第四話 害獣帝国への道
出発の朝、G・クリムゾンは一席打った。
場所は基地の広場。聴衆はセンディアと数名の害虫連邦の幹部たち——半分は義務感で、もう半分は惰性で集まったような顔をしていた。
九尾はその場にいなかった。「先に道を確認しておく」と言って夜明け前に出ていた。
G・クリムゾンは六本腕を構え、独特の「落語体勢」を作り、語り始めた。
話は長かった。脂っこかった。オチが四回あった。
悠真は最後まで聞いた。
センディアは三回「早く終われ」という顔をした。
その他の幹部たちは、二回目のオチあたりで全員どこか遠くを見始めた。
語り終えたG・クリムゾンは、満足そうに六本腕を下ろした。
「どうやった」
「面白かったです」
「お前だけやぞ、そう言うの」
「でも本当に。語り口が好きなんですよ」
G・クリムゾンはしばらく悠真を見た。
「……行くか」
「はい。行きましょう」
センディアが背後から言った。
「総司令。ご武運を」
短い言葉だったが、センディアにしては珍しく、素直な声だった。G・クリムゾンは振り返らずに手を一本上げた。
一行は北へ向けて出発した。
◇
一行の構成は三名だった。
G・クリムゾン。九尾のキツネ。神代悠真。
戦闘力で言えばS、S+、F。
F担当の悠真は食材の入った籠を背負い、二名の強者に挟まれる形で道を歩いた。
九尾は先頭を行き、道中ほとんど喋らなかった。時折立ち止まり、鼻を上げて風の匂いを嗅いだ。
G・クリムゾンは悠真の隣を歩き、道中ずっと喋っていた。
「ワシはな、昔はもっと純粋に戦いが好きやったんや」
「そうなんですか」
「戦えば決着がつく。強い方が正しい。そういう世界の方がシンプルやと思っとった。でも百年やって……何も終わらんかった」
悠真は黙って聞いた。
「センディアみたいな子が、まだ同じことを言い続けとる。ワシが百年前に思っとったことと、まったく同じことを。それが……なんというか、しんどくなってきた」
「しんどい、というのは」
「同じ場所をぐるぐる回っとる感じや。百年、ずっと。ワシが落語を覚えたのもその頃やった。戦いとは違う何かをしたくて」
G・クリムゾンは触覚をゆっくり動かした。
「落語っちゅうのはな、話を聞く人間がおらんと成立せんのや。戦いは相手を倒せば終わる。でも落語は、最後まで聞いてもらわんと意味がない。それがええと思って」
「だから、俺が最後まで聞くのが嬉しいんですか」
「……うるさい。歩け」
「なんでやねん」と悠真は言った。
G・クリムゾンは「お前がなんでやねんを言うな」と言い、九尾が先頭から「うるさい、二人とも」と言った。
道中、最初で最後の和やかな時間だった。
◇
問題が起きたのは、害獣帝国の国境に差し掛かった頃だった。
「止まれ」
茂みから声がした。続いて、五名の害獣兵が現れた。イタチ、タヌキ、カラス——それぞれ獣人の外見を持つ、武装した兵士たちだった。
先頭のイタチが前に出た。細身で長身、無口そうな目をしていた。腰に二本の剣。
「G・クリムゾン。害虫連邦の総司令が、なぜ我が国境に現れる」
「停戦中や。話し合いに来た」
「不可侵協定は締結されたが、総司令が直接来る話は聞いていない」
緊張した空気が漂った。国境の兵士たちが手を剣にかけた。
九尾が静かに前に出た。
「イタチ・ライア。ワシじゃ」
イタチの目が変わった。驚き——そして明らかな動揺。最高参謀が直接国境に現れるのは、それだけ異例のことなのだろう。
「……九尾様。なぜご自身が」
「事情がある。通してもらえるか」
イタチは少し考えた。そして——悠真に目を向けた。
「この人間は」
「同行者じゃ」
「人間を帝国内に入れるのは……規則上、問題があります。報告を上げて許可を——」
悠真は前に出た。
「神代悠真といいます。スキルなし、戦闘力F、魔力なしの転生者です。とりあえず料理を作りに来ました」
イタチは悠真を見た。長い沈黙。
「……料理」
「はい。害獣帝国の食材で何か作りたくて。あと北の気配について話し合いたいことがあって」
イタチはまた沈黙した。明らかに対処の仕方がわからない顔だった。スキルなし戦闘力Fの人間が「料理を作りに来た」と言って国境に現れる——想定外すぎて規則が対応していない。
イタチは仲間の兵士たちと目を交わした。
全員が困惑した顔をしていた。
その時だった。
イタチが——突然、地面に滑り込んだ。
完璧なフォームの、全裸土下座だった。
服が、ない。
なぜかわからないが、完全に服が、ない。
「大変申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げたまま、イタチは動かなかった。
誰も何も言えなかった。
G・クリムゾンが「……なんでやねん」と言った。それは今まで聞いた中で、最も純粋な困惑の「なんでやねん」だった。
九尾が静かに言った。
「……あれが奥の手じゃ。追い詰められた時に出る。本人も制御できておらん」
「奥の手が全裸土下座なんですか」
「シビシネアのスライディング土下座と対を成す技じゃ。由来は誰も知らん」
「由来が存在しないやつでは」
イタチはまだ頭を下げたままだった。
「……あの、イタチさん」と悠真は言った。「顔を上げてください」
「大変申し訳ございませんでした」
「謝ってもらう必要は全然ないんですが」
「大変申し訳ございませんでした」
「イタチ・ライアさん」
「……はい」
「ひとつ提案していいですか。俺たちを帝国内に通してくれたら、料理を作ります。あなたたち国境守備隊の分も」
イタチは顔を上げた。
目が、真剣だった。暗殺者の目ではなく——判断する目だ。何かを決める時の、静かな目だった。
「……何を作れる」
「食材次第ですが、何でも。得意なのは出汁料理です」
「出汁」
「旨味を引き出す調理法です。食材の素材を最大限に活かす」
イタチは立ち上がった。——服は、気づいたら戻っていた。誰も何も言わなかった。
「……通す。ただし、俺も同行する。報告義務があるので」
「ありがとうございます」
「礼はいい。歩け」
一行は四名になった。
G・クリムゾンが悠真に耳打ちした(耳がないので触覚を近づけた)。
「お前……また料理で解決したんか」
「解決したのはイタチさんの判断です。俺は提案しただけで」
「……謙虚なんか、鈍いんか、どっちやねん」
◇
害獣帝国の内部は、悠真の想像とは違った。
もっと荒々しい場所を想像していたが、実際には——静かだった。大木が立ち並ぶ森の中に、木と石を組み合わせた建造物が溶け込むように存在している。獣人たちが行き交い、子どもたちが走り回り、市場のような場所では食材が並んでいた。
悠真は市場を通る時、思わず立ち止まった。
「……すごい食材の種類だ」
根菜、葉物、きのこ、肉、魚介に近いもの——害虫連邦の基地周辺とは比べものにならない多様性があった。
イタチが隣に来た。
「……何か気になるものがあれば言え。調達する」
「え、いいんですか」
「料理をすると言ったのはお前だ。食材がないと作れないだろう」
悠真はしばらく市場を見て回り、十数種類の食材を選んだ。イタチは無言でそれを調達した。値段も聞かなかった。
九尾が悠真の隣に来て、小声で言った。
「ライアは無口じゃが、世話焼きじゃ。信頼した相手には何でもする。お前はもう信頼された側に入ったようじゃ」
「なぜわかるんですか」
「あいつが自分から食材の話を持ち出した。それだけで十分じゃ」
「ちょろいん」と九尾は付け加えた。今回は誰のことを指しているのか、悠真にはわからなかった。
◇
夕方、害獣帝国の迎賓館に案内された。
そこで待っていたのは——カラス・クロウだった。
真っ黒な羽を持つ、大柄な鳥人。参謀総長。九尾の右腕的な存在だと聞いていた。
「九尾様。ご連絡もなく、とは驚きました」
「急なことじゃった。事情は話す。まず——」
九尾は悠真を指した。
「この人間に料理をさせろ。約束じゃ」
カラス・クロウは悠真を見た。品定めをする目——しかしシビシネアとは違う。計算している目だった。確率を弾いている目。
「……神代悠真。スキルなし、戦闘力F。害虫連邦に居候していた人間。シビシネアからの報告が昨日届いていました。G・クリムゾンがわざわざ同行したということは——」
「そんなに調べてるんですか」
「情報は命です。ところで——北の件を話しに来た、ということでよろしいですか」
「そうです」
「わかりました。料理の場を設けます。その後で、話を聞きましょう」
カラス・クロウは振り返り、部下に指示を出した。手際が良かった。
G・クリムゾンが悠真に耳打ちした。
「カラスは頭が切れすぎて怖いんや。全部計算してそうで」
「計算できる人がいると助かります」
「お前はどこでも動じんな……」
◇
悠真は厨房を借りて、料理を作った。
食材は市場で選んだもの。出汁は苔から取った。九尾との約束通り。
一時間後、テーブルには三種類の料理が並んだ。
出汁の効いた煮込み。根菜の素揚げに謎のハーブを効かせたもの。そして——この世界で初めて作った、即席の「味噌汁もどき」。
カラス・クロウが一口飲んで、少しだけ目を細めた。
「……これは」
「出汁料理です。食材の旨味を引き出して——」
「旨味を『足す』のではなく『引き出す』、ということですか」
「そうです」
カラスはもう一口飲んだ。また少し目を細めた。今度は計算の目ではなく——純粋に、何かを感じている目だった。
「……北の話を、聞きましょう」
テーブルを囲んで、四名が向かい合った。G・クリムゾン、九尾、イタチ・ライア、カラス・クロウ。
悠真は料理を配りながら、話し始めた。
「害虫連邦では、一ヶ月で斥候が三組消えました。害獣側でも同様のことが起きていると聞きます。北の空が赤黒い群れで覆われるという報告もある」
カラス・クロウが答えた。
「こちらでは二組です。加えて——北方の村落が一つ、先週から通信が途絶えています」
G・クリムゾンの触覚がぴくりと動いた。
「村落が、まるごと」
「はい。斥候を送りましたが、まだ戻っていません」
沈黙が落ちた。
悠真は言った。
「これは——害虫連邦単独でも、害獣帝国単独でも、対処できない規模かもしれない」
カラスが静かに言った。
「同意します。確率論的に見て、単独対処の成功率は——低い」
「では人類王国も含めた三者で情報を共有する場が必要です」
G・クリムゾンが「人類も、か」と言った。それは反対ではなく、確認の声だった。
九尾がゆっくりと口を開いた。
「……ワシの未来視に、今朝また映像が見えた」
全員が九尾を見た。
「北の空が、全部赤黒くなっておった。ただ——その後が、ぼんやりと見えた。赤の中に、緑が一筋だけ残っておった」
「緑が一筋」
「この世界の空の色じゃ。一筋だけ残っておった。何を意味するのかはわからん。ぼんやりしておるから」
沈黙。
悠真は味噌汁もどきを一口飲んだ。温かかった。
「とりあえず——明後日、ここで改めて話し合いの場を設けませんか。害虫連邦からはG・クリムゾンさんの使いを、人類王国にも声をかける。三者で情報を持ち寄る」
「お前が声をかけるのか、人類王国に」とカラスが言った。
「できれば。方法を考えます」
「根拠は」
「運が良ければなんとかなると思っています」
カラス・クロウは一瞬、目をつぶった。計算しているのか、呆れているのか、判断できない表情だった。
やがて、
「……了解しました。場は用意します。ただし——」
カラスは悠真を真っ直ぐ見た。
「その日の料理も、あなたに頼めますか」
悠真は少し驚いた。カラス・クロウが「頼む」という言葉を使った。計算の人間が、計算を超えた場所で何かを感じている、ということだと悠真は思った。
「もちろんです」
イタチ・ライアがぼそりと言った。
「食材は俺が調達する」
「ありがとうございます」
「礼はいい」
G・クリムゾンが「なんでやねん」と言った。嬉しそうな、呆れたような声だった。
九尾だけは何も言わず、煮込みを静かに食べていた。
しかし九本の尾が——いつの間にか、ゆっくりと、穏やかに揺れていた。
◇
その夜、迎賓館の自室で、悠真は天井を見上げた。
害獣帝国に来た。料理を作った。北の情報を共有した。三者会議の場を提案した。
スキルは一個もない。魔力はゼロ。戦闘力はFのまま。
それでも——何かが動いている気がした。
(運が良ければ、なんとかなる)
口癖が、少しずつ本当になっていくような感覚があった。
いや、「運」ではないのかもしれない——でも、そう呼ぶことにしていた。別の言葉を持っていないから。
問題は人類王国への連絡だった。
害虫連邦の居候で、害獣帝国の迎賓館に泊まっている無名の人間が、人類の王国に「話し合いをしましょう」と声をかける。
普通に考えれば、門前払いだ。
(運が良ければ……)
悠真は目を閉じた。
明日の食材の確認をしながら、眠った。
〈第四話 了〉




