第十六話 ミレイナとガルドの詐欺
事の発端は、ミレイナが「研究費が足りない」と言い出したことだった。
三勢力合同の迎賓館に人が集まるようになってから、ミレイナの研究欲が爆発していた。
害虫の毒腺成分。害獣の変化術の機序。人類の魔法と、虫・獣の能力の相互作用。研究したいことが山積みで、材料費も機材費も底をついた、とミレイナは言った。
「研究費、どこかから調達せんといかんどすなぁ……」
「……方法はある」
ガルドが言った。
ミレイナが「どんな方法どす」と聞いた。
ガルドが「こうする」と説明した。
ミレイナは三秒考えて、
「……それ、詐欺どすな
「そうです
「やりましょ
こうして、迎賓館史上最悪の作戦が動き始めた。
◇
作戦の内容はシンプルだった。
ミレイナが「権威ある魔導師」として対象に近づく。
対象に「危険な存在があなたの周りに迫っています」と告げる。
そこへガルドが「危険な存在」として現れる。
ミレイナが「私が守りましょう」と言って、保護料を受け取る。
二人で山分け。
問題は——迎賓館の周辺に、この手口が通じそうな「一般市民」がいない、ということだった。
いるのは全員、害虫連邦の幹部か、害獣帝国の将軍か、人類王国の騎士か、蟲獣皇帝本人か、参謀たちか、だった。
しかしミレイナは「なんとかなるどす」と言った。
ガルドは「……なんとかなるかもしれません」と言った。
二人の判断力は、研究費欲と詐欺欲によって著しく低下していた。
◇
最初の標的は——レオン・アークライトだった。
理由は単純で、「正義感が強くて騙されやすい」という評判があったからだ。
ミレイナは廊下でレオンを見つけ、深刻な表情を作って近づいた。
「レオンはん。実はうち、あなたのことが心配どして……
レオンは「なんだべ」と立ち止まった。
「最近、あなたの周りに——邪悪な気配が漂っているんどす。うちの魔法の目には、はっきり見えて……
レオンは真剣な顔になった。
「んだと! 邪悪な気配とは何だべ」
「それが——特定の暗殺者が、あなたを狙っているようで……
その瞬間。廊下の角から、ガルドが現れた。
無表情のまま、暗殺者らしく(ガルドは本職なので様になっていた)壁に溶け込むように立っていた。
レオンが振り返った。
ガルドと目が合った。
沈黙。
「……ガルドじゃないか」
「……
「毎朝食堂で会うべ。隣の席に座っとるじゃないか
「……はい
「(ガルドはん、もっとうまくやってくださいな……)
「(……どうすればよかったのですか)
「(もっとこう、謎めいた雰囲気を……)
「何をひそひそ言い合っとるんだべ
レオンは首を傾けた。
「ミレイナ、お前の魔法の目というのは、毎朝食堂で同じ席に座っとる人を暗殺者と見間違えるほど精度が低いんだべか
「……よう勉強してはりますなぁ(意味:黙っていてほしい)
「……よう勉強してはりますなぁ(同)
「二人とも同じことを言うんだべ……
作戦その一は、開始三十秒で終了した。
◇
気を取り直して、次の標的を探した。
ミレイナが「次はボア・ガルドはんどす」と言った。
ガルドが「……イノシシです。突進してきませんか」と言った。
ミレイナが「大丈夫どす。うちが守ります(守りません)」と言った。
ボア・ガルドは迎賓館の庭で筋トレをしていた。
体格は悠真の三倍はある。元ハーバード大学心臓外科医の転移者だが、その外見は純粋に「突進してきそうなイノシシ」だった。
ミレイナは近づいて、深刻な表情で言った。
「ガルドはん(イノシシの方)。実はうち、あなたのことが——
ボア・ガルドは筋トレを止めずに聞いていた。
「ん? なんや、ミレイナはん
「最近、あなたの心臓に——よくない気配を感じて……
ボア・ガルドの動きが、止まった。
「……心臓か
「はい。うちの魔法の目には、あなたの心臓に——危険なものが……
ボア・ガルドは急に真剣な顔になって、自分の胸に手を当てた。
「……不整脈か。いや待て、最近少し動悸があったんや。ミレイナはん、詳しく言うてくれ。左心室か右心室か、それとも弁膜症か——
ミレイナは少し焦った。
「あ、いや、心臓の専門的なことはよくわからへんどすけど……
「専門的なことがわからん? うちはハーバードで心臓外科を——いや待て、魔法の目というのは医学的なものではないんか。ならMRIや心電図と組み合わせた場合の精度は——
ボア・ガルドは興奮してきた。
「ミレイナはん、少し研究させてもらえんか。魔法診断と現代医学の統合という観点から——
「あ、いや……よう勉強してはりますなぁ(早く終わってほしい)
「……よう勉強してはりますなぁ(同)
ガルドは今回は暗殺者として登場する前に作戦が瓦解していたため、廊下の影で待機したまま終わった。
作戦その二も、開始一分で終了した。
◇
三度目の正直として、ミレイナとガルドは「やはり一般市民相手でないといけない」という結論に達した。
迎賓館の周辺の町に出ることにした。
町の市場で、ミレイナは「権威ある魔導師」として振る舞い、果物売りの商人に近づいた。
「あなた、最近——お仕事がうまくいっていないのではないどすか。うちの魔法の目には、そう見えて……
商人は目を細めた。
「……どこで聞きましたか
「え?
「先週、隣の店の旦那から同じことを言われました。同じ手口です。あなたも詐欺師ですか
「ち、違いますどす! うちは本物の魔導師で——
「詐欺師は全員そう言います。衛兵を呼びますよ
ミレイナは素早く後退した。
ガルドが素早く後退した。
二人は市場の裏路地に逃げ込んだ。
「……ガルドはん
「……なんですか
「この町の人たち、思ったより賢いどすな
「……同様の詐欺が先週も来たようです
「……先週も来たということは
「……我々より先に同じことを考えた者がいる
二人は路地でしばらく沈黙した。
「……研究費、別の方法で調達しましょか
「……そうですね
作戦その三も、開始二分で終了した。
◇
迎賓館に戻ると、悠真が厨房の前で立っていた。
二人を見て、少し首を傾けた。
「二人とも、どこに行っていたんですか
「……散歩どす
「……散歩です
悠真は少し考えた。
「ミレイナさん、研究費が足りないと言っていましたよね、先日
ミレイナとガルドが同時に固まった。
「……な、なんで知っておいやすのどす
「セイリオスさんから聞きました。なんか二人でこそこそしていると
ガルドは無表情のまま、しかし明らかに動揺していた。
「研究費なら、三勢力合同の運営費から出せると思います。カラスさんに話しましたか
「……え
「ミレイナさんの研究は、三勢力の能力の相互作用を調べているんですよね。それは全員に有益な研究です。正式に申請すれば通ると思います
ミレイナはしばらく固まっていた。
「……そんな、普通の方法があったどすか
「普通にあります
「……最初からそうすれば……
「……そうですね
悠真は少し間を置いた。
「……二人とも、今日、何かしていましたか
「……散歩どす
「……散歩です
悠真は「そうですか」とだけ言った。
それ以上聞かなかった。
ミレイナとガルドは揃って「よう勉強してはりますなぁ」と言いたくなったが、こらえた。
◇
その夜、食堂でレオンがG・クリムゾンに話しかけた。
「なあ、今日ミレイナとガルドが廊下でこそこそしていたんだべ。ガルドが暗殺者みたいに立っていたんだけど——
「なんでやねん
「ワシに向かって立っていたんだべ。何かの練習だべか
G・クリムゾンは触覚をぴくりと動かした。
「……詳しく話せ
レオンが話した。G・クリムゾンは聞きながら触覚をゆっくり動かした。
「……それは、詐欺の手口やな
「んだと! 詐欺だべか!
「まぁ落ち着け。失敗しとったんやろ
「んだ、全然うまくいってなかったべ
「ならええ。ただ——お前が騙されやすいという評判があるんやろな、たぶん
「んだと! ワシが騙されやすい!?
「正義感が強い人間は騙されやすい。それだけや
「……んだべか
レオンはしばらく考えた。
「でも、騙されんかったべ
「そうやな。毎朝隣に座っとる人間が暗殺者に見えんかった、というのは——至極まともな判断や
「当たり前だべ!
G・クリムゾンは「なんでやねん」と言った。
今回は呆れと笑いが混ざった「なんでやねん」だった。
◇
翌日、ミレイナはカラスのところへ行って研究費の申請をした。
カラスは話を聞いて、少し考えた後、
「……三勢力の能力の相互研究は、確かに有益です。承認します。ただし——
「ただし?
「研究の進捗を月に一度、報告してください。あと——昨日、市場で何かありましたか
ミレイナは固まった。
「……なんで知っておいやすのどす
「情報は命です
「……よう勉強してはりますなぁ(早く終わってほしい)
「ありがとうございます。申請は通りました。研究費は明日から使えます
ミレイナは「おおきに」と言って出て行った。
廊下でガルドが待っていた。
「通りましたわ
「……よかったです
「最初からこうすればよかったどすな
「……そうですね
二人はしばらく廊下に立っていた。
「……ガルドはん
「なんですか
「うちたち、詐欺より研究の方が向いてるどすな
「……暗殺より、でしょうか
「暗殺はガルドはんの本職やないどすか
「……本職ですが、昨日は失敗しました
「あれは失敗と言うより——
「失敗です
「……そどすな
二人はまた沈黙した。
「……次の研究費が尽きたら、また考えましょ
「……考えない方がいいと思います
「なんで
「……蟲獣皇帝に全部見抜かれます
ミレイナは少し考えた。
「……そうどすな。あの方は、何もしてないのになぜかなんでも知っておいやす
「……料理をしながら人の話を聞いているからだと思います
「……恐ろしい方どすな
「……同意します
二人は揃って「よう勉強してはりますなぁ」という気持ちになったが、言う相手がいなかった。
◇
その夜、悠真は厨房で出汁を取りながら、七尾に話しかけた。
「七尾さん。今日、ミレイナさんとガルドさんが何かしていたと思いますか
「……詐欺をしようとしていたと思います
「なぜわかるんですか
「嘘がつけないので、嘘をついている人がわかります。二人とも『散歩』と言った時の目が——散歩をした目ではありませんでした
「七尾さん、鋭いですね
「祖母とは違う種類の鋭さだと思います。祖母は老獪だから見抜く。私は正直だから見抜く
悠真は少し笑った。
「どちらも参謀に必要な能力だと思います
「……そうでしょうか
「うそをつかない参謀がいると、俺もうそをつけなくなるので——助かります
七尾は少し考えた。
「……悠真さん、嘘をついたことがありますか
「あります。G・クリムゾンさんの落語が長くて、一回『もう少しで終わりますかね』と聞いたら、『あと一席だけや』と言われて三席続いたことがありました。その後で『面白かったです』と言いましたが——三席目は途中から少し眠かったです
七尾は少し目を丸くして、それから笑った。
「……それは嘘と言うより、優しさだと思います
「どちらも本当のことだったので
「面白かったことと、眠かったことが
「両方本当でした
七尾はまた笑った。今日は笑いやすい日らしかった。
悠真は出汁をかき混ぜながら言った。
「ミレイナさんとガルドさんの件は——研究費の申請を通したので、しばらく大丈夫だと思います
「正規の方法で
「そうです。正規の方法でできることは、正規の方法でやってもらわないと、周りが困るので
「……言いましたか、二人に
「言っていません。気づいてもらえるように、聞こえるところで話しただけです
七尾はしばらく悠真を見た。
「……それは、老獪というものでは
悠真は少し考えた。
「そうかもしれません
「祖母に似てきています
「それは——どうでしょう
「いいことだと思います。ただし——悠真さんらしい老獪さです。意地悪ではない
悠真は出汁を器に盛った。
「七尾さんの分です
「ありがとうございます
七尾は器を両手で包んだ。
いつもの持ち方だった。
九尾と同じ持ち方だった。
悠真は自分の分も持って、隣に座った。
厨房の窓の外、北の空はまだ赤い。
でも今夜は——ミレイナとガルドの詐欺未遂の話が、頭の中で繰り返されて、少し笑えた。
(こういう夜も、必要だ)
大いなるものがいる。ユグドラが目覚めた。三勢力の統合はまだ完全ではない。
でも——ミレイナが研究費のために詐欺を試みて全部失敗した夜がある。
これも——設計の外にある瞬間だと思った。
悠真は出汁を一口飲んだ。
温かかった。
〈第十六話 了〉




