Ⅱ - 2
何とか学校まで戻り、小川を保健室に連れて行った。
昼休み中に担任の青山先生が小川の荷物を取りに来た。
「小川、早退するからさ。課題できなくてすまないって」
「あ、そんなこといいんですけど」
と淡路と須田(スダだった)を見ると、二人とも 激しく頷いていた。
「帰れるんですか?すごく具合悪そうだったけど、お母さんとか迎えに来られるんですか?」
「いや、お母さん来るの待ってるより、帰った方が早いだろ。教頭先生があっちの方わかるから、送ってってくれるって。保健室の先生も付き添うから大丈夫だよ」
「それならいいけど」
うずくまった瞬間をみていた淡路は、大分安心したようだった。しゃべらないやつだけど、高揚というのか興奮というのか緊張感は嫌という程伝わってきた。多分、僕もそんな感じだったと思う。須田も余計なことは一言も言わなかった。
「あっ、おまえにメール送っといたって」
「えっ⁉︎」
スマホが鳴ってるのなんて全然気づかなかった。確認してみたら、今日撮った大量の写真だった。淡路と須田に見せると二人とも力が抜けたように笑った。僕もホッとした。
小川は今日は欠席だ。
昨日あんなで今日来られたら、こちらが慌ててしまうけど、ホームルームで青山先生が
「遠くから通ってるから、疲れが出てたみたいだな。昨日は暑かったしな。明日も休んで、土日はさめば月曜から来れるかもしれないけどな、みんなもあんまり無理すんなよ」
と言った。
あれからメールもなく、こちらからは写真の礼を送っただけだった。既読はついたが特に返信はない。
翌日の放課後、少し課題のまとめをやった。
週明けに各班発表がある。
須田がパソコンでまとめたものは、パンフレットかと思えるくらい良くできていて、やる気満々だったのは、これだったのかと思った。
小学生の頃からプログラミングをやっていたらしくおもちゃみたいなものらしい。淡路と僕がまったく語彙力のない説明しても、
「こうかな?」
「あー、オーケーオーケー」
などと言いながらパソコンを操り、僕らが思うように仕上げてくれた。
本当にまったく天才とか秀才とかいうのはこういうヤツなのかも。パソコンができるからって偉そうじゃないし、僕らのすっとぼけた発言をバカにしたりしない。人間的にもよくできたやつだ。おまけに足の怪我はアメフト部の部活中にひねってしまったとか。それでも本入部した。なんかすごい。
帰宅すると来客のようだった。父の靴ではないものが二足並んでいた。
「おー、タツ! おかえり」
兄の声だ。
八歳年上の兄の明人は、都内の職場近くのワンルームマンションで一人暮らしをしていて、普段はあまり顔を見せない。
「えー、なになに?どうしたの…」
リビングに入ると青山先生がいた。
「え?なんで?」
家庭訪問? 家庭訪問があるなんて知らなかった。高校で家庭訪問あるとこあるのか? 小学校だけだろ。
「ちゃんと先生にご挨拶しなさいよ、達彦」
母は相変わらず嬉しそうに、かいがいしくお茶を出している。
「いいですよ。さっき “さようなら”したばっかりですから、なぁ」
ドギマギしていると 、
「青山先生、お兄ちゃんのお友達なのよ」
と母が言った。
「覚えてないか? よくうちにも来てたじゃん」
と兄は言い、
「初めてあった時は年中さんだとか言ってましたよね」
青山先生が母に言うと
「あー、そうだったわよね。初めて来た時だった? 達彦が庭にいたと思ったら、いなくなっちゃて二人で探しに行ってくれたのよ。佐藤さんちの門の前でなんかの脱皮、見てたのよね」
と大笑いした。青山先生と兄は苦笑する。
その話は何かにつけてよく話題になり、からかわれ、あまりいい思い出ではない。
『お兄ちゃんとお友だちが探しに行ってくれて…』
の、お友だちが青山先生だったとは…恥ずかしくてたまらない。
二階の自室で着替える時、Tシャツを何回も取り落とした。
イライラしていた。なんで黙ってたんだよ。先生が兄ちゃんの友だちだったなんて。僕だけ知らないで、みんなで笑ってたんだな。
無性に腹が立ち、絶対リビングに行かないと思っていたが、空腹には勝てず階下に降りてしまった。
「なにしてたのよ。お茶が冷めちゃうじゃない」
「いいじゃんか、別に」
「先生、お待たせしちゃってるじゃないの」
「えーっ? なんでー」
僕に会いにきたって言うのか?
仕方なく青山先生の向かいに座った。テーブル越しに青山先生は、
「驚いただろ。俺も驚いた。クラス分けの名簿見たときさ。あれ?もしかして 明人の弟かなぁ〜って。電話して聞いちゃったもんな」
「まさか担任になるなんてなぁ。だから 俺も驚かせようと思って、母さんにもタツにも言わなかったんだよね。でも、全然気がつかなかったんだろ?」
と兄は母に聞いた。
「そうなのよね〜。いらした時、お兄ちゃんに言われて初めて気がついたのよ。入学式で紹介された担任の先生だ!って。失礼いたしました」
ペコッと頭を下げた母は嬉しそうだ。
「はぁ、僕はまったく覚えてなくて…すみません」
「まだ小さかったもんな」
と青山先生は笑う。母は笑いすぎだ。
「最近どう? もう大分慣れただろ?」
「はぁ、まぁ、そうですね」
「校外の時は大変だったな」
「はぁ、大丈夫です」
「小川と連絡取ってんの?」
小川と言われて、僕は母の様子をチラッと見た。母は普通に笑顔で、でもほんの少し首を振った。
『小川くんの件はしゃべってないわよ』
僕も小さくうなずいた。
小川が校外学習で具合が悪くなった事は、母には話してなかったが、青山先生が昨日の事を かいつまんで母と兄に話した。
「写真送ってもらったんで お礼を返信しただけで、その後は特には…」
「普段、一緒にいるじゃん。小川ってクラスでどう?」
「どうって?」
「馴染んでる?浮いてないかな」
「…普通だと思いますけど、どうしてですか?」
「うん」
と言ったまま青山先生は黙ってしまった。
小川のことで 僕に会いにきたのか? 僕が知ってることなんて、母も知ってることくらいだ。
あとは学校だ。学校で小川ってどうだっけ。
改めて考えると取り立ててどうということもないと思う。いじめられてるとか、いじめてるとか? 実はすごいやつで影で人を操ってるとか?
「なんか気になることあんのかよ?」
兄が青山先生に聞いた。
「うーん。まあ、しゃべっちゃうけど。中学の卒業式で暴れたって」
「暴れた?今時あるんだ、昭和かよ」
「うーん、あ、もちろん一人じゃなくて 仲間何人かとだけど」
「要注意人物なんだな、高校で」
「まあね、何かやらかすんじゃないかってヒヤヒヤしてるわけよ、上は」
青山先生の説明だと…卒業式は終わり、卒業生が退場した直後、小川たち数人が集まって 、校庭にある木造の体育倉庫を破壊した。体育倉庫の裏に、バットやシャベルなどを前日に用意してあったらしい。もともとかなり古い木造で取り壊しが決まっていたとか。
教師たちや式に来ていた父親達が止めに入ったり、囃し立てたりする生徒や、泣き出して興奮状態になる生徒などが集まり騒然となった。
大人たちに止められて、グラウンドに正座させられた小川たちは悪びれもせずに笑いあっていたそうだ。
「よく警察沙汰にならなかったな」
と兄が言った。
「実際、警察を呼んじゃった人がいたらしいんだけど、校長の責任で対応するってことで帰ってもらったらしい…」
「その、小川って子はそういうやつなの?」
「いや、全然。中学じゃ生徒会長やってたっていうし、うちの入試だって、はっきり言って高校入試始まって以来の満点合格だったんだよ」
「ひょぇ〜天才なんだ」
兄が奇妙な声を発した。
僕たちの通っている学校は中高一貫校で、かつては中学入試しかやっていなかった。けれど 中学入試は落ちたが、中途転入や高校入試で挽回したいという希望者が増えたり、少子化で中学入学の人数が減少したため、数十年前から高校入試も始まった。
僕はびびって中学入試は受けなかった。兄は (多分先生も) 中学からだ。
「いい子ちゃんだけにストレス溜まってたのかな」
「どうなんだかなぁ。もともと言い出したのは他の生徒らしくて、それに同調したみたいなんだけど。まあ、普通だったら止めるようなヤツだったんじゃないの?」
青山先生は僕を見て言ったけど、なんて言っていいかわからず黙っていた。
沢田さんのことは別として、小川って、なんか次元が違うところにいるような感覚がある。
こっちも 天才秀才なのか。須田だけじゃなくそんなヤツばっかり集まってるのか? 僕だけ置いてかれてたりして…
『そんな生徒を入学させていいのか』
と学校に匿名の電話があり、中学に確認して発覚した。
中学でもクレームの電話が何回かあり、そのほとんどが同じ人物だった。学校にかけてきた人と同じ人物だろうということだった。他の生徒たちの入学先にも通報があり、中には取り消し寸前までいった生徒もいるが、なんとか回避はできた。
学校としては、乱暴行為はもちろん言語道断ではあるが、卒業したとはいえ、まだ中学在籍中のことであるし、なにより小川の成績や内申の良さは群を抜いていた。入学にあたり、本人 、保護者、保証人の署名入りの“学校の規約に遵守する”と言う誓約書も提出されている。もし何かあったら、その時対応すると決め、不問にした。
「まあまあ無難だな。それにしても、もっと上の学校行けたんじゃないの?」
と兄が言った。
「そうだよな。厚木周辺だったら県立でもレベル高いところあるしなぁ。県立落ちたってわけでもないみたいだし、うち一本だったのかな」
「なんか 担任の先生のおすすめだったとか言ってたけど…」
それくらいは言っても平気かなと僕は母を見た。母はどこを見ているでもなかったが、ものすごい真顔だった。いつもなら話に入ってきたり、お茶菓子を進めたりするのに。青山先生の話をじっと黙って聞いている。
「へぇ、OBだったのかな…でも、まあ、その中学からは初めての入学者で、知ってるヤツが いないってのも幸いだったかもな」
「俺たちは知っちゃったけどな、なあ」
と兄は苦笑した。
もちろん他言することないが、僕はなにを言っていいのか迷った。こんな時に気のきいたことが言えない。小川だったら、するっと言葉が出て来そうだな、などと考えていたら母が勢いよく立ち上がり、先生も兄も僕も一瞬身構えてしまった。
「やだー!私ったら、お代わりも出さなくて!ごめんなさいね!」
半ば叫ぶようにキッチンに言ってしまった。
コンロをつける音がして、水道の水が流れる音がしたが、ばつが悪そうな顔で戻って来て、
「下げるの忘れちゃった」
えへへ 、なんて言い、食器類を下げていった。
青山先生と兄は、駅前で飲むと言って出て行った。兄はそのままマンションに帰ると言った。会社には外回り中で直帰という事にしてるとか。
青山先生が僕と話したくて兄を誘ったようだった。学校だと誰に聞かれてるかもしれない。
『しゃべっちゃうけど』と言っていたけど、母や兄を信用しているのだろう。僕もうっかり小川に聞いたりしないように気をつけないと。青山先生や母や兄を裏切りたくない。
学校の先生方とは共有事項なんだろうけど、口ぶりだと任せられちゃってる感じだ。なんかやらかすんじゃないかってヒヤヒヤしてる—気持ちは青山先生が一番強いのかもしれない。母や兄に聞いてもらって少し楽になったのかな。
風呂から出たらタオルがまったくなかった。
『入る前に確認しなさいよ!』
と、しょっちゅう怒られているけど、片付け忘れてるのもどうよ、なんて言ったら、
『気がついた人がやりなさーい』
「タオルない、持ってきて」
廊下を挟んだ真向かいのキッチンに声をかけると、
「えー?今、手離せない。何にもないの?」
「お母さんのバスローブだけ」
「それ使って。洗ったばっかりだからきれいよ」
「えー!これー?拭きにくいじゃん!もうTシャツで拭くからいい」
「ヤダー汚いなぁ。着ちゃえばいいじゃない」
鍋をガタガタと動かしてる音がして火を止めた音がした。
「もう拭いちゃった?」
「うん」
母が来て、濡れたTシャツをつまみあげた。
「まあ いいか。着替えたばっかりのだしね」
と洗濯カゴに戻した。
「お鍋、お鍋。火を止めちゃったわよ」
といいながら、廊下で立ち止まった。
「達彦」
今の今話していた口調とは全く違う落ち着いた声だった。
「小川くんのことなんだけど」
母は伏し目がちで見ている。あまり関わらないほうがいいとか言い出すんじゃないだろうな。
僕だって結構ショックで、次会った時、普通に話せるか心配してる。課題だってあるのに。
「…何よ」
「仲良くしてあげなさいよ」
「え」
言葉に詰まっていると、
「お友だち、いなさそうじゃない?」
「えっ?どうかな、どうだろ。中学の、ほら暴れたやつらとか?」
「そうねぇ、そうかもしれないけど、違う気もする」
母はエプロンのポケットに手を突っ込んで話す。
「また連れてらっしゃいよ」
青山先生が話している時、母はずっと小川のことを心配していたのかもしれない。母親としての想像を巡らしていたのだろうか。青山先生の話を黙って聞いていた時、日が少し陰ってきて室内の日差しも薄暗くなってきた。丁度、そんな場所に座っていたからか、顔だけ陰になっていて怖い怪談でも聞いてるかのような表情だった。




