カムバック海、のはずだった
青い海。
青い空。
白い砂浜。
暖かな空気。
目の前に広がる、これぞバカンス、これぞ浜辺と言うような素晴らしい光景に、俺はついつい涙が出そうになった。
覚えているだろうか、海坊主の一件を。あの時はバカンス?理想の浜辺?貴様は何を言っているんだと嘲笑されるがごとく、上記の光景なぞかけらもない海が俺を出迎えたものだ。
それを挽回するかのように、今目の前には素晴らしい浜辺が広がっている。
可能であれば俺もこの浜辺を満喫したい。あえてビーチサンダル脱いで浜辺に立ち、足をアチアチしたい。海に容赦なく飛び込んで大海原に体をゆだねたい。そのまま空と海の青に挟まれて浮き輪で浮かんでいたい。
だが。
「何してるの、さっさと行くよ」
「……ふぁい」
「どうして血涙?」
そう、俺は今絶賛仕事中であった。要するに出張。海を満喫するなど言語道断。
スタスタと俺の数歩先を迷いなく進む甘原少女に問われ、俺は何も言えなくなってしまった。
「依頼内容って何なんですか?」
「そう言えば今回まだ見せてなかったっけ、ちょっと待って」
そう言いながら、甘原少女はごそごそと背負ったバックパックからA4ファイルを取り出す。可愛らしいイラストが添付されたそれからは絶対に合わないであろう、文字だけが硬いフォントで大量に敷き詰められた資料が取り出される。
「はいこれ資料、目通して。その間に概要喋るから同時に頭に入れて」
「……了解です」
なかなかな無理難題だと思うのだが、もう慣れてしまった。それと同時に出来るようにもなってしまった。
勿論情け容赦なく疲労するのだが、そんな泣き言は言っていられない。だってやらないと最悪死ぬのだ。
甘原少女は『概要』と言ったが、その概要の中には彼女独自の原因となる妖怪の推測だったり、その妖怪だった場合の対処法だったりがふんだんに入っている。
そしてそれらは、あくまで彼女の推測の域を出ない。なので彼女は資料にそれは記載しない傾向にあった。
両方頭に叩き込まないと自身の命が脅かされる危険性がある。背後から刃物が迫ってきているのに全力疾走しない人はなかなか居ないだろう。……つまりはそういう事だ。
「依頼内容を物凄くざっくり言うと、漁獲量が超がつくくらい減退したことに不信感を覚えたから調査しろ……と言うよりなんとかしろ、だね」
「漁獲量の……減退ですか?」
俺がそう言いながら資料をめくっていると、甘原少女はいつの間にか口に放り込んでいたらしい煮干しをぱりぱりと噛み砕きながら答える。
「そう。漁獲量が数週間前から急に五分の一以下に減退したらしい」
「……でも資料見る限り、今は依頼主さんの獲ってる魚、今がピークでは?」
「うん。でも他の漁師さんは何の問題もなく例年と同じくらい獲れてると。だからこれはおかしいとなった訳だ」
「……本当にきれいな山が出来てますね、この棒線グラフ」
俺はひとり感嘆する。目の前の資料には収入が棒線グラフになって表示されているのだが、大体同じくらいだった収入がここ数か月上昇していた。しかし数週間前から一気に下り坂になり、一定期の収入すら下回っている。何とも見事で悲しい急勾配の山が生成されていた。
「そう。これ以上はヤバイ、生活が出来るうちに解決策をって迷走して最終的にたどり着いたのが」
そこまで言ってから、甘原少女はくいと自分の方に指先を向ける。その顔にはどこか自虐的にも思える表情が浮かんでいた。
「あの千里」
「ん?」
なんとなくその表情に危うさを感じて彼女に言葉をかけようとする。しかしその瞬間、見計らっていたかのように横槍、もとい甘原少女を呼ぶ声が聞こえてきた。
「甘党探偵さん!」
「はぁい」
俺の声掛けを無視するのは本意ではないだろうが、なにぶん相手は依頼人。仕事優先は当然のことだ。
なので彼女は片手で俺に謝意を伝えつつ、声の主の方に振り返る。勿論その先には、依頼人が居た。
「……」
「……」
「……」
「……どうかされましたか?」
すぐさま仕事の話が始まるかと思ったが、なぞに訪れる沈黙の時間。ニコニコと笑顔を浮かべたまましばし待っていた甘原少女だったが、あまりに長い沈黙にしびれを切らし依頼人に呼び掛けた。
心ここにあらずな状態だったらしい。呼びかけられた本人の目の焦点が数秒かけてようやく合う。そして何故か、全力で頬を引っ張ってから話を始める。
「……いやぁすみません。想像を絶する美人さんだったもんで、現実と思えなくて」
「……お褒めに預かり光栄です」
改めて外見を見ると、依頼主はずいぶんと年若い男性だった。二十代前半と言った感じだろうか。漁業を生業にしていると言うだけあって、筋肉や日焼けは人並み以上。
それでも汗臭いとは感じさせず、垢ぬけた感じを与える全体的な服装や髪型。んでもって顔もいい。
……ここで陰キャの俺が一言言うとしたら、この人自分の顔の良さ自覚してるな。と言う位だ。
服のちょっとしたワンポイントや色合い、デザイン。後は髪型。ちょっとした要素の積み重ねだが、自分に自信がなきゃできないであろう柄物の組み合わせとかしれっとしている。
顔に自身があるのだろう。そんでもって自分がモテる方だとも理解している人種。……素直に感情を吐露する事を許されるなら、俺はこう叫ぶ。爆散してしまえ。
そんな人間の内に秘めたる嫉妬など気にかけることなく、事態は極淡々と先に進む。
「では依頼内容について、確認を兼ねて質問をしてもよろしいでしょうか?」
そこからはもう早かった。爆速で話を確認しては書き留めていく甘原少女、そしてそんな彼女の勢いと気迫に押され、先ほど体のあちこちから滲み出ていた自身はどこへやら。タジタジになっている依頼主。
俺はそんな二人を横目で見つつ、耳をそばだてながら周辺の観察を始めた。
ちらほらと視線をさまよわせながら散策していると、クーラーボックスが目に入った。
一般的なクーラーボックスよりもかなり大きなそれは、かなり目立っていた。
本来ならばまず持ち主に許可を得るべきなのだが、今その持ち主と思しきイケメンは俺の上司の質問に答えるのに忙しそうだ。
なので『少しばかり覗く』ことにした。




