第十四話 打ちのめされた夜
帰還した時、全員が迎賓館の前で待っていた。
G・クリムゾン。六尾。イタチ。カラス。シビシネア。レグナス。セイリオス。レオン。センディア。ディア・ルミナ。
悠真の顔を見て、G・クリムゾンが触覚を大きく動かした。
「……帰ってきたな
「帰りました
「無事か
「無事です
レグナスが「よかったわ、まぁ気楽に行こうや」と言った。
レオンが「んだ、心配したべ」と言った。
イタチが無言でうなずいた。
センディアは何も言わなかったが、毒液を一度も滲ませなかった。
六尾が前に出た。
「……出汁の湯気、見えましたか
「見えました。一筋の緑も見えました
「よかったです
悠真は全員の顔を見た。
温かかった。
しかし——九尾がいない。
いつも縁側にいた九尾が、もういない。その空白が、温かさの中にあった。
「……ユグドラと話しました。大事な話がいくつかあります。今夜、全員に話します
全員が静かになった。
「その前に——夕食を作ります。腹が減ったので
誰かが小さく笑った。G・クリムゾンだった。
「なんでやねん
温かい「なんでやねん」だった。
◇
夕食を食べながら、悠真はユグドラから聞いたことを話した。
順番に。丁寧に。
ユグドラが目覚めたこと。この世界の管理者であること。大いなるものより古く、大きい存在であること。
そして——百年の戦争が、ユグドラの設計だったこと。
テーブルが、静かになった。
G・クリムゾンは触覚を止めた。
六尾は静かに聞いていた。
レグナスは「そうか」とだけ言った。
センディアは何も言わなかった。
カラスは目をつぶった。計算を止めた顔だった。
悠真は続けた。
「進化の果実も——ユグドラが作ったものです。食べると進化する、ではなく、人格を制御する装置だと言っていました
また、沈黙。
レグナスが「……うちの国でも、果実を食べた者がおる」と言った。静かな声だった。
G・クリムゾンが「害虫連邦にも」と言った。
カラスが「害獣帝国にも」と言った。
全員が、同じことを知った。
悠真は最後に言った。
「ユグドラは謝っていました。俺に。そしてこの世界全員に。自分が設計した戦争で死んだ者たちへの責任を——言っていました
また長い沈黙があった。
誰も何も言わなかった。
夕食の器が、テーブルに並んでいた。出汁が少し冷めていた。
やがてレグナスが言った。
「……神代悠真。お前はその話を聞いて、どう思っとるんや
悠真は少し間を置いた。
「……今は、まだ、整理できていません。話しながら、大丈夫な顔をしていましたが——正直、大丈夫ではないです
レグナスは「そうか」とだけ言った。
「今夜は——少し、一人にしてもらえますか
誰も引き止めなかった。
悠真は席を立った。
◇
部屋に戻って、悠真は床に座った。
窓の外、北の空はまだ赤黒い。一筋の緑が、今夜も細く残っている。
頭の中で、ユグドラの言葉が繰り返された。
——百年の戦争は、ワシが設計した。
——そこで死んだ者たちは、ワシの実験の犠牲じゃ。
G・クリムゾンが百年間、戦い続けた。
その百年が——設計されたものだった。
センディアが「害獣は敵だ」と信じてきた。
レグナスが「害虫は排除すべき」と思ってきた。
シビシネアが戦場を駆け回ってきた。
イタチが剣を振ってきた。
その全部が——管理者の実験だった。
北から帰れなかった斥候のことを思い出した。
一人だけ、戻らなかった斥候。
あの夜、泣いた。
その斥候の死も——ユグドラの設計の中にあった。
そして——九尾が死んだ。
九尾も——設計の中にあったのか。
九尾が「ちょろいんじゃろ、ワシが」と笑った瞬間も。
九尾が出汁を両手で包んでいたあの持ち方も。
「また誇らしかった」と言ってくれたあの夜も。
北へ消えていく銀白色の尾も——全部、何かの設計の中にあったのか。
(じゃあ、俺が動いてきたことは——)
悠真は膝を抱えた。
この一年、悠真が動かしてきたと思っていた。
料理を作って、話を聞いて、少しずつ世界が変わっていくのを感じていた。
でも——もしユグドラの設計の延長線上に、悠真の行動も含まれていたとしたら。
俺がG・クリムゾンと話せたのも、九尾と出会えたのも、九尾が死んだことも——全部、何かに乗っかっていたとしたら。
(わからなくなった)
部屋が、静かだった。
外の赤い光だけが、窓から差し込んでいた。
悠真は——泣いた。
声は出なかった。
ただ、涙が出た。止められなかった。
九尾のことで、すでに泣いた。でも——また来た。
怒りと悲しみと、それから——自分が信じてきたものへの疑いと。その全部が、九尾の死の上に重なって、来た。
のり塩ポテチが食べたかった。
地球に帰りたいとは思わなかった。でも——のり塩ポテチが食べたかった。
それだけが、今この瞬間、悠真に残っていた素直な気持ちだった。
◇
扉が、静かにノックされた。
悠真は答えなかった。
もう一度、ノックされた。
「……入っていいですか
六尾の声だった。
悠真は少し間を置いてから、「どうぞ」と言った。
六尾が入ってきた。手に、器を持っていた。
湯気が上がっていた。
「……出汁を作りました。飲みますか
悠真は少し驚いた。
「六尾さんが作ったんですか
「はい。レシピを見ていたので。うまくできているかどうか、わかりませんが
六尾は器を悠真の前に置いた。
それから、部屋の隅に静かに座った。
邪魔をするでもなく、出て行くでもなく——ただ、そこにいた。
悠真は器を手に取った。
両手で包んだ。温かかった。
一口飲んだ。
出汁だった。
悠真が作るものとは少し違う——もっとあっさりしていて、でも、素材の味がちゃんとあった。
「……おいしいです
「本当ですか
「本当です。苔の旨味が、ちゃんと出ています
「……よかった
六尾は少し間を置いた。
「悠真さん。一つだけ、聞いていいですか
「はい
「今夜聞いた話——百年の戦争が設計されていたこと。進化の果実が制御装置だったこと。それで——悠真さんは、何が一番、つらかったですか
悠真はしばらく考えた。
「……自分が動いてきたことが、意味があったのかどうか、わからなくなったことです
「意味があったかどうか
「俺がG・クリムゾンさんと話せたのも、九尾さんと出会えたのも——全部、何かに乗っかっていたんじゃないかと思ったら。自分で動いてきたと思っていたのに、実は最初から決まっていたんじゃないかと
六尾は少し考えた。
「……私は、祖母から聞いたことがあります。未来視というのは——見えるだけで、変えられる、と
「変えられる?
「見えた映像が全部そのまま起きるわけではない、と。見えたから動いて、動いたから変わることがある。それが未来視の本当の意味だと、祖母は言っていました
悠真は黙って聞いた。
「ユグドラが設計した戦争があったとして——悠真さんが動いたことで、変わったことがあると思います。G・クリムゾンさんが落語を一席打って、誰かに最後まで聞いてもらえたのは——設計にはなかったと、ユグドラ自身が言っていましたよね
「……そうです
「じゃあ——その瞬間は、悠真さんが作った瞬間です。設計の外にある瞬間を、悠真さんは作ってきた。それは——意味があると、私は思います
悠真はしばらく、出汁を飲みながら、六尾の言葉を聞いていた。
「……六尾さん。あなた、不器用だと言っていましたが
「不器用です
「俺には、そう思えないです
「嘘がつけないので、思ったことをそのまま言ってしまうだけです。それは不器用だと思います
「俺はその方が好きです
六尾は少し黙った。
「……祖母が言っていた理由が、またわかった気がします
「何がですか
「悠真さんと話すと、自分が大丈夫な気がしてくる、という理由です。悠真さんは——相手の言葉を、ちゃんと受け取る。それが伝わってくるから、話したくなる
悠真は器を両手で包んだまま、少し笑った。
「……六尾さんの出汁は、祖母似ですね
「え
「九尾さんも——体が冷えやすいから出汁を飲む、と言っていましたよね。温かいものを届ける感覚が、似ています
六尾は少し驚いた顔をした。
それから——照れたように、少し下を向いた。
「……祖母に似ていると言われたのは、初めてです。いつも『全然違う』と言われていたので
「どちらも本当だと思います。全然違うところもあって、でも似ているところもある
六尾は少し笑った。不器用な笑い方で。
◇
六尾が出ていった後、悠真は一人で出汁を飲み終えた。
空になった器を、両手で包んだまま、しばらくいた。
(設計の外にある瞬間を、作ってきた)
六尾の言葉が、頭の中に残っていた。
G・クリムゾンの落語を最後まで聞いた瞬間。
センディアが毒液を止めた瞬間。
レグナスが親父ギャグで笑った瞬間。
九尾が「ちょろいんじゃろ、ワシが」と言った瞬間。
イタチが「食材は俺が調達する」とぼそりと言った瞬間。
カラスが「料理も頼めますか」と聞いた瞬間。
それらが——設計にない瞬間だったとしたら。
ユグドラが「計算が外れた」と言った瞬間が——全部、そういう瞬間だったとしたら。
(俺が作った、ということになる)
確信はなかった。
でも——六尾の出汁が、温かかった。
六尾が「不器用だから思ったことをそのまま言う」と言って届けてくれた言葉が、温かかった。
これは——設計にある瞬間か。
(たぶん、ない)
六尾が参謀になったのは、九尾が死んだから。九尾が死んだのは、前衛部隊から時間を稼いだから。その全部の連鎖の中に——ユグドラの設計は、なかったはずだ。
悠真が来てから——計算が外れ続けた、とユグドラは言った。
じゃあ、この瞬間も——外れた計算の上にある。
悠真は、深く息を吐いた。
怒りは——まだあった。
でも、少し、落ち着いてきた。
怒りながら、考えられるようになってきた。
(これでいい)
全部を消化できたわけではない。
明日も、ユグドラのことを考えると複雑な気持ちになるだろう。
でも——今夜は、六尾の出汁が温かかった。それで十分だった。
悠真は器を置いた。
布団に横になった。
窓から、北の空の赤みが差し込んでいる。一筋の緑が、今夜も細く残っている。
(運が良ければ——)
口癖が、今夜は少し違う重さで来た。
「運が良ければ」は、何もしなくても良くなる、ではない。
やれることをやって、それでも足りない部分を運に預ける。
そして——やれることの中には、「設計の外にある瞬間を作る」ことも含まれる。
悠真はそれを、今夜初めて、はっきり思った。
明日——G・クリムゾンさんと温泉の話をしよう。
カラスに次の手を相談しよう。
六尾の出汁のレシピを、もう少し一緒に考えよう。
やることは、ある。
悠真は目を閉じた。
「ちょろいんじゃろ、ワシが」という声が、また頭に来た。
眠れないかと思ったが——六尾の出汁の温かさが、まだ体に残っていた。
それを感じながら、眠った。
〈第十四話 了〉




