白い紙に綴る言葉と、隠しきれない熱
午後。昼下がりの穏やかな陽光が差し込むリビング。
小さなダイニングテーブルの上には、俺が使っていたお下がりの参考書と、真っ白なルーズリーフが数枚広げられている。
真白は俺のすぐ隣にぴったりと身を寄せ、少し緊張した面持ちでシャーペンを握っていた。
彼女が少し動くたびに、ブカブカのパーカーの隙間から、俺と同じシャンプーの甘い香りがふわりと漂ってくる。
「まずは、語学からやってみようか」
俺がそう提案すると、真白は不思議そうに小首を傾げた。
「外国語……ですか?」
「うん。基礎的な英語だよ。新しい言葉の形や意味を覚えるのって、自分の世界が少しずつ広がっていくみたいで、結構楽しいんだ」
そう言うと、真白の白い指先が、ルーズリーフの上でピタリと止まった。
「世界が、広がる……」
「ん? どうした?」
「……私、外の世界が広がるのは、少し……怖いです。私はずっと、湊さんのいるこの狭いお部屋の中だけでいいのに……」
不安そうに揺れる色素の薄い瞳。その言葉には、俺への強烈な依存と、かつての居場所(地獄)へと繋がってしまうことへの深い恐怖が滲んでいた。
俺は彼女の震える背中にそっと手を添え、安心させるように優しく撫でた。
「外の世界に出るための勉強じゃないよ。俺と真白が、二人で色んなお話をするための勉強だ。……ほら、例えば」
俺は、真白が握るシャーペンの上からそっと自分の手を重ねた。
俺の手のひらの中に真白の小さな手がすっぽりと収まる。ビクッと肩を揺らした彼女の体温を感じながら、真っ白なルーズリーフにいくつかのアルファベットを綴った。
『 I love you 』
「……これ、どういう意味かわかる?」
真白はフルフルと首を横に振る。俺の腕に預けられた純白の髪が、サラサラと心地よい音を立てた。
「これはね、『愛しています』っていう意味だよ。自分にとって、一番大切に想う人にだけ伝える、特別な言葉なんだ」
その瞬間、真白の瞳が大きく見開かれた。
彼女はルーズリーフに書かれた文字と、俺の顔を交互に見つめ――やがて何かを決意したように、俺の手からそっと離れて、自分だけでペンを動かし始めた。
さっき教えたばかりのアルファベットの形を、拙いながらも、祈るような真剣さで一生懸命に書き写していく。
『 I love you 』
書き終えると、真白はシャーペンを置き、俺のパーカーの袖を両手でギュッと握りしめて、真っ直ぐに俺を見上げた。
「……アイ、ラブ、ユー」
舌足らずで、けれど、ひたむきで熱を帯びた響き。
「湊さん……アイラブユー。愛しています。私、この言葉……他の誰にも使いません。一生、湊さんにだけ……綴ります」
かつては絶望の色しかなく、無機質なガラス玉のようだった彼女の黒い瞳。そこには今、俺という存在だけを映し出す、狂おしいほどの情熱と純粋な愛情が宿っていた。
女の子からのあまりにも真っ直ぐで重い告白に、俺の胸の奥が甘く、激しく痺れる。
「……ありがとう、真白。俺も、真白のこと誰よりも大切に思ってるよ」
俺がそう微笑んで頭を撫でると、真白は泣きそうな、それでいてこの世の全てを手に入れたような、とびきり甘い笑顔を見せた。
言葉の響きと温もりを確かめるように、真白は真っ白なルーズリーフいっぱいに、何度も何度もその言葉を書き続けた。その姿は、ただ文字を練習しているのではなく、まるで『黒瀬湊』という存在を自分の魂に深く刻み込んでいるかのようだった。
窓の外をそよぐ春の風が、部屋のカーテンを静かに揺らす。
この温かくて少し重い、二人だけの閉ざされた世界。俺は、ずっとこの時間が続けばいいと、心の底から願っていた。




