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蟲獣皇帝ゼロ  作者: 伝説の男前
第一部 運が良ければ

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2/20

第二話 害獣帝国の使者、現る

害虫連邦に転がり込んで三日が経った。


悠真の立場は微妙だった。

捕虜でもなく、客でもなく、かといって仲間でもない。G・クリムゾンが「一週間だけ置いといたる」と言った手前、誰も追い出せないし、誰も歓迎もしない。悠真は害虫連邦の基地の片隅にある物置小屋を与えられ、毎日三食を作ることで黙認されていた。


料理は好評だった。

初日の根野菜と謎肉の炒め物から始まり、二日目は出汁を取ることを覚え(この世界の魚介系素材は地球のものと似た旨味成分があった)、三日目の朝には味噌に似た発酵調味料を発見して小躍りした。


「なんや、また一人で喜んどる」


G・クリムゾンが物置小屋の入り口に立っていた。六本腕を組んでいる。完全に「呆れた上司」の立ち姿だった。


「発酵調味料があったんですよ。これ、使い方次第で料理の幅が三倍になります」


「そういう話か……」


G・クリムゾンは入ってきて、小屋の中を見渡した。悠真が並べた食材と手製の調理道具。壁に貼った食材メモ(この世界の言語はなぜか最初から読めた。転生補正だろうと悠真は思っている)。


「まあ聞け」とG・クリムゾンは言った。「問題が起きた」


「どんな問題ですか」


「害獣帝国の使者が来る」


悠真は味噌もどきをかき混ぜる手を止めた。


「使者、というと」


「停戦交渉や。向こうも最近、北の方で妙な気配を感じとるらしくて……まあ、詳しくはわからんが、とにかく話し合いをしたいと言うとる」


「それはいいことじゃないですか」


「よくない。ウチと害獣帝国は百年以上、殺し合いをしてきた仲や。停戦交渉なんて建前で、本音は情報収集か、もしくは罠かもしれへん。それに、こっちにも強硬派がいてな……」


G・クリムゾンは声を低くした。


「使者が来ることを知ったセンディアが、迎撃しようとしとる」


悠真はピンときた。センディアというのは毒軍指揮官のムカデだ。三日間で害虫連邦の人間関係(虫関係?)をある程度把握していた。高慢で戦闘好き。停戦なんて言葉が一番嫌いなタイプ。


「使者が着く前に迎撃、ということですか」


「そういうことや。ワシが止めようとしても『総司令は甘い』と聞かへん。お前……何か知恵はないか」


悠真は少し考えた。


「使者は何時に来ますか」


「昼過ぎや」


「センディアは今どこにいますか」


「訓練場や。出撃の準備をしとる」


悠真はかき混ぜていた味噌もどきを一口なめて、うなずいた。


「わかりました。ひとつ試していいですか」


「何を試すんや」


「料理です」


「……なんでやねん」



センディアは訓練場の中央で、毒液の調整をしていた。

体長三メートル近いムカデの身体。百本を超える脚が整然と動く。毒腺から滲む緑色の液体が石畳を溶かしている。

「総司令から言われて来ました」

悠真が入り口から声をかけると、センディアは振り返った。複眼が悠真を上から下まで舐めるように見た。


「……人間か。捕虜の」


「元捕虜です。今は居候です」


「どうせすぐ殺す。今は忙しい」


取り付く島もない。悠真は気にせず前に進んだ。


手に持った器を差し出した。


「これ、食べてみてください」


「……なんや」


「スープです。この世界の食材で作りました。センディアさんの毒腺の成分を少し調べさせてもらって——G・クリムゾンさんに聞いたんですが——神経系の食材との相性が良さそうだったので」


センディアは動きを止めた。


「毒腺の成分を……調べた?」


「成分表を見せてもらっただけです。怒らないでください。料理のためなので」


長い沈黙。センディアは器を受け取らなかった。しかし捨てもしなかった。

悠真は器を置いて、一歩引いた。


「センディアさんは、なぜ使者を迎撃しようとしているんですか」


「決まっとる。害獣は敵や。話し合いなど罠に決まっとる」


「それは可能性としてはあります。でも停戦交渉を申し込んできた、ということは、向こうも何か困っていることがある」


「困っていようが、敵は敵や」


「百年間殺し合いをしてきた、とG・クリムゾンさんから聞きました。で、今、どちらかが勝ちそうですか」


センディアは答えなかった。


「引き分け、ですよね。百年間引き分けが続いている。その間に、北の方から別の何かが来始めている。その状況で、使者を迎撃することのメリットは何ですか」


「黙れ、人間。お前に何がわかる」


「何もわかりません。三日前に転生してきたばかりなので」


悠真は器を指さした。


「冷める前に食べてください。スープは温かいうちが一番おいしいので」


センディアはしばらく悠真を睨んでいた。

やがて、器を手に取った。

一口、飲んだ。


沈黙。


もう一口。


「……なぜ、お前の料理には毒が入っていないのか」


唐突な問いだった。


「毒を入れる理由がないので」


「人間が虫に料理を振る舞う理由もないだろう」


「腹が減った人がいれば、料理を作ります。それだけです」


センディアはまた沈黙した。スープを飲み続けた。

訓練場の石畳が、毒液で少しずつ溶けている。その音だけが聞こえた。


「……今日は出撃を見合わせる」


センディアは器を悠真に返した。


「ただし、使者が罠を仕掛けたなら、その時は迎撃する。それは変わらん」


「それで十分です。ありがとうございます」


「礼を言うな。気色悪い」


悠真は頭を下げて訓練場を出た。

G・クリムゾンが入り口の外で待っていた。一部始終を聞いていたらしく、触覚をぴくぴくさせている。


「……料理で解決したんか」


「話を聞いてもらう入り口が必要だっただけです」


「なんでやねん……」


今回の「なんでやねん」は、若干尊敬のニュアンスが混じっていた。悠真はそれに気づかないふりをした。



使者が来たのは、昼を少し過ぎた頃だった。


害獣帝国の使者は三名。先頭に立っていたのは、ハクビシンの外見を持つ女性だった。黒と白のまだら模様の毛並み。鋭い目つき。背筋が定規で引いたように真っ直ぐだ。


シビシネア——と、後でG・クリムゾンから教えてもらった。夜戦部隊長。元自衛隊の転移者。


G・クリムゾンとシビシネアが向かい合った。


「……久しいな、G・クリムゾン」


「せやな。前に会ったのは三年前の国境戦やったか。あん時はうちの部下をようやってくれた」


「お互い様だ。今日は戦いに来たわけではない」


「わかっとる。まあ入れ」


交渉の場が設けられた。大きなテーブルを挟んで、害虫側と害獣側が向かい合う。

悠真はその場にいなかった。いる立場ではない。

物置小屋に戻って、夕食の準備を始めた。


二時間後、G・クリムゾンが物置小屋に飛び込んできた。


「お前、今すぐ来い」


「何かありましたか」


「交渉が決裂しそうや。シビシネアが『そちらの誠意を見せろ』と言い始めて、こっちも『そっちこそ』と言い返して、完全に膠着しとる」


「よくある交渉の膠着ですね」


「そやから! お前、なんかしろ!」


「俺が?」


「お前しかおらんやろ! さっきセンディアをスープで黙らせたやろ!」


悠真は鍋をかき混ぜる手を止めた。


「……わかりました。鍋を持って行っていいですか」


「なんで鍋を——ええわ、来い」



交渉の間に入った瞬間、全員の視線が悠真に集まった。

害虫側の幹部たち。害獣側の三名の使者。そしてシビシネアの、何もかもを見透かすような目。


悠真は気にせず、テーブルの端に鍋を置いた。


「夕食の準備ができました。せっかくなので、食べながら話しませんか」


沈黙。


シビシネアが口を開いた。


「……お前は何者だ」


「神代悠真といいます。三日前に転生してきた人間です。今は居候をしています」


「人間が、なぜここにいる」


「料理を作っています」


シビシネアは悠真をしばらく見た。軍人の目だった。品定めをする目。脅威か非脅威かを判断する目。


やがて、


「……スキルは」


「なしです」


「戦闘力は」


「Fです」


「魔力は」


「ありません」


シビシネアは一瞬、微妙な顔をした。元自衛隊の転移者として、この状況の奇妙さを理解しているのかもしれない。


「……なぜ生きている」


「運が良ければなんとかなると思って」


間。


シビシネアは「…………」という顔をした。言語化できない感情がそこにあった。


隣に座っていた害獣側の二名目——アライグマのラクーン・ルカが、こらえきれずに吹き出した。


「あははは! なんや兄ちゃん、最高やないか!」


「ルカ、静粛に」


「いや無理やって! スキルなし、戦闘力F、魔力なし、でも生きてるって! どんな主人公や!」


ラクーン・ルカはヤクザ言葉と関西弁が混ざったような話し方で、明らかに場の空気を読まない陽気さを持っていた。それがこの瞬間、交渉の膠着を溶かした。


害虫側の幹部たちも、困惑しながらも緊張が少し解けた顔をしている。


悠真は鍋の蓋を開けた。湯気が上がった。


「根野菜と肉の煮込みです。この世界の食材で作りました。よかったら食べてください。交渉は食べながらでもできます」


シビシネアはまだ悠真を見ていた。判断しているのではなく、考えているような目だった。


やがて、ゆっくりと器を手に取った。


「……いただく」


それが合図になった。害獣側の三名が器を手にし、害虫側の幹部たちも続いた。


G・クリムゾンが悠真の隣に来て、ぼそりと言った。


「お前……ほんまになんでやねん」


「料理には場を和ませる効果がありますので」


「そういう問題か?」


悠真は「そういう問題です」と答えた。



交渉は再開した。

完全な合意には至らなかった。百年の歴史はそう簡単には消えない。しかし「とりあえず三ヶ月の不可侵協定」という最低限の合意が得られた。


帰り際、シビシネアは悠真の前で立ち止まった。


「……料理は、うまかった」


「ありがとうございます」


「お前は何をしたいんだ、この世界で」


悠真は少し考えた。


「まだはっきりとはわかりません。ただ、みんなが戦い続けるより、話せる状況の方がいいとは思っています」


「……綺麗事だな」


「そうかもしれません。でも、綺麗事でも言い続けないと、誰も思い出さないので」


シビシネアはしばらく無言でいた。

それから——唐突に、滑らかな動作で、地面に膝をついた。


スライディング土下座だった。


完璧なフォームだった。元自衛隊員の身体能力と、この世界での戦闘訓練が合わさった、芸術的なスライディング土下座だった。


「……参考にさせてもらう」


それだけ言って、シビシネアは立ち上がり、去っていった。


悠真は呆然とその背中を見送った。


G・クリムゾンが隣に来た。


「……あれが挨拶なんか、害獣側は」


「土下座が挨拶なんですか、この世界」


「違う。あいつだけや、たぶん」


「なんでやねん」と今度は悠真が言った。


G・クリムゾンは初めて、少しだけ笑ったように見えた。



その夜、悠真は物置小屋で一人、今日のことを整理した。


センディアを動かしたのはスープだった。シビシネアを動かしたのは煮込みだった。しかし本当に動かしたのは料理ではなく、「話を聞く姿勢」と「相手を敵と決めつけない態度」だったと悠真は思った。


料理はその入り口に過ぎない。


(この世界、戦争してる場合じゃないんだよな)


北の方から来る「妙な気配」。G・クリムゾンが言葉を濁したそれが、何なのかはまだわからない。でも、害虫と害獣が不可侵協定を結んだことは、ほんの小さな一歩だった。


悠真は壁にもたれて、天井を見上げた。


(のり塩ポテチ、食べたいな)


などと思いながら、眠った。



〈第二話 了〉

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