閑話 辻村さんの独白
月に一度の給料日。
今月は医師団の報酬も振り込まれ、かなりの金額になっていた。そこから一部を残して全ての金額を、兄嫁さんに送金した。毎月の給料日に、オレが欠かさず行っていること。
手元に残るのは、次の給料日まで暮らせるくらいの金と、老後のために一応積み立てているお金だけ。
生活は役所でしているから、家賃も水道代も光熱費もかからない。食事だって、食堂で食べる分は翌月の給料から引き落とし。
たまに外で食べたり、酒やらタバコを買って、何かあった時の分くらいあれば、とりあえずは生きていける。オレにはそれだけあればいい。
医師団の仕事をしていると、たまにある医師団の報酬で懐が潤うのは割と知られたことらしく、オレは金持ちだと思われている。実際のところは、できる限りの金を兄嫁さんに渡してしまうから、貧乏もいいとこだ。
兄嫁さんに渡すと言っても、兄貴や兄嫁さんからそうしろと言われているわけではない。オレが贖罪の気持ちでやっているだけのことに過ぎない。もしかしたら、兄嫁さんにとっては重たく感じているかもしれない。だがオレは続けることでしか、オレ自身を許せないでいる。
夜、部屋の電話に外線電話がかかってきた。
相変わらず書類に埋もれた電話機は、なかなかその姿を現さない。電話の相手が想像できて、オレはどうせなら見つかる前に切れてしまえばいいと思うのに、電話機は根気強く呼び鈴を鳴らし続けていた。
「大変お待たせしました。辻村です」
聞こえてきたのは案の定、兄嫁さんの声。
「お金、いつもありがとうございます。でも気にしなくていいのよ? あの人の遺してくれたお金もあるし、あなたは生活できているの? そっちの方が心配になる。それに、あの人もここまでは望んでないと思うの」
毎回言葉は違えど、言われるのは同じことばかり。
「先月は医師団の仕事があったから、いつもより多く送れました。義姉さんが心配することはないですよ。これでも給料はいい方だし、老後の蓄えもしています。拓也は来年進学でしょう? お金がかかるだろうから、拓也に使ってやってください」
甥っ子にあたる拓也は、来年には大学進学をする年齢。
いつものように、ある意味上っ面だけの会話を交わして、電話を切った。
オレの兄貴は、拓也が小さい時に死んでしまった。オレがこの仕事を始めた頃に。
大学に入学した頃、オレは少しばかり両親と仲違いをしていた。今でこそ思い出した時に会うという、互いに居心地のよい距離を置けるようになったけれど。当時のオレはまだ子供で、両親の庇護下にいた。けれど、それが我慢ならなくて、反発して。好き勝手やって。
そして大学に居座った。興味があったのもそうだけれど、両親への反発心も少なからずあって、オレは留年して様々な授業や実習を取り、医師としては珍しく四つの科の医師免許を持っている。内科、小児科、外科、それに何故か歯科も。
その割には卒業したら公務員。仕事漬けで実家には帰らない。
医師になるだろうと期待していたらしい両親は、オレに失望した。
そんなオレらの間を何とか取り持とうとしてくれていたのが兄貴だった。少し年の離れた兄貴は、何かと時間を作ってはオレに会いに来て近況なんかを話す。そうして次は両親に会って、オレの近況も合わせて話をしていたらしい。
兄貴の気持ちは知っていたし、けれど両親の失望も知っていた。だから兄貴には会うが、実家には近寄らない。オレの中では当然のことだった。
その頃の兄貴には拓也という息子がいたし、オレとしては兄貴が会いに来てくれるのは嬉しかったけれど、もっと家庭を大事にしてくれてもいいのにと思っていた。
そうしてオレが就職して二年目が終わりに近づいた頃だった。
仕事もだいぶ覚えて、医師団にも入り毎日の仕事が楽しくなっていたオレは、兄貴からの呼び出しを面倒に感じてしまった。いつもならそうでもなかったのに、その日に限って何故か。約束の時間が迫ると同時に苛立ちを感じた。兄貴がいくら頑張っても、オレと両親が歩み寄るなんてこと、ありはしないのに。そう思って。
オレは待ち合わせ場所には行かなかった。わざと待ち合わせ時間が過ぎてから、仕事が終わらないから行けないと連絡した。とっくに仕事なんて終わっていたのに。
一応は申し訳なさそうに電話したオレに、兄貴は
「わかった。気にしなくていい。また時間ができたら連絡するから、仕事頑張れ」
そう言ってくれて、電話を切った後は家路に向かったらしい。
肌寒くなってきた初冬の、雨がしっとりと降る日の夜だった。
オレが兄貴と交わした言葉はそれが最後だった。
その帰り道、兄貴は暴走した車に巻き込まれて死んだらしい。
オレと電話した数分後のことだった。
オレは悔やんで悔やんで、頭がおかしくなりそうだった。
オレなんかよりよっぽど人間も出来てて、嫁さんも子供もいる兄貴が。
オレの身勝手がなければ生きていたかもしれない兄貴が。
死んじまった。
オレのせいだ。
オレがちゃんと待ち合わせ場所に行っていれば。
そうすれば兄貴は死ななかった。
暴走した車に出くわしても、オレが庇って死ぬはずだったに違いない。
オレが。
オレが、兄貴の命を奪った。
兄貴が死んだあと、オレはアパートに帰る時間を惜しんで、わざわざ仕事を回してもらってひたすら働いた。
両親とは、ぎこちないながらも互いに歩み寄ったり離れたりしながら、なんとか関係は回復した。
兄貴が望んでいたから。
それが理由だったけれど、今はいい感じになった。
オレは贖罪の代わりに、給料が上がってきた頃から兄嫁さんに仕送りを始めた。
オレにできることはこれくらいしかないから。
兄嫁さんが死んだら拓也に仕送りするだろう。オレが死ぬか仕事を辞めて収入がなくなるまで。兄貴の代わりに。
そうすることでしか、オレは自分自身の罪を許せない。
そして兄貴が呼び出してくれてた代わりに、月命日になるとオレは酒を持って墓参りをする。昔のように近況報告をして、酒を酌み交わすために。




