第五話 人類王国への書状
問題は「どうやって人類王国に連絡を取るか」だった。
害獣帝国の迎賓館の朝食を食べながら、悠真は考えた。
害虫連邦の居候で、害獣帝国にたまたま泊まっている無名の転生者が、人類王国に「話し合いをしましょう」と手紙を書く。普通に考えれば、読まれる前に捨てられる。
「書状を書くつもりか」
カラス・クロウが朝食のテーブルに現れた。相変わらず隙がない。いつの間にか悠真の考えを読んでいる。
「そうです。ただ、どう書けば読んでもらえるか」
「人類王国の国王はレグナス・ヴァルハルト。関西弁を使う。話好き。ただし長い。あと——受け取った書状には必ず目を通す習慣があります」
「なぜそれを知っているんですか」
「情報は命です」
カラスはそう言って茶を一口飲んだ。
「書状の内容より、差出人が重要です。神代悠真という名前は、現時点で王国には届いていない。ただし——G・クリムゾンと九尾様の連署があれば、話は変わる」
G・クリムゾンが朝食のテーブルに合流した。昨夜から迎賓館に泊まっていた。
「連署か。ワシはかまへんで」
「九尾さんは」
九尾は窓際に座って外を見ていた。振り返らずに言った。
「……書け。ただし短くしろ。長い書状は読まれん」
悠真はその日の午前中を書状に費やした。
短く、という条件を守りながら、要点だけを書いた。北の脅威。斥候の消失。村落との通信途絶。三者で情報を共有したい。場所は害獣帝国、三日後。
最後に一行付け加えた。
「料理を用意してお待ちしています」
カラスが書状を読んで、一瞬だけ目を細めた。
「……最後の一行は必要ですか」
「たぶん必要です」
「根拠は」
「食べると話が早くなるので」
カラスはしばらく書状を見てから、
「……わかりました。最速の伝令を使います。王国まで伝令鳥で半日の距離です。今日中に届きます」
書状は昼前に、人類王国へ向けて飛んだ。
◇
返事は翌日の夕方に来た。
予想より早かった。
カラスが封を開けて読んだ。表情が変わらない。しかし読み終えた後、わずかに目を細めた。
「……国王レグナスより返書です。読み上げます」
カラスは咳払いをして、読み上げた。
「『まぁ、気楽に行こうや。三日後、うかがいまっせ。ところで料理ちゅうのは何が出るんや、楽しみにしとりますわ。あ、うちのセイリオスが「行くな」言うとるけど、まぁ気にせんといて。以上、レグナス』」
沈黙。
G・クリムゾンが言った。
「……短いな」
「国王のわりには」と悠真も思った。
「話好きで長いと言っていましたが」
「書状は短い方のようです。口頭では長い」
九尾が窓際から言った。
「来る、ということじゃ。それで十分じゃろ」
悠真はうなずいた。三者が集まる。
次の問題は——その場で何を話すか、ではなく、その場が「話し合い」として機能するかどうかだった。
百年間殺し合いをしてきた害虫と害獣。その両方を「害」として排除してきた人類。
三者が一つのテーブルを囲む。それだけで、どこかが爆発する可能性がある。
悠真は厨房に向かった。
まず、何を作るかを考えることにした。
◇
三日後。
害獣帝国の迎賓館に、三つの勢力が集まった。
害虫連邦側:G・クリムゾン、センディア(直前に「やっぱり行く」と言って追いかけてきた)。
害獣帝国側:カラス・クロウ、イタチ・ライア、シビシネア。
人類王国側:国王レグナス・ヴァルハルト、司令官セイリオス(「止めても来やがった」という顔をしていた)、聖騎士レオン・アークライト。
そして、調停者でも外交官でも使者でもない、ただの居候:神代悠真。
会場に入ってきた国王レグナスは、悠真が想像していたより小柄だった。五十代くらいの外見。白髪交じりの金髪。目が笑っている——しかしその奥に、何十年もの統治の重さが見えた。
レグナスは会場をぐるりと見渡した。害虫の幹部たち。害獣の将軍たち。そして——悠真。
「まぁ、よう集まってくれはったわ。うちの国の者は、ここに来るのに勇気いったと思うで。そやからまず、場を設けてくれたことに礼を言いたい。ところで——」
レグナスは悠真を真っ直ぐ見た。
「あんたが神代悠真か」
「そうです」
「書状を書いたのはあんたやな」
「はい」
「スキルなし、戦闘力F、魔力なし。せやのにG・クリムゾンと九尾が連署した書状を書いた人間。まぁ、気楽に行こうや——ってことで来たわけやけど」
レグナスは少し間を置いた。
「あんた、いったい何者なんや」
悠真は少し考えた。
「ただの居候です。料理が得意で」
レグナスはしばらく悠真を見てから、
「……ええな、それ。気に入った」
セイリオスが後ろで「陛下……」という顔をした。
◇
三者会議は、最初から紛糾した。
G・クリムゾンが北の情報を説明しようとすると、人類側の聖騎士レオンが「害虫の言葉を信じろというのか」と立ち上がった。東北弁で、しかし真剣に。
カラス・クロウが統計的な被害状況を説明しようとすると、センディアが「害獣の数字が正確なわけがない」と毒液を少し滲ませた。
レグナスが「まぁまぁ」と言おうとすると、話が長くなり始めて、セイリオスが「陛下、とりあえず」と止めた。
十五分で会議は完全に停止した。
悠真は厨房から戻ってきた。両手に大きな鍋を持って。
全員が悠真を見た。
「料理ができました。食べながら続けませんか」
レオンが「こんな時に料理など——」と言いかけて、鍋の匂いを嗅いだ。
止まった。
「……んだ、これ、なんだべ」
「出汁の煮込みです。三種類の食材を使いました——害虫連邦の苔、害獣帝国の根菜、人類王国の香草。全部一緒に煮込んでいます」
沈黙。
レグナスが「ほう」と言った。
「三者の食材を一緒に?」
「合わせると旨味が増すので」
レグナスは器を受け取り、一口飲んだ。
また一口。
そしてゆっくりと、器を置いた。
「……これは、うまいな」
それが合図になった。
一人が器を取ると、次の一人が取った。センディアが最後まで渋っていたが、G・クリムゾンが「まあ食え」と言い、渋々受け取った。
全員が食べ始めた。
悠真は席に戻った。
しばらく、食べる音だけがした。
レグナスが口を開いた。今度は、さっきより少し柔らかい声で。
「北の話、ちゃんと聞かせてもらおか。うちの国の北方でも、最近おかしなことが起きとってな。村が一つ、使者が届かんようになった」
G・クリムゾンが触覚を動かした。
「人類側でも村落が消えたか」
「消えた、ちゅうより……使者が入れんようになった。北の森ごと、何かに覆われとるみたいで」
カラスが静かに言った。
「三勢力全員の領域で、同時に」
誰も答えなかった。
答えの代わりに、その事実の重さが場に落ちた。
◇
会議が再び止まりかけた時だった。
レオンがテーブルを叩いた。東北弁で、真剣に。
「んだから、害虫と害獣と一緒に動けるわけねえべ! 百年の恨みってもんがあるべ!」
センディアが毒液を少し滲ませた。
「人間に言われたくない。お前たちこそ、我々の土地を何度奪った」
空気が、ぴりりと張り詰めた。
悠真は、反射的に口を開いた。
「……あの」
全員が悠真を見た。
「虫が好きなら、虫歯になりますよね」
沈黙。
完璧な、凍った沈黙。
G・クリムゾンが「なんでやねん」と言った。
レオンが「……んだ?」という顔をした。
センディアの毒液が、止まった。
レグナスが、こらえきれずに噴き出した。
「あははは! なんやそれ! 虫が好きなら虫歯て!」
セイリオスが「陛下……」と言った。しかしセイリオス自身も、口元が緩んでいた。
カラス・クロウが目をつぶった。計算を放棄した顔だった。
九尾が窓際から「ちょろいん」と言った。誰のことかは、この際、誰も聞かなかった。
悠真は「すみません、なんか出てしまいました」と言った。
レグナスはまだ笑っていた。笑いながら、器をもう一度手に取った。
「……なあ、神代悠真とか言うたな」
「はい」
「あんた、外交向きやないな」
「そうだと思います」
「せやけど——こんな場を作れるのは、あんただけやな」
レグナスは煮込みを一口飲んだ。
「三者の食材を合わせたら旨味が増す、か。なかなかええことを言うやないか。憎いことを言うやないか」
そしてレグナスは、テーブルを見渡した。
「まぁ、気楽に行こうや。百年の恨みは百年じゃ消えん。でも——北の何かが全部の村を覆い始めとる。そっちを先にどうにかせんと、恨む相手もおらんようになるで」
レオンが「…………んだな」と言った。
センディアが「……認めたわけではない」と言った。
それで十分だった。
◇
三者会議は、結論を出さないまま終わった。
しかし、次の約束が生まれた。
「一ヶ月後、再度集まる。それまでに各自、北の調査を行う。情報は共有する」
それだけだった。同盟でも協定でもない。ただの「また会う約束」。
しかし——全員が、その約束を破らないだろうと悠真は思った。
帰り際、レグナスが悠真に近づいてきた。セイリオスが後ろについている。
「神代悠真。一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「あんた、最終的に何がしたいんや」
悠真は少し考えた。
スキルなし。魔力なし。戦闘力F。この世界に来て一ヶ月も経っていない。
「したいこと」を大きく言える立場ではない。
でも——正直に言うなら。
「みんなで、美味い飯を食える状況にしたいです」
レグナスは少しの間、悠真を見た。
やがて、
「……ちっさいな」
「そうですかね」
「ちっさいけど——ええな、それ。ワシも好きやわ、そういうの」
レグナスは悠真の肩を一度叩いて、去っていった。
セイリオスが後に続きながら、振り返らずに言った。
「……次の会議も、料理を頼む。とりあえず」
「わかりました」
「とりあえず」は、セイリオスなりの最大限の依頼だと悠真は理解した。
◇
全員が帰った後、迎賓館に残ったのは悠真と九尾だけだった。
九尾は窓際で、空を見ていた。
悠真は片付けをしながら、言った。
「九尾さん。今日の会議、どう見えましたか」
「……ぼんやりとだが、少し見えた」
「何が」
「あの親父ギャグの瞬間に——一瞬だけ、緑の空が見えた気がした」
悠真は手を止めた。
「親父ギャグで、緑の空が」
「ぼんやりしておるから、意味はわからん。後でわかるかもしれん。わからんかもしれん」
九尾は尾を一本、静かに揺らした。
「ただ——今日は、悪くなかった」
「そうですか」
「ちょろいん」
「今回は誰のことですか」と悠真は聞いた。
九尾はしばらく黙ってから、
「……全員、かもしれん」
そう言って、目を細めた。
悠真は片付けを続けた。
鍋の底に、三者の食材が混ざった出汁の残りがあった。
冷めても、まだ匂いがした。
〈第五話 了〉




