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閑話 辻村さんと鈴置さん

彼らの何気ない休日



 昨日、今日と珍しく二日続けて休みだったオレは、一年ぶりくらいに実家に顔を出しに行った。久しぶりに会うお袋も親父も、また年を取ったなという雰囲気だった。と同時に、二人きりの生活を謳歌しているらしい。何も言わずに帰ったオレに開口一番、「午後から旅行に出かけるんだけど」だってさ。

 本来の目的は月命日には欠かさず行ってる墓参りで、実家に顔を出したのはあくまでついでだった。茶を飲みながら近況を報告だけして、さっさと実家を後にした。

 墓参りだけは、毎月欠かせない。たとえ実家に一年近く顔を出していなくても。仕事の都合上、どうしても月命日に行けないこともあるが、できる限り月命日に向かうようにしていた。オレなりの罪滅ぼしと、今さらながらに距離を縮めるための行為。


 墓の前に座り込むと、この一ヶ月の近況を語りながら酒瓶を傾ける。そこそこ長い間そこにいたあとは、残った酒を墓にかけて立ち去る。この日だけは、どうしても気分が沈むのを止められない。オレは近くの居酒屋に入ると浴びるように酒を飲んだ。

 飲んで飲んで、それでも潰れずに少しだけ朦朧とする意識のまま、オレの住処となっている役所へ帰ってきたのが、深夜だった。

 ドサリと倒れこむようにソファーに突っ伏したところで、オレの意識は途切れている。


 薄いカーテンごしに差し込む光が、一番強い時間を過ぎた頃。

 ようやく意識が浮上してきたオレは、二日酔いに痛む頭を動かさないように時計で時間を確認した。まだ休みの日であることを確認すると、外からの光が目に入らないように体の向きを変えた。明るい光が、目に痛かったのだ。

「酒臭ぇ……」

 体の向きを変えると同時に、ソファに染み付いたのだろうにおいが漂ってきた。

「やっぱり今日は二日酔いだね」

 オレの声に相槌を打つように声が聞こえる。突然で少し体が固まってしまったが、聞き覚えのある声だったから起き上がったり向き直ったりはしない。

「お前、今日は仕事?」

「いや、休み。辻村のことだから飲み過ぎてるだろうからって、美代子さんから二日酔いの薬を預かってきた」

 美代子さんというのは、こいつの奥さん。背中側から伸ばされた鈴置の手には、錠剤とコップに入った水。ありがと、と小さく呟くと上半身だけを軽く起こして薬を飲んだ。これでしばらくすれば、だいぶラクになるだろうと思う。

 そのまま、上半身をソファの肘掛に預けてボンヤリしていた。鈴置はデスクの椅子に腰掛けて椅子をクルクルと回したり、窓から外を眺めたり。自由にしていた。


「うあぁーー」

 だいぶ体がラクになった頃、思いっきり伸びをして体を少しだけ解す。片手で肩を押さえて首を回すと気持ちがいい。

「鈴置は帰らなくていいのか?」

 いつまでたっても帰る気配のない鈴置に、オレは首をかしげた。愛妻家のあいつは、基本的に休日は奥さんと一緒にいて、買い物に付き合ったり映画を見に行ったり、家で過ごしたり……。とにかく、奥さんとずっと一緒にいる。

「ん? あぁ、今日はね。友だちと一緒に出かけてるから」

 何かに気を取られているような生返事に、オレはここでようやくしっかりと鈴置に視線を向けた。

 同期で役所に就いてからのオレたちの仲は、もう十五年ほどになる。大学では自主的に留年を繰り返し、卒業するまでに時間がかかったオレは、鈴置よりも何歳か年齢が上だ。医大だったし、普通に卒業しても年上の同期になってただろうけれど。正確には、……六歳だっただろうか。

 同期の気安さから鈴置は基本的にオレに対して敬語などは使わないし、オレもそういうことは気にしない方だった。

 何十人もいる同期の中で、鈴置と一番仲が良くなった理由は覚えていない。

 何故だかとても、気が合ったのだろう。


 がしがしと、片手で頭を掻いたオレはソファーから立ち上がった。ようやく体も頭も働き始めたような気がした。

「んで、何時までに帰れば、――いい、んだ?」

 途中であくびをかみ殺しながら聞けば、少し首を捻るようにして考え込んでしまった。珍しいこともあるものだと思う。休日に奥さんが出かける時は、おおよそであれ帰宅時間を把握しているのが常だというのに。

「遅くなるかもって、言ってはいたんだけど」

 そこで鈴置は深いため息を一つ、零した。そんな様子に、ますます珍しいことがあるものだと思う。

「ケンカでもしたのか?」

 部屋の隅でコーヒーを二杯、準備しながら聞いてみた。鈴置夫妻は本当に仲むつまじい。役所の中でも、この二人のような夫婦になりたいと、憧れている者は多い。

 けれども、問いかけに答える声はなかった。入れ終えたコーヒーカップを両手に持ちソファーの前のテーブルに置く。鈴置は難しい顔をしたまま、カップを手に取りコーヒーを飲み始めた。


「ケンカしたわけでは、ないのだけれど……」

 コーヒーを飲み干してようやく、鈴置は口を開いた。

「美代子さんがね、ネコを飼いたいと言うんだよ」

「……は? ネコ? 飼えばいいじゃねーかよ」

 様子とか雰囲気とかさ、かなり深刻な問題でも起きたのかと思えば。ネコ? ネコってあれだろ、動物でさ、ペットでよく飼われてるヤツ。

 思わず口元が歪む。

「笑うな。これでも深刻なんだぞ、俺にとっては」

 言葉通り、深刻な顔つきの鈴置にじっと見つめられて、オレは居心地の悪さを感じた。

 ネコ、ねぇ……。何がいけないんだか。オレでさえネコがかわいいと思うのに。奥さんが飼いたいって言ったら、鈴置ならそっこーで買ってあげそうなものなのに。別にアレルギーとかあるわけでもないのに。むしろ、ネコが好きじゃなかったっけ?


「俺なぁ、こないだネコ見たんだよ、ネコ」

「は?」

 突然のセリフに、間抜けな声をあげてしまった。

「ちょっとさ、仕事で用事があって出かけたんだ。ジパングの外れだったんだけど。海の近くにさ、でっけー家が並んでるとこがあるだろう?」

 海の近く、海の近く……。

「あったな、そういえば。なんだっけ? 軍関係の人の家が集まってるんだっけ?」

「そうそう、そっちの方。美代子さんが海を見たいって言うから、一緒に出かけたんだ」

 海辺の広大な土地は軍の保有地で、主に従軍者へと土地が売られ家が立てられている地域。以前、医師団の仕事で協力してもらった呪術師たちの開く『ひだまり園』もその近くにある。

「そこで、塀の上にネコがいたんだよ。白黒のでっかいやつ」

「ふーーん。お前って確かネコ好きだったよな?」

 一応、確認してみる。

「そうなんだよ。好きだからさー、近づいて撫でようとしたわけ。そしたらさ、そしたらっ!」

 なぜか握りこぶしをテーブルに叩き付ける。こんなに興奮している鈴置を見られるなんて珍しいなーなんて思う。口を挟む必要もないかと、オレはコーヒーをすすった。

 今日はうまく入ったなーなんて思っていると、ようやく鈴置が続きを話し出す。

「あのネコ、こう言ったんだぞ! 『お腹、すいた』って……。にゃーって鳴くんじゃなくて、喋ったんだよー」

 なぜかテーブルに突っ伏す鈴置を尻目に、もう一口コーヒーをすすった。


「ネコだって、喋るのがいるくらい、お前も知ってるだろう?」

 何を言ってるんだかという目を向けて問えば、鈴置は眼鏡の奥の目を丸くして、ついでに口もポカンと開けて驚いたような表情をしていた。

「え?」

 もしかして……、

「知らなかったのか?」

「辻村は、何でそんなことを知ってるんだ?」

 普通に知られていると、思ってた。いや、一般には知らない人の方が多いんだろうけど、オレたちは役所の職員だぞ。

「犬神とかって、喋るだろ? タヌキやキツネだって喋るやつもいるじゃねーか。ネコが喋っても、おかしくないだろ?」

 刑部狸ぎょうぶだぬきも稲荷のキツネも、妖怪とか神とかの類になるかも知れないが、人語を理解して話す。犬神のように。そしてネコだって、人語を理解し話せるヤツだっているのだ。話せるまでになるには、かなりの努力が必要ではあるが。

「んなこと、知らないよ。すっごいビックリしちゃってさ。でも、美代子さんはなぜかすっごく喜んでて……」

 なんだか、この先のセリフが想像できてしまった。

「喋るネコが飼いたいんだって。――どこで買うんだよ、そんなの」


 一つ、大きなため息を吐き出す鈴置の気持ちが、何となくわかってしまった。

「辻村さー、喋るネコ、どっかで売ってないか知らないか?」

「んなもん、知るわけねーだろ。オレだって話には聞いちゃいたけど、喋るネコに遭遇したことなんてないんだぞ」

 そんなネコがいるなら、オレも見たかった。喋るのを聞きたかった。海の近くかー。次の休みにでも行ってみるかな。

 そんなことを考えていたら、顔が緩んでいたらしい。鈴置の刺さるような視線に、我に返った。

「美代子さんがね、ネコを飼いたいなら飼ってもいいと思うんだ。俺だってネコは好きだし。でもさ、喋るネコなんて、どうしたらいいか、俺にはわかんねーよ」

 あ、またテーブルに突っ伏した。


 その後も、延々と喋るネコについて聞かれて答え、そして美代子さんがどれだけ喋るネコに夢中になってしまったか、愚痴のようなものを聞かされ。

 気付いた頃には、外は薄暗くなっていた。

「じゃー、俺は帰るよ。そろそろ美代子さんも帰ってくると思うし。喋るネコ、何か情報があったら、ぜひよろしく頼む」

 気落ちしたまま、うなだれた様子の鈴置はトボトボと部屋を出て行った。


 ――まるっと一日、喋るネコの話で過ぎてしまった。

 別に、他に何かする予定があったわけでもないけれど。それでも、なんだか釈然としない休日の終わりに、オレも大きなため息を一つ、吐き出したのだった。

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