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XⅢ - 1

 祖父と見てた人形劇はビデオだった。

 それだけでなく祖父が録画していたビデオがたくさんあったらしいが、死後に処分してしまった。

 母曰く

「だってVHSだよ」

そうだろうなとは思う。DVDで出てるかもしれない。

 祖父が若い頃か父が幼い頃に放送されていた子供向けの人形劇もあったとか。僕が中学で人形劇部に入った時、

「血だなと思ったわよぅ」

でもそうなのかも、影響はあったのだろう。気づかないうちに。


 人形劇もネットで調べたら、結構あった。

 僕が小学生の頃の放送してた中華系らしき国が舞台のものがあり、女子達が夢中で話してた。アニメでもありそうなかっこいいお兄さん達|(人形だけど)がたくさん出てきて闘う。

 こんなのもあるんだと思ったものだ。元々は台湾に古くからあるもので、昔ながらの指人形みたいな人形劇だった。

子供向けでもなく大人も楽しめ、というよりすべての人が楽しめるものだったのだ。

 指人形…桃太郎とかやったな…老人ホームや幼稚園に行ったな。

 祖父に影響されてたなんて…今更気づいた。祖父も江ノ島の祖父も時代劇の再放送見てたな。祖父は舞台中継の番組もよく見てた。

 二人ともなにが好きだったんだろう。なりたいものになれたのかな。


 まずは足元。

 鎌倉の歴史から調べてみる事にした。

 頼朝が幕府を開いたよりも前、もちろん人々の暮らしはあった。

 発掘によって、縄文時代や弥生時代の遺物が出ている。

 当時から農耕や漁業で成り立っていた。

 平安時代に相模守だった源頼義が鶴岡八幡宮を由比ヶ浜に創建。頼朝が現在の位置に移した。

 源頼義って誰よ。頼朝のお祖父さんとか?


 だから源頼義を調べる。

 頼朝から六代前の人で、戦さ戦さの人生。

 相模守に就任後、妻の父が持っていた鎌倉の所領を引き継いだ。

 簡単に言っちゃうそうなんだ。

 頼義の父親も同じ感じ。藤原氏に支えてたとか。


 いろいろ気になってノートにあれこれメモるけど、人と人との繋がりが複雑すぎて、繋ぐ線ばかりだ。

 他にも調べないとわからない事だらけ。

 でも、案外楽しい。けっこう好きかも。サクッとじゃなくてもっと調べたい。やっぱり史学科かなぁ。


 頼義が創建した鶴岡八幡宮(由比若宮、元八幡宮)に行ってみた。

 参道を覆うような緑の樹木に鮮やかな朱色の鳥居が映えて、お宮そのものはこじんまりしてているけど、存在感がある。

 葉が落ちて、空が見える参道も良さそう。

 住宅街だけど、それこそかつては、拓けていて目前は海だったんだろうな。小高くなってるし、見渡しもよかったんだろうな。


 頼朝が鎌倉に入ったのは、父親の義朝の館があったからだ。頼義以来の鎌倉に縁があったわけだ。

 その後、鎌倉幕府は約150年くらいで崩壊し

南北朝、室町時代と続く。

 もちろん室町幕府の出先機関はあるにはあったが、これはこれで内輪揉めやらなにやらで機能せず、元の農村、漁村に戻ってしまいかつての賑わいはなくなった。

 その後、復活するのは、ずっと下がって江戸時代。歴史的価値により社寺の復興が進み、明治になると鉄道が通り、参拝はもちろん気候が温暖で海水浴や避暑として人が集まり出した。

文化人や富裕層が別荘を建てたり、移り住んだりした。

 そして〜イマココじゃないけど。

 ちなみに我が家は、

『ずーっと住んでる』

『おじいちゃんが言ってた』

と母が言ってた。

 今は整備しちゃったけど、以前は天明とか寛政とか彫ってある墓石があったとか。記憶違いじゃないの? これも

『おじいちゃんが言ってた』

父は覚えてないとか。まあ、田畑を耕してたんでしょう。

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