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蟲獣皇帝ゼロ  作者: 伝説の男前
第三部 ユグドラという名の問い

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第十七話 大いなるものの返答

大いなるものから、接触があったのは——朝だった。


悠真が出汁を取り終えて、全員分を配り終えた直後。

北の空が——一瞬だけ、深く赤くなった。

光が消えたわけでも、建物が揺れたわけでもない。ただ——空気が、一瞬だけ変わった。


六尾が鍋を持ったまま固まった。


「……来ます


「大いなるものですか


「未来視ではないです。ただ——感じます


カラスが窓の外を見た。


「……北の気配が変わりました。動いていない。しかし——こちらを向いている


G・クリムゾンが厨房に来た。触覚がぴんと立っている。


「悠真。呼ばれとる。北に行く気か


「行きます。ただ今回は——向こうから来るかもしれない


「向こうから?


「先遣が言っていました。大いなるものは、ワシより古く大きい、と。でも——動きを止めたことがある。こちらを向いているなら、話したいということだと思います


G・クリムゾンは触覚を動かした。


「……どこで待つ


「外に出ます。迎賓館の前で。向こうが来るなら——来られるようにしておく


G・クリムゾンは「わかった」と言った。

六尾が「私も外にいます」と言った。

カラスが「状況を記録します」と言った。


悠真は出汁の鍋を持って、外に出た。



迎賓館の前の広場に、全員が集まった。


害虫連邦の幹部たち。害獣帝国の将軍たち。人類王国の騎士たち。

全員が、北の空を見ていた。


赤黒い空が、ゆっくりと——濃くなった。

音はない。風もない。しかし——重さが増していく。一歩ごとに増していくような、密度の感覚。


センディアが毒腺を開いた。戦闘態勢。

イタチが剣に手をかけた。

レオンが聖剣を引き抜きかけた。


悠真は言った。


「待ってください。武器を出さないでほしい


「しかし——」とセイリオスが言いかけた。


「来ているのに、こちらが武器を構えたら——話にならなくなります。今日は——話しかけてきている。そう思います


沈黙。


G・クリムゾンが言った。


「……悠真を信じる。武器は出すな


センディアが毒腺を閉じた。

イタチが手を剣から離した。

レオンが「んだ」と言って聖剣を収めた。


重さが、増した。


空が——動いた。


大いなるものが、降りてきた。



「降りてきた」という表現が正確かどうか、悠真にはわからなかった。


空が凝縮した、という方が近かった。

赤黒い天蓋の一部が、ゆっくりと形を持ち始めた。惑星ほどあった密度が、絞られて——広場の端に、「塊」として現れた。

前回北の空き地で見た塊より、ずっと小さかった。意図的に、小さくしている。


全員が、息を呑んだ。


声が来た。


「……小さなことから、コツコツと。地球の者、また会うたな


悠真は前に出た。


「また来てくれましたね


「来た。お前たちのところへ。初めてじゃ——ワシが、向こうへ出向くのは


「それは——なぜですか


少し間があった。


「……聞きたいことがあった。前回、お前に問われた。『誰かのためか、どうか』と。ワシはそれを——ずっと考えておった


「一ヶ月ほど経ちましたね


「ワシの時間感覚では、短い。しかし——ずっと考えた。銀河規模の存在が、たった一つの問いを一ヶ月考え続けた。それだけ——わからなかった


悠真は出汁の鍋を両手で持った。


「今日も、出汁を持ってきました


「……匂いがわかる


「今日のは——少し変えました。前回より、材料を増やしました


「何が入っておる


「G・クリムゾンさんが炙った干し肉、六尾さんが刻んだ苔、イタチさんが調達した根菜、レグナスさんが刻んだ香草。あと——今日は新しく、センディアさんが採取した薬草も少し


センディアが少し動いた。


「センディアさんが今朝、『これを入れてみろ』と持ってきてくれたものです。苦味があって、出汁に深みが出ます


センディアは何も言わなかった。しかし毒液が出なかった。


「……前より、複雑な匂いじゃ。前回も複雑と言ったが——今回はさらに、層がある


「みんなが増えたので


「……そうか


大いなるものは少し間を置いた。


「地球の者。ワシはお前に——問いを返したい


「どんな問いですか


「ワシが銀河を『コツコツ』としてきたのは——誰かのためではなかった。お前に言われて、わかった。では——お前は、何のためにコツコツとしておる


悠真は少し考えた。


「みんなで美味い飯を食える状況にしたい、とレグナスさんに言いました


「それは——誰かのためか


「みんなのためです。G・クリムゾンさんのため、九尾さんのため、レグナスさんのため——全員のため


「全員とは——この広場にいる者たちか


「この広場の全員と、あなたのためも含みます


塊が、揺れた。


「……ワシのため


「はい。前回、あなたは出汁の匂いを『悪くない』と言いました。今日も——匂いがわかると言いました。だったら——あなたのためでもある


長い沈黙があった。


「……ワシは、この銀河のあらゆる星を害星にしてきた。生命を臓器に変えてきた。それがワシの目的じゃった。お前は——そのワシのためにも、出汁を作るか


「作ります


「なぜ


「あなたが数千年、この星を見てきたから。出汁の匂いがわかるようになったから。それだけで——十分です


また、長い沈黙。


塊の輪郭が——また、揺れた。


「……ワシには、まだわからないことがある


「何がですか


「お前が出汁を作るのを見ておった。前回も、今回も。お前は——必ず、誰かと一緒に作る。一人では作らん。なぜじゃ


悠真は少し考えた。


「一人で作ると、自分の好みだけになるからだと思います。G・クリムゾンさんが炙った干し肉の香りは、俺一人では出せない。六尾さんが丁寧に刻んだ苔の旨味も。センディアさんの薬草の苦味も——俺には思いつかなかった


「一人で作れないから、一緒に作る


「それだけです。あと——一緒に作ると、食べる時に話が増えます


「話が、増える


「誰がどこを担当したかが、匂いに残ります。食べながら『これはG・クリムゾンさんの肉の部分だ』とか『六尾さんの苔が効いている』とか、わかる。それが——話になります


塊は長い間、静かにしていた。


「……ワシが害星にしてきた星には——匂いが残らなかった、と言った


「はい


「それは——一緒に作った者がいなかったから、か


悠真は少し驚いた。

その問いが、大いなるものから来るとは思っていなかった。


「……そうかもしれません


「ワシは一人じゃった。銀河全体がワシじゃ。しかし——一緒に何かを作った者は、おらんかった


「今日、あなたはここに来た。それが——最初の一歩だと思います


「最初の一歩


「一緒に作るための


長い、長い沈黙があった。


空が——少し、薄くなった。

赤黒い天蓋に、緑の光が混じり始めた。



その時——ユグドラの声が来た。


地面から。空気から。どこからでも。


「……大いなるものよ


塊が、動いた。


「……ユグドラか。目覚めたな


「目覚めた。お前が来たから——ワシも出てきた


「邪魔をするか


「邪魔ではない。一つだけ聞きたい


大いなるものは黙った。


「お前は今——何を考えておる


また、長い沈黙。


「……わからん。ワシには、答えがない。地球の者に問われた。ワシが銀河をコツコツとしてきたのは誰かのためではなかった、と。それを——ずっと考えていた


「ワシも同じじゃ。ワシはこの星の戦争を設計してきた。誰かのためではなく——目的のために。しかし今は、それが——揺らいでおる


「……揺らいでおる、か


「地球の者が——ワシに問うた。お前と同じ問いをワシにも。ワシも、答えが出ておらん


悠真は、二つの存在のやり取りを聞いていた。

銀河規模の侵略者と、星の管理者が——同じ問いに答えられずにいる。


G・クリムゾンが悠真の隣に来て、ぼそりと言った。


「……お前、とんでもないことをしとるな


「何がですか


「銀河の侵略者と星の管理者を、同時に悩ませとる


「悩んでもらった方が、話が続くので


「なんでやねん……


ユグドラが言った。


「大いなるものよ。一つ、提案がある


「なんじゃ


「お前は今、この星を害星にするつもりか


「……今は、していない。地球の者が来るたびに——少し、考えてしまう。コツコツが、止まる


「ならば——少し、待て。ワシとお前は、長い間、それぞれにコツコツとしてきた。しかし二つとも——答えが出ていない。この者たちが、少し違う方向を見せておる。それを——もう少し、見てみてはどうか


大いなるものは、また長い間、黙っていた。


「……ユグドラ。お前も変わったな


「変わった。出汁を引き出されたからじゃ


「出汁を


「説明は難しい。ただ——地球の者と話して、ワシの中にあったものが、少し出てきた


また沈黙。


「……小さなことから、コツコツと。ワシは長い間、そう言ってきた。しかし——お前たちのコツコツは、ワシのとは違う。何が違うのか、ワシにはまだわからん。しかし——違う


「一緒に考えませんか


悠真が言った。

二つの存在が、悠真を見た。


「あなた二人と、俺たちで——一緒に考える。答えは今日出なくていい。でも——考え続ける。それが、今できることだと思います


「……一緒に、考える


「はい。難しければ——まず出汁の匂いを嗅いでもらうところから


大いなるものが、また揺れた。

今度の揺れは——困惑ではなく、何か別のものが混じっていた。


「……地球の者。お前は——本当に変な者じゃ


「よく言われます


「銀河規模の存在に向かって、出汁の匂いを嗅げと言う


「匂いはわかると、自分でおっしゃっていましたから


また揺れた。


「……わかった。今日は——引く。しかし、また来る。お前と話すために


「待っています。来るたびに出汁を作ります


「……次は——何が入るのか


「来てみてのお楽しみです


大いなるものが、また揺れた。

今度は——確かに、笑いに似た揺れだった。


「……小さなことから、コツコツと。お前のコツコツを——ワシは見ておく


密度が、ゆっくりと引いた。

赤黒い空が、少しずつ薄くなった。

広場の全員が、それを見ていた。


ユグドラの声も、静かに引いた。


「……出汁の続きを、待っておる


それだけ言って、消えた。


広場が、静かになった。



しばらく、誰も動かなかった。


やがて——センディアが口を開いた。


「……さっきの薬草。大いなるものに届いたか


「届きました。『層がある』と言っていました


センディアは少し間を置いた。


「……また、採取してやる


悠真は少し驚いた。センディアが自分から申し出たのは——初めてだった。


「ありがとうございます


「礼は不要だ。ただ——あれが届くなら、また持ってくる。それだけだ


センディアは踵を返して、さっさと行ってしまった。


G・クリムゾンが悠真に言った。


「……センディアが自分から何かを申し出たのは——ワシの記憶では、初めてやな


「そうですか


「あいつも——何か、届いたんやろな


悠真は鍋を見た。

出汁が残っていた。

センディアの薬草の苦味が、まだそこにあった。


レグナスが近づいてきた。


「神代悠真。一つだけ言うとくわ


「はい


「銀河の侵略者と星の管理者を同時に悩ませて、今日のところ帰らせた。これは——前代未聞やと思う


「そうですか


「ワシの長い王様人生で——こんなことは一回もなかった。まぁ、気楽に行こうや、とは言えんレベルやな


「レグナスさんらしくないですね


「そやな。でも——あながち悪くないと思っとるわ。今日のことが


レグナスは少し笑った。


「帰ったらまた料理作れよ。今日の出汁、あの化け物に半分持っていかれた気がして、腹が減った


「作ります


「約束やで


レグナスは「まぁ気楽に行こうや」と言いながら戻っていった。

セイリオスが「陛下……」と言いながらついていった。


六尾が悠真の隣に来た。


「……今日、ちらっと見えました


「未来視ですか


「はい。大いなるものが——出汁の鍋の前に座っている映像でした。食べているのか、ただいるのか、わかりませんでしたが


「後でわかりますね


「……はい。後でわかります


六尾は少し笑った。

今日の六尾の笑いは——少し、自信のある笑いだった。



夜、六尾に報告した。


六尾は縁側に座って、悠真の話を全部聞いた。


「大いなるものとユグドラが——同じ問いに答えられずにいる


「……そうですか


「一緒に考えようと言いました


「……祖母がよく言っていました。お前はいつもそう言う、と


悠真は少し笑った。


「六尾さん。一つ聞いていいですか


「はい


「今日の出汁の匂いが届いた、と大いなるものが言いました。センディアさんの薬草が入っていたと言ったら、センディアさんがまた採取してやると言った。みんなが関わって、それが届いた。これは——どういうことだと思いますか


六尾はしばらく考えた。


「……出汁と同じだと思います。センディアさんの中に——届けたい気持ちがあった。悠真さんがそれを引き出した。だから大いなるものに届いた


「六尾さんは——九尾さんに似てきていますね


「……そうでしょうか


「そう思います


六尾は少し考えた。


「……ちょろいん


「今回は誰ですか


「祖母が使っていた言葉を使ってみたかっただけです。全員です


悠真は笑った。


六尾が「寝てください」と言った。

悠真は「はい」と言った。


部屋に戻る途中で——悠真は廊下で少しだけ立ち止まった。


六尾が「ちょろいん」と言った。

センディアが「また持ってくる」と言った。

大いなるものが「また来る」と言った。

ユグドラが「出汁の続きを待っておる」と言った。


「また」が——増えていく。


(これが——設計の外にある瞬間だ)


悠真は部屋に入った。

布団に横になった。

窓の外、北の空がある。

赤みは——昨日より、少し薄かった。


明日も出汁を取ろう。

センディアの薬草を入れよう。

誰が何を担当するか、聞いてみよう。


悠真は目を閉じた。

「また来る」という言葉を、頭の中で繰り返しながら、眠った。



〈第十七話 了〉

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