕にしがみついたリサが指差した車庫には、ド派手なデコチャリが停めてあった。
「すごいデコチャ……おい、まさか……」言葉を詰まらせた僕に、リサは「はい、マスターの愛車『バッカル二号改Ⅱ』です」と答えて微笑んだ。
バサッと乾いた音を立て、手から紙袋が滑り落ちた。
「おい、嘘だろ……」
「現実です。マスター」
僕はリサにもたれかかるように崩れ落ち、地面に膝をついた。
「ああ……僕のバッカル二号改Ⅱが……」気の抜けた声しか出せない僕は、リサに無理やり起こされた。
「マスター、新しいバッカル二号改Ⅱの説明をしますので、立ち上がってください」
「ああ……僕の……僕のバッカル二号改Ⅱが……」
念仏のように繰り返しつぶやく僕は、リサの肩を借りてバッカル二号改Ⅱの前に引きずられた。
「まずはこのフロントです。前出しフロントバンパーは地面ギリギリを攻め、その先端で派手に点滅する三色のフォグランプはLEDを採用しています。運転席はシルバーにゴールドを差したフレームで覆い、強化アクリルで安全性を高めました。雨でも雨具なしで操縦可能です。さらに同じデザインのステーミラーで後方確認も万全にしてあります。もちろんルーフにはホーンの間に輝くネオン、『御意見無用』の内照看板も装備しています」
——これは、すでにバッカル二号改Ⅱの面影すら残っていないなと、諦めモードの僕をリサはさらに引きずる。
「限界まで伸ばした背もたれ付きのシートもかっこいいですね。それよりもここです。弱点となるペダル部分をサイドバンパーで覆ったことで、突然の襲撃にも万全です。当然、ここにも電飾を仕込みました」
——突然の襲撃って……いったい、僕は何から狙われているんだ?
「そして、最も高い安全性が求められる結衣さんのシート部分は、箱車風に三方と上部を厚さ二ミリのステンレスで覆い、サイドは荒れた海に吠える熊の口からまさかの『まごころ堂源屋』のセリフ。そうそう、この熊の目は威嚇のために光ります。バックは結衣さんの健やかな成長を願って、絵巻風の昇り鯉をあしらいました。もちろんリアバンパーも含めて、可能な限りの電飾を施しております」
——リサは力説してくれているが、後方に行くにつれて、ネタ化していないか?
「マスター、コックピットも見てください。上部にはお約束の行灯提灯、さらにカーステレオを搭載しました!」
ここまでやられると、もう完全に諦めるしかないと、ため息をついたとき、ハンドルにぶら下がっているマイクのようなものが目に入った。
「これ、何?」と問いかけた僕に「これは無線機のマイクです。残念ながら飾りです」と教えてくれたが、これは必要なのだろうか?念のために「何に使うの?」と聞いてみたら、リサはマイクを手に取り口元に当てると、カチッとスイッチを押した。
「ジョナサーン!」
——何言ってんだコイツ……
「このように使います」と自信満々だが、僕には意味がわからない。僕が「なんだよ、ジョナサンって」とこぼすと、リサは驚いた表情を見せた。
「マスター、『やもめのジョナサン』をご存じないのですか?『キンキンケロンパ』のケロンパじゃないほうです」
得意げなリサに「キンキンのほうじゃダメなのか?」と聞いてみたら、彼女は顔をそらして「どっちでもいいです」とつぶやいた。
「ともかくです。これでマスターは思い出と憧れとロマンを手に入れて、気分は星桃次郎。そしてトラック野郎にはマドンナがつきもの。今夜の私は床上手で、全てがうまくいくわけです」そう言って、誇らしげに胸を張るリサに、僕は「僕は乗らないよ」とだけ伝えて店に向かう。
「ちょっと待ってください、マスター。どちらに行かれるのですか?」
「結衣ちゃんを迎えに行かなきゃ。今日は歩きだし、早めに出るよ」
「バッカル二号改Ⅱ一番星仕様に乗っていってください」
リサに勧められて、僕はバッカル二号改Ⅱ一番星仕様を見たが、運転できる気がしない。
「重そうだし、僕には運転できないよ」
「たしかにそうですね……申し訳ございません。マスターのためと思い、余計なことをしてしまいました」
そう言って目に涙を浮かべるリサを見ると、不思議とすべてを許せる気持ちになる。
「いいよ。もう古かったし新しいのを買うから」
「マスター、この一番星仕様はどうします?」
「それはリサにあげるから、大事に使ってくれないか?」
リサが涙を拭きながら、「じゃあ……床上手にしてくれます?」と言って、僕を潤んだ瞳で見つめてきた。どさくさに紛れて甘えた声で何を言ってるんだ?
「しないよ」と一言で答えると、彼女は「じゃあ、一緒に結衣さんを迎えに行きます」と言って腕を組んできた。どう見ても保育園に行く気みたいだが、それはダメだ。絶対に面倒になる。
「いや、ひとりで行くから」と伝えると、こんどは「じゃあ、床上手にしてください」と組んだ腕に力を込める。どうやら、引き下がるつもりはなさそうだな。
「絶対に面倒を起こさないって約束できる?」僕が聞くとリサの表情がぱあっと華やいだ。
「もちろんです!マスターがお仕事でお忙しいときは、私が迎えに行かなければと思っておりました」
何気に聞き流すところだったが、たしかにリサの言うことには一理あるな。
「そうだね。そうしてもらえると僕も助かる……じゃあ、一緒に行こうか」
僕はご機嫌なリサと一緒に、片道三十分の道のりを歩いて保育園に向かった。
「こんにちはー」声をかけて保育室に入ると、結衣ちゃんがこっちを向いて、いつも以上の笑顔を見せる。
「あー!リサママだー!」駆け寄ってくる結衣ちゃんを、リサが抱き止めた。
「結衣さん、保育園は楽しいですか?」
「うん!」
「お友達もたくさんいるようですね」
「そーだよ!すみれちゃんと、りくくんと、えみかちゃんと……いーっぱい」
リサは結衣ちゃんの相手が上手なのだろうか、僕と話すとき以上に、結衣ちゃんがおしゃべりになる。ちょっと嫉妬しながら、洗濯物を確認して、登園かばんに詰めている僕の後ろで、リサと結衣ちゃんのおしゃべりは続いている。まあ、こういうのもいいものだ……
自然と緩んでしまった僕の顔が、「その人は誰ですか?」と冷めきった声できゅっとしまった。うん、きっと気のせいだ、聞こえなかったことにしておこう。黙々と片付けを続けていたら、「結衣ちゃんのおじさーん、この女性はどなたですかー?」と名指しで呼ばれてしまった。
僕の額から汗が吹き出しているのを見て、リサが静かに立ち上がるのを、僕は止めることができなかった。
「はじめまして、私はリサと申します。まごころ堂源屋で住み込みで働く美しい従業員です。お見知りおきを」
深々と頭を下げるリサを、三浦先生は冷たい目で見て、「なんですか?住み込みの従業員って!」と少し声を荒らげたが、今の言葉は明らかに僕に向けられてるよな。
「住み込みの従業員とは、仕事の手伝いから料理、洗濯、夜のお世話まで愚痴ひとつこぼさずこなす、恋人以上、妻未満の都合のいい女のことですが、ご存じなかったのですか?」
リサ……もうやめてくれ……。冷や汗が頬を伝う僕の顔を、結衣ちゃんがのぞき込んで、「おじちゃん、だいじょうぶ?つかれた?」と気遣ってくれる。
「うん、大丈夫だよ。早く片付けて帰ろうねー」
「うん!」結衣ちゃんのかわいい返事の後に、低い声が続いた。
「おじさん。私にプロポーズをしておきながら、こんな女と同棲していたのですか!」
プロポーズなんてしていないし、同棲したくてしたんじゃないけど、今そんな話をしたら、火に油を注ぐだけだ。黙っておこうと決意し心を無にして黙々と片付ける僕の後ろで、リサが鼻で笑った。
「私は『こんな女』ではございません。『ママ』『奥様』『お母様』、好きな名前で呼んでください」
うつむいた三浦先生が「それは……それは、私が呼ばれたいです……」と震える声を絞り出すと、リサは胸を張って余裕の笑みを浮かべた。
「残念でしたね。今夜の私は床上手ですから」
「と、床上手……?いったいおじさんに何をする気ですか?」
「マスターに何をするのではなく、ナニをされるのです」
まずいぞ、話が変な方向に向かい始めた……さすがに止めなきゃ。
「ちょ、ちょっと二人とも、子どもたちもいるんだし、少しは控えて……」
仲裁に入ろうとした僕を、恐ろしい目で睨んだ三浦先生に「おじさんは黙っていてください!」と凄まれて、静かに見守ることにした。
「都合が悪くなると大声を出すなんて下品です。マスターがそのような女性を相手にすると思いますか?」
「あなたのようにすれた女はおじさんに似合いません!」
「ではどのような女性がマスターに似合うのですか?」
「私のような未経験でうぶな女性です。あなたの出る幕はありません」
「私だって新品です。それに今日はマスターの実家に伺って、ご両親の遺影にご挨拶してまいりました」
「なっ……」三浦先生は言葉に詰まった。でも、リサ、両親の遺影は店の方に置いてあるだろ。
「どうしました、マスターに対する私の深い愛に怖気づきましたか」
「いくら……いくらおじさんが童貞でも、あなたには騙されませんよ!」
「たしかに童貞マスターで、得意技はセクハラ発言と高速箱ティッシュ三枚抜きですが、すでに私の優しさに溺れています」
——なに、その芸名みたいな『童貞マスター』と、隠し芸みたいな『高速箱ティッシュ三枚抜き』って。それと、二人そろって、童貞童貞って言い過ぎだろ。
「ええ、たしかにおじさんは私にいやらしい視線を向けますが、それもかわいいんです。童貞だからってバカにするあなたは、おじさんにふさわしくありません」
「マスターは童貞のくせに、仕事用のパソコンにいかがわしい画像を分類・整理して保存している変態ですが、私にだけは優しいのです。これは私を伴侶に選んだ証拠でしょう?」
「いいえ、童貞のくせに、プロポーズしたのは私が先です」
——ねえ、その会話に『童貞』って必要ですか?ていうか、二人とも僕をバカにしていませんか?
「マスターは三十歳まで童貞を守って魔女っ娘になると意気がっているバカですが、あなたにプロポーズするはずがありません」
「たしかにおじさんは、自転車に名前をつけて疾走するバカですが、あのプロポーズは本気でした」
——もう、二人とも『バカ』って言っちゃってるよね。
気がつくと、張り合う二人を子どもたちが囲んでいた。
「あー、このひとしってるー。どじょうすくいのおねーちゃんだ!」
「ほんとだー、どじょうすくいのひとがきたー」
どうやらリサは子どもたちの間で有名になっているようだ。帰る準備ができた登園かばんを脇に置いて、ため息をつくと、僕の頭が優しく撫でられた。
「おじちゃん、だいじょうぶ?」
「ありがとう、大丈夫だよ」
微笑んだ僕に、結衣ちゃんが「おじちゃん、だいすき」と言って抱きついてきた。不思議だ……なぜか胸が熱くなる。そうだよな、言い争っている二人より、結衣ちゃんが一番だよな……
「ありがとう、結衣ちゃん。もうリサは置いて帰ろうか」
「うん!」
僕は結衣ちゃんの手を引き、リサと三浦先生を放置して保育室を後にした。
デコ演出は、私の大好きな映画『トラック野郎』シリーズへのオマージュです。リサが三号線を爆走する日も近い……?
お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。
毎週土曜日投稿予定。よければブックマーク・評価のひと手間を。誤字は各話末の『誤字報告』からお願いします。




