第2話 新しい習い事
新しい家にはお稽古場があった。僕の新しいお母さん、神村さんはそこで踊りを教えているんだって。もしかして、僕、踊りを習わないといけないんだろうか。
踊りを習うのが嫌というわけじゃない。ただ、うまくできる自信がない。うまくできなかったら、いらない子って思われるんだろうか。そんなの嫌だ。
僕の不安が顔に出ていたらしい。神村さんが訊いてきた。
「どうしたの?」
「あの、僕、踊りってやったことなくて」
「ああ、別にいいのよ。絶対にやらないといけないということではないから。まあ、やってくれたら嬉しいけど」
「いえ、あの、踊りをやりたくないとかじゃないんです。僕、うまくできないかもしれなくて」
「それは当たり前です。誰でもやったことがないことはうまくできないものよ。それをお稽古して上手になっていくの。そのためのお稽古よ」
「でも、うまくなれなかったら?」
不安そうな僕の頭を、神村さんは優しく撫でた。
「大丈夫よ、誰もがその人なりに上手になっていきます。それでいいのよ」
僕なりに上手になればいいんだ。……それならなんとかなるかも?
僕はその日から神村さんの家で暮らし始めた。神村さんは旦那さんが亡くなっていて、子どももいなくて、一人暮らしをしていた。そこに僕が養子にもらわれてきたというわけ。
「やっぱりにぎやかなのはいいわ」
と神村さん、じゃなくて、お母さんは夕食の席でにっこり笑いながら言った。僕の隣で巧が、
「だよなあ。飯もみんなで食べた方がうまいし」
とにこにこしながら言う。……だから何で巧も一緒なの?
そう、何故か巧も一緒に暮らすことになっていた。久山のおじさんの家はここから近いのだけど、やっぱり奥さんが仕事が忙しくて子どもの面倒をみることはできないと言っているんだとか。
巧まで神村さんの家にお世話になるのだと、久山のおじさんからきいたときの巧は、どうでもいいことのように、
「俺のことなんか放っておけばいいのにさ。今までだってあのおばさん、何もしてなかったのに」
「これからはそうはいかないだろう。学校とかあるし」
「あ、そっか」
巧はあっさりと言っていた。……うん?どういうこと?巧は今まで鹿鳴にいたの?僕が前住んでいた町にいたんじゃなかったの?
どういうことなのか訊いてみたかったけど、巧がその話題を避けている感じがあって、僕はとりあえず訊かないことにした。
神村さんの家に来て二日後の月曜日、僕は初めて踊りのお稽古をした。浴衣を着せてもらって、短い曲の振りを教えてもらう。最初だからか、ものすごく短い時間だけやって終わりだった。お母さんは僕が振りの真似をするのを見て嬉しそうにしていた。
僕がお稽古をしている間、巧は稽古場の隅で寝そべったりして僕がお母さんに踊りを習っているのを見ていた。そんなことくらいなら一緒にやればいいのに。
でもお母さんは、巧にも踊りをやれとは言わなかった。一度だけ、お稽古の見学をするんなら、きちんと座りなさい、とだけは言った。それで巧は寝そべるのはやめて、あぐらをかいて座った。お母さんはそれ以上は何も言わなかった。……そんなのでいいんだ?
お母さんのお稽古場には生徒さんが何人も入れ替わり立ち替わりやってきた。ほとんどが女の人で、大人の人ばかりだった。そして、どっちかっていうとおばあさんみたいな年齢の人たち。その人たちが来ると、僕はお母さんに呼ばれて、紹介された。この子が今度うちの子になった縁くんです、って。僕はお母さんに習った通りに正座をして、床に指をついて挨拶をした。みんな、行儀のいい子ねえ、とか、先が楽しみねえ、とか言ってくれた。……いいのかな、僕。こっちに来て褒められてばっかりだけど。僕、別に何もしてないよ?
そうやって僕は楽しい日を過ごした。毎日巧と一緒。新しい学校にも巧と一緒に挨拶に行った。新しい学校の校長先生も、担任の先生も、僕と巧に、二学期になったら二人とも一緒に元気にいらっしゃいね、同じ教室で勉強を頑張りましょう、と言ってにこにこ笑っていた。
そう、僕と巧は同じクラスになるんだって言われた。僕は嬉しかった。家に帰ってから僕がそう言うと、巧はにかっと笑って、
「だよな。やっぱり同じクラスがいいもんな」
と言った。
夏休みは毎日楽しかった。海にも行った。鹿鳴の町にも海はあるけど、海水浴のお客さんが多くて海で泳ぐのを楽しめないからって、四十分ほど車で行ったところにある、お母さんの親戚の最上さんの家に泊まりがけで行った。その家のちょうど裏手に砂浜があって、そこで泳いだ。僕たち以外は誰もいなくて、水遊びし放題だった。
実は僕は泳げなかったけど、そこで最上のおじさんに教えてもらって泳げるようになった。最上のおじさんは映画監督っていうのをしているんだけど、若い頃は水泳の選手になりたかったんだって。でも、オリンピックに出られるほどじゃなかったから、途中でそれは諦めて映画を撮影する会社に入ったんだって。
「いつか水泳を題材にした映画を撮ろうと思っているんだけど、それはまだかなわないんだよ」
最上のおじさんは苦笑しながら言った。
巧は最初から泳ぎがうまくて、僕が最上のおじさんにばた足とかならっている傍で、すいすいと泳いでいた。時には姿が見えなくなるほど沖にまで泳ぎに出て、最上のおじさんを慌てさせていた。けど、おじさんが声を張り上げて呼ぶと、どこかからすいすいと泳ぎ出てきて、僕もおじさんも安心したのだった。
とっても楽しいけど、僕、こんなに楽しくていいのかな。
その日の夜、僕は海水浴で疲れて、布団に入るなりすぐに眠った。でも、夜中に目が覚めた。僕の隣で巧がものすごい寝相で寝ていた。まあ、これはいつものことだから気にしない。というか、今日は蹴られてなかったからまだいい方だ。
僕はトイレに行くために廊下に出た。神村の家も広いけど、この家はそれよりも広い。元はお寺だったのを改造して住んでいるんだっていうのはこの家に着いたときにきいた。
僕は廊下をそろそろと歩いた。海側の窓は大きくて、夜の海がものすごくよく見えた。トイレに行った後、手を洗って、ちょっと窓の傍に立って海を眺めていたとき、食堂の方から声が聞こえた。
「どんな子かと思ったら、いい子じゃないか」
最上のおじさんだ。最上のおじさんはとっても声がよく通る。声優の仕事を友達のアニメ監督に頼まれてしたこともあるって言っていた。
僕は足音を立てないようにしながら、声がする方に歩いていった。
食堂には、お母さんと最上のおじさんとおばさんがいた。三人ともお茶を飲んでいる。
「お前が恐ろしげな話をするからどうかと思ったが、実際に会ってみたら普通の子だった」
「それは、私もそう思ったわ。でも、昔から聞かされてきたから。本家に行ったときに白い髪をした美しい子どもに出会って、向こうから声を掛けてきたとしても、答えてはいけない、って。何もなければ害はないけれど、機嫌を損ねれば家が滅びかねないって」
……それって、もしかして巧のことを話してる?
明日も6時投稿します。




