第7話 ダイブ
「誰だ!」
巧の声とともに、こちらに駆けてくる足音がした。木の影に隠れていた僕の目の前に巧が飛び込むようにして現れた。
巧は僕を見るなり、少し後ろに飛びすさるようにして止まった。
「司、何でお前」
「あの、トイレで目が覚めたら巧がいなかったから、探しに来たんだ」
そう言う間にも、蛍のような光はどんどん数が増えて、しかも一つ一つの光の強さが増している。
オニールさんが立ち上がりながら言った。
「小さき者たちは、あなたが異世界から戻ってくるのに、その子が手伝ってくれたのだと言っている」
「あーもう、やっぱりそうか。こいつを巻き込みたくないから、こいつのいないところで話そうと思ったのに。何で台無しになるんだよ。まだこいつは弱っちいんだよ」
巧は片方の手で髪の毛をわしわしとかき混ぜている。
僕は巧に言った。
「巧、ごめん。でも僕、心配で。急にいなくなって、神隠しに遭ってたらどうしようって」
「大丈夫だって。俺はそんなへまはしないし、もしどっかに飛ばされても絶対にお前のところに戻ってくるから」
「でも、行ったら帰り道がわからなくなるんでしょ。さっき言ってたじゃない」
巧は低く小さく唸り声を上げてから、僕らの周りに浮かんでいたたくさんの光の玉を見まわした。
「あー、こいつらだな。こいつらが俺たちの話し声を司にきかせてたんだろ。こそこそしやがって。妙に気配がない場所があるなってのは気になってたんだ。それもこいつらがお前の気配を遮断してたんだろ」
「王よ、小さき者たちがその子と話がしたいと言っている。あなたならそれが可能だと」
「そりゃ、できるけど」
「巧、僕に何か手伝えることがあったら言ってよ。神隠しに遭った人を捜しに行けるんでしょ」
「連れ戻せるわけじゃないけどな」
「でも、巧が行かなかったら氷上健吾さんは死んでしまうんだよね?で、僕は巧が戻ってくる手伝いができる。でしょ?」
巧は顔をしかめていたが、
「わかった。とりあえず、お前の目と耳を開くぞ」
巧が僕の眉間に右の人差し指を押し当てた。その瞬間、僕の頭の中を熱が貫いていくのを感じた。体が揺れるのと魂が揺れるのとが大きくずれて気持ちが悪くなる。
思わずその場にうずくまった僕の傍に、巧がひざまづき、言った。
「抵抗するな。お前は昔の感覚を思い出すだけなんだから」
思い出すだけ。その一言で、僕は息をつくことができた。そっか、僕は前に見ることも聞くこともできたんだ。
何を、とは思わなかった。ただそのことが当たり前に思い浮かんだだけ。
その考えが僕の中にすんなりしみこんだとき、僕は魂の揺れが収まっているのに気がついた。
そして、僕たちの周りにたくさんの小さな人たちが浮かんでいるのが見えていた。背中に羽を生やし、薄黄緑色に光っている。
その、小さな人たちは、僕と目が合うと、歓声を上げた。
「私たちのこと、わかってる!」
「私たちの声、きこえてる?」
口々にそんなことを言っていて、僕はまためまいを感じた。
「えっと……この小さいのって、何」
「まあ、一言で言えば妖精ってやつだな」
巧の言葉に僕は納得する。確かにそういう姿をしている。
妖精たちは僕の周りにたくさん寄ってきて、
「こんばんは、美しいひと」
「怒らないで、美しいひと」
言いながら、僕の髪や頬、服に触れてきた。うん?美しいって何。それに、怒らないで、って。僕、怒ってないけど。
「助けて、美しいひと」
「あの子を助けて、お願い」
妖精たちの数はどんどん増えている。巧はまた髪の毛をわしわしと手でかき回していた。
「あー、もう。こいつは目と耳が開いただけで、それ以上はないんだからな」
「でも、僕にできることがあるんでしょ。妖精たちはそれを知ってるんだよね?」
それに巧も。
僕の問いに、巧は顔をしかめていたが、やがて小さい声で、
「できることはある。ここにいて、俺が帰ってくるための座標になってほしい」
ええっと……言ってることがわからない。巧は健吾さんを探しに行く。でも、座標になるって?
僕の顔を見て、僕がわかっていないことがわかったらしい。巧は顔をしかめたまま、
「俺が異世界に行くときに、お前の意識の一部分を連れて行く。お前は自分の意識の残りをこちらにとどめつづけてくれ」
「よくわかんないけど、僕にはそれができるってことなんだね?いいよ、やってみる」
でも、それまで黙ってきいていたオニールが言った。
「王よ、そのような難しいこと、いきなりこの子どもにできますか」
「できる。こいつは昔やってた。俺が世界の狭間に潜って、こいつが俺を世界に繋ぐ。そうやって暮らしていたことがある」
言われても、僕には何のことだかわからない。そんなことやったことないよ、僕。
巧には僕が考えていることがわかっているらしい。いいんだ、と言った。
「お前はわからなくていいんだ。ただ、お前にはそういうことができるんだってこと、俺の言うことを信じてくれれば」
僕は頷いた。だってそれより他ないんだから。
巧は僕を、健吾さんがちょうどいなくなったというお地蔵様の前に連れていった。
「ここで潜る。お前はここにいて、月でも見てろ」
「待って、それでいいの?座標がどうこうって言ってたでしょ」
「いいんだよ。お前の意識の一部は俺が勝手に持って行くから。最初それで少しめまいとかすると思うけど、すぐに治るから。で、その後は視界がぼんやりしている感じがあると思う。それも気にしないでくれ」
「その後、どうしたらいいの?」
「別に。何もしなくても大丈夫だ。ここにいてくれるだけで」
「でも」
「じゃあ、帰りたいと思ったら、お前の意識に働きかけるから。そうしたらお前にはそれがわかるから、焦点をこっちに合わせるようにしてくれ。そうしたらお前の意識が自分の体に戻って、それにくっついて俺も戻ってくる。そうしてくれると助かる」
僕は頷いた。だって、それしかないんだから。
僕は巧に手を伸ばした。巧はちょっと驚いていたけど、僕の手を握り返してきた。
「こんなことしたって、潜ったら俺の体はいなくなるんだけどな」
言いながら、なんだか嬉しそうだ。
それから巧はオニールさんを見て言った。
「俺が持って行くのはこいつの意識の一部だけど、もしかしたらこいつの意識の大部分が俺についてくるかもしれない。そうしたら、こいつの左肩を二回叩いてくれ。それでこいつはこっちに意識を戻すから」
オニールさんは頷いた。でも、顔には心配が出ていた。
僕はお地蔵様の前に、巧と向かい合って座った。
巧が言った。
「じゃあ、行ってくるから。俺が合図をしたら、こっちに意識を残せよ」
言うなり、巧の体は青白く光り、そして消えた。
そう、消えた。そして、僕も自分がどこにいるのかわからなくなった。月の光が明るい松林の中にいた筈なのに、何も見えない霧の中にいる感じ。でも、海風が頬に当たるのは感じる。妖精たちが何匹か僕の周りにいて、いろいろと話しかけてくる。いっちゃだめよ、とか、戻らないと、とか。でも、戻るってどこに。
そう思ったそのとき、僕は少し距離を置いた正面に、一人の若い男の人が立っているのに気がついた。
黒い髪、紺色の瞳、白い肌、身に纏っているのは紺色の服。だけど、王子様っぽい飾りとかいろいろついて、長いマントを羽織っている。その肩にはふわふわした白い毛並みをした猫に似た生き物が乗っていて、緑がかった水色の瞳でこちらをじっと見ていた。
整った顔立ちをしたその人と目が合ったとき、僕はその人がただの人間じゃないことに気がついた。
彼の中にある術式に心当たりがあった。




